はじめての贈り物
ビフレスト皇国のナーザ将軍とメルクリア皇女の義理の妹であり、デミトリアスの実の娘のイアは、その水色のツインテールをふわふわと揺らして街に来ていた。
何故こんなところに皇女殿下の1人がいるのだろうと疑問に思ったことであろう。
『ええと。確かこの辺りだったよね』
見たところ一人のようだが、目深にフードを被り、背中には可愛らしいうさぎのリュックサックを背負っている。
義姉であるメルクリアのうさぎのパジャマと一緒にお忍びで買いに行った、イアのお気に入りである。
メルクリアとナーザもコーキスとバルドと共に情報収集に出掛けて夕方まで帰らないと聞いた。
アスガルド城を抜け出し、しばらく経つ。
デミトリアスとグラスティンの目を盗みながら、ビフレストに来るのが危険じゃないかと判断したジュニアは、ビフレスト側からの遣いとしてリグレットにイアの迎えを任せたのだ。
アリエッタにもついて行ってもらいたいところではあったのだが、魔物の特性について手伝って欲しいこともあったのでフリーだったリグレットを護衛につけた。
戦闘慣れをしているリグレットは元の世界でも部隊を率いていた。
そんなイアの目的は最近新しく出来たという救世軍の者が経営を始めたという雑貨屋である
バレたらデミトリアスたちに大目玉を食らうだろうと思いながら、救世軍とイクスやミリーナたちとは今は休戦状態であるから大変なことにはならないだろうと踏んだ
確かその雑貨屋の店長はイクスたちのところにいるシングたちの知り合いだとジュニアから聞いたのだ。
シングは義姉であるメルクリアの所にいたこともあったので、人畜無害だとメルクリアから聴いた
ならばと思い、警備の詰め所からこっそりと拝借した地図とにらめっこしながらここまで来た。
雑貨屋の名前はクォーツ&セルヴァトロス。本で見たあの水晶の名前と同じ雑貨屋だ。
どうせなら手土産でも、と思い、最近反帝国組織であるビフレストに来たリグレットにはバレてしまったので、ことのあらましを聞いたリグレットが、慕っている者に贈り物をするという気持ちは分からなくもないとリグレットは快く護衛を引き受けてくれた。
このあたりは帝国の警戒範囲外ではあるのだが、リグレットは一度アリエッタと共に帝国に追われたこともあったからだ
恐らくその雑貨屋に行けば自分たちの安全も保証出来るだろうとジュニアは言ってくれた
その雑貨屋の店主はどんな人なんだろう?とイアはそちらも気になっていた。
しばらく歩くと、目的地はすぐそこだった。
『あっ。あった!リグレットさん、もう大丈夫だよ?』
魔鏡通信越しにイアの声を聞くとリグレットはスタリとイアの横に降り立った
『ここが例の雑貨屋か。あまりこういう店には縁がなかったからな。何だか新鮮だ。いや、しかし店の名前にもあるクォーツ……どこかで……』
気配なくイアの横に並んだリグレットも興味深そうにその看板を眺めていた。最後の方はうまく聞き取れなかったが。
『リグレットさんが来てくれて助かっちゃった。お留守番になってるアリエッタやお兄ちゃんたちにも何か買って帰りたいね。』
そんなイアを見て、まぁいいか、とリグレットはふと微笑んだ
シンプルな装飾の扉に手をかけ、その扉を押すと、カランカランという綺麗な鈴の音と共に声が聞こえた
『いらっしゃいませ。』
どうやら店主は男性のようだ。イアとリグレットは静かにその扉を締めた
店の中は色とりどりの装飾でコーディネイトされており、たくさんの雑貨が置いてあった
『わぁ、すごい!綺麗なアクセサリーや雑貨がたくさん!』
イアが目にしたのはショーケースや棚に丁寧に並べられている雑貨やアクセサリー、食器類、子供が喜びそうな菓子類などたくさんだ
イアが目を輝かせて菓子類が並べられたショーケースや並んでいる棚にある雑貨を見ていると、奥の方から男が出てきた
一言でいうと容姿端麗。それに尽きる。
短く後ろで切り揃えられたダークブラウンの髪、瞳の色は琥珀色。
右腕には特徴的な装飾が施された、シングたちの世界にもある、そう、確かソーマ。それを装備した男だった。
イアとリグレットを視界に入れた男が目を点にした
『あれ!?………もしかしてリグレットさん!?』
『やはりお前かライ。雑貨屋の名前を聞いたときからもしやとは思っていたが』
『えっ?リグレットさん、知り合い?』
首を傾げるイアにリグレットは視線を向けた
『ティアから聞いてたけど、本当に反帝国側にいたとはな。まぁシンクが【こっち】にいるから有り得ない話じゃなかったか』
『…そういえばお前は救世軍にいたんだったか』
