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もう知らない!
と、まるで恋愛ドラマのヒロインのような捨て台詞を残して恋人の部屋を飛び出した。
喧嘩のきっかけは些細なことで、少し寂しい、だけだった。"社長"である彼に休みはないに等しく、あってもいつ呼び出されるか分かったものではない。
会えない時間を埋めるかのように、私の安アパートには高級そうなカバンやアクセサリーが毎月のように届いた。
クローゼットが圧迫されるばかりで、こんなモノで寂しさが埋まるはずもないのに。
その事をようやく伝えられたと思ったら、彼から返ってきた言葉は、
「ならお前は何が欲しいんだ?」
だった。さすがにそれ位はわかって欲しかった。
短い時間でもいい、直接会って顔を見て、出来るなら触れて、抱きしめて欲しいのだと。
まるで私が彼の経済力に惹かれたかのような言い様に腹が立った。
それで、せっかく久しぶりに2人きりになれたというのに、部屋を飛び出してしまった。
半泣きでマンションのロビーを通り抜け、エントランスから外に出ると。見知った顔が車に乗りこもうとしていて、いてもたってもいられずその車におしかけた。
「なんだァ半ベソかきやがって。ナニされた?」
「……何もされてない。カバンもらった」
乗り込んだ後部座席で靴を脱ぎ捨て、膝を抱える。男は一瞬はぁ?と少し情けない声を出した後、いつもの調子でフッフッと笑った。
「大体わかったぜ」
むくれる私を隣に乗せ、金髪の大男はもう一度笑った。
「これからファミリーとディナーなんだがな」
とりあえず向かうか、と、ドンキホーテグループのトップ、ドフラミンゴは無表情な運転手──ヴェルゴに声をかけた。
ハイブリッドの車が、非常に小さな駆動音を立てて動き出す。
ほんの僅かの期待を込めて一瞬だけ振り返る。けれど、嗚呼、貴方が追ってくることはない。
「ッ……もう、終わるのかなぁ」
「お前、ソレ本気で言ってんのかァ?」
今度は呆れたように、ため息をつかれる。
だって、こんなふうに喧嘩をするのは初めてのことで、どうしていいかさっぱり分からない。
知り合ってからずっと、彼と私は住む世界が違うのではと思ってきた。
贈り物が届くたび、喜べない自分に驚いたし、寂しさが募った。メールも電話も、忙しいかなとか、疲れてるかなとか、考えてしまって週に一度あるかないか。
休みが取れて会えたとしても、彼は私を抱いてはくれない。それどころか、夜8時には自宅まで送られてしまう始末。
彼の家と比べると猫の額ほどの1Kの部屋に彼を呼べるはずもなく、こんなんで本当に付き合ってるなんて言えるのかと、何度自問したことだろう。
鼻の奥がツンとしてきて、考えすぎるのは悪い癖だ、と思考を停止させる。
「ったく、お前はどれほどアイツに惚れられてるかそろそろ自覚しろよなァ」
ドフラミンゴが震えるスマホの画面を見ながら、こちらに話しかけてくる。
「今後喧嘩のたびにオレんとこくんじゃねえぞ。もし来るならオレに乗り替えろ」
「それは……ごめん、兄としか思えない」
ほんの一瞬、切なそうに歪んだ目は次の瞬間にはいつも通り道化のような笑顔に戻っていた。
「オイオイ、マジレスすんな。あと一応言っとくが、オレァあいつよか歳下だからな」
「うん、知ってる」
オレに乗り替えろ、という言葉が半ば本気なことも、知っていた。本人は茶化して言うけれど、その目が本気なことはずいぶん前から気づいていたから。
だから、私はその度に、本気で返事をしてきた。その度に傷付けてきた。その自覚も、あった。
嫌な女だと思う。それでも、ドフラミンゴは私にとって育ての親みたいなもので、家族愛の枠から出ることはきっと一生ない。
恋人にはなれなくても、家族として、あなたを裏切るつもりはないと。そんな気持ちを込めて、誠実に接してきたつもりだ。
伝わっているかは、分からないけれど。
