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伊織は海南大学駅前で、慌しく行き交う人々の群れを見るともなしに見ていた。
朝の待ち合わせの定位置となった、改札から道路を挟んで正面にあるガードレール脇に自転車を止め、自分もそのガードレールに体重を預けて、信長が来るのを待つ。
ラッシュ時に比べれば人は多くないが、それでも少ないとはいえない数のサラリーマンたちが、次々と駅に吸い込まれていく。
伊織はサラリーマンから駅の大時計に視線を移した。
まだ朝の五時半だった。信長との待ち合わせまでにはあと三十分はある。
海南大学駅は東京駅から約一時間半ほど離れた場所に位置している。今から電車に乗るサラリーマンは、きっと都心でも遠いところに行くんだろう。
そんなことをぼんやりと思いながら、伊織は手を口に当て、小さくあくびをした。
このごろよく眠れなかった。
その原因は二つある。
ひとつは、小百合のあの言葉。
『わたし、伊織ちゃんのこと知ってるの』
小百合の言葉が、あれから数日経った今でもまだ耳に残っている。
伊織は深くため息をついた。
湧き上がる歓声。審判の声。ボールを打ったときにラケットから伝わる振動。あの、なんともいえない緊張感。
いまだにすべてのものが鮮明で、今でも昨日のことのように思い出すことが出来る。
伊織は去年の夏ごろまでは将来を嘱望されたテニスプレーヤーだった。
中学一年、二年と全国大会で優勝し、三連覇のかかった準決勝のあの試合で、伊織は取り返しのつかないミスをした。
対戦相手は中学に入るもっとまえ、ジュニア時代からのライバルで、息もつかせぬ接戦だった。
三連覇達成はもちろんだけど、個人的にも絶対負けたくない相手だった。
その感情が伊織から冷静さを失わせた。マッチポイントのかかったあの時、勝負を急いだ伊織はロングボールを無理に取りにいき、その結果足をすべらせ、転倒。肩から着地した。
そのときのケガが原因で、伊織はもう二度とスポーツとしてのテニスをすることができなくなってしまった。
「…………」
伊織は自分の手の平をじっと見つめた。
あのときまで確かに手にしていた自分の未来は、いまでは跡形もなく崩れ去ってしまった。
泡がはじけて消えるように、一瞬で儚く消え失せた。
夢も、約束された将来も、コーチや親の期待も。……大好きだった、あの人も。
なにもかも全て。
親の転勤が決まり、伊織は誰にも何も告げず逃げるようにしてこの神奈川へやってきた。
いろいろな高校進学雑誌を読み漁って、それで見つけたのがこの海南大附属高校だった。
文武両道の名門校。運動部も文化部も軒並み成績優秀で、そのなかで成績があがらない数少ないの部の中にテニス部があった。
事前に下見もした。部員もひどく少なくて、やる気もあまり感じられなかった。
活動している運動部というよりは、どちらかといえばテニス部とは名ばかりの帰宅部のようだった。
どうやらすぐ近くにテニス部の強豪校があり、学校のランクも海南とあまり変わらないので、テニス部志望の学生はみんなそちらに流れていくらしかった。
伊織はここなら大丈夫だと思った。
いくら地元ではないとはいえ、ジュニア大会や中学大会で優勝経験のある自分は、少しでもテニスをかじっていた人になら、顔を知られている危険性が十分にあった。
強豪の部活ばかりがそろう中、誰が弱小のテニス部に着目するだろうか。
絶好の隠れ蓑だと思った。
なのに。まさか。
(よりにもよって、心機一転で入ったバスケ部でわたしの事知ってる人がいたなんて……)
小百合の距離の取り方は、きっと正しい。
だけど、できることなら。
(知らないふりしてて欲しかったな……)
自分はまだ過去がこわかった。
思い出したくない。触れたくない。
――もう、この手の中にはなにもない。空っぽになってしまったのだから。
「…………」
伊織は沈んだ気分で頭をふるふると振った。
気分を切り替えなくては。
そう思って別の事を考えようとすると、今度は宗一郎の顔が頭に浮かんだ。
もうひとつの眠れない原因だった。
まりあに協力宣言してからもう一週間経つというのに、いまだに普通に話すことが出来なかった。