『……救世軍?ってことは、マークやミトスの仲間?』
『あぁそうか。イアは初めて逢うんだったな。』
イアの質問にリグレットは言った
『初めまして。理由は分からないが何故かこの世界に具現化されたはぐれ鏡映点の一人のライフェン・ジルファーン。親しい奴らからはライって呼ばれてる。よろしく』
『あっ、初めまして。イアです。』
『…イア?………あぁなるほど。じゃあ君が例のナーザ将軍とメルクリア皇女の義理の妹さんか』
イアはそれを聞いて、苦笑した
『…お前に店を開かせることになるとは、救世軍の資金繰りは相変わらず火の車か』
リグレットの言葉に、痛いところをつくねぇ。とライは肩をすくめた
『ライくん?お客さん?』
そう話していると、また奥から今度は女性の声が聞こえる
『あっ、アイネ。』
アイネ、と呼ばれた女性。
銀色の美しい髪をバレッタで止めている女性は、リグレットとイアを見つけて、珍しいお客様だねと微笑んだ
『…彼女は?』
リグレットの質問に今度はライが答える
『あぁ。彼女はアイネ。俺と同じ時期に具現化された、元対魔士で、ベルベットたちの仲間だ。』
『アイネ・セルヴァトロスです。よろしくお願いします。イア様。………確かに元の世界では元対魔士ではあったけど、今はしがない料理人よ?』
ベルベットたちの仲間、ということはあの死神と呼ばれているアイゼンの関係者ということになる。
『…あっ。様なんてつけなくても大丈夫です。ベルベットさん………イクスやミリーナたちの所にいる………ってことは、貴女も海賊?』
イアの言葉にアイネは、まぁね。と微笑んだ。
『なるほど、だからクォーツ&セルヴァトロスか。ライ、お前には連れがいなかったか?』
『……あぁ。あいつらね……こっちには具現化はされてないみたいだな。ま、されない方が良かったとは思ってるよ。特に彼女は……利用されたりしたら敵わんし。………ところで今日はどうしたの?』
彼女、という言葉が気になるがイアはハッと思い出したように用件を言った
◆◇◆◇◆
『なるほど。いつも忙しくしているコーキスたちにお疲れ様のプレゼントか。……それにしても、帝国の監視区域外とはいえ、ここまで来るとはなかなか根性が座った皇女様だな』
客はイアとリグレット以外は今はいない。
『ら、ライさん、今はお忍びだから皇女はなしで!』
『はは、そうだったな。じゃあイアちゃん、て呼んでも?』
それでお願いします、とイアは了承したのであった
『…具体的にどんなものがいいとか考えてる?』
店のスペースにあるテーブルとクッションにイアとリグレットが隣同士に、その向かい側にライ。アイネはリグレットにはコーヒー、イアにはココアを用意し、二人に出した
ココアからは芳醇なカカオとミルクの香りが漂ってくる。その香りに包まれ、イアは思わず笑みを浮かべる
『…ええっと…忙しい1日のあとに、ホッとしてもらえるような…そんな感じの…』
イアの言葉に、ライとアイネは考えることにする
『コーキスもナーザ将軍も男だし、二人が喜びそうなものか……』
『何かと荒事に首を突っ込むことも多いからな。』
コーヒーをリグレットは一口飲む。『うまいな』と小さく聞こえたので、淹れたアイネは嬉しそうである。
『……コーキスはともかく、ナーザ将軍の好きなものが想像できねぇ。』
ライの言葉も最もである。
とはいえ、この間野暮用で再会したナーザもコーキスもイアのことばかり話していた気もするので、割とイアからならば何でも喜びそうではあるとはライもアイネも思った。
『イアちゃん、その義理のお兄ちゃんが最近何かあったとかないか?』
『何か?』
水色のツインテールを揺らして彼女は首を傾げた
アイネは、あぁなるほどと相槌を打った
『あ。何かっていうのは戦いとか厄介事ではなくて、日常的な事ね。』
『日常的なこと……。うーーーん』
イアはココアをしばらく見つめて、ふと思い出した
『そうだ!お兄ちゃんが最近お気に入りのマグカップを割ってしまって寂しそうにしていたかも。メルクリアお義姉様と、ジュニアたちとパジャマパーティーをする時に持っていくマグカップがないとかなんとか』
そういえばメルクリア主催のパジャマパーティーをよくやっていると聞いたことがあった
『なるほどな〜。なら新しいマグカップ選んでいくか?丁度いいのが入ったんだよな。コーキスはどうだろう』
コーキス、という名前を聞いてイアの頬が少し赤くなったのをアイネたちは見逃さなかった。それを見て先に口にしたのはアイネであった
『……ペアのマグとかどうかな?飲み物だけじゃなくて、スープとかにも使える耐熱性の』