走り出して15分ほど、市街地を通り抜け車が止まったのは、低い柵とよく手入れされた花壇に囲まれた、見知った建物だった。
「ファミリーって、子供達のことだったの」
大きめの表札には、ドンキホーテ・ファミリーズホームとローマ字で刻印されている。
ここは、最近ドフラミンゴが管理を父親から引き継いだ児童養護施設だ。そして私が育った場所でもある。
「ヴェルゴ、先に荷物持って行ってろ」
「ああ、了解した」
ドフラミンゴに車のキーをヒョイと投げ、助手席の紙袋を抱えてヴェルゴは先に建物に入って行った。
「お前ら、言葉が足りなさすぎなんだ。オレが言うのもなんだけどなァ」
ドフラミンゴは窓の外──施設の方をぼんやりと見ながら、ポツリと言った。
「あァ、あと肉体接触もなさすぎだろ。これァ鰐野郎に言うべきだが」
付き合って一年にもなろうかと言うのに、彼が未だにフレンチキス以上はしてこないことを、この人は知ってるんだろうか。さすがにそんな事まで話したことはない、けれど。
「そろそろか……おい、降りろ」
「え?うん……」
急かされドアを開けた時、眩しいヘッドライトに照らされた。かなり荒い運転のその車は、ドフラミンゴの車にギリギリ当たらないよう真後ろに停車する。
「!……く、クロコダイル……」
運転席にいたのは、"彼"だった。
「よお、遅かったじゃねェか?」
いつも優雅な所作が今はなかった。イラついた様子で車から降りたクロコダイルは、ドフラミンゴをたっぷり3秒は睨みつけた後、私にツカツカと歩きよって。
「帰るぞ」
私を睨みつけるように見下ろして言った。
「ッ……は、い」
刺さりそうなほど鋭いその視線に貫かれて、考える間も無く頷く。
「無理して帰ることね〜ぞォ」
「黙れ鳥野郎!殺されてェのか!?」
「フッフ……怖いなァ冗談通じないぜ」
本気で私を引き止める気なんて微塵もないくせに、軽口でクロコダイルを更にイラつかせるドフラミンゴ。振り返ると、こちらに小さく手を振っていた。
別れを言うこともできず、二の腕を掴まれて助手席に押し込まれる。
「閉めるぞ」
私が座席におさまったことを確認してからドアが閉められ、クロコダイルが隣の運転席に座ったかと思ったら、すぐに車が動き出す。
気まずい沈黙が、車の中を満たしていた。
つい先ほど通ってきた道を、戻って行く。
何か話そうと思うものの、先ほどのドフラミンゴへの剣幕がよぎって少し怖くなってしまう。
結局、クロコダイルの住むマンションに着くまでずっと、一言も喋らなかった。そして無言のまま車を降り、手首を引かれて彼の角部屋へ戻ってくる。
左手の義手でつっかえながら鍵を開け、そのまま引き入れられ、背中のすぐ後ろでドアが閉まったと思った瞬間──
「んう!?」
──唇を塞がれた。
驚いて声が出た拍子に熱いものが口内にぬるりと侵入して来て、煙草の苦味が口の中に広がる。
逃れようとするも、すぐ後ろで閉まったドアにぶつかりそのままクロコダイルの両手で顔を固定されてしまう。
ディープキス自体は初めてではなかった。けれど、これまで経験したどんなキスより熱くて、苦しくて、気持ちいいと思った。
クロコダイルの舌が歯列や歯茎をなぞり、舌を吸い、唇を甘噛みする。
これまでの、触れるだけのキスとは違う。もっと性的で、このまま食べられてしまうのではないかと錯覚する。
耳を塞がれているので、口内の音がダイレクトに響いている。淫猥な水音と、自分のものとは思えない鼻にかかった声。
ぞわぞわと何かが背中を這い上がってくる感じがする。
いったい何秒、いや、何分そうしていたか分からない。頭がぼうっとして、足の力が抜けそうになったところでようやく息を吹き返した。
「っは…はぁ……」
ついにカクンと膝から崩れ落ちそうになって、クロコダイルに抱きとめられる。
「よりによってあのバカの所に行くんじゃねえよ……」
私の首筋に顔を埋めたクロコダイルが、絞り出すように言った。
「ッ……ドフィはそんな、イッ」
そんなんじゃない、そんな事はしない、そう訴えたかったのに、突然の鋭い痛みに遮られる。
