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その瞳の先に

 ここに来れば、世界を守れると思っていた。
 浅はかだと人は笑うかもしれない。世間知らずな子供の夢だと馬鹿にされるかもしれない。
 でもあの頃の俺は、確かにそう信じていた。
 手にした愛用の大型銃、アンチマテリアルライフル。そのスコープの先の世界を覗きながら、訓練中のピアーズ・ニヴァンスは考える。
 ニヴァンス家は代々軍人を輩出してきた家系だ。ピアーズの父も祖父も、例に違わず軍人だった。
 小さい頃に見た二人の背中は大きく威厳に溢れ、その表情はいつも輝かしい誇りに満ちていた。ピアーズは、そんな二人を心から尊敬していたし、大好きだった。
 二人はよく任務から帰ってくると、そこで自分がどういう活躍をしたか、どんな危険な目にあったのかということを、幼いピアーズにおもしろおかしく話して聞かせてくれた。自分たちの仕事がいかに大切なものであるかということも、しっかりと教えてくれた。
 自分たちの任務は常に危険がつきものだと。任期も長く、生きて帰ってこられる保証もない。けれど悲しむことはない。自分たちはお前たちの暮らすこの国の、引いては世界の平和と秩序を守るために戦っている。だから、たとえ帰って来れなくても悲しむ事はない。それが父さんたちの誇りなのだからと。
 そう言って、古傷の目立つごつごつとした無骨な手で父親に頭を撫でてもらったとき、自分もいつかこうなりたいと思った。父や祖父のような軍人になって、その背中をいつか越えてみせると強く胸に誓った。
 だから、優秀な成績で士官学校を卒業し、その狙撃能力を買われて陸軍特殊部隊に配属されたとき、これで世界を守ることができると、期待に胸がふくらんだ。父や祖父のように、強きを挫き弱気を助く、そんなヒーローになれると思っていた。
 けれど。
 スコープの先の世界が不安定に揺らめく。
 実際に入った世界は、そんな輝かしい場所なんかじゃなかった。
 権力の欲に埋もれた、醜い闇の世界だった。
 軍のトップは国の最高機関と強く結びつき、またその最高機関は国民のことなど二の次で、自己保身と権力維持に忙しかった。
 そこには世界平和などなにもなく、ただ上層部の利己的な欲望や野心のためだけに、非人道的な命令が下ることも珍しくない。
 自分たち下っ端の兵士には、それに逆らうことさえも許されなかった。時には汚れ役を押し付けられ、たとえその過程で命を落とそうとも、誰にも顧みられることなどない。
 これが、自分の入った世界だった。
 ピアーズは歯を食いしばると、アンチマテリアルライフルのグリップを握り締めた。
 父や祖父は、この事を知っていたのだろうか? 知っていたからこそ、自分たちが胸に抱いていた理想とすることを、幼い日のピアーズに話して聞かせていたのだろうか?
 わからない。ただひとつ言えるのは、『軍隊は世界を守るためにあるのではなく、国の一部のトップを守るために存在する』ということだけだった。
 俺はなんのためにここにいるのか。
 誰のために戦っているのか。
 世界の平和はおろか、身近な存在でさえも守れず、ただこのまま、使い捨てのコマのように死んでいく運命なのか。
 その時ふいに心臓を冷たい手でわしづかみにされたような感覚が走って、ピアーズは激しく動揺した。得体のしれない恐怖に包まれ、引き金にかけた手が小さく震える。スコープの中の世界が、まるでピアーズの気持ちを表しているかのように、頼りなく揺れていた。
 ピアーズは歯を食いしばると、ざわめく心を叱咤して強くグリップを握りなおした。迷いを振り切るように、新たに現れた的にしっかりと照準を定め、強い気持ちで引き金を引く。飛び出した弾は記された急所を的確に撃ち抜き、的を粉砕させた。粉々に散るその破片が、ピアーズには妙にゆっくりと見えて、なんだかとても胸が苦しかった。






「ピアーズ。ちょっとこっち来い」
 血反吐を吐くような過酷な日々の訓練を、意義も見出せないまま無為にこなしていたある日、ピアーズは上官に呼ばれた。
「はい。なんでしょうか」
 訓練の手を止めて、ピアーズは素早く上官の下へ移動する。その彼の後ろには、見慣れない男が立っていた。
 彫りの深い精悍な顔立ちに、鍛え上げられた筋骨隆々の体。彼から漂う空気は、危険な兵器を前にした時のような圧迫感で、ひと目で彼が只者じゃないとわかる。
「クリス、彼がピアーズ・ニヴァンス。うちで最高の狙撃手だ。ピアーズ、彼はクリス・レッドフィールド。BSAA北米支部の隊員だ」
 上官は簡単に紹介すると、その場を去っていく。二人きりになった部屋で、ピアーズは眉をひそめた。
「BSAAのクリス・レッドフィールド?」
 BSAAといえば、国連の対バイオテロ対策組織だ。組織を別にしているピアーズも、仕事柄いつどこでバイオテロと遭遇するかわからないため、B.O.W.についての知識はある程度叩き込まれている。
 クリス・レッドフィールドといえば、バイオテロ最初の事件である洋館事件の生き残りであり、BSAAの設立に関わったオリジナルイレブンと言われる伝説的な存在の一人だったはずだ。
 人間を恐ろしい化け物に変えてしまう、脅威の生物兵器。その専門家であるBSAAの伝説的人物が、陸軍の一兵士でしかない自分にいったいなんの用なのだろう。
「俺を知っているのか?」
「知っているもなにも……アンタはあのBSAAの英雄だろ?」
「英雄……か」
 クリスが困ったように苦笑する。
「そう言ってもらえるのはありがたいが、あいにく俺は語られているような英雄じゃない。今日まで生き残れたのはただ単に運がよかっただけだ」
 謙遜を、と言おうとしてピアーズは言葉を止めた。クリスの瞳は深く翳っていて、彼自身本気でそう思っているということがわかったからだ。
 ピアーズは改めてクリスをじっくりと見た。一分の隙もない立ち姿。一流の鍛冶の手で鍛えられた鋼のような強靭な肉体。彼とやり合えば自分など一瞬のうちに地に伏されてしまうだろう。
 そのクリスをもってしても、ここまで生き延びたことがただの運だと言わしめるのか。そのことだけで、B.O.W.の脅威がどれほどのものなのか、十二分に伝わってきた。
「それで? そんなあんたが、いったい俺になんの用なんです?」
「率直に言おう。ピアーズ・ニヴァンス。君をスカウトしに来たんだ。一緒にバイオテロと戦わないか?」




