見ない言わない聞かない
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彼に好かれてないって気が付いたのは、リリアが彼の婚約者になってからだった。
とある宿屋の一室でカーテンに手をかけ、リリアは眼下の街を眺める。
リリアの婚約者。ゼロス・ワイルダー。ここ、テセアラの神子であり、リリアの幼馴染だった男の人。
その特徴的な紅い髪が、リリアの眺めていた窓の下で揺れる。陽の光を受けてきらめくきれいなその髪は、まるでミツバチを誘うかぐわしい花のように、一瞬で多くの女性たちを引き寄せた。
蝶のように華やかできらびやかな女性たちを引き連れて、ゼロスが街の中に消えていく。
その背中を見送って、リリアは重い息を吐いた。
こんなことはもう慣れっこだ。
リリアと将来をともにするようにと教会から神託を受けたあの日以来、ゼロスは毎日のようにこんな女遊びを繰り返している。
ひどいあてつけ。
教会の神託は絶対だ。破棄できない契約に、言葉でなく行動でもって自分の気持ちを表現するゼロスはとてもずるい。
けれど、そうして女性の香りに包まれて帰ってくる彼になにも言わず、なにも聞かず、なにも見なかったふりを貫く自分は、きっと、もっとずるい。
「まーたゼロスは女遊びに出かけたのかい?」
ふいに背後で声がした。一緒に旅をしている仲間のひとり、藤林しいなだ。
「しいな」
「あんたも、よく我慢するよねえ。ったく、あんのアホ神子はなに考えてんだが」
あきれたようにしいなが肩をすくめて言う。
その顔には気遣う色が浮かんでいて、リリアは思わず苦笑した。
「もう慣れたよ」
「慣れたって……。自分の婚約者が他の女といちゃついてることにかい!? ……あたしだったら、そんなの絶対ごめんだけどね」
わたしだって絶対にごめんだ。
思ったけど、リリアはぐっとその言葉を胸の奥にしまって、苦笑を浮かべる。
そんなリリアの表情から何を読み取ったのか、しいながすまなそうに眉を下げた。
「……あんただって、平気なわけじゃないよな……。ごめん。にしても、あんのアホ神子! ほんっとなに考えてんだか! 昔はあんなじゃなかったんだけどねえ……」
しいなが疲れたようにため息を吐く。
リリアは旅に出るまでしいなのことを知らなかったけれど、どうやらしいなもゼロスと幼馴染らしい。
なんでもしいなはミズホの里とかいう特殊な里の出身で、今では一緒に旅をしている反対世界の神子・コレットの暗殺を請け負ったり、自由奔放な自世界の神子・ゼロスの護衛をしたりと、国を陰ながら支える隠密行動を生業としているのだそうだ。
その関係で、ゼロスとも幼い頃からよく顔を合わせていたらしい。
「昔のゼロスくんは女遊びなんてしなかった?」
「まあ、あいつのことそんなに詳しく知ってるわけじゃないけど、少なくともあたしは見たことないね」
「そうだね。わたしも見たことなかったな」
自分が彼の婚約者になるまでは。
思ってリリアは目を伏せる。
そう。昔のゼロスはとても優しかった。
リリアより三つ年上で、どこに行くにも、何をするにも一緒で、リリアの面倒をよく見てくれたし、ほんとうに仲が良かったと思う。
小さい頃の冗談で、将来お前と結婚できたらいいななんてゼロスが言ってくれて、リリアはほんとうにそれが嬉しかった。
優しくて明るくて綺麗なゼロスのことが大好きだったし、少なからずゼロスも好意を寄せてくれているんだって信じていた。
そのままちょっとずつ大人になりながらもその関係は変わることなくて、けれどゼロスは神子だからいつか教会から将来の結婚相手が決められるってことは二人もわかっていて、だからそれまでの期間を楽しむように、いつだって一緒にいた。
あの幼い日の冗談以来、ゼロスから好意の言葉を言われるようなこともなかったし、リリアだって言ってこなかったけど、でも確かに二人は想い合っているって感じることができた。
なのに、どうしてその婚約者に自分がなった途端、ゼロスは急に冷たくなってしまったんだろう。
嬉しくなかった? 嫌だった? それとも。
(わたしのこと、ほんとは好きじゃなかった……?)