右側の首の根元あたりに、クロコダイルが噛みついていた。まるで映画で見た吸血鬼のように。
「痛い!やだ……や、こわい」
こわい、と思ったのは初めてのことだった。今までクロコダイルと接して来て、少し傲慢で上品な上流階級の人、という印象が崩れたことはなかった。
苦い中にも甘さがあった先ほどのキスとは違って、痛みしか感じなかったことで昂ぶった感情が涙になって頬を伝う。
泣き出した私を見てクロコダイルは一瞬目を見開いて、
「ッ悪い、うちに帰りたきゃダズに送らせる」
ひどく傷ついたような、寂しそうな顔をしてリビングの方へと踵を返す。
なんで、だって、寂しい思いをしたのも痛い思いをしたのも私の方なのに。何故そんな顔を。
玄関のドアノブに手をのばしかけて、ふと、ドフラミンゴの言葉が脳裏をよぎる。
『お前ら、言葉が足りなさすぎなんだ』
あれは一体、どういう意味だったのだろう。それが知りたくて、手を引っ込め、恐る恐るリビングへ向かった。
「クロコダイル、あ…あれ」
いつも座っているソファに、クロコダイルはいなかった。
リビングの奥、寝室へ続くドアが薄く開いている。まだ、そこへ足を踏み入れたことはなかった。一年も、付き合っていたはずなのに。
「お邪魔しまーす……」
「来るな。悪かった。もう会わない方が──」
「それ以上言ったら本気で怒る」
会わない方がいい、なんて。本気で思ってないのがバレバレの顔しといて。
薄暗い部屋の中ベッドに腰掛け、枕元に置いてあったコニャックを瓶から直接一口飲んだクロコダイル。その隣に、そうっと座った。
「ねえ。なんで迎えに来てくれたの」
荒い運転で駆けつけた姿を見て、嬉しかったのだ。もう終わりかと、本気で思っていたから。
「……鳥野郎にだけは、やらねェ、と」
クロコダイルは言って、酒瓶を置いてから左の義手を取り外す。その横顔にもう怒りの色は見えず、怖いとはとても思えない。
「嬉しかったよ。でも、話くらい、聞いてよ」
膝に置かれた彼の右手に触れると、怯えたようにひくりと震えた。
あまり自分のことを話すのは得意ではないので、まとまりのない話にはなったけれど。自分の感じたことを、思っていたことを、話した。
モノばかりもらって虚しかったこと。
会えなくて寂しかったこと。
何が欲しいのかと聞かれて、悲しかったこと。
「……悲しかったのか」
「うん。私のこと、何もわかってくれてないんだなって、思った」
でもそれは、言わなかったこちらにも非はある。これだけ年齢差も、収入差もあって、きっと育ちにも差があるのだから、さまざまな感覚が違っていて当然だ。……と、今になれば思える。
「俺は、お前に何か買い与えることで自分を満足させてたんだなァ」
「最初は嬉しかったんだよ。持って来てくれたでしょ」
そうだ。最初のプレゼントは、付き合ってひと月後だった。
突然アパートの玄関に現れて、バッグを渡されて、軽くハグされた。すごく嬉しかったし、ドキドキした。
デートは月に一度あればいい方で、会えるのはそれを含めて月に二度あるかないか。
一度も会えなかった月にはプレゼントが届く。そんな、一年だった。
「一目だけでもいいから会いたかったし、声が聞きたかった。今だって」
抱いて欲しいとは、流石に言えなかった。そんなはしたない女だと、思われたくはない。
クロコダイルは一文字に結んでいた唇を薄く開いて、また小さく悪かった、と言った。
「お前さえ良ければ、だが……ここに、一緒に住まねェか」
部屋は余っていた。私の荷物がほぼ入るであろう、部屋が。
いや、けど、突然、同棲って。嬉しいけど心の準備が追いつかない。
「返事はまた今度でも──」
「わかった。引っ越す。でも時期はちょっと、考えさせて」
「!──あ、あァ」
ほんのわずか、私を見てすぐに顔をそらし、反対を向いてそれから返事が返ってくる。
「それ、より。今日、あの、ここに泊まっても、いい?」
