middle/あまいなみだ
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誕生日。
それは、年に一度のビッグイベント。
…だったのは10年前まで。ハタチも過ぎれば、できれば来て欲しくないイベントだ。
そのイベントをまさしく迎えようとしていた。よりによって職場で。
「はあ……疲れた……」
今日に限って、私を含めた同僚4人のうち1人は有給、1人は病欠、あと1人は午後半休などという恐ろしいシフトになっており、案の定しわ寄せで残業となったわけだ。
時刻は午前零時の10分前。
そう、私はまもなく30歳の誕生日を迎える。
つい先ほど仕事は終わったが、やるせなくてぼんやりとパソコン画面の時計を眺めていた。
「あーれ、経理も残業?」
「っ!…あ、陣内さん」
背後から急に聞こえた低い声にびくりとしながら振り向くと、職場内である意味有名人の陣内さんがこちらに近づいて来ていた。
直接話したのは片手で数えられるくらいだが、まぁ社交辞令くらいは。
「お疲れ様です。陣内さんもこんな時間まで?」
「まあね」
軽く肩をすくめる動作も様になっている。
陣内理一。長野の旧家出身で、今の地位は確か1佐だったかな。40歳とは思えないほど若々しく、色気あり。女性隊員から絶大な人気があり、毎日のように様々な情報が耳に入ってくる。
やれ今日は食堂で何を食べていただ、部下の誰それと何をしていただ、そんな話が。
「今日のハンカチはバーバリー…」
「えっいきなり何。なんで知ってるの?」
「女性の情報網って怖いですよねぇ」
言いながら、パソコンをシャットダウンさせる。消える前の画面に見えた11時53分の文字に、小さくためため息をつく。
「お疲れだね。ところで終電大丈夫なの?」
「あー、歩いて帰るんで大丈夫です。明日休みですし」
「うーん……女の子1人くらいなら、送ってあげられるけど」
どう?と、キーホルダーも何も付いていない鍵をこちらに見せてくる。
こんな時間なら、女性隊員の間で目撃されたり噂に登るようなこともないだろう。
「おんなのこってトシでもないですけど…お願い、しちゃおうかなぁ…」
「うんうん。よし、決まり!」
にっ、と、陣内さんはいたずらっぽく笑った。
*
「ば、ばいく……」
「はい、メット」
しまった。完全に忘れていた。陣内さんはバイク通勤だったことを。
駐車場の入り口でメットを受け取ったものの、どうしたら前言撤回できるか考えていると、
「五十嵐さん、大丈夫?具合悪い?」
心底心配そうな表情で覗き込まれる。
「いっいやっ大丈夫です!はい!」
その顔を真正面からまともに見てしまい、動揺しながらも俯き加減でメットをかぶってごまかす。
ダメだ、ダメなんだ。この気持ちは封印しなくちゃダメなやつ。気づいちゃダメなやつ。
だというのに私は一体何をやってるんだ。送るなんて申し出、なんで断らなかったんだ。
「ところでご飯はまだだよね?」
「あ、はい、まだで……」
「よかった。さ、乗って!」
ああ、また私は素直に答えてしまった。
もう、どうとでもなれ。
観念して大型バイクの後部座席にまたがると、もちろん目の前には陣内さんの背中があるわけで。
「しっかりつかまっててね。あ、あと、誕生日おめでとう」
「えっ」
なんで知っているのか聞こうと口を開くも、バイクが動き出して慌てて目の前の背中にしがみつく。
さすがに抱きつくわけにはーーそう思っていると、職場を出てすぐの信号が赤で停車した。と同時に、陣内さんの左手が私の左手を掴む。
「え、あっ……」
さらに右手も。
そうして両手とも陣内さんの腹部に回され、重ねた手の上をポンポンと軽く叩かれる。陣内さんの背中に触れている右頬が、熱い。
「な、もう、ダメかも……」
ぼそりと呟く。
なけなしの気力はもうもちそうにない。気づいちゃダメとか、もう、その時点で手遅れだったのだ。どこかで分かってはいたけれど。
私は、10歳も年上のこの人に、どうしようもなく惹かれているのだ。それもたぶん、結構前から。