ほんとうは、すごくゼロスに言いたい。知ってるんだよって。ゼロスが女遊びに繰り出していくところをいつも見てたし、それをやめて欲しいってすごく言いたかったし、わたしのこと好きじゃないのってすごく聞きたかった。
だけど、できない。
そんな勇気ないし、きっと、言ったらなにかが終わってしまう。
こんな状態でも細い細い糸でつながっているゼロスとの絆が、今度こそ断ち消えて跡形もなくなってしまう、そんな予感がする。
「…………」
「あんたは、ゼロスがほんとうに好きなんだね」
「……うん。大好き」
笑顔で返すと、しいなが悲しそうな顔をした。
夜。女遊びを終えたゼロスが部屋に帰ってきた。
婚約者同士ということもあって、ゼロスとリリアは同室だ。
部屋に入ってきた瞬間、ゼロスから漂う知らない女の残り香が部屋中を包む。
自分のものでない甘い香りに、胸がきつく締め付けられた。
「おかえりなさい」
「…………」
返事など、最初から期待してはいない。
それでも沈黙はつらかった。
「…………」
こんなこと、もうやめてしまおうか。
ふいに、リリアの心に魔が差した。
昼間、しいなと話したことも尾を引いているのかもしれない。
心が、ぐらぐらと傾きだす。
自然と唇が動く。
「……ゼロスくんは、わたしのこと嫌いなの?」
「……は?」
聞いてはいけない問いが口から滑り出して、その瞬間部屋の空気が変わった。
ゼロスから、強い困惑の気配が伝わってくる。
だめだ、と頭の中で強い警鐘が鳴り響いているけれど、一度堰を切って溢れた感情は、もうリリアの力で止めることはできなかった。
「なに、急に」
「急にじゃないよ。ずっと思ってた」
そう。ずっと、ずっと。
「ゼロスくん、婚約者になってから急に変わっちゃったよね。すごく冷たくなったし、女の人ともとっかえひっかえ遊ぶようになったし……。やっぱり、わたしのことが嫌いだから……? わたしは、ゼロスくんの婚約者に選ばれて嬉しかったけど、ゼロスくんはそうじゃなかった? 嫌……だったか……な」
話しているうちに、今まで堪えていたものが急に込み上げてきて、視界がゆがんだ。
喉が熱いものでふさがって、声がうまく出ない。
「……泣くなよ」
ゼロスが動いた気配がして、壊れ物に触れるように優しく抱きしめられた。
懐かしいぬくもりに包まれて、涙腺がさらに刺激される。
「ゼロスくん……っ」
胸板にすがりつくようにして顔を寄せると、まわされた腕の力がきつくなった。
久しぶりの匂い。ゼロスの、ぬくもり。
「お前だっていやだろ? 俺みたいなやつの婚約者なんて」
「どうして?」
「ほら、俺さまいい加減だしぃ~? ……いい歳して、結局は教会のいいなりでよ。お前のことも、きっと幸せにはしてやれない」
ゼロスの声が、ひどく苦し気に響いた。
そこにゼロスの優しさが潜んでいる気がして、リリアの胸が甘く疼く。
「だから女の人と遊んでたの? わたしがゼロスくんを嫌いになるように?」
「…………」
答える代わりに、リリアを抱くゼロスの腕の力が強くなった。
リリアは微笑を浮かべると、自分もゼロスの体に腕を回す。
どうしてゼロスがそんな手段に出たのかはわからない。
どうして嫌われようとしているのかも。
だけど。
一緒に旅をはじめて、ずっとゼロスを見ているうちに、彼が何かを隠しているのはわかった。
その秘密が、時々彼を内側からひどく苛んでいることも。
「わたしは、そんなことでゼロスくんを嫌いになったりしないよ」
「ああ」
「きっと、なにをされても好きだよ。……ゼロスくんが、ほんとうは優しいことを知ってるから」
「……ああ」
大好きなゼロス。
表面を明るく能天気に取り繕っているけれど、その心はひどく繊細だ。
誰よりも傷つきやすくて、誰よりも優しい人。人の痛みのわかる人。
「それに、ゼロスくんに幸せにしてもらう必要もない。わたしがゼロスくんを幸せにしてあげるから」
強い気持ちを込めて言うと、頭上でゼロスが小さく笑った。
「頼もしいな」
「そうじゃなきゃ、神子さまの幼馴染みも婚約者も務まらないよ」
「そうだな」
ゼロスがリリアを体から離す。ゆっくりとくちびるを頬に近づけて、そこに流れていた涙の痕をなぞる。
「俺についてきても、きっと不幸になるだけだ。それでもいいのか?」