最初からそのつもりで、着替えも持って来ていた。家を飛び出した時、持ち出すのを忘れていて鞄はリビングに置きっぱなしだ。
ただ、いざ言い出してみるととても大胆な事をしてしまっているのではと、心臓がどくどくと騒ぎ始める。
「それは、どういう意味か解ってんのか」
「わかってる、つもりだけど」
「その一線を越えたら、おれァもう、お前を離してやれねえぞ。恐らくこの先、一生」
その表情が、いつもの余裕なんて皆無で、ちょっと可愛いと思ってしまったから。私はいたずらを思いついた子供のように楽しくなってしまって。
「……それって、プロポーズ?」
からかうように言ったその次の瞬間、私はいとも簡単にクロコダイルに押し倒されていたし、驚いて瞬きする間に唇を奪われていたし、ひと呼吸する間に下着姿にされていた。
──もう知らない!と言われて、思考がフリーズした。
我に帰ってテラスから下を見れば、見覚えのある車に乗り込むアスターがいて、頭に血が上った。
年甲斐もなく嫉妬でこんなに他が見えなくなるとは、思ってもみなかった。
今までどこかで線を引いていた。彼女はまだ若く、四十代も半ばで社長などという面倒な身分の己がでしゃばって縛ってしまうのはあまりに不憫なのではないかと。
それでも繋ぎ止めたくて、これまでそばにいたことのある女と同じようにモノを贈った。それが裏目に出ていたなんて、露ほども考えなかった。
嫉妬のあまり噛み付いた後、取り返しのつかないことをしてしまったと、思った。だがアスターは、拒否される前に拒否しようとした己の手を迷いなくとった。
もう知らない!と言った、たった1時間後に、同じ口で、初めて見る生意気そうな笑顔を浮かべて己をからかってきた。
その手がわずかに震えていたから、細心の注意を払って、これ以上ないほど優しく抱いた。
隣で寝息を立てる、幼くも見える彼女の額に静かに唇を寄せる。
明日はたくさん話をしよう。
これまでの分を、取り返す為に。
これから、一緒にいる為に。
20180802
友人への捧げもの。わにのひ。
と、まるで恋愛ドラマのヒロインのような捨て台詞を残して恋人の部屋を飛び出した。
喧嘩のきっかけは些細なことで、少し寂しい、だけだった。"社長"である彼に休みはないに等しく、あってもいつ呼び出されるか分かったものではない。
会えない時間を埋めるかのように、私の安アパートには高級そうなカバンやアクセサリーが毎月のように届いた。
クローゼットが圧迫されるばかりで、こんなモノで寂しさが埋まるはずもないのに。
その事をようやく伝えられたと思ったら、彼から返ってきた言葉は、
「ならお前は何が欲しいんだ?」
だった。さすがにそれ位はわかって欲しかった。
短い時間でもいい、直接会って顔を見て、出来るなら触れて、抱きしめて欲しいのだと。
まるで私が彼の経済力に惹かれたかのような言い様に腹が立った。
それで、せっかく久しぶりに2人きりになれたというのに、部屋を飛び出してしまった。
半泣きでマンションのロビーを通り抜け、エントランスから外に出ると。見知った顔が車に乗りこもうとしていて、いてもたってもいられずその車におしかけた。
「なんだァ半ベソかきやがって。ナニされた?」
「……何もされてない。カバンもらった」
乗り込んだ後部座席で靴を脱ぎ捨て、膝を抱える。男は一瞬はぁ?と少し情けない声を出した後、いつもの調子でフッフッと笑った。
「大体わかったぜ」
むくれる私を隣に乗せ、金髪の大男はもう一度笑った。
「これからファミリーとディナーなんだがな」
とりあえず向かうか、と、ドンキホーテグループのトップ、ドフラミンゴは無表情な運転手──ヴェルゴに声をかけた。
ハイブリッドの車が、非常に小さな駆動音を立てて動き出す。
ほんの僅かの期待を込めて一瞬だけ振り返る。けれど、嗚呼、貴方が追ってくることはない。
「ッ……もう、終わるのかなぁ」
「お前、ソレ本気で言ってんのかァ?」
今度は呆れたように、ため息をつかれる。
だって、こんなふうに喧嘩をするのは初めてのことで、どうしていいかさっぱり分からない。
