middle/あまいなみだ
名前変換
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休憩から戻ると、ようやく経費精算書のチェックと処理をし始める。
1番上に置いていた陣内さんの書類には、簡単に修正できるレベルの不備があって、訂正してもらわなければならなかった。
念のため陣内さん予定を確認すると、自席にいるようだった。これくらいなら直接の方が早いだろう。
書類を片手に席を立ち、一つ下のフロアの陣内さんの席へ向かう。
「失礼します。陣内1佐」
「あれ、五十嵐さん?どうしたのーーってああ、書類だよね」
部屋に着くやいなや自席からこちらにやって来ようとする陣内さんを制して、席まで書類を持っていく。1佐なのに、全然偉そうにしないのだ、この人は。
「ここ、日付が違うのと、ここに名前が抜けています。手書きで修正印か、出力し直してもらえますか?」
「あれっ本当だ。チェックしたと思ったのになぁ」
歳かなぁなんて苦笑する陣内さん。歳だなんてそんな、と言おうとして、周囲からの視線に気づく。なぜか、陣内班の皆さんからすごく視線を集めていた。
そんな中、何事もなかったかのように陣内さんは万年筆でさらりと書き直し、印を押す。
「よし、と。そうだ。"フセン"見てくれた?」
「っ……は、い」
「そっか、じゃあヨロシクね」
一昨日の夜のような、機嫌の良さそうな笑顔で書類を手渡される。
念を押されてしまい、連絡しないという逃げ場は完全に閉ざされてしまった。
「りょうかい、しました」
不自然じゃなかっただろうか。どうもここのところ、無表情の仮面が剥がれかけてしまっているようで、困る。
「失礼しました」
まだうるさく騒ぐ心臓を落ち着けるように、ゆっくり歩いて自席へと向かった。
その日、なんとか定時で仕事を終えて帰宅すると、夕飯もそこそこに携帯を触りだした。
『初めまして。五十嵐です。よろしくお願いいたします』
『メールありがとう。陣内です。よろしくね』
そんなやりとりから30分もせぬうちに、OZから通知が入っていてパソコンを立ち上げる。
ログインすると、緑色の、少し間抜けな顔のあざらしのアバターがパソコン画面の中でふよふよとこちらを見ていた。こちらーー淡いピンクと紺色の、アデリーペンギンのアバターが私だ。
通知の内容はといえば、コミュニティ参加へのお誘いで、しかも陣内さんが承認しないと入れないコミュニティで、さらに言えば、メンバーは私だけのようだった。
画面の真ん中には、誘いを受けるかどうかのボタンが表示されており、この状態でかれこれ5分はマウスを持って固まっている。
だって、こんな、2人だけのコミュニティだなんて、聞いてない。
ボタンの横で、リイチが首を傾げたり手を振ったりしている。
「なん、なのそのアバター、可愛すぎでしょ。アラフォーなのに…おじさんなのに…!」
なんだか悔しい。けれど、昼間の愛佳の発言がふと脳裏によぎって、期待してしまう自分もいて。
目を閉じてゆっくりと深呼吸を一度して、また画面を見る。今度はリイチはゴロゴロし始めていた。まずい、待ちくたびれている感が…
「ええい、もう、ほんとにかわいいな!おりゃっ」
ついに、YESのボタンをクリックした。
画面がコミュニケーション専用のモードに切り替わり、ゴロゴロしていたあざらしーーリイチがこちらに向き直る。
『おや、やっと来たね。もう寝ちゃったのかと思ったよ』
『すみません。テ、テレビに夢中で』
嘘だ。テレビなんて全く見ていない。こんな状況で貴方以外のことなんて頭にないですよ、陣内さん。そんな事、言えないけれど。
『何かご用です?』
『用、と言うほどでもないんだけど…なんだか、気になってしまって』
『何がですか?』
『五十嵐さんが』
脳内の愛佳が嬉しそうにまた言う。ほらぁ、脈あるって言ったじゃないですか!と。
『……私が』
『そう』
『……なぜ?』
『さあ、なんでだろうね?』
上機嫌そうな笑顔を思い出す。きっと、今もそんな顔で画面を見ているのだろう。優しそうな笑顔のくせに、言っていることは優しくはない。
『質問を質問で返さないでください』
『ごめんごめん。えーと、だからさ、少しずつでいいから教えてくれない?五十嵐さんのコト』
『私なんかの何を知りたいんですか』
『うーん、全部?』
全部知りたい。陣内さんがミステリアスな笑みを浮かべながら言うところを想像してしまい、あらぬ妄想へ発展しそうに。いやいや、そうじゃない、えっちな事なんて今一ミリも言ってない。
『そうだなー、じゃあまずは、休みの日は何を楽しみにしてる?』
ほらもう、私は一体何を考えているのか。
『楽しみ…は、読書とレビューですかね』
『へえ、レビュー書いてるんだ。履歴とか公開してる?』
『はい。一応、それ専用のコミュニティもあります』
『……それ、俺が見てもいい?』
『え、と、全公開してるので、どうぞ』
許可を求められるとは思わなかったので少し驚いた。
マイペースに更新しているそれは意外と需要があるらしく、コミュニティに登録している人数は現在1000人を超えてしまっている。両手で数えられる程度だが、中には出版社の人や、作家本人もいる。
空き時間の楽しみができた、と、リイチが楽しそうに飛び跳ねた。