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指先 ver.水戸

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「それ、どうなってんの?」

 放課後。自分のクラスでフルートの練習をしていると、ふいに背後から声をかけられた。
 驚いて振り返ると、そこにはクラスメイトの水戸洋平が、教室の入り口の壁に背を預けるようにして立っていた。

「み、水戸くん……!?」
「よ」

 結花と目が合うと、洋平はにこりと微笑んで鞄を顔の横に一度掲げ、すたすたとこちらへ歩いてきた。
 どどどどうしてこっちへ来るの!?
 瞬間、結花の頭はパニックになる。
 洋平は学校でも有名な不良だ。平々凡々な普通の高校生活をおくっている結花とは、はっきり言って住む世界が違う。同じクラスになって三ヶ月近く経つけど、これまで話したことだって一度もない。きっとこの先も、洋平と口を聞くことなんて一生ないと思ってた。
 なのになぜ、その洋平が親しげな笑みを浮かべてこちらへ歩いて来るのだろうか。
 これは夢か幻か。
 もし夢なら覚めて欲しい……!
 怯える心を隠すように、手の中にあるフルートをぎゅっと握る。
 手に馴染む慣れた感触に、味方を見つけたようで少しだけ動揺がおさまってきた。
 洋平がそばまで来る。結花が持つフルートを興味深げに指差して言った。

「いま、すっげえ速さで動いてたよね。柏木さんの指」
「あ、うん。そういう、楽譜だから」

 なんて返していいのかわからず、結花は戸惑いながらそう言った。
 我ながらひどい返しだと思うが、怖くて緊張して頭が回らないのだから仕方ない。返事をしたことだけでも褒めて欲しかった。
 洋平は結花のそっけない言葉に気分を害した様子もなく、ふうんと言って結花の前の楽譜を覗き込んだ。
 間近に迫った洋平の頭から、ふわりと彼のつけている整髪料の甘い匂いが香る。

「うわっ、なんだこりゃ!?」

 楽譜を覗き込んだ洋平が、間髪入れずに驚きの声をあげた。その衝撃を保ったまま、結花を振り返る。

柏木さん、いまこれ吹いてたの? すごいね……。オレ、こんな楽譜初めて見た。音符が線からはみ出てるし、毛もいっぱい生えてんのな……」

 驚きを顔に貼りつけたまま、洋平がそんなことを言う。
 その物言いがおかしくて、結花は思わず声を上げて笑った。
 さっきまでの緊張が、ゆっくりとほぐれていく。

「フルートは音が高いから。わたしも初めて楽譜もらった時はすごくびっくりしたよ。ピアノを習ってたけど、こんな楽譜目にしたことなかったから、慣れるまでは読むのも大変だったんだ」

 ちなみに、線からはみ出した音符から出てるのは、毛じゃなくて加線っていうんだよ、と教えてあげた。

「へえ。オレ、楽譜なんて読めねえからなあ。ちなみに、これは何の音なの?」

 洋平が指差した箇所を覗きこむ。

「それはミの音だよ」
「ミ? ミってもっと下のほうになかったか?」
「うん。それは真ん中のミの音。いま水戸くんがさしたのは、高い高いミの音だよ」
「高い高いミ?」

 洋平が首を傾げる。
 その仕草がとても可愛らしくて、結花の表情が自然とほころんだ。
 今まで持っていた洋平の悪いイメージが、春の雪解けのようにあたたかく溶け出していく。

「そう。さっき水戸くんが言ってた真ん中のミの音、そこを基準にして、ひとつ高いミがここ、さらにもうひとつ高いミが、水戸くんの指したここ。厳密には2オクターブ高いミって言い方になるんだけど、わたしは小さい頃に習ったこの言い方が染みついちゃってて」

