第2章 動き出す
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いつもの時間に、いつもの珈琲の香りがして、ぼんやりと目を覚ます。
「サー、おはようございます。珈琲ですよ」
そしていつも通り、遠慮がちに己の身体を揺さぶる小さな手。
「ン……」
うっすらと目を開くと、手の届く距離にあるその瞳が朝日にきらきらと輝いて。思わず手を伸ばした。
「え、」
相手が無防備なのをいいことに、その小さなふたつの海を腕の中に捕らえる。
途端に赤くなる頬。
伝わってくる鼓動が心地良い。
そして、この瞳がたまらなくーー
「サー、大丈夫です。あたま、痛くないですよ」
ーーその先に続く言葉をすんでのところで飲み込んで、アスターを抱えたまま上体を起こした。
「おはようございます」
「アァ」
口を開けて寝ていたのか、喉が少し乾いていた。欠伸をした拍子に力の抜けた腕から、アスターがするりと抜けだす。
枕元のアスコットタイを首にかけ、鉤爪を左手にはめると、ソファに腰をおろして珈琲を一口。
美味い。最初はあまり飲めたものではなかったが、約2ヶ月で成長したものだ。
元々手先が器用な方なのか、料理も平均以上の出来ではあった。
向かいでマグカップにふうふう息を吹きかけているアスターは、実年齢よりもかなり幼く見える。
猫舌であることは出会ってからすぐに分かったことだが、ここまであからさまに冷まそうとするようになったのは船に乗ってからか。
それがいい変化なのかは分からないが……まあ、おいおい分かって来るだろう。
◇
「頭はなんともねェのか?」
「はい。全然、です」
「そうか」
チラリとアスターの方を見ると、ようやく飲めるようになったのか、珈琲を飲んで口元にわずかな笑みを浮かべていた。
「今更あんまり関係ねェが、一応聞いときてぇんだが」
「はい?」
「お前の家の、生業について」
「……はい」
ぴしり、一瞬固まったアスターは、しかしすぐにこちらを見た。
「そう、ですよね。あの家を潰してくれたのは、サーですもんね」
そりゃあ知ってますよね、と、苦笑する。
「まず……私は裏の家業にはまったく関わっていなかったので、有益な情報は持ってません。残念ながら。それでもお聞きになりたいですか?」
「フン、ならやはり、あそこが情報屋ってのは本当だったのか」
こくり、と小さく頷くアスター。
あの家は、アスターの家は、表向きはシガーショップだった。煙草、葉巻、それにライターなどの各種道具類を売っていた。喫煙のためのスペースもあった。
「表向きはシガーショップ。裏の顔は、情報屋。間違いなく、そうでした。地下はご覧になりましたか?」
「ああ。なかなかに凝った造りだった」
少しうつむきがちに、彼女は流れるように話す。
「ショウウインドウのタバコには欠番があって、合言葉に使っていました。地下にある、情報屋に入るための。私はシガーショップの看板は継ぎましたが、情報屋の方はノータッチ、というか、関わらせてもらえませんでした」
きっと、両親は足を洗うつもりだったのだろうと、アスターは少し寂しげに笑った。
「だが裏社会はそう簡単に抜けさせてくれなかった、という訳か。ま、よくある話だ」
「そう、ですね。よくある、話。でも私、本当は、情報屋やりたかったんです」
「ほお……」
海賊や山賊になりたいわけではなく自分から裏社会に関わりたいとは、なかなか変わっている。それでか、と、おれに着いて来た経緯がなんとなく腑に落ちる。なんの変哲もない女が何故、と思わないではなかったから。
「小さい頃から、夢を追い求める人たちを見てきました。ただの無法者も、もちろんいたけど。でも単純なワルモノってわけじゃなくて、なんて言うか、どこか純粋で、見ていたくなる、というか」
少し言いよどんで、珈琲を飲むアスター。
「憧れてたんです。ずっと、焦がれてた。何かを追い求める気持ちだけで、生きてみたい……って。だから……あ、すみません。いつの間にか自分のことばっかり」
話題はいつの間にか、家のことから彼女自身の事になっていた。が、そんなことは露ほども気にしていなかった。
「だから、なんだ」
「え、あ……」
「続けろ」
その先に続く言葉を、ただ聞きたい。
「えと……だから、ついて行きたい、と思いました。今までで一番、自由で、輝いて見えました。どうしようもなく、惹かれて……っも、もう勘弁してください私の話は」
「テメェがし出したんだろうが」
抱き寄せた時のようにみるみる顔を真っ赤にしたアスターが、気休めのように片手で顔を隠す。……隠れてやしないが。
「と、とにかく、私は煙草や葉巻には多少詳しいですが、情報屋の方は本当に、分からないですっ」