番外編 キミ想う気持ち
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海南大附属高校は今日から期末の試験休みに入った。
部活動は試験が終わるまで活動禁止期間に入るのだが、成績優秀な部活動は17時まで特別に自主練習の許可がおりる。
当然インターハイ2位のバスケ部も17時まで自主練習の許可をもらっていた。
宗一郎もいつもならこの時間帯はとっくに体育館にいるのだけれど、今日はわけあってまだ教室にいた。
クラスメイトの九条に数学を教えてくれと、土下座する勢いで頼まれたのだ。
教室には宗一郎と九条と、なぜか相沢の三人だけが残っていた。
試験期間中、宗一郎と伊織は、早くHRが終わった方がお互いの教室まで迎えに行き、そこから一緒に部活へ行っていた。
伊織が来るまでだからなと最初に言いおいて、宗一郎は問題を解く九条をじっと見つめる。
と、さらさらと走る鉛筆が、全く的外れの答えを導き出したことに片眉を上げて、宗一郎は手に持っていた教科書を丸めて九条の頭に振り下ろした。
ポコリと響く、間の抜けた音。
「また不正解。ここはこの公式使うんだって何度も言ってるだろ? いい加減覚えろよ」
「うう、そんなこと言ったってなぁ宗! お前は頭いいから簡単なのかもしんねぇけど、オレは凡人なんだぞ! 何回か言われたくらいで解けるか!」
「じゃあ体に染み込むまでひとりでその単元解き続けなよ。練習だってあるのになんで俺が付き合わなくちゃいけないわけ?」
「いいだろ、宗! オレたち親友だろ! 練習ったって自主練だろーが」
「俺は自主練も通常練も、区別したことなんて一度もないよ。どっちも俺にとっては貴重な時間なんだ。それに……」
「それに、なんだよ?」
ふいに言葉を止めた宗一郎に、それまで傍観者の姿勢を崩さなかった相沢が口を挟んだ。
宗一郎は戸惑うように視線を彷徨わせると、しぶしぶと唇を持ち上げる。
「伊織が俺のこと待ってるし」
宗一郎の言葉に、なぜ宗一郎があんなにも言いにくそうにしていたのか合点がいったのか、相沢が九条を見ながら、ああ、と低く呟いた。
何を隠そう、この九条は伊織に惚れていた過去がある。
しかもそれだけに留まらず、付き合っていると宣言した宗一郎に、譲ってくれ発言までしたのだ。
あの時宗一郎が怒って以来、伊織のことが話題にのぼることはなかったけれど、宗一郎は九条が伊織のことを諦めたとは思っていない。
逆に九条がその話題に触れないのが、まだ伊織を諦めきれていないと言っているように思えてならなかった。
案の定、九条の瞳が伊織の名前を聞いてわずかに細められた。
それには気づかないフリをして、相沢がわざと言葉を続ける。
「伊織ちゃんかー。もうすっかり宗の公認彼女だよな。宗、ちゃんとうまくいってるのか?」
「当たり前だろ」
その返事に、九条が嬉しそうに表情をほころばせる。
「そっかそっかー。いいよなー、伊織ちゃん。最近すっごく綺麗になったよな。前はさ、ちょっと目立たない感じだったじゃん? 地味っていったらアレだけど、どっか暗かったっていうかさ……。だけど今は、あの球技大会のときみたいに常にキラキラしてて、ほんと目が離せないよなー。少し伸びてきた髪も、伊織ちゃんの大人っぽい雰囲気にすっげえ合ってるし」
九条の言葉に、相沢が呆れたようにため息をもらす。
「バッカだな、九条。あの子、もともと素材はピカイチだったんだぜ? だから、あの子が綺麗になるのは当たり前なの。見抜けなかったお前はまだまだだな」
「なにぃ! でもちゃんと見つけたじゃんか!」
「輝きを放ってるときなんか、誰だって見つけられんだよ。なー、宗」
言いながら、相沢がふいに肩を組んできた。
なんとなく気まずい気持ちで、二人の会話を聞いていた宗一郎は、その言葉に慌てて頷く。
「あ、うん……。そう、だね」
