middle/英雄の仕立て屋
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クロコダイルさんに初めてスーツを仕立てて以降、平均すると月に一度くらいの頻度で、レインベースのカジノ『レインディナーズ』を訪問していた。
あれから、時折同じ夢を見るようになった。
クロコダイルさんにキスされて、背中を向けられて、そして去っていくあの夢。
行かないでと泣いて目が醒めることもあった。
それでも夢の結末は変わらず、遠ざかる背中にこの手が届くことはなかった。
そんな夢の内容が少し変化を見せたのは、取引が始まってまもなく2年が経とうとしていた頃のことだ。
その頃になるともうさすがに私も感づいていた。例の夢を見るのは、ほとんどがクロコダイルさんに会った日の夜なのだ。
今日は仕立てたベストの納品と、アスコットタイにちょうど良さそうな生地が入ったので見てもらいにレインディナーズへやって来た。
裏口から入り、オーナーの執務室へ向かおうとすると、オールサンデーさんに呼び止められた。
「待って、今日はそっちじゃないわ」
案内されたのは、同じ建物の中なのに、見たことのない場所だった。広い階段の上で、立ち止まったオールサンデーさんが下へと手を差し伸べる。
「この下よ。行ってらっしゃい」
青白い光が下から漏れてくる。
少し、空気が冷たい。
手に持っていた荷物を、肩にかけ直してゆっくりと階段を降りる。
一番下まで降りるとそこは、これまた広いパーティ会場にでもなりそうな部屋だった。
周囲には大きなガラス窓がはめ込まれていて、その向こう側、水槽が騒がしかった。
「アスター君か。タイミングが良いな。ちょうどエサの時間だ」
ごろごろと水槽に投げ入れられる肉の塊を、我先にと奪い合いながら食らいつく巨大なバナナワニ達。その様子を、クロコダイルさんはどこか嬉しそうに見ていた。
ガラスに添えた右手には、相変わらず大ぶりな宝石のついた指輪がはめられている。
横に立って同じものを見ていても、きっと違うことを感じているだろうと、ずっと思っていた。けれど今は、今だけはきっと同じことを考えている。
「私、昔猫を飼っていたんです。もうとっくに死んでしまいましたが」
ひたり、私も右手を水槽にあてる。暑い外から来てすぐなので、伝わってくる冷たさが気持ちいい。
「ふと思い出しました」
久しぶりに思い出したことに驚いたし少し悲しかった。ヒトは忘れる生き物だというけれど、忘れたくないことまで容赦なく忘れていくのは嫌だ。
目の前で繰り広げられる餌の争奪戦が、終息していく。
水槽を見ていて、私は気づいていなかった。クロコダイルさんが、私をじっと見ていただなんて。
だから突然抱き上げられて、驚いて声も出ないまま口を塞がれても、抵抗らしいことは全くできなかった。
それは、幾度となく見た夢とは違って、触れるだけのひどく優しいキス。頬を撫でる手は、ギリギリ触れていると認識できるくらいで、少しくすぐったい。
振り解こうとすればきっとすぐにできる。でも、私の身体は凍ったように動かない。
閉じていた目をそっと開くと、ほぼ同時に唇が離された。そして目が、合う。
目の前で火花が飛んだ。もちろん気のせいだ。
「抵抗しねェのか」
クロコダイルさんの瞳が、ほんの僅かに揺らぐ。
ねえ、一体、あなたはなにに怯えているの。
やっぱり聞けない、けれど。
「今更、抵抗なんて」
しない、できない。夢に出るほど私の口内を何度も蹂躙しておいて、今更どの口がそんな世迷いごとを。
私がなにも気づかないと、本気で思っていたのだろうか。そこまでウブでもなければ、世間知らずでもない。
最初こそ混同したけれど、さすがに何度も経験すれば夢と現の区別くらい、できる。
「クロコダイル様こそ、クスリに頼るのはやめたんですね」
「フン、生意気な口を」
「私が嫌だと言ったから、でしょう」
テーラーとお客様として取引をと、言ったのは確かに私だ。
でも、記憶が曖昧になる回数が片手を超えたあたりで、気づいた。クロコダイルさんの目に、欲以外の何かがある事に。
「……抵抗しねェなら、抱く」
甘い言葉など期待はしていないし、優しくされることもないだろうと思っていたけれど。私に触れるかさついた指先は、ガラス細工を扱うように繊細だった。
一瞬か、はたまた数時間か。意識が戻ると、広いベッドの真ん中だった。
すぐそばで聞こえる呼吸が、情事の最中とは比べ物にならないくらいゆったりしたリズムで耳元をかすめる。
背中に感じる温もりが、互いに一糸まとわぬ姿だと伝えてくる。
それまでも決して乱暴ではなかったけれど、受け入れたものの大きさに私の体は悲鳴をあげた。ゆっくり、とてもゆっくりと、慣らしてくれた。
眉間のシワはいつもより深くて、おそらく快感を、我慢する表情に興奮した。この顔は今私しか知らないのだと。独り占め、したいと。
私は、クロコダイルさんが好きだ。
体の関係を持ってしまってからようやく認めるなんて、鈍いにもほどがある。
1人苦笑をこぼしていたら、腹部に回っていた腕にジワリと力が入って、背中がぴったりとクロコダイルさんに密着した。
太ももに、私の中を暴いたモノが当たっている。
「ッ……」
否応無く思い出してしまう。
落ち着けと、思えば思うほど心拍数が上がる。
「何を考えてるか当ててやろうか」
「ッ!お、起きて」
表情を見ることはできないけれど、きっとにやにやと笑っているのだろう。
大きく脈打つ心臓の、上の膨らみにクロコダイルさんの右手がある。何を考えてるかなんて、きっと筒抜けだ。
「当てなくていい、から」
「から?」
私は、自分がこんなに淫らだとは思っていなかった。むしろ潔癖な部類に入ると思っていた。なのに。
「も、もう一度ください」
こんなことをねだるのなんて初めてだ。
「ほお、存外強欲だな。海賊に向いてやがる」
その言葉がどこまで本気だかわからないけれど。
「あ、」
太ももに当たるそれが、ほんの少し大きくなった気がして。
「クロコダイルさま」
愛しています。
言えない言葉を飲み込んで、代わりに甘い甘い嬌声を。
ベッドの中でだけは、せめて貴方が怯える事がないようにと。