時折目が合ったときの、宗一郎の傷ついたような顔が忘れられない。
朝の待ち合わせの定位置となった、改札から道路を挟んで正面にあるガードレール脇に自転車を止め、自分もそのガードレールに体重を預けて、信長が来るのを待つ。
ラッシュ時に比べれば人は多くないが、それでも少ないとはいえない数のサラリーマンたちが、次々と駅に吸い込まれていく。
伊織はサラリーマンから駅の大時計に視線を移した。
まだ朝の五時半だった。信長との待ち合わせまでにはあと三十分はある。
海南大学駅は東京駅から約一時間半ほど離れた場所に位置している。今から電車に乗るサラリーマンは、きっと都心でも遠いところに行くんだろう。
そんなことをぼんやりと思いながら、伊織は手を口に当て、小さくあくびをした。
このごろよく眠れなかった。
その原因は二つある。
ひとつは、小百合のあの言葉。
『わたし、伊織ちゃんのこと知ってるの』
小百合の言葉が、あれから数日経った今でもまだ耳に残っている。
伊織は深くため息をついた。
湧き上がる歓声。審判の声。ボールを打ったときにラケットから伝わる振動。あの、なんともいえない緊張感。
いまだにすべてのものが鮮明で、今でも昨日のことのように思い出すことが出来る。
伊織は去年の夏ごろまでは将来を嘱望されたテニスプレーヤーだった。
中学一年、二年と全国大会で優勝し、三連覇のかかった準決勝のあの試合で、伊織は取り返しのつかないミスをした。
対戦相手は中学に入るもっとまえ、ジュニア時代からのライバルで、息もつかせぬ接戦だった。
三連覇達成はもちろんだけど、個人的にも絶対負けたくない相手だった。
その感情が伊織から冷静さを失わせた。マッチポイントのかかったあの時、勝負を急いだ伊織はロングボールを無理に取りにいき、その結果足をすべらせ、転倒。肩から着地した。
そのときのケガが原因で、伊織はもう二度とスポーツとしてのテニスをすることができなくなってしまった。
「…………」
伊織は自分の手の平をじっと見つめた。
あのときまで確かに手にしていた自分の未来は、いまでは跡形もなく崩れ去ってしまった。
泡がはじけて消えるように、一瞬で儚く消え失せた。
夢も、約束された将来も、コーチや親の期待も。……大好きだった、あの人も。
なにもかも全て。
親の転勤が決まり、伊織は誰にも何も告げず逃げるようにしてこの神奈川へやってきた。
いろいろな高校進学雑誌を読み漁って、それで見つけたのがこの海南大附属高校だった。
文武両道の名門校。運動部も文化部も軒並み成績優秀で、そのなかで成績があがらない数少ないの部の中にテニス部があった。
事前に下見もした。部員もひどく少なくて、やる気もあまり感じられなかった。
活動している運動部というよりは、どちらかといえばテニス部とは名ばかりの帰宅部のようだった。
どうやらすぐ近くにテニス部の強豪校があり、学校のランクも海南とあまり変わらないので、テニス部志望の学生はみんなそちらに流れていくらしかった。
伊織はここなら大丈夫だと思った。
いくら地元ではないとはいえ、ジュニア大会や中学大会で優勝経験のある自分は、少しでもテニスをかじっていた人になら、顔を知られている危険性が十分にあった。
強豪の部活ばかりがそろう中、誰が弱小のテニス部に着目するだろうか。
絶好の隠れ蓑だと思った。
なのに。まさか。
(よりにもよって、心機一転で入ったバスケ部でわたしの事知ってる人がいたなんて……)
小百合の距離の取り方は、きっと正しい。
だけど、できることなら。
(知らないふりしてて欲しかったな……)
自分はまだ過去がこわかった。
思い出したくない。触れたくない。
――もう、この手の中にはなにもない。空っぽになってしまったのだから。
「…………」
伊織は沈んだ気分で頭をふるふると振った。
気分を切り替えなくては。
そう思って別の事を考えようとすると、今度は宗一郎の顔が頭に浮かんだ。
もうひとつの眠れない原因だった。
まりあに協力宣言してからもう一週間経つというのに、いまだに普通に話すことが出来なかった。
時折目が合ったときの、宗一郎の傷ついたような顔が忘れられない。