「くぅぅ、宗に言われちゃ敵わねえよなぁ。宗は、最初っから伊織ちゃんのこと見つけてたんだもんな」
冗談ぽく響く声音とは対照的に、九条の瞳が切なげに揺れる。
いつも元気な九条のそんな様子に、宗一郎がひとり胸を痛めていると、ふいに相沢が宗一郎の肩にまわしていた手をくりっと首に絡めてきた。
そのまま宗一郎の首を軽くホールドする。
「うわ、ちょ、相沢!? なにすんだよ!」
突然のことで全く対処できなかった宗一郎に、相沢が体勢を維持したままで不敵に微笑む。
「ときに宗」
「うん?」
「オレは、伊織ちゃんがあまりにも短期間でこんなに綺麗になったのには、なにか理由があると思っている」
「? うん」
宗一郎は話の終着点がわからなくて、曖昧に相槌をうった。
九条もきょとんとした表情で相沢を見つめている。
「ずばり聞くが、宗。――お前、伊織ちゃんとシたな?」
「ぶっ!」
あまりにも予想外の言葉に、宗一郎の呼吸が気管で絡まった。
げほげほと盛大に咳き込む宗一郎に、相沢がホールドしていた腕を放して背中を撫でてくる。
一体なにを言い出すのかと思えば。ましてや九条の目の前で。
咽せた苦しさから潤んだ瞳で、宗一郎は相沢を睨みつけた。
「急になに言い出すんだよ、相沢!」
「お、その反応は図星か?」
「ばッ……! 違うよ、そういうことじゃなくて! 全く、どうしたらそういう発想になるんだよ」
「えー。だって、女が急に綺麗になるって言ったらそれしかないだろ? ーーで、ほんとのとこはどうなんだよ、宗。もうシたのか? なぁ、なぁ、なぁ!」
言いながら再び絡みついてくる相沢を乱暴に振り払いながら、宗一郎は乱れた心を落ち着けて、ぼそりと呟いた。
「……まだだよ」
「えー、なんで!? 信じられん! あんな綺麗な子に隣りで、宗くん、なんて微笑まれたら、オレだったら絶対一も二もなく押し倒すのに! 伊織ちゃん、胸は小ぶりだけどスタイルいいし肌は綺麗だし、手ざわりもすべらかそうだしさあ!」
「……相沢。お前、それ以上言ったら殴るよ」
伊織のなにを想像しているのか、だらしなく頬を緩める相沢を、宗一郎は温度のない視線で見つめた。
相沢はぎくりと表情を止めて、ごまかすように咳払いをする。
「あー、えー、まあ、あれだ。それはともかく! 宗、お前伊織ちゃんが欲しくないのかよ?」
「……それとこれとは別だろ」
「あ、宗が赤くなった! へえ、やっぱり宗でもそういうこと考えるんだなー!」
九条が嬉しそうに声をあげる。
宗一郎はそれに不機嫌に顔をしかめた。
「なんだよ、俺でもって。当たり前だろ。俺だって男なんだから」
「じゃあ、なんで手を出さないんだよ? オレだったら我慢なんてできないね」
とんでもないことをさらりと言ってのける相沢を、宗一郎は呆れた眼差しで見やる。
「お前と一緒にするな。俺は……伊織のこと、大切にしたいんだ」
「――大切に……ねえ」
「なんだよ」
やけに含みのある言い方をする相沢を、宗一郎は拗ねたように見た。
てっきり意地の悪い笑顔を浮かべているとばかり思っていた相沢が、なぜか切なそうに瞳を細めて、いや、と苦笑をこぼした。
「オレ……さ。常々思ってたんだけど。なんで手を出したら大切にしてないってことになるんだろうな」
「それは……あれだろ? カラダ目的みたいになるからだろ……? ん、あれ、違うか?」
戸惑うように眉根を寄せる九条に、相沢が苦笑を深くする。
「いや。多分、そういうことなんだろうな。だけどさ、オレは好きだからこそ、愛してるからこそ、その先に進みたい。心のことも体のことも全部知りたいし、全部欲しくてたまらないんだ。……なあ、宗もあるだろ? どんなに好きだって囁いても、どんなに愛してるって伝えても、まだまだ全然伝えきれてないって思うとき。オレの気持ちはこんなもんじゃない、どれだけお前に夢中なのか、どれだけお前じゃなきゃだめなのか、俺の全てで感じてくれって、苦しいくらいに思うときがさ……」