『アイネ、それナイスアイデア。』
『マグカップ!うん!いいかも!』
そんな3人を見て、リグレットは微笑ましそうに微笑んだのだった
悩み抜くこと数十分。
パジャマパーティー参加者用にも新しいマグカップを増やしたいとリグレットが言ったので、コーキスとナーザに渡すのはイアに任せ、別口でリグレットが他のメンバーのも新調することにしたのである
丁度使いやすい色合いで、好きな色を選べるマグカップのセットだ。
セットで10000ガルド以内なのはありがたかった
メルクリアが毎回同じマグカップでは芸がないか?とこの前頭を悩ませていたのをリグレットは思い出したのだ。
なのでちょうど良かったなと、ライに言われた。
ふとイアの方を見れば、ライとアイネに色々とオススメされた結果、ナーザとコーキスのマグカップは2人の色によく似たカラーだった
そういえば、コーキスとナーザも髪色や服の色合いが似ている。
コーキスはイクスから生まれた鏡精だし、ナーザももとの身体ではないのは知ってはいたが
見れば見るほどよく似ているな、とリグレットは思っていたのである
ナーザはオリジナルのイクスの身体を借りているリビングドールなので当たり前なのだが。
ナーザ将軍率いるビフレスト側もメンバーが増えたのでそれもある
『初回割引で6000ガルドになります』
アイネがレジに数字を打ち込み微笑んだ
『いいのか?その値段以上だと思うのだが』
財布を出して、はたとリグレットとイアはアイネを見上げた
『あぁ、いいのいいの。うちの店主、女の子には優しいのはこっちでも変わらないし。』
ちなみにこの6000ガルドの数字には、ラッピング料金も入っていたりする
『男にはギブ・アンド・テイクの取引しかしねぇけどね。……あとこれはオマケ』
ライはいつの間にか紙袋に入ったチョコレートが準備されており、それをライはリグレットとイアに渡した
『え、これチョコレート?』
不思議そうにイアは紙袋に丁寧に入れられているチョコレートに視線を向ける。
『世間はバレンタインだろ?……で、このチョコレートはリグレットさんとイアちゃん、それとビフレストの連中に俺とアイネからのバレンタインのプレゼント。』
『割引してもらった上にバレンタインのチョコレートまで?いいのか?』
リグレットは紙袋に大量に入ったそのチョコレートたちを見ながら困った顔をした。中身はビフレスト聖騎士団全員宛のアイネとライが手作りした生チョコとミニタルト、それに宝石のような砂糖菓子の琥珀糖だった。
『これ、琥珀糖?本で見たことある!すっごく綺麗!食べちゃうのもったいないかも……』
イアの一言にライとアイネはクスリと微笑む。
特にアイネは、これぞ料理人冥利に尽きるというものだとでも言いたげである
可愛らしいサイズのタルト生地には流し入れたチョコレートの上に、ドライフルーツやナッツ、アラザンなど美しいトッピングが乗っている。
ミニタルトのチョコレートは、ミルク、ビター、ホワイト、グリーンティー、ストロベリーと様々だ。
生チョコの方には、ホワイトチョコレートのソースで美しく模様が描かれており、かなり手の混んだチョコレートと琥珀糖だと二人は察した
琥珀糖もそれはきれいな彩りで、宝石のようにキラキラと光っている。
それを一袋ずつ丁寧にラッピングしたのだろう。
『イクスたちと救世軍に渡しに行くものと同じで恐縮なんだけど、ビフレストの方にはライが補給に行くときでないと、なかなか行けないからお願いしたいなって……ダメかな?』
それを聞いて、リグレットとイアは顔を見合わせ
『ふふ。ここまで手の混んだものを渡されてしまっては答えないわけには行かないな。そうだろう、姫?』
『勿論!ありがとうふたりとも!任せて!』
『さんきゅ〜。バレンタイン当日には、ここにもたくさん客が来るだろうからな。俺とアイネは手が離せなくなりそうなんだ。だから早めにと思ってたからよかったよ。頼んだぜ、ふたりとも。俺もまたビフレストに物資の補給行くだろうからその時はよろしく。』
これでライとアイネも安心してバレンタインとホワイトデー商戦に集中出来そうである。
バレンタインが終わってもすぐにホワイトデーもあるのだが、それはまた別の話だ。
『えっと、色々と今日はありがとうございました!』
ペコリとイアはライとアイネに頭を下げた。
『そろそろ向かわないとコーキスたちが心配しそうだな。じゃあライ、それからアイネ、だったか。今度はビフレストに遊びに来てもらえるよう、メルクリアたちに頼んでみよう。』
『菓子折り準備しないと駄目だろそれ』
そんなリグレットにライは苦笑したのだった