 一瞬、何を言われたのかはっきりわからなかった。
「は?」
 瞬きするピアーズに、クリスは真摯な瞳を向ける。
「君のような若くて優秀な人材を探していたんだ。ぜひBSAAに来て、俺と一緒にバイオテロと戦って欲しい」
 クリスがもう一度繰り返した。ピアーズはその言葉を胸の内で反芻する。
 バイオテロと戦う? 自分が? この、屈強な兵士であるクリスでさえも手こずるような相手と?
 無理だ。自分に出来るわけがない。戦う意義を見失った今の自分には特に。
「気持ちは嬉しいですが、俺にはとても……」
「君の資料は見させてもらった。兵士、特に狙撃手としての能力はもちろんだが、知性や性格も申し分ない。BSAAの次の世代を担うにふさわしい人物だと俺は思っている」
「…………」
 BSAAの英雄とも言われるような人にここまで言ってもらえたことは単純に嬉しいことではある。だがしかし。ピアーズの瞳が曇る。
 目的を見失った自分にいったい何が出来るというのか。誰のために。何のために。戦う上で一番大切なことが、いまの自分にはわからない。
 一人考え込んでいると、クリスが苦笑した。その双眸が、遠くを見るように細められる。
「俺もな、昔、空軍にいたんだ」
「え?」
 初耳だった。クリスが以前ラクーンシティの警察署の特殊部隊S.T.A.R.S.の隊員だったことは知っていたけれど、それ以前の経歴を知る機会はなかった。
 そのクリスが、自分とセクションは違うとはいえ、同じ軍隊出身だったということに驚いた。
「……どうしてやめたんですか?」
「ここに来れば世界を守れると思っていたから……といったら、お前は笑うか?」
「え?」
 その言葉に、ピアーズの胸は強く揺さぶられた。
 世界を守れると思っていた。
 それは、あの日の自分と同じ思い。
「アメリカの軍事力は世界ナンバーワンだ。あの頃の俺は、そこに入ればこの世界の平和と秩序を守れると思っていた。でも現実は……」
「現実は違った」
 ピアーズがクリスの言葉の先を奪ってポツリと言う。クリスが淋しそうに口の端を持ち上げた。
「ああ、そうだ。現実はそんな単純じゃない。俺たちが守っているのは、世界の平和なんかじゃなく、多くの犠牲の上に成り立つ自国の平和や利益だった」
 クリスの表情が苦々しいものに変わる。ピアーズはその表情から、今の自分と同じ思いを見て取った。
 クリスも自分と同じ思いを抱いて軍に入り、そして絶望したのか。
 そう思うと、クリス・レッドフィールドという人物に強い興味が湧いた。
「なぜ警察に?」
「上官ともめて空軍を除隊した俺に、昔のなじみが声をかけてきたんだ。俺は軍の体制には絶望したが、世界に絶望したわけじゃない。だから、世界を守れないなら、せめて目の届く範囲の人たちの平和を守ろうと思った」
「なるほど。それで誘いを受けて警察に入り、そこであのB.O.W.に遭遇した……というわけですね」
「ああ、そうだ。アンブレラが倒産し、その開発ルートが流通してしまった今では、この世界は常にB.O.W.の脅威に晒されている。一刻も早く、この脅威を取り除かねばならない」
 ピアーズの胸に、小さな希望の火が灯る。
 もしかしたら。もしかしたらここなら、自分が望んでいたことができるのかもしれない。誰かの笑顔を、大切な人の居場所を、守ることができるのかもしれない。
「そこに行けば、世界を守れますか?」
「ああ、もちろんだ」
 クリスが、誇らしげな表情でにこりと微笑んだ。その顔が、在りし日の父親の笑顔と重なってみえた。
 ピアーズの胸がさらに熱くなる。
「どうだ、ピアーズ。BSAAに来てみないか? お前が今いる場所よりは、はるかに危険で過酷だろう。だが、確実に俺たちの仕事は世界を守ることに繋がっている。それだけははっきりと断言できる」
「……そうですね。あんたが、俺の上官になってくれるのなら」
「安心しろ。最初からそのつもりだ」
 言いながら、クリスが手を差し出す。
「ただし、俺の訓練は厳しいぞ。お前についてこれるかな」
「見くびらないでください。必ずついて行って、いつか追い抜いて見せますよ」
 不敵に笑うと、ピアーズはクリスの手を取った。
「ありがとう、ピアーズ。心から歓迎する」
「これからよろしくお願いします。クリス・レッドフィールド隊長」
「ああ」
 クリスの力強い笑顔に、ピアーズの胸の中に確信に近い予感が芽生える。
 きっと俺は、この人のもとでかけがえのない何かを得ることになるだろう。今日のこの選択は、絶対に間違いなんかじゃない。
 ピアーズは、久しぶりに晴れやかな笑顔で笑った。
 これから踏み出す目の前の世界が、光り輝いて見えた。
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