知り合ってからずっと、彼と私は住む世界が違うのではと思ってきた。
贈り物が届くたび、喜べない自分に驚いたし、寂しさが募った。メールも電話も、忙しいかなとか、疲れてるかなとか、考えてしまって週に一度あるかないか。
休みが取れて会えたとしても、彼は私を抱いてはくれない。それどころか、夜8時には自宅まで送られてしまう始末。
彼の家と比べると猫の額ほどの1Kの部屋に彼を呼べるはずもなく、こんなんで本当に付き合ってるなんて言えるのかと、何度自問したことだろう。
鼻の奥がツンとしてきて、考えすぎるのは悪い癖だ、と思考を停止させる。
「ったく、お前はどれほどアイツに惚れられてるかそろそろ自覚しろよなァ」
ドフラミンゴが震えるスマホの画面を見ながら、こちらに話しかけてくる。
「今後喧嘩のたびにオレんとこくんじゃねえぞ。もし来るならオレに乗り替えろ」
「それは……ごめん、兄としか思えない」
ほんの一瞬、切なそうに歪んだ目は次の瞬間にはいつも通り道化のような笑顔に戻っていた。
「オイオイ、マジレスすんな。あと一応言っとくが、オレァあいつよか歳下だからな」
「うん、知ってる」
オレに乗り替えろ、という言葉が半ば本気なことも、知っていた。本人は茶化して言うけれど、その目が本気なことはずいぶん前から気づいていたから。
だから、私はその度に、本気で返事をしてきた。その度に傷付けてきた。その自覚も、あった。
嫌な女だと思う。それでも、ドフラミンゴは私にとって育ての親みたいなもので、家族愛の枠から出ることはきっと一生ない。
恋人にはなれなくても、家族として、あなたを裏切るつもりはないと。そんな気持ちを込めて、誠実に接してきたつもりだ。
伝わっているかは、分からないけれど。
走り出して15分ほど、市街地を通り抜け車が止まったのは、低い柵とよく手入れされた花壇に囲まれた、見知った建物だった。
「ファミリーって、子供達のことだったの」
大きめの表札には、ドンキホーテ・ファミリーズホームとローマ字で刻印されている。
ここは、最近ドフラミンゴが管理を父親から引き継いだ児童養護施設だ。そして私が育った場所でもある。
「ヴェルゴ、先に荷物持って行ってろ」
「ああ、了解した」
ドフラミンゴに車のキーをヒョイと投げ、助手席の紙袋を抱えてヴェルゴは先に建物に入って行った。
「お前ら、言葉が足りなさすぎなんだ。オレが言うのもなんだけどなァ」
ドフラミンゴは窓の外──施設の方をぼんやりと見ながら、ポツリと言った。
「あァ、あと肉体接触もなさすぎだろ。これァ鰐野郎に言うべきだが」
付き合って一年にもなろうかと言うのに、彼が未だにフレンチキス以上はしてこないことを、この人は知ってるんだろうか。さすがにそんな事まで話したことはない、けれど。
「そろそろか……おい、降りろ」
「え?うん……」
急かされドアを開けた時、眩しいヘッドライトに照らされた。かなり荒い運転のその車は、ドフラミンゴの車にギリギリ当たらないよう真後ろに停車する。
「!……く、クロコダイル……」
運転席にいたのは、"彼"だった。
「よお、遅かったじゃねェか?」
いつも優雅な所作が今はなかった。イラついた様子で車から降りたクロコダイルは、ドフラミンゴをたっぷり3秒は睨みつけた後、私にツカツカと歩きよって。
「帰るぞ」
私を睨みつけるように見下ろして言った。
「ッ……は、い」
刺さりそうなほど鋭いその視線に貫かれて、考える間も無く頷く。
「無理して帰ることね〜ぞォ」
「黙れ鳥野郎!殺されてェのか!?」
「フッフ……怖いなァ冗談通じないぜ」
本気で私を引き止める気なんて微塵もないくせに、軽口でクロコダイルを更にイラつかせるドフラミンゴ。振り返ると、こちらに小さく手を振っていた。
別れを言うこともできず、二の腕を掴まれて助手席に押し込まれる。
「閉めるぞ」
私が座席におさまったことを確認してからドアが閉められ、クロコダイルが隣の運転席に座ったかと思ったら、すぐに車が動き出す。