「……うん。あるよ」
宗一郎は、瞼の裏に伊織の笑顔を思い浮かべながら肯定した。
伊織と一緒にいるとき、ふいに胸をかき乱す激しい衝動。
言葉だけじゃ伝えられない。抱きしめるだけじゃ物足りない。キスですら、この気持ちの半分も伝えることができない。
苦しいくらいに愛しくて、伊織のことで頭がいっぱいになって、もうそれ以上なにも考えられなくなる。
「だよな……。男は、そういうもんなのに……。別に、カラダ目的で押し倒すわけじゃねえのに……。女は違うのかねえ」
わっかんねえなと、切なそうに言う相沢に、宗一郎がハッと目を見開いた。
「……相沢。お前、もしかして宮本と……」
「ん。そう。押し倒したらひっぱたかれて、少し距離をおきましょう……だってさ」
ははと自嘲するように笑って、相沢が宗一郎をまっすぐ見つめてくる。
「なあ、宗。お前はなんで伊織ちゃんに手を出さないんだ? お前の言う大切って、どういう意味なんだよ?」
「俺は……」
宗一郎は慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと口を開く。
「まだ、そうなりたいって思うのが、俺だけだってわかるからだよ。だから手を出さないんだ」
「? どういう意味だよ? 伊織ちゃんが望んだら、すぐにでも押し倒すってことか?」
「あのさ九条。ひとを盛りのついた獣みたいに言わないでくれる? そういうことじゃなくて」
「じゃあどういうことだよ?」
首をひねる九条に、宗一郎は苦笑する。
「……女の子のほうがさ、やっぱり失うものって多いだろ? 俺は伊織のこと……うん、多分……本気で愛してるし、全て欲しいけど、でも、愛情をぶつけた結果、伊織が泣くようなことになるのはいやなんだ」
「それはまあ、そうだよな。でもアレだろ? 妊娠を心配してるなら予防すりゃいいじゃんか」
「そりゃあそうだけど。でもそれだけじゃないだろ? 俺たちは愛情をぶつけて終わりだけど、女の子は体にいろいろ残るし、やっぱりそれが原因で不安になったり、落ち着かなかったりすることもあると思うんだ。そうなったときに俺は支えてやれるようになりたいし、伊織にも俺を頼りにして欲しい。だからそうなれるまでは、例え伊織がいいって言っても、俺は手を出せないと思う」
「ふうん……。なるほどね。でもそしたら、経済的なことも考えると、社会人になるまでは無理なんじゃないか?」
「……そこは、それだよ」
「あー、つまり、そこまでガマンするのは無理だと」
「うっるさいな! それこそお前の言うとおり好きなんだからしょうがないだろ!」
「ははは! はいはい。そーだよなー、やっぱり宗も健全な男子で安心したわ」
「だから最初からそうだって言ってるだろ! もう、なんなんだよ相沢も九条も! 俺は聖人君子じゃないっつーの!」
珍しく声を荒げる宗一郎に相沢がひとしきり大笑いしたあと、ふうと息をついて瞳を細めた。
「ははは。まあ、あれだ、宗。あんまりガマンしすぎるなよ。普通の人が80くらいで余力を持って音をあげるところを、お前は100の限界値までガマンしちまうからな。そうすると、理性が吹っ飛んだときに伊織ちゃんを余計傷つけることになるぞ」
「……心得とくよ」
宗一郎が低く答えると、相沢が大人びた表情で微笑む。
「おう。――オレも、逃げてないで琴美にちゃんと謝らないとな。許してもらえるかわかんないけど」
「……宮本なら大丈夫だろ」
「はは。サンキュ」
と、それまで比較的静かだった九条が、あーあと伸びをした。
「いいなー、二人とも。オレも恋してーなー」
「そうだな。お前はまず伊織ちゃんを諦めるところからスタートしないとな」
「げ! 相沢、そういうこと宗の前で言うなよ! っていうかなんでオレがまだ諦められてないこと知ってんだよお前! 誰にも言ってないのに!」
「お前はバレバレなんだよ。安心しろ、宗も気付いてる。なあ?」