◇◆◇◆◇
場所は変わってここはビフレスト聖騎士団の仮想境界の中である。
仮想境界内は何故か慌ただしい空気が走っているのだが…
別段敵襲があったとかではない。
慌てているのはナーザとコーキスの二人である
そんな二人をお茶をしながら見つめているのはジュニアの鏡精のマークⅡとメルクリア、そしてそれを微笑ましそうに見守るバルドと、半ば頭が痛そうにしている黒髪の女性だった
『あの、コーキス、それから兄上様?イアならリグレットが迎えにいっているのでそろそろ来ると思いますが……』
メルクリアの言葉にも、ナーザとコーキスは未だに不安そうであった
ナーザはそんな妹の言葉を聞いて、深いため息をついた
が、別段こんな風なナーザ将軍は珍しくはない。
イアを溺愛するナーザ将軍は、割とイアに対して重めの愛情を抱えている。
一方でコーキスとイアは恋仲ではあるのだが、ナーザ将軍がシスコンを通り越してイアに恋愛感情すら抱いている。
ナーザ将軍とイアは血の繋がっていない義理の兄妹なので問題はないわけだが。
『わかっているメルクリア……しかしイアは見ての通り大変かわいらしい。この腐った偽りの世界の中で真に美しいオアシス。それがイアだ。………彼女の義姉であるお前ならそれはわかっているだろう?』
『は、はぁ。確かにそうですが、イアももう年頃の娘なのですよ?』
『要するにあれだよメルクリア。うちのボスはイアに対してなかなか重たい感情を抱いているってことだろ』
それを聞いて、メルクリアは頬を少しだけ赤く染める。その後はメルクリアも『え、義理とはいえ妹なのに?え?』と目を回していた。
メルクリアはとても純粋で、こういったこともまだ経験はないので当然の反応ではある。何とも可愛らしいですね、とバルドも笑顔だ。
そしてマークⅡの鋭いツッコミにナーザは、黙れと短く言い放ち、マークⅡは『おお怖い』と肩をすくめた
これもいつもの光景である。
『…ウォ、……失礼しました。
ナーザ将軍はもう少し節度を守ってください。メルクリア様とイア様の教育に悪いではありませんか』
部屋の出入り口付近に警備に当たっていた一人の黒髪の和装の少女、このビフレスト聖騎士団の防衛の一角を担う彼女の名前はヒナギク。
バルドと同じく腕の立つ剣士だ。ナーザがまだウォーデンと名乗っていた頃からの付き合いであり、バルドと共に今でも前線にたっている古参の一人でもある
『相変わらず真面目ですねヒナギクは。良いではありませんか。イア様も割とまんざらでもなさそうですし。中にはこういった愛もあるということですよ、メルクリア様。』
『バルドももう少し真面目に……』
ヒナギクは更に頭を抱えた。
『その前に俺の立場どうなるんだよこれ……』
イアの恋人であるコーキスは、世話になっているビフレストの仲間たちに彼女との関係を良くするために、応援されつつも、イアとの関係をコーキスなりに大切にしたいと頑張っている。
ナーザ将軍の存在が一番の壁でもあるのだが、コーキスも上司の言うことは聞いてはいる。しかし、イアに関してだけは譲れないものもあるのである。
イアの誕生日の前にミリーナにイアに何かプレゼントしたいという旨を話したら、定期的に連絡が入るようになった。
近況報告が入れば、よほど何かなければ割とグイグイ聞いてくる。ミリーナは恋話には貪欲である。
たまにシェリアもいたりするので、その度にミリーナとシェリアにはタジタジなコーキスは、密かにビフレスト内でのオアシスになりつつあるのを、まだ彼は知らないだろうが。
コーキス的には日々自分探しの旅に勤しんでる最中なので、生きるのに精一杯でもあるだろうがやはりミリーナたちにとってはイクスから生まれ、我が子のように可愛い鏡の精であり、大切な家族のままなのである。
何だか無性にイアに逢いたくなって来たぞ、と思ってそろそろ外に迎えに行くかと腰を上げようとしたところにそれは突然に現れた
『お邪魔しまーす!!リグレットさんと寄り道してたら遅くなっちゃった!…………あれ、どうしたの皆揃って。大事な話?』
明るく無邪気な声にナーザとコーキスはほぼ同時に反応した
『『イア!!』』
それは見事なシンクロであった。この二人は本当にイアに対しては気が合うのかそうでないのかわかりにくいところである。
これもミリーナに話したらきっとこう返すはずだ【恋に障害は付き物よ…!相手はナーザ将軍だけど、頑張ってコーキス!私もイクスもカーリャもネヴァンも応援してるから!】と、聞こえた気がしたので、ナーザには絶対負けたくないと思った。
純粋無垢の彼女の心を射止めるのははてさて?