「ゼロスくんに拒絶される今より不幸なことなんてないよ」
「そっか」
ゼロスは泣きそうな表情で笑うと、今度は優しくリリアのくちびるにキスをした。
「これからは、大切にする」
「うん。約束だよ」
「ああ……」
この先に何が待ってるのかなんてわからない。
だけどこれからの二人の未来が、きっと幸せでありますように……。
とある宿屋の一室でカーテンに手をかけ、リリアは眼下の街を眺める。
リリアの婚約者。ゼロス・ワイルダー。ここ、テセアラの神子であり、リリアの幼馴染だった男の人。
その特徴的な紅い髪が、リリアの眺めていた窓の下で揺れる。陽の光を受けてきらめくきれいなその髪は、まるでミツバチを誘うかぐわしい花のように、一瞬で多くの女性たちを引き寄せた。
蝶のように華やかできらびやかな女性たちを引き連れて、ゼロスが街の中に消えていく。
その背中を見送って、リリアは重い息を吐いた。
こんなことはもう慣れっこだ。
リリアと将来をともにするようにと教会から神託を受けたあの日以来、ゼロスは毎日のようにこんな女遊びを繰り返している。
ひどいあてつけ。
教会の神託は絶対だ。破棄できない契約に、言葉でなく行動でもって自分の気持ちを表現するゼロスはとてもずるい。
けれど、そうして女性の香りに包まれて帰ってくる彼になにも言わず、なにも聞かず、なにも見なかったふりを貫く自分は、きっと、もっとずるい。
「まーたゼロスは女遊びに出かけたのかい?」
ふいに背後で声がした。一緒に旅をしている仲間のひとり、藤林しいなだ。
「しいな」
「あんたも、よく我慢するよねえ。ったく、あんのアホ神子はなに考えてんだが」
あきれたようにしいなが肩をすくめて言う。
その顔には気遣う色が浮かんでいて、リリアは思わず苦笑した。
「もう慣れたよ」
「慣れたって……。自分の婚約者が他の女といちゃついてることにかい!? ……あたしだったら、そんなの絶対ごめんだけどね」
わたしだって絶対にごめんだ。
思ったけど、リリアはぐっとその言葉を胸の奥にしまって、苦笑を浮かべる。
そんなリリアの表情から何を読み取ったのか、しいながすまなそうに眉を下げた。
「……あんただって、平気なわけじゃないよな……。ごめん。にしても、あんのアホ神子! ほんっとなに考えてんだか! 昔はあんなじゃなかったんだけどねえ……」
しいなが疲れたようにため息を吐く。
リリアは旅に出るまでしいなのことを知らなかったけれど、どうやらしいなもゼロスと幼馴染らしい。
なんでもしいなはミズホの里とかいう特殊な里の出身で、今では一緒に旅をしている反対世界の神子・コレットの暗殺を請け負ったり、自由奔放な自世界の神子・ゼロスの護衛をしたりと、国を陰ながら支える隠密行動を生業としているのだそうだ。
その関係で、ゼロスとも幼い頃からよく顔を合わせていたらしい。
「昔のゼロスくんは女遊びなんてしなかった?」
「まあ、あいつのことそんなに詳しく知ってるわけじゃないけど、少なくともあたしは見たことないね」
「そうだね。わたしも見たことなかったな」
自分が彼の婚約者になるまでは。
思ってリリアは目を伏せる。
そう。昔のゼロスはとても優しかった。
リリアより三つ年上で、どこに行くにも、何をするにも一緒で、リリアの面倒をよく見てくれたし、ほんとうに仲が良かったと思う。
小さい頃の冗談で、将来お前と結婚できたらいいななんてゼロスが言ってくれて、リリアはほんとうにそれが嬉しかった。
優しくて明るくて綺麗なゼロスのことが大好きだったし、少なからずゼロスも好意を寄せてくれているんだって信じていた。
そのままちょっとずつ大人になりながらもその関係は変わることなくて、けれどゼロスは神子だからいつか教会から将来の結婚相手が決められるってことは二人もわかっていて、だからそれまでの期間を楽しむように、いつだって一緒にいた。
あの幼い日の冗談以来、ゼロスから好意の言葉を言われるようなこともなかったし、リリアだって言ってこなかったけど、でも確かに二人は想い合っているって感じることができた。
なのに、どうしてその婚約者に自分がなった途端、ゼロスは急に冷たくなってしまったんだろう。
嬉しくなかった? 嫌だった? それとも。
(わたしのこと、ほんとは好きじゃなかった……?)