「……うん」
相沢に水を向けられて、宗一郎は眉尻を下げた。
それを見た九条が、顔を青くして慌てて否定する。
「うわわ、違うんだ宗! オレ、決してお前が伊織ちゃんと別れるのを虎視眈々と狙ってるわけじゃなくて、ただ諦めつかないだけで……!」
「もちろんそれはわかってるけど……。逆にそんな風に言われると、狙ってるのかと思っちゃうな」
「ぎゃああ違う! 断じて違う! 狙ってない! むしろオレはもう今となっては宗の隣りで幸せそうに笑う伊織ちゃんが好きっていうか! だから決してお前からとろうなんてことは……っ!」
「はは。うん。わかってるよ。……ありがとう、九条」
と、宗一郎が九条に微笑んだその時。
「こんにちはー」
がらっと教室のドアをスライドさせて、伊織がひょこっと顔を覗かせた。
宗一郎を見つけて、ぱあっとその表情を明るくする。
「あ、よかった、宗くん教室にいた! なんか静かだったからもう誰もいないのかと思っちゃった」
言いながらそばまで来る伊織に微笑みかけながら、宗一郎は手に持っていた教科書で九条を指した。
「はは、ごめんね伊織。こいつが勉強教えろ教えろってうるさいからさ」
「やっほー、伊織ちゃん。久しぶり。ごめんねこんな遅くまで宗を借りちゃって」
「こんにちは、伊織ちゃん」
片手をあげて挨拶する九条と相沢に、伊織が屈託なく微笑んだ。
「こんにちは! 九条先輩、テスト勉強ですか?」
「そうなんだよ伊織ちゃん。こいつバカだからさ」
意地悪く笑いながら九条を指す相沢に、伊織も笑みを返す。
「そうなんですか? 相沢先輩は余裕ですねー。テスト、ばっちりなんですか?」
「まあね。オレは要領がいいから、こんな風に根詰めなくてもだいたいはできるよ」
「でも相沢はそれで満足しちゃうから、いつもだいたいしかできなんだよな。お前が本気で勉強したら、多分俺なんかすぐ抜かれちゃうのに」
「あのなー、宗。お前わかってないなー。努力も才能のひとつなんだぜ? オレにはそれが欠けてるの。だから、一生かかってもお前には敵わねーよ。やらないんじゃなくてやれないんだから」
「言い訳に聞こえるけどな」
「はは。お前にはわかんないだろうな。やれるから」
言うと、相沢はよっと気合を入れて腰掛けてた机から飛び降りた。
んーっと伸びをして言う。
「さって。オレはそろそろ帰りますかね」
「えー、もう帰っちゃうのかよ! 相沢はオレの勉強に付き合えよ!」
すがるような声を出す九条に、相沢はべっと舌を出す。
「やだよ。お前、理解すんのおせぇんだもん」
「なんだよ、親友だろ!」
「親友だけど、その程度困ってるだけじゃオレは自分の時間を割いてやんねーよ」
それだけ言い残すと、相沢はひらひらと手を振って教室を後にした。
宗一郎はそれを見て、口元に笑みを浮かべる。
「はは、あいつらしいね。じゃあ、俺たちもそろそろ行こうか、伊織?」
「え!? だって九条先輩は?」
「ああ、いいの、こいつはこのままで。あんまりここにいると伊織に手を出されるかもしれないし」
「え!?」
わざとらしく言うと、伊織が瞬時に顔を赤く染めた。
焦ったように宗一郎の背中をばしばしと叩いてくる。
「や、やだなあ宗くん! もう、いつの話してるのよ! ねえ、九条先輩?」
「なー、伊織ちゃん」
笑顔で同意する九条に、伊織がほらー、変なこと言わないでよ宗くん、と怒ったように頬を膨らませている。
そんな伊織を見て、九条が瞳を細めて口を開いた。
「な、伊織ちゃん」
「はい?」
「宗に大切にしてもらってよかったな。今、幸せ?」
「――はい。幸せです」
伊織がふわりと笑ってそれに答える。
宗一郎は伊織のその言葉に嬉しさを胸の奥に押し隠しながら、九条を睨む。
「急に何言い出すんだよ、九条」
「はは、いいだろ別に。な、伊織ちゃん。宗、紳士なように見えて、その実とんでもねえ狼だから気をつけろよ?」
「えっ!?」
