第3章 触れたい相手
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肩の力を抜けと言ったものの、鍛錬はかなりスパルタにせざるを得なかった。
3ヶ月でそれなりに使えるようにしろとのボスからのオーダーだったが、正直言ってアスターに直接聞くまで本気か疑っていた。
人殺しという言葉尻に多少動揺はあったけれど、本気であることは十分伝わってきた。
実力がついてくれば、自ずと覚悟も決まるだろう。最初は誰だって覚悟なんてない。オレにだってなかった。
アスターの筋力は脚力以外、軒並みダメダメだった。まぁでも、だいたい予想の範囲内。
トレーニングのメニューを脳内で組み立てながら、腹筋と腕立てを10回ずつ交互にやれ、という指示を忠実に守る彼女を見やる。
腕立てなんて、筋力がなさすぎて正しい姿勢ですら、ない。
どうやら武器の類の訓練の前に、基礎体力作りでひと月くらいはかかってしまいそうだ。
ボスから武器の指定はなかったが、オレに頼むんだから銃の類をと思っているのだろう。飛び道具はやはり強い。
ほんの少し息を吐き出してから、船長の机に置いてあった紙にトレーニングのメニューを書き出していく。
朝2時間、夕方2時間を鍛錬に当てる。ボスと組んで何やら始まろうとしている"ビジネス"の事もあるだろうから、割ける時間はこれくらいだろう。上陸した時は走り込みや武器の訓練かなと、そのあたりはメモの下の方に小さく書き留めておく。
書き終えて再びアスターに視線をやると、腕立て伏せで限界を迎えたのか、四つん這いで荒い息を整えていた。
「5分休憩!」
「はいぃ…」
助かったと言わんばかりに仰向けに寝転がる。
これは、明日からきっと身体のあちこち痛んで生活が大変だろうなんて、他人事のように思った。
◆
アスターの鍛錬の朝メニューを終え、彼女が飲んだプロテインのジョッキをキッチンに返しに来ると。
「何やってんだ、ロッシュ」
ロッシュがキッチンで何やら作っているようだった。まだ昼食には早い。
「おつかれ。朝早かったから、ボスとアスターさんに差し入れだ」
覗き込むと、鮮やかな手さばきでサンドイッチが出来上がっていくところだった。具は葉物の野菜と、卵と、鶏肉だろうか。一口大にカットされ、皿に盛られた。
「アスターさん今着替えてると思うから、ちっと待ったほうがいいぞ」
「あ、そうか!汗かいた後だもんなあ」
こいつは、オレと二人の時以外は丁寧な口調を崩さない。
「オレ、持って行こうか」
「本当か?助かる。そろそろ昼の仕込みやんなきゃいけねえ」
丁寧な口調でないと、どう見ても、"賊"って感じだから、自然とそうなって来たらしい。小さい頃のオレが、怖がったのもあると思うけど。
ロッシュが今30歳で、オレは20歳。彼に拾われたのは10歳の頃。
親の顔も知らない。拾われる前は半ば奴隷のように交易船で働かされていた。その船が海賊に襲われたことはなんとなく記憶にあるのだが、その次の記憶はロッシュの顔だ。
拾われた時、一丁の拳銃を握りしめていた。記憶にある限りずっと持っていたものだ。親のものかもしれないし、全く関係ないのかもしれない。
ただ捨てられずに、今も腰にぶら下がっている。
「ヘンリー?間の抜けた顔してるぞ」
「ウッセ。ちょっと昔のこと思い出してただけ」
べ、と舌を突き出して軽く威嚇すると、ロッシュはなぜか嬉しそうに笑う。いつもそうだ。
「じゃ、届けてくる」
「ああ、頼む」
彩も鮮やかなサンドイッチを右手に、左手には紅茶のセットが乗ったトレーを持って、船長室に向かった。