middle/あまいなみだ
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休み明け、いつもより少しだけ早く出勤してメールを確認していると、
「あ、いたいた五十嵐さん」
低くて優しい声が背後から私の名前を呼んだ。
一瞬のフリーズ。声の主はすぐにわかった。想い人なのだから当然だ。そう、陣内さんだ。
「陣内1佐、どうされたんですか」
「…っと、これ、一昨日言ってた件ね。もし違ってたら後で教えて!じゃ、会議だから」
一瞬、私の無表情に困ったような顔をしたが、すぐに柔らかい笑顔で書類を手渡された。
足早に去る背中を目の端で追っていると、昨日まで風邪で寝込んでいた可愛い後輩ちゃんーー佐久間愛佳が手元を覗き込んでくる。
「センパイ、一昨日陣内さんと何話したんですか」
「大した話はしてないよ?……いやホントに」
一昨日は仕事の話なんてしなかったような、と首をひねりながら見ると、書類はただの経費精算書だった。ただ、そっとめくった2枚目の方に小さな付箋が貼ってあって。
そこには、とあるOZアカウントの情報が小さく書かれていた。名前は『リイチ』ーーつまり、それは陣内さんのアカウントだった。
「っ!」
弾かれたように顔を上げかけて、まだじっとこちらを見上げてくる愛佳にバレないよう、平静を装ってデスクに戻る。
いつもより少し早い鼓動をなんとか落ち着け、付箋をそっと手帳に移した。
本当に、年甲斐もなくときめいてしまっている。周囲にいる人に秘密で、いたって普通にこんな事をしてくるなんて。まったく、どんな経験をどれだけ積めばこうなるのか。
ひとまず午前中は自分の仕事を進めなければと、パソコンに意識を集中した。
休憩時間になり、愛佳と共に食堂にやって来ると、何やら女性の声が目立った。圧倒的に男性が多い職場なので、明らかにいつもと違う。
ーーと、1番奥の方に陣内さんがいるのが見えて、ああと納得する。
こちらの食堂にいるとは珍しい。いつもは区切られた幹部用のエリアにいるのに。
「センパイ、陣内さんの近く行きましょうよぅ」
…語尾にハートがつきそうなおねだりの声。愛佳も、あのひとにお近づきになりたい1人のようだ。病み上がりなのに絶好調だな。
今日のメニューを受け取って、陣内さんの視界に入る席に陣取る愛佳。あの子にはどうも逆らえないので、仕方なくそちらに向かう。
「そっちでいいの?見えないんじゃ」
「こっちでいいんですよ?センパイをジャマするつもりはないです・か・ら♡」
ついにハートがついた気がする。いやしかし、待て待て。今この子、なんて言った。
「あ、何も言わなくていいですよ。センパイの性格はわかってるつもりですから。でも、ホントは寂しいから、そのうち、教えてくださいね?」
こういうところだ。逆らえないと思うところは。
ひとのことをよく見ている。それでいて、こちらが引いている一線も分かった上で、踏み荒らすことは絶対にしない。
前言撤回しよう。自分が陣内さんに近づくつもりは一切なかったようだ。
席に着くと、おのずと視界に陣内さんが入って来る。部下たちと談笑しながらお食事中だ。
「……すぐ分かった?」
「安心してください。私以外これっぽっちも気づいてないと思います。それと」
少し声を潜めて、愛佳がこちらに顔を近づける。
「脈、あると思いますよ」
「!……本当にそう思ってる?」
「アタシ同性に嘘はつきませんよぅ」
異性にはつくんかい。えへへっとわざとらしく笑っている愛佳の皿に、私の苦手なパセリを移して、愛佳の苦手なミニトマトを口に運んだ。
「あ、アタシセンパイのそういうとこ好き!」
叶わないなぁ、もう。この屈託のない笑顔を向けられて、落ちない男はいないんじゃないだろうか。
一度、そろそろ結婚したらと言ったことがあるが、センパイがするまでは遊んでます♡と、有無を言わせぬ笑顔を返されたのだった。まったく、ブレない子だ。
食事も終盤に差し掛かった頃、陣内さんたちが立ち上がった。食器類を片付け、食堂を後にしようとしたところで、
「う、わ」
自然と目で追っていたら、ばちりと目が合ってしまった。
こちらに気づいた陣内さんが、ほんの少し微笑んで。
その場にまだいた女性隊員たちから、悲鳴に似た声が上がった。
いやいや、きっと私なんかじゃない、他の、この近くに知り合いがいて、その人に向けた笑顔なんだ、きっと。
「ほらね、絶対脈ありますって」
なんて言う愛佳の話は、聞かないふりをした。