九条の言葉に、伊織が勢いよくこちらを振り向いた。
深刻な表情で、そうなの宗くん……なんて呟きながらこちらを見上げている。
宗一郎は参ったように頭を抱えると、鋭く九条を睨みつけた。
「覚えてろよ、九条」
「えー、なんのことかわっかりっませーん!」
おどける九条の机を宗一郎は蹴り飛ばすと、伊織の腕を掴んで踵を返した。
後ろで九条が、なにすんだよ宗のバカー、狼ー! と叫んでいるけど、もう無視することにする。
「アホはほっといて、部活行こう伊織」
「え、え!? 九条先輩はいいの?」
「いいの。あいつなんか赤点取ればいいんだよ」
「え、あ、く、九条先輩、お勉強がんばってくださいね!」
伊織は振り返って九条にそれだけ言うと、先を歩く宗一郎に必死で歩幅を合わせてきた。
拗ねたように前を向く宗一郎の顔を、伊織が悪戯な表情で覗き込んでくる。
「ね、宗くん。そんなにムキになるなんてどんな話してたの?」
「……聞きたい?」
「うん、聞きたい!」
「俺が、どれだけ伊織を好きかって話」
「!!」
答えると、伊織の全身が赤く染まった。
ぱくぱくと焦ったように口を動かして何かを言おうとしているけれど、最終的にそれは諦めたのか伊織は俯いた。
照れたように、小さく、バカ……と言ったのが風に乗って聞こえてくる。
そんな伊織がかわいくて、宗一郎はくすくすと笑い声を漏らした。
俯く伊織の耳元に、そっと口を寄せる。
「ね、伊織」
「な、なに?」
伊織の肩が驚いたように飛び上がる。
「伊織はさ、俺の愛を全部受け止める自信がある?」
「もちろん。当ったり前じゃない! わたしだって宗くんのこと大好きだもん」
ぐっと拳を握りこんで伊織が言う。
でもなんで? とくりっと首を傾げてくる伊織の表情がなんとも愛らしくて、宗一郎の胸がこそばゆくなった。
宗一郎は、そっか、と微笑んで、再び伊織の耳元に唇を寄せる。
「じゃあ、いつか教えてあげるね。――心もカラダも全部使って」
「!」
伊織が真っ赤になってその場に固まった。
宗一郎は声をあげて笑いながら、そんな伊織を腕の中に閉じ込める。
誰もいないのをいいことに、その頭にキスを落として、愛してるよ、と心を込めて囁いた。
部活動は試験が終わるまで活動禁止期間に入るのだが、成績優秀な部活動は17時まで特別に自主練習の許可がおりる。
当然インターハイ2位のバスケ部も17時まで自主練習の許可をもらっていた。
宗一郎もいつもならこの時間帯はとっくに体育館にいるのだけれど、今日はわけあってまだ教室にいた。
クラスメイトの九条に数学を教えてくれと、土下座する勢いで頼まれたのだ。
教室には宗一郎と九条と、なぜか相沢の三人だけが残っていた。
試験期間中、宗一郎と伊織は、早くHRが終わった方がお互いの教室まで迎えに行き、そこから一緒に部活へ行っていた。
伊織が来るまでだからなと最初に言いおいて、宗一郎は問題を解く九条をじっと見つめる。
と、さらさらと走る鉛筆が、全く的外れの答えを導き出したことに片眉を上げて、宗一郎は手に持っていた教科書を丸めて九条の頭に振り下ろした。
ポコリと響く、間の抜けた音。
「また不正解。ここはこの公式使うんだって何度も言ってるだろ? いい加減覚えろよ」
「うう、そんなこと言ったってなぁ宗! お前は頭いいから簡単なのかもしんねぇけど、オレは凡人なんだぞ! 何回か言われたくらいで解けるか!」
「じゃあ体に染み込むまでひとりでその単元解き続けなよ。練習だってあるのになんで俺が付き合わなくちゃいけないわけ?」
「いいだろ、宗! オレたち親友だろ! 練習ったって自主練だろーが」
「俺は自主練も通常練も、区別したことなんて一度もないよ。どっちも俺にとっては貴重な時間なんだ。それに……」
「それに、なんだよ?」
ふいに言葉を止めた宗一郎に、それまで傍観者の姿勢を崩さなかった相沢が口を挟んだ。
宗一郎は戸惑うように視線を彷徨わせると、しぶしぶと唇を持