✰✰END✰✰
何故こんなところに皇女殿下の1人がいるのだろうと疑問に思ったことであろう。
『ええと。確かこの辺りだったよね』
見たところ一人のようだが、目深にフードを被り、背中には可愛らしいうさぎのリュックサックを背負っている。
義姉であるメルクリアのうさぎのパジャマと一緒にお忍びで買いに行った、イアのお気に入りである。
メルクリアとナーザもコーキスとバルドと共に情報収集に出掛けて夕方まで帰らないと聞いた。
アスガルド城を抜け出し、しばらく経つ。
デミトリアスとグラスティンの目を盗みながら、ビフレストに来るのが危険じゃないかと判断したジュニアは、ビフレスト側からの遣いとしてリグレットにイアの迎えを任せたのだ。
アリエッタにもついて行ってもらいたいところではあったのだが、魔物の特性について手伝って欲しいこともあったのでフリーだったリグレットを護衛につけた。
戦闘慣れをしているリグレットは元の世界でも部隊を率いていた。
そんなイアの目的は最近新しく出来たという救世軍の者が経営を始めたという雑貨屋である
バレたらデミトリアスたちに大目玉を食らうだろうと思いながら、救世軍とイクスやミリーナたちとは今は休戦状態であるから大変なことにはならないだろうと踏んだ
確かその雑貨屋の店長はイクスたちのところにいるシングたちの知り合いだとジュニアから聞いたのだ。
シングは義姉であるメルクリアの所にいたこともあったので、人畜無害だとメルクリアから聴いた
ならばと思い、警備の詰め所からこっそりと拝借した地図とにらめっこしながらここまで来た。
雑貨屋の名前はクォーツ&セルヴァトロス。本で見たあの水晶の名前と同じ雑貨屋だ。
どうせなら手土産でも、と思い、最近反帝国組織であるビフレストに来たリグレットにはバレてしまったので、ことのあらましを聞いたリグレットが、慕っている者に贈り物をするという気持ちは分からなくもないとリグレットは快く護衛を引き受けてくれた。
このあたりは帝国の警戒範囲外ではあるのだが、リグレットは一度アリエッタと共に帝国に追われたこともあったからだ
恐らくその雑貨屋に行けば自分たちの安全も保証出来るだろうとジュニアは言ってくれた
その雑貨屋の店主はどんな人なんだろう?とイアはそちらも気になっていた。
しばらく歩くと、目的地はすぐそこだった。
『あっ。あった!リグレットさん、もう大丈夫だよ?』
魔鏡通信越しにイアの声を聞くとリグレットはスタリとイアの横に降り立った
『ここが例の雑貨屋か。あまりこういう店には縁がなかったからな。何だか新鮮だ。いや、しかし店の名前にもあるクォーツ……どこかで……』
気配なくイアの横に並んだリグレットも興味深そうにその看板を眺めていた。最後の方はうまく聞き取れなかったが。
『リグレットさんが来てくれて助かっちゃった。お留守番になってるアリエッタやお兄ちゃんたちにも何か買って帰りたいね。』
そんなイアを見て、まぁいいか、とリグレットはふと微笑んだ
シンプルな装飾の扉に手をかけ、その扉を押すと、カランカランという綺麗な鈴の音と共に声が聞こえた
『いらっしゃいませ。』
どうやら店主は男性のようだ。イアとリグレットは静かにその扉を締めた
店の中は色とりどりの装飾でコーディネイトされており、たくさんの雑貨が置いてあった
『わぁ、すごい!綺麗なアクセサリーや雑貨がたくさん!』
イアが目にしたのはショーケースや棚に丁寧に並べられている雑貨やアクセサリー、食器類、子供が喜びそうな菓子類などたくさんだ
イアが目を輝かせて菓子類が並べられたショーケースや並んでいる棚にある雑貨を見ていると、奥の方から男が出てきた
一言でいうと容姿端麗。それに尽きる。
短く後ろで切り揃えられたダークブラウンの髪、瞳の色は琥珀色。
右腕には特徴的な装飾が施された、シングたちの世界にもある、そう、確かソーマ。それを装備した男だった。
イアとリグレットを視界に入れた男が目を点にした
『あれ!?………もしかしてリグレットさん!?』
『やはりお前かライ。雑貨屋の名前を聞いたときからもしやとは思っていたが』
『えっ?リグレットさん、知り合い?』
首を傾げるイアにリグレットは視線を向けた
『ティアから聞いてたけど、本当に反帝国側にいたとはな。まぁシンクが【こっち】にいるから有り得ない話じゃなかったか』
『…そういえばお前は救世軍にいたんだったか』
『……救世軍?ってことは、マークやミトスの仲間?』
『あぁそうか。イアは初めて逢うんだったな。』
イアの質問にリグレットは言った