 少し気恥ずかしくて、こどもっぽいんだけどね、なんて誤魔化すように言った。
 洋平が優しく笑う。

「オレには柏木さんの言い方のほうがわかりやすかったよ。オクターブって言われてもよくわかんねえし」
「あはは、そうだよね」

 洋平は再び楽譜を覗きこむと、次々と指をさしてこれはなに? と質問を繰り返してきた。
 結花は律儀にそれに付き合う。
 洋平が、へえと物珍しそうに相槌を打ちながら、結花に教わった知識を総動員して楽譜を読もうと目を凝らしている。
 その真剣な表情がとても微笑ましくて、胸がほんのりと温かくなった。
 今まで洋平のことを怖いと思っていたけれど、どうやらそれは間違いだったみたいだ。実際の洋平は怖いところなんか全然ないし、もっと言ってしまえば、言葉の抑揚から優しさがにじみ出ていて、とても話しやすかった。
 もっと早く話せばよかったな。
 一生懸命楽譜とにらめっこしている洋平の横顔を見つめながら、結花はそんなことを考える。
 そうしたら、もっと仲良くなれていたかもしれないのに。もっともっと、洋平のことを知れたかもしれないのに。
 なんだかこれまでの自分がひどくもったいないことをしていた気がする。
 あーでもないこーでもないとブツブツ言いながら難しい顔で楽譜を睨みつけている洋平の横顔を見ながらそんなことを考えていると、その視線に気づいたのか、洋平がこちらを向いた。

「わり。ちょっと夢中になっちまった。練習の邪魔してごめんな」
「ううん、そんなこと。……ちょうど、煮詰まってたところだったから」

 それは洋平を気遣って出た言葉ではなく、本当のことだった。
 うまく、いかない。
 洋平が入ってきた時に練習していた箇所。あそこの部分が、何度さらっても、上手に吹けなかった。
 もう何日もこれに悩まされ続けている。
 部分練習では完璧なのだ。なのに、その少し前からさらうと、必ず同じところでつまづいてしまう。
 技術ではなく、気持ちの問題だった。その箇所が近づくと、間違えないようにと体が構えてしまう。指に変に力が入ってしまい、なめらかに動かなくなる。結果、つまづく。
 この悪循環から抜け出すことができず、今日は一人だけ普段フルートパートにあてがわれている教室から離れて、空いていた自分の教室で個人練習をしていた。
 思わず結花の表情に陰がさす。
 そこからなにを読み取ったのか、洋平が一際明るい声を出した。

「ね、もっかいさっきのとこ吹いてよ。聴きたい」
「いいけど……メロディでもなんでもないよ?」

 結花が練習している箇所は、金管楽器が華々しくメロディを演奏する上で軽やかに鳴り響く伴奏の部分だ。細かく速い動きの繰り返しで、それ単体で聴いてもおもしろいものではない。

「いーよ。さっきのところが聴きたい」

 洋平はそう言うと、手近な椅子を引いて座った。机の上に腕を乗せ、突っぷすような姿勢でそこに顔を預けて結花のほうを見る。
 そのまっすぐな眼差しに、結花の心臓がどきりと跳ねた。それをごまかすように譜面とむきあうと、静かにフルートを構える。
 気持ちをととのえ、大きく息を吸い込むと、結花は吹き始めた。
 洋平の視線が、結花をじっと捉える。それは温かいもので、嫌な感じがまったくしなかった。
 優しく見守られているような気持ちがする。
 問題の箇所に差し掛かる。こわばりかけた体が、洋平からの視線を受けて平静を取り戻す。
 はじめて、つっかえることなくなめらかに演奏することができた。

「――っ」

 喜びが、稲妻のように全身を駆け抜ける。
 嬉しい。ずっと、ずっと、このフレーズに悩まされてきたのだ。

「できた……っ」

 感動が、口をついて出る。
 洋平が静かに上体を起こした。

「できたよ、水戸くんっ!」

 ぽろりと、涙がこぼれる。
 洋平が驚いたように息を呑む気配がしたけれど、そんなの構っていられなかった。
 ぽろぽろと泣き続ける結花の頭を、洋平が優しくぽんぽんと撫でてくれる。

「うん。すげえな。その指先が今の音を奏でてるんだな。――なんか、魔法みてえだな」

 洋平が屈託なく笑う。その優しい声に、結花の心臓がとくとくと温かい鼓動を奏でた。

「わたしね、今のところ、たくさんたくさん練習しても、全然うまくいかなかったの。だけど、水戸くんが見ててくれてるって思ったら、ふしぎとつっかえずにできた。水戸くんのほうこそ、魔法使いみたい。ほんとうに、ありがとう」
「……どういたしまして」

 洋平が、まぶしそうに目を細めて笑う。
 その顔を見て、もっともっと洋平と仲良くなりたいと思った。


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20180718 SD版ワンライ企画お題『指先』
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