第3章 触れたい相手
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船長室から甲板へ出ると、その場で足を止めた。
「盗み聞きか?小童が」
吐き捨てるように言うと、扉の横に座り込んでいた金髪の男はいつもの笑顔から神妙な顔つきになった。
「そんなつもりは。すみません」
ヘンリーは、下手に言い訳はしなかった。
少しおろおろしながらも、おれが本気で怒っていないと分かると少しばかり笑顔が戻る。本気であれば、今頃とうに枯らしていただろう。
「アスターさん、大丈夫なんですか。鍛錬、今日はもうやめといた方が良さそうっすね」
「あァ、明日やりゃいい。本格的に仕事を始めるのは次の島からだしな」
「わかりました」
もう一度すみませんでした、と頭を下げた後、ヘンリーは船室へ踵を返した。
全く、若いなと、その小柄な背中を少しばかり眩しく思う。
そして自分に対しても。この歳になっても、まだ若いなと自嘲する。
先程の彼女の行動に、確かに動揺した。
アスターがおれに、人間的に惚れているだろうとは認識していた。これは彼女自身が言ったことだ。自惚れではない。
しかし先程のあれはなんだ。
頭痛が治った時点で、彼女がおれに触れる理由などもうなかったはずなのに。
いや、おれにだって、アスターに触れる理由など別段なかった。揺らぐその瞳が何色になるのか、興味があったくらいで。
触れたい理由なんて、本当にただ、それだけで。
冷たい風に少しばかり眉根を寄せる。
予想通り寒くなりそうで、そして少々海が荒れそうだ。恐らく今晩はゆっくり眠れないだろう。
◆
夕食を済ませると、案の定、波が高くなってきた。完全に日が沈み、しかし月は分厚い雲に隠れて見えない。
じきに、嵐が来る。
航海士であるヘンリーを指示系統のトップに据え、帆をたたんだり、船室のものを固定したりと一気に船内が慌ただしくなる。
「ボス!」
舵のすぐそばで成り行きを見守っていたおれに、慌てたように駆け寄るダズ。
「ここは大丈夫ですから、雨が降る前に部屋へ」
おれの能力のことを案じてだろう。確かに濡れないに越したことはない。
ただ、この船にとって初の嵐だ。トラブルが起こってもおかしくない。
「何かあったらすぐに呼べ、いいな」
「了解です」
びゅうびゅうとうるさい風の中、少し声を張ってそんな会話をして。
ダズもロッシュもいて力仕事は困らないだろうし、何よりこの若い航海士がそれなりに使える奴だ。そこまで大きなトラブルは起こらないだろう。
冷たい風から逃げるように船室に入ると、アスターがソファで少々青い顔をしていた。
「すごい、嵐ですね」
「新世界に入ったらもっとおかしな海だぞ」
「そ、そうなんですか」
どうやら船酔いではなく、島から出たことがないアスターはこの海の脅威にただ驚愕していたようだ。
「ま、お前はここで大人しくしとくんだな。ぶっ飛ばされるぞ」
「はい……」
でもこの揺れじゃ眠れなさそうですね、と、まだ青い顔で苦笑するアスター。
その顔を見てそういえば、と思い出したことがあり、ベッドの下に備え付けてある引き出し部分を開ける。
「おい、手伝え」
そこに入っていたのは、ハンモックだ。
天蓋付きのベッドには引っ掛ける金具が備え付けられている。アスターが広げたハンモックの四隅を順番に引っ掛けていく。
眠れるかどうか分からないが、ベッドに寝ているよりは揺れはかなりマシだろう。
「なんだ、ハンモックは初めてか」
興味津々といった顔でベッドの上に浮いたそれを見ていたアスターが、我に帰ったのか少しばかり慌てて俯く。身長差からそれだけで表情は分からなくなるが、少し耳が赤いところを見ると図星だったか。
「わ、たし、濡れタオル持ってきます……」
この船に風呂はない。その代わりに毎日暖かいタオルで全身を拭くのだ。
俯いたまま梯子へ向かう背に、おれのも寄越せと声をかけた。