気まずい沈黙が、車の中を満たしていた。
つい先ほど通ってきた道を、戻って行く。
何か話そうと思うものの、先ほどのドフラミンゴへの剣幕がよぎって少し怖くなってしまう。
結局、クロコダイルの住むマンションに着くまでずっと、一言も喋らなかった。そして無言のまま車を降り、手首を引かれて彼の角部屋へ戻ってくる。
左手の義手でつっかえながら鍵を開け、そのまま引き入れられ、背中のすぐ後ろでドアが閉まったと思った瞬間──
「んう!?」
──唇を塞がれた。
驚いて声が出た拍子に熱いものが口内にぬるりと侵入して来て、煙草の苦味が口の中に広がる。
逃れようとするも、すぐ後ろで閉まったドアにぶつかりそのままクロコダイルの両手で顔を固定されてしまう。
ディープキス自体は初めてではなかった。けれど、これまで経験したどんなキスより熱くて、苦しくて、気持ちいいと思った。
クロコダイルの舌が歯列や歯茎をなぞり、舌を吸い、唇を甘噛みする。
これまでの、触れるだけのキスとは違う。もっと性的で、このまま食べられてしまうのではないかと錯覚する。
耳を塞がれているので、口内の音がダイレクトに響いている。淫猥な水音と、自分のものとは思えない鼻にかかった声。
ぞわぞわと何かが背中を這い上がってくる感じがする。
いったい何秒、いや、何分そうしていたか分からない。頭がぼうっとして、足の力が抜けそうになったところでようやく息を吹き返した。
「っは…はぁ……」
ついにカクンと膝から崩れ落ちそうになって、クロコダイルに抱きとめられる。
「よりによってあのバカの所に行くんじゃねえよ……」
私の首筋に顔を埋めたクロコダイルが、絞り出すように言った。
「ッ……ドフィはそんな、イッ」
そんなんじゃない、そんな事はしない、そう訴えたかったのに、突然の鋭い痛みに遮られる。
右側の首の根元あたりに、クロコダイルが噛みついていた。まるで映画で見た吸血鬼のように。
「痛い!やだ……や、こわい」
こわい、と思ったのは初めてのことだった。今までクロコダイルと接して来て、少し傲慢で上品な上流階級の人、という印象が崩れたことはなかった。
苦い中にも甘さがあった先ほどのキスとは違って、痛みしか感じなかったことで昂ぶった感情が涙になって頬を伝う。
泣き出した私を見てクロコダイルは一瞬目を見開いて、
「ッ悪い、うちに帰りたきゃダズに送らせる」
ひどく傷ついたような、寂しそうな顔をしてリビングの方へと踵を返す。
なんで、だって、寂しい思いをしたのも痛い思いをしたのも私の方なのに。何故そんな顔を。
玄関のドアノブに手をのばしかけて、ふと、ドフラミンゴの言葉が脳裏をよぎる。
『お前ら、言葉が足りなさすぎなんだ』
あれは一体、どういう意味だったのだろう。それが知りたくて、手を引っ込め、恐る恐るリビングへ向かった。
「クロコダイル、あ…あれ」
いつも座っているソファに、クロコダイルはいなかった。
リビングの奥、寝室へ続くドアが薄く開いている。まだ、そこへ足を踏み入れたことはなかった。一年も、付き合っていたはずなのに。
「お邪魔しまーす……」
「来るな。悪かった。もう会わない方が──」
「それ以上言ったら本気で怒る」
会わない方がいい、なんて。本気で思ってないのがバレバレの顔しといて。
薄暗い部屋の中ベッドに腰掛け、枕元に置いてあったコニャックを瓶から直接一口飲んだクロコダイル。その隣に、そうっと座った。
「ねえ。なんで迎えに来てくれたの」
荒い運転で駆けつけた姿を見て、嬉しかったのだ。もう終わりかと、本気で思っていたから。
「……鳥野郎にだけは、やらねェ、と」
クロコダイルは言って、酒瓶を置いてから左の義手を取り外す。その横顔にもう怒りの色は見えず、怖いとはとても思えない。
「嬉しかったよ。でも、話くらい、聞いてよ」
膝に置かれた彼の右手に触れると、怯えたようにひくりと震えた。