『初めまして。理由は分からないが何故かこの世界に具現化されたはぐれ鏡映点の一人のライフェン・ジルファーン。親しい奴らからはライって呼ばれてる。よろしく』
『あっ、初めまして。イアです。』
『…イア?………あぁなるほど。じゃあ君が例のナーザ将軍とメルクリア皇女の義理の妹さんか』
イアはそれを聞いて、苦笑した
『…お前に店を開かせることになるとは、救世軍の資金繰りは相変わらず火の車か』
リグレットの言葉に、痛いところをつくねぇ。とライは肩をすくめた
『ライくん?お客さん?』
そう話していると、また奥から今度は女性の声が聞こえる
『あっ、アイネ。』
アイネ、と呼ばれた女性。
銀色の美しい髪をバレッタで止めている女性は、リグレットとイアを見つけて、珍しいお客様だねと微笑んだ
『…彼女は?』
リグレットの質問に今度はライが答える
『あぁ。彼女はアイネ。俺と同じ時期に具現化された、元対魔士で、ベルベットたちの仲間だ。』
『アイネ・セルヴァトロスです。よろしくお願いします。イア様。………確かに元の世界では元対魔士ではあったけど、今はしがない料理人よ?』
ベルベットたちの仲間、ということはあの死神と呼ばれているアイゼンの関係者ということになる。
『…あっ。様なんてつけなくても大丈夫です。ベルベットさん………イクスやミリーナたちの所にいる………ってことは、貴女も海賊?』
イアの言葉にアイネは、まぁね。と微笑んだ。
『なるほど、だからクォーツ&セルヴァトロスか。ライ、お前には連れがいなかったか?』
『……あぁ。あいつらね……こっちには具現化はされてないみたいだな。ま、されない方が良かったとは思ってるよ。特に彼女は……利用されたりしたら敵わんし。………ところで今日はどうしたの?』
彼女、という言葉が気になるがイアはハッと思い出したように用件を言った
◆◇◆◇◆
『なるほど。いつも忙しくしているコーキスたちにお疲れ様のプレゼントか。……それにしても、帝国の監視区域外とはいえ、ここまで来るとはなかなか根性が座った皇女様だな』
客はイアとリグレット以外は今はいない。
『ら、ライさん、今はお忍びだから皇女はなしで!』
『はは、そうだったな。じゃあイアちゃん、て呼んでも?』
それでお願いします、とイアは了承したのであった
『…具体的にどんなものがいいとか考えてる?』
店のスペースにあるテーブルとクッションにイアとリグレットが隣同士に、その向かい側にライ。アイネはリグレットにはコーヒー、イアにはココアを用意し、二人に出した
ココアからは芳醇なカカオとミルクの香りが漂ってくる。その香りに包まれ、イアは思わず笑みを浮かべる
『…ええっと…忙しい1日のあとに、ホッとしてもらえるような…そんな感じの…』
イアの言葉に、ライとアイネは考えることにする
『コーキスもナーザ将軍も男だし、二人が喜びそうなものか……』
『何かと荒事に首を突っ込むことも多いからな。』
コーヒーをリグレットは一口飲む。『うまいな』と小さく聞こえたので、淹れたアイネは嬉しそうである。
『……コーキスはともかく、ナーザ将軍の好きなものが想像できねぇ。』
ライの言葉も最もである。
とはいえ、この間野暮用で再会したナーザもコーキスもイアのことばかり話していた気もするので、割とイアからならば何でも喜びそうではあるとはライもアイネも思った。
『イアちゃん、その義理のお兄ちゃんが最近何かあったとかないか?』
『何か?』
水色のツインテールを揺らして彼女は首を傾げた
アイネは、あぁなるほどと相槌を打った
『あ。何かっていうのは戦いとか厄介事ではなくて、日常的な事ね。』
『日常的なこと……。うーーーん』
イアはココアをしばらく見つめて、ふと思い出した
『そうだ!お兄ちゃんが最近お気に入りのマグカップを割ってしまって寂しそうにしていたかも。メルクリアお義姉様と、ジュニアたちとパジャマパーティーをする時に持っていくマグカップがないとかなんとか』
そういえばメルクリア主催のパジャマパーティーをよくやっていると聞いたことがあった
『なるほどな〜。なら新しいマグカップ選んでいくか?丁度いいのが入ったんだよな。コーキスはどうだろう』
コーキス、という名前を聞いてイアの頬が少し赤くなったのをアイネたちは見逃さなかった。それを見て先に口にしたのはアイネであった
『……ペアのマグとかどうかな?飲み物だけじゃなくて、スープとかにも使える耐熱性の』
『アイネ、それナイスアイデア。』
『マグカップ!うん!いいかも!』
そんな3人を見て、リグレットは微笑ましそうに微笑んだのだった