ほんとうは、すごくゼロスに言いたい。知ってるんだよって。ゼロスが女遊びに繰り出していくところをいつも見てたし、それをやめて欲しいってすごく言いたかったし、わたしのこと好きじゃないのってすごく聞きたかった。
だけど、できない。
そんな勇気ないし、きっと、言ったらなにかが終わってしまう。
こんな状態でも細い細い糸でつながっているゼロスとの絆が、今度こそ断ち消えて跡形もなくなってしまう、そんな予感がする。
「…………」
「あんたは、ゼロスがほんとうに好きなんだね」
「……うん。大好き」
笑顔で返すと、しいなが悲しそうな顔をした。
夜。女遊びを終えたゼロスが部屋に帰ってきた。
婚約者同士ということもあって、ゼロスとリリアは同室だ。
部屋に入ってきた瞬間、ゼロスから漂う知らない女の残り香が部屋中を包む。
自分のものでない甘い香りに、胸がきつく締め付けられた。
「おかえりなさい」
「…………」
返事など、最初から期待してはいない。
それでも沈黙はつらかった。
「…………」
こんなこと、もうやめてしまおうか。
ふいに、リリアの心に魔が差した。
昼間、しいなと話したことも尾を引いているのかもしれない。
心が、ぐらぐらと傾きだす。
自然と唇が動く。
「……ゼロスくんは、わたしのこと嫌いなの?」
「……は?」
聞いてはいけない問いが口から滑り出して、その瞬間部屋の空気が変わった。
ゼロスから、強い困惑の気配が伝わってくる。
だめだ、と頭の中で強い警鐘が鳴り響いているけれど、一度堰を切って溢れた感情は、もうリリアの力で止めることはできなかった。
「なに、急に」
「急にじゃないよ。ずっと思ってた」
そう。ずっと、ずっと。
「ゼロスくん、婚約者になってから急に変わっちゃったよね。すごく冷たくなったし、女の人ともとっかえひっかえ遊ぶようになったし……。やっぱり、わたしのことが嫌いだから……? わたしは、ゼロスくんの婚約者に選ばれて嬉しかったけど、ゼロスくんはそうじゃなかった? 嫌……だったか……な」
話しているうちに、今まで堪えていたものが急に込み上げてきて、視界がゆがんだ。
喉が熱いものでふさがって、声がうまく出ない。
「……泣くなよ」
ゼロスが動いた気配がして、壊れ物に触れるように優しく抱きしめられた。
懐かしいぬくもりに包まれて、涙腺がさらに刺激される。
「ゼロスくん……っ」
胸板にすがりつくようにして顔を寄せると、まわされた腕の力がきつくなった。
久しぶりの匂い。ゼロスの、ぬくもり。
「お前だっていやだろ? 俺みたいなやつの婚約者なんて」
「どうして?」
「ほら、俺さまいい加減だしぃ~? ……いい歳して、結局は教会のいいなりでよ。お前のことも、きっと幸せにはしてやれない」
ゼロスの声が、ひどく苦し気に響いた。
そこにゼロスの優しさが潜んでいる気がして、リリアの胸が甘く疼く。
「だから女の人と遊んでたの? わたしがゼロスくんを嫌いになるように?」
「…………」
答える代わりに、リリアを抱くゼロスの腕の力が強くなった。
リリアは微笑を浮かべると、自分もゼロスの体に腕を回す。
どうしてゼロスがそんな手段に出たのかはわからない。
どうして嫌われようとしているのかも。
だけど。
一緒に旅をはじめて、ずっとゼロスを見ているうちに、彼が何かを隠しているのはわかった。
その秘密が、時々彼を内側からひどく苛んでいることも。
「わたしは、そんなことでゼロスくんを嫌いになったりしないよ」
「ああ」
「きっと、なにをされても好きだよ。……ゼロスくんが、ほんとうは優しいことを知ってるから」
「……ああ」
大好きなゼロス。
表面を明るく能天気に取り繕っているけれど、その心はひどく繊細だ。
誰よりも傷つきやすくて、誰よりも優しい人。人の痛みのわかる人。
「それに、ゼロスくんに幸せにしてもらう必要もない。わたしがゼロスくんを幸せにしてあげるから」
強い気持ちを込めて言うと、頭上でゼロスが小さく笑った。
「頼もしいな」
「そうじゃなきゃ、神子さまの幼馴染みも婚約者も務まらないよ」
「そうだな」
ゼロスがリリアを体から離す。ゆっくりとくちびるを頬に近づけて、そこに流れていた涙の痕をなぞる。
「俺についてきても、きっと不幸になるだけだ。それでもいいのか?」
「ゼロスくんに拒絶される今より不幸なことなんてないよ」
「そっか」
ゼロスは泣きそうな表情で笑うと、今度は優しくリリアのくちびるにキスをした。
「これからは、大切にする」
「うん。約束だよ」
「ああ……」
この先に何が待ってるのかなんてわからない。
だけどこれからの二人の未来が、きっと幸せでありますように……。
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