あまり自分のことを話すのは得意ではないので、まとまりのない話にはなったけれど。自分の感じたことを、思っていたことを、話した。
モノばかりもらって虚しかったこと。
会えなくて寂しかったこと。
何が欲しいのかと聞かれて、悲しかったこと。
「……悲しかったのか」
「うん。私のこと、何もわかってくれてないんだなって、思った」
でもそれは、言わなかったこちらにも非はある。これだけ年齢差も、収入差もあって、きっと育ちにも差があるのだから、さまざまな感覚が違っていて当然だ。……と、今になれば思える。
「俺は、お前に何か買い与えることで自分を満足させてたんだなァ」
「最初は嬉しかったんだよ。持って来てくれたでしょ」
そうだ。最初のプレゼントは、付き合ってひと月後だった。
突然アパートの玄関に現れて、バッグを渡されて、軽くハグされた。すごく嬉しかったし、ドキドキした。
デートは月に一度あればいい方で、会えるのはそれを含めて月に二度あるかないか。
一度も会えなかった月にはプレゼントが届く。そんな、一年だった。
「一目だけでもいいから会いたかったし、声が聞きたかった。今だって」
抱いて欲しいとは、流石に言えなかった。そんなはしたない女だと、思われたくはない。
クロコダイルは一文字に結んでいた唇を薄く開いて、また小さく悪かった、と言った。
「お前さえ良ければ、だが……ここに、一緒に住まねェか」
部屋は余っていた。私の荷物がほぼ入るであろう、部屋が。
いや、けど、突然、同棲って。嬉しいけど心の準備が追いつかない。
「返事はまた今度でも──」
「わかった。引っ越す。でも時期はちょっと、考えさせて」
「!──あ、あァ」
ほんのわずか、私を見てすぐに顔をそらし、反対を向いてそれから返事が返ってくる。
「それ、より。今日、あの、ここに泊まっても、いい?」
最初からそのつもりで、着替えも持って来ていた。家を飛び出した時、持ち出すのを忘れていて鞄はリビングに置きっぱなしだ。
ただ、いざ言い出してみるととても大胆な事をしてしまっているのではと、心臓がどくどくと騒ぎ始める。
「それは、どういう意味か解ってんのか」
「わかってる、つもりだけど」
「その一線を越えたら、おれァもう、お前を離してやれねえぞ。恐らくこの先、一生」
その表情が、いつもの余裕なんて皆無で、ちょっと可愛いと思ってしまったから。私はいたずらを思いついた子供のように楽しくなってしまって。
「……それって、プロポーズ?」
からかうように言ったその次の瞬間、私はいとも簡単にクロコダイルに押し倒されていたし、驚いて瞬きする間に唇を奪われていたし、ひと呼吸する間に下着姿にされていた。
──もう知らない!と言われて、思考がフリーズした。
我に帰ってテラスから下を見れば、見覚えのある車に乗り込むアスターがいて、頭に血が上った。
年甲斐もなく嫉妬でこんなに他が見えなくなるとは、思ってもみなかった。
今までどこかで線を引いていた。彼女はまだ若く、四十代も半ばで社長などという面倒な身分の己がでしゃばって縛ってしまうのはあまりに不憫なのではないかと。
それでも繋ぎ止めたくて、これまでそばにいたことのある女と同じようにモノを贈った。それが裏目に出ていたなんて、露ほども考えなかった。
嫉妬のあまり噛み付いた後、取り返しのつかないことをしてしまったと、思った。だがアスターは、拒否される前に拒否しようとした己の手を迷いなくとった。
もう知らない!と言った、たった1時間後に、同じ口で、初めて見る生意気そうな笑顔を浮かべて己をからかってきた。
その手がわずかに震えていたから、細心の注意を払って、これ以上ないほど優しく抱いた。
隣で寝息を立てる、幼くも見える彼女の額に静かに唇を寄せる。
明日はたくさん話をしよう。
これまでの分を、取り返す為に。
これから、一緒にいる為に。
20180802
友人への捧げもの。わにのひ。
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