悩み抜くこと数十分。
パジャマパーティー参加者用にも新しいマグカップを増やしたいとリグレットが言ったので、コーキスとナーザに渡すのはイアに任せ、別口でリグレットが他のメンバーのも新調することにしたのである
丁度使いやすい色合いで、好きな色を選べるマグカップのセットだ。
セットで10000ガルド以内なのはありがたかった
メルクリアが毎回同じマグカップでは芸がないか?とこの前頭を悩ませていたのをリグレットは思い出したのだ。
なのでちょうど良かったなと、ライに言われた。
ふとイアの方を見れば、ライとアイネに色々とオススメされた結果、ナーザとコーキスのマグカップは2人の色によく似たカラーだった
そういえば、コーキスとナーザも髪色や服の色合いが似ている。
コーキスはイクスから生まれた鏡精だし、ナーザももとの身体ではないのは知ってはいたが
見れば見るほどよく似ているな、とリグレットは思っていたのである
ナーザはオリジナルのイクスの身体を借りているリビングドールなので当たり前なのだが。
ナーザ将軍率いるビフレスト側もメンバーが増えたのでそれもある
『初回割引で6000ガルドになります』
アイネがレジに数字を打ち込み微笑んだ
『いいのか?その値段以上だと思うのだが』
財布を出して、はたとリグレットとイアはアイネを見上げた
『あぁ、いいのいいの。うちの店主、女の子には優しいのはこっちでも変わらないし。』
ちなみにこの6000ガルドの数字には、ラッピング料金も入っていたりする
『男にはギブ・アンド・テイクの取引しかしねぇけどね。……あとこれはオマケ』
ライはいつの間にか紙袋に入ったチョコレートが準備されており、それをライはリグレットとイアに渡した
『え、これチョコレート?』
不思議そうにイアは紙袋に丁寧に入れられているチョコレートに視線を向ける。
『世間はバレンタインだろ?……で、このチョコレートはリグレットさんとイアちゃん、それとビフレストの連中に俺とアイネからのバレンタインのプレゼント。』
『割引してもらった上にバレンタインのチョコレートまで?いいのか?』
リグレットは紙袋に大量に入ったそのチョコレートたちを見ながら困った顔をした。中身はビフレスト聖騎士団全員宛のアイネとライが手作りした生チョコとミニタルト、それに宝石のような砂糖菓子の琥珀糖だった。
『これ、琥珀糖?本で見たことある!すっごく綺麗!食べちゃうのもったいないかも……』
イアの一言にライとアイネはクスリと微笑む。
特にアイネは、これぞ料理人冥利に尽きるというものだとでも言いたげである
可愛らしいサイズのタルト生地には流し入れたチョコレートの上に、ドライフルーツやナッツ、アラザンなど美しいトッピングが乗っている。
ミニタルトのチョコレートは、ミルク、ビター、ホワイト、グリーンティー、ストロベリーと様々だ。
生チョコの方には、ホワイトチョコレートのソースで美しく模様が描かれており、かなり手の混んだチョコレートと琥珀糖だと二人は察した
琥珀糖もそれはきれいな彩りで、宝石のようにキラキラと光っている。
それを一袋ずつ丁寧にラッピングしたのだろう。
『イクスたちと救世軍に渡しに行くものと同じで恐縮なんだけど、ビフレストの方にはライが補給に行くときでないと、なかなか行けないからお願いしたいなって……ダメかな?』
それを聞いて、リグレットとイアは顔を見合わせ
『ふふ。ここまで手の混んだものを渡されてしまっては答えないわけには行かないな。そうだろう、姫?』
『勿論!ありがとうふたりとも!任せて!』
『さんきゅ〜。バレンタイン当日には、ここにもたくさん客が来るだろうからな。俺とアイネは手が離せなくなりそうなんだ。だから早めにと思ってたからよかったよ。頼んだぜ、ふたりとも。俺もまたビフレストに物資の補給行くだろうからその時はよろしく。』
これでライとアイネも安心してバレンタインとホワイトデー商戦に集中出来そうである。
バレンタインが終わってもすぐにホワイトデーもあるのだが、それはまた別の話だ。
『えっと、色々と今日はありがとうございました!』
ペコリとイアはライとアイネに頭を下げた。
『そろそろ向かわないとコーキスたちが心配しそうだな。じゃあライ、それからアイネ、だったか。今度はビフレストに遊びに来てもらえるよう、メルクリアたちに頼んでみよう。』
『菓子折り準備しないと駄目だろそれ』
そんなリグレットにライは苦笑したのだった
◇◆◇◆◇
場所は変わってここはビフレスト聖騎士団の仮想境界の中である。
仮想境界内は何故か慌ただしい空気が走っているのだが…
