middle/英雄の仕立て屋
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細い、糸のような雨が降っていた。
きっと傘をさしていても、衣服が湿気を含んでじっとりと重くなって行くだろう。
とはいえ、今私が纏っているのは衣服ではなく毛皮なので、あまり関係がない。
鼻をひくひくさせて周囲の匂いを嗅ぐけれど、雨に紛れて確かなことはわからない。
でも、確かにさっき感じたのだ。
あの、嗅いだことのある香りを。
葉巻の煙の、残り香を。
ゆっくりと人の気配や匂いを確認しながら、通りを歩く。
アラバスタを出たのは、反乱が収束してから約半年後だった。
首都アルバーナの復興が終わり、受けていた依頼を片付けながら、その傍で自分の悪魔の実の能力についてひたすら研究する日々。そこに舞い込んで来た、頂上戦争のニュース。
ニュース・クーの一面に載った写真の片隅に、貴方を見つけた。
インペルダウンから脱獄者が出たというニュースはきちんとした形では報道されていなかったけれど、その写真を見て誰もがそうだと判断した。ゴシップ誌では脱獄した人数やその名前について今も新しい記事が書かれたりしていて、全貌はわからない。
ともかく、その新聞を見て、いよいよ生まれ故郷を出る時がやって来たのだと覚悟を決めた。
そこからは、大変だったけれどあっという間だった。
能力も駆使して、海賊船に忍び込んだり交易船に労働の対価として乗せてもらったり。探し人の情報は、海軍や海賊狩りの集まる酒場などで集めた。女だと色々面倒だろうと男装したり、それでも襲われそうになったり、まぁそのあたりは結局何とかなったので割愛しておく。
そうそう、ロビンさんにも再会して、麦わらの一味にスーツとドレスを作ってあげた。金獅子のシキと戦った時に勝負服として私のスーツを着たことを知るのは、もう少し先の話。
そしてたどり着いたこの島で、貴方を探すこと早10日目。
もう他の島へ行ってしまった可能性もあると諦めかけていたところに、ふと嗅ぎ取ったあの残り香。
苦くて甘い、キスの香り。
最後に会ってから、約一年。たったの一年だ。
狭い路地から、足音が聞こえてきた。ぴたりと足を止める。
目を凝らすけれど、薄暗くてよく見えない。
だれ、と言おうとしたけれど、くぅんと甘えるような鳴き声になる。
一瞬止まった足音が、また近づいて来る。
黒い革靴が見えた。チラリと見える足首には靴下は履いていないようだ。
濃紺のスラックスを履いている。揃いのシンプルなジャケット。左の胸ポケットに、懐中時計だろうか、チェーンが垂れている。
鬱陶しさを紛らわせるためか、右腕は少し腕まくりをしている。黒い傘をさしているけれど、コートはかなり濡れてしまっていた。
ああ、会えた。
また、会えた。
じっと見上げていたら、貴方は私に傘を差し出してきた。
ほうらね、どんなゴシップ誌やニュースにも報道されていなかったけれど、貴方は優しいし、ちゃんと愛することを知っている。
軽い腰を上げて、つま先に鼻を寄せる。
「さっさと戻りたまえ、アスター君」
すんなり名前を呼ばれて驚いた。つま先にキスなんて、するんじゃなかった。体の力を抜いて、変化を解く。
「……気づいてたんですか」
「首からンなもんぶら下げといて何言ってんだ」
「あ」
すっかり自分の一部になっていて忘れていた。反乱の日、突然私の元に転がり込んできたあの指輪は、細いチェーンに通してネックレスにしていたのだ。
「クハハ、ワキが甘ェな」
コツンと鉤爪で頭を小突かれた。
再会したらこの能力で驚かせるつもりだったのに、何もできなかった。どこまでも一枚上手だ。
「それよりクロコダイル様、そのスーツちょっとサイズ合ってないんじゃないですか」
きっと出来合いのものを買ったのだろうけれど、スーツはあちこち余ったり足りなかったりしている。
「あァ、この島にゃ腕のいいテーラーがいなくてな」
「それなら、仕事を探している一流テーラーに心当たりがありますが」
「ほお……そいつはゆっくり話を聞いた方が良さそうだ」
ニヤリと笑ったクロコダイルさんが、ゆっくり歩き出す。
かと思えば不意に立ち止まって、どうしたのだろうと見上げたら。
周囲から傘で隠すようにして、口付けが降って来た。
そして至近距離で、瞬きをひとつ。
琥珀色の瞳が、揺らぐことなく私を捕らえる。
「そばにいさせて」
「……あァ」
約束は、たったそれだけ。
音もなく降る優しい雨が、2人を包んでいた。
fin