どくどくとうるさい心臓を持て余しながら、ただ目を瞑っていた。
それは、年に一度のビッグイベント。
…だったのは10年前まで。ハタチも過ぎれば、できれば来て欲しくないイベントだ。
そのイベントをまさしく迎えようとしていた。よりによって職場で。
「はあ……疲れた……」
今日に限って、私を含めた同僚4人のうち1人は有給、1人は病欠、あと1人は午後半休などという恐ろしいシフトになっており、案の定しわ寄せで残業となったわけだ。
時刻は午前零時の10分前。
そう、私はまもなく30歳の誕生日を迎える。
つい先ほど仕事は終わったが、やるせなくてぼんやりとパソコン画面の時計を眺めていた。
「あーれ、経理も残業?」
「っ!…あ、陣内さん」
背後から急に聞こえた低い声にびくりとしながら振り向くと、職場内である意味有名人の陣内さんがこちらに近づいて来ていた。
直接話したのは片手で数えられるくらいだが、まぁ社交辞令くらいは。
「お疲れ様です。陣内さんもこんな時間まで?」
「まあね」
軽く肩をすくめる動作も様になっている。
陣内理一。長野の旧家出身で、今の地位は確か1佐だったかな。40歳とは思えないほど若々しく、色気あり。女性隊員から絶大な人気があり、毎日のように様々な情報が耳に入ってくる。
やれ今日は食堂で何を食べていただ、部下の誰それと何をしていただ、そんな話が。
「今日のハンカチはバーバリー…」
「えっいきなり何。なんで知ってるの?」
「女性の情報網って怖いですよねぇ」
言いながら、パソコンをシャットダウンさせる。消える前の画面に見えた11時53分の文字に、小さくためため息をつく。
「お疲れだね。ところで終電大丈夫なの?」
「あー、歩いて帰るんで大丈夫です。明日休みですし」
「うーん……女の子1人くらいなら、送ってあげられるけど」
どう?と、キーホルダーも何も付いていない鍵をこちらに見せてくる。
こんな時間なら、女性隊員の間で目撃されたり噂に登るようなこともないだろう。
「おんなのこってトシでもないですけど…お願い、しちゃおうかなぁ…」
「うんうん。よし、決まり!」
にっ、と、陣内さんはいたずらっぽく笑った。
*
「ば、ばいく……」
「はい、メット」
しまった。完全に忘れていた。陣内さんはバイク通勤だったことを。
駐車場の入り口でメットを受け取ったものの、どうしたら前言撤回できるか考えていると、
「五十嵐さん、大丈夫?具合悪い?」
心底心配そうな表情で覗き込まれる。
「いっいやっ大丈夫です!はい!」
その顔を真正面からまともに見てしまい、動揺しながらも俯き加減でメットをかぶってごまかす。
ダメだ、ダメなんだ。この気持ちは封印しなくちゃダメなやつ。気づいちゃダメなやつ。
だというのに私は一体何をやってるんだ。送るなんて申し出、なんで断らなかったんだ。
「ところでご飯はまだだよね?」
「あ、はい、まだで……」
「よかった。さ、乗って!」
ああ、また私は素直に答えてしまった。
もう、どうとでもなれ。
観念して大型バイクの後部座席にまたがると、もちろん目の前には陣内さんの背中があるわけで。
「しっかりつかまっててね。あ、あと、誕生日おめでとう」
「えっ」
なんで知っているのか聞こうと口を開くも、バイクが動き出して慌てて目の前の背中にしがみつく。
さすがに抱きつくわけにはーーそう思っていると、職場を出てすぐの信号が赤で停車した。と同時に、陣内さんの左手が私の左手を掴む。
「え、あっ……」
さらに右手も。
そうして両手とも陣内さんの腹部に回され、重ねた手の上をポンポンと軽く叩かれる。陣内さんの背中に触れている右頬が、熱い。
「な、もう、ダメかも……」
ぼそりと呟く。
なけなしの気力はもうもちそうにない。気づいちゃダメとか、もう、その時点で手遅れだったのだ。どこかで分かってはいたけれど。
私は、10歳も年上のこの人に、どうしようもなく惹かれているのだ。それもたぶん、結構前から。
どくどくとうるさい心臓を持て余しながら、ただ目を瞑っていた。