別段敵襲があったとかではない。
慌てているのはナーザとコーキスの二人である
そんな二人をお茶をしながら見つめているのはジュニアの鏡精のマークⅡとメルクリア、そしてそれを微笑ましそうに見守るバルドと、半ば頭が痛そうにしている黒髪の女性だった
『あの、コーキス、それから兄上様?イアならリグレットが迎えにいっているのでそろそろ来ると思いますが……』
メルクリアの言葉にも、ナーザとコーキスは未だに不安そうであった
ナーザはそんな妹の言葉を聞いて、深いため息をついた
が、別段こんな風なナーザ将軍は珍しくはない。
イアを溺愛するナーザ将軍は、割とイアに対して重めの愛情を抱えている。
一方でコーキスとイアは恋仲ではあるのだが、ナーザ将軍がシスコンを通り越してイアに恋愛感情すら抱いている。
ナーザ将軍とイアは血の繋がっていない義理の兄妹なので問題はないわけだが。
『わかっているメルクリア……しかしイアは見ての通り大変かわいらしい。この腐った偽りの世界の中で真に美しいオアシス。それがイアだ。………彼女の義姉であるお前ならそれはわかっているだろう?』
『は、はぁ。確かにそうですが、イアももう年頃の娘なのですよ?』
『要するにあれだよメルクリア。うちのボスはイアに対してなかなか重たい感情を抱いているってことだろ』
それを聞いて、メルクリアは頬を少しだけ赤く染める。その後はメルクリアも『え、義理とはいえ妹なのに?え?』と目を回していた。
メルクリアはとても純粋で、こういったこともまだ経験はないので当然の反応ではある。何とも可愛らしいですね、とバルドも笑顔だ。
そしてマークⅡの鋭いツッコミにナーザは、黙れと短く言い放ち、マークⅡは『おお怖い』と肩をすくめた
これもいつもの光景である。
『…ウォ、……失礼しました。
ナーザ将軍はもう少し節度を守ってください。メルクリア様とイア様の教育に悪いではありませんか』
部屋の出入り口付近に警備に当たっていた一人の黒髪の和装の少女、このビフレスト聖騎士団の防衛の一角を担う彼女の名前はヒナギク。
バルドと同じく腕の立つ剣士だ。ナーザがまだウォーデンと名乗っていた頃からの付き合いであり、バルドと共に今でも前線にたっている古参の一人でもある
『相変わらず真面目ですねヒナギクは。良いではありませんか。イア様も割とまんざらでもなさそうですし。中にはこういった愛もあるということですよ、メルクリア様。』
『バルドももう少し真面目に……』
ヒナギクは更に頭を抱えた。
『その前に俺の立場どうなるんだよこれ……』
イアの恋人であるコーキスは、世話になっているビフレストの仲間たちに彼女との関係を良くするために、応援されつつも、イアとの関係をコーキスなりに大切にしたいと頑張っている。
ナーザ将軍の存在が一番の壁でもあるのだが、コーキスも上司の言うことは聞いてはいる。しかし、イアに関してだけは譲れないものもあるのである。
イアの誕生日の前にミリーナにイアに何かプレゼントしたいという旨を話したら、定期的に連絡が入るようになった。
近況報告が入れば、よほど何かなければ割とグイグイ聞いてくる。ミリーナは恋話には貪欲である。
たまにシェリアもいたりするので、その度にミリーナとシェリアにはタジタジなコーキスは、密かにビフレスト内でのオアシスになりつつあるのを、まだ彼は知らないだろうが。
コーキス的には日々自分探しの旅に勤しんでる最中なので、生きるのに精一杯でもあるだろうがやはりミリーナたちにとってはイクスから生まれ、我が子のように可愛い鏡の精であり、大切な家族のままなのである。
何だか無性にイアに逢いたくなって来たぞ、と思ってそろそろ外に迎えに行くかと腰を上げようとしたところにそれは突然に現れた
『お邪魔しまーす!!リグレットさんと寄り道してたら遅くなっちゃった!…………あれ、どうしたの皆揃って。大事な話?』
明るく無邪気な声にナーザとコーキスはほぼ同時に反応した
『『イア!!』』
それは見事なシンクロであった。この二人は本当にイアに対しては気が合うのかそうでないのかわかりにくいところである。
これもミリーナに話したらきっとこう返すはずだ【恋に障害は付き物よ…!相手はナーザ将軍だけど、頑張ってコーキス!私もイクスもカーリャもネヴァンも応援してるから!】と、聞こえた気がしたので、ナーザには絶対負けたくないと思った。
純粋無垢の彼女の心を射止めるのははてさて?
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