middle/英雄の仕立て屋
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祖父からテーラーの看板を継いで一番最初の大仕事を前に、私は震えていた。
これは武者震いだと言い聞かせるように拳を握りしめて、毛足の長い絨毯の上を歩いて行く。
先導するのは黒髪の美しい女性だ。
ここは、再来月にオープンを控えたカジノ『レインディナーズ』のバックヤード。まだ内装工事が終わりきっていない所もあるが、バックヤードは概ね完成して機能しているようだ。
今向かっているのは、カジノのオーナーの執務室だ。
どこから私の店の評判を聞きつけたのかは分からないが、女だてらに紳士服の腕の良いテーラーがいると聞いて来たと、今先導している女性──オールサンデーと名乗った──が先週訪ねてきたのだ。
私の代になってから半年ほどしか経っておらず、そんなに良い評判などあったのだろうかと首をひねったりもしたのだけれど。
とにかくオーナーに会ってちょうだいと、首都アルバーナの片隅にある私の店から、大河を渡ってはるばる夢の町へとやってきた。
これは大きな仕事になることは間違いない。なんとかモノにして、散々お世話になった祖父にプレゼントでも贈りたい。
「サー、連れてきました」
身長の3倍近くもある大きな扉をノックして、オールサンデーさんが中に声をかける。
入れと低い声が聞こえてきて、扉が開かれた。
「さ、入って。頑張ってちょうだい」
彼女は中には入らないらしい。なんとなく味方がいなくなった気がして、拳をさらにきつく握りしめた。
「失礼します」
大きな木製のデスクに、シンプルながら座り心地の良さそうな椅子。他の調度も品の良いものが多く、ゆっくりとそのデスクの前まで歩いて行く。
「はるばる来てもらって申し訳ないんだがそこで少し待ってもらえるか。仕事が片付かなくてね」
緊張で痛いほど喉が乾いていたので、絞り出した返事の声は至極小さいものだった。左腕の鉤爪で指し示されたソファに、音も立てずに座る。
そして書類に視線を落とすその人に、私は見惚れていた。
サー・クロコダイル。
王下七武海──海賊でありながら、この国においては英雄とも呼ばれ皆に親しまれている。国王の次に大物と言っても過言ではない。こんなに近くで見るのは初めてだ。
整えられたオールバック。書類に走らせるペンを持つ手は、無骨な男の手だ。その指にきらめく大ぶりの宝石が、彼の地位を物語る。
他ならぬそんな彼からの仕事の依頼なのだ。ホンモノだ~なんて浮かれて、失敗する事は許されない。
膝の上の拳を、また握りしめた。
一瞬にも永遠にも感じられるような時間を待った。と言っても、ものの5分か10分程度だったと思う。
カリカリとペンが走る音。書類をめくる音。葉巻を吸って、吐き出す呼吸。
緊張で手が痺れてきた。もしこの後採寸してくれなんて言われたら、うまくできる自信がない。
緊張を少しでも和らげようと、目を閉じて深呼吸をする。
二度、三度と繰り返して、手の痺れは感じなくなった。よしこれでなんとかなりそうだと目を開けて、そのまま私はフリーズした。
「大丈夫かね?」
目の前に、クロコダイルその人の顔があったからだ。
あまり年齢を感じさせない肌艶。葉巻は吸い終わったのか、咥えていない。均整のとれた顔立ち。琥珀のような瞳が印象的だ。
「きん、ちょう、して」
なんとかそれだけ絞り出すと、クロコダイルさんは片眉だけひくりと下げて破顔した。
「クハハッ……女だとは聞いていたがこんなに可愛らしいお嬢さんだとは」
か、可愛らしいだなんてそんな。
お世辞を言われてしまうほどには子供っぽい見た目なのは分かっている。曲がりなりにもアラサーに突入しているんだけどなと、こんなことを言われるたびに思う。
「すまない、お待たせした。えー……」
「あ、申し遅れました。テーラー・ネーベルの店主、アスターと申します」
「アスター君、依頼内容について話そう」
依頼は、カジノの副支配人の男性、支配人のオールサンデーさん、そしてオーナーのクロコダイルさん、その3人のスーツを仕立てて欲しいというものだった。
気に入ればリピートしたいと思っている、とも。
仕事用のバインダーをカバンから取り出して、必要な情報や依頼内容を書き込んでいく。不明点は細かく聞いていった。
「だいたいは承知しました。ご来店頂いた方が実際に見て生地をお選び頂けますが……」
ちらりと向かいに座るクロコダイルさんを伺うが、少しばかり渋い顔をしていたので続ける言葉を変える。
「わたくしでいくつか選ばせて頂いてお持ちしましょう。ご希望などありましたらお伺いします」
端切れ布をいくつか持ってきていたので、見本としてカバンから出してテーブルに並べる。
色味は、明るさは、ジレはどうするか、3人デザインを揃えるかなど。今聞ける範囲で聞いて、それも書き留めていく。
そして最後に、次回の予定を決めて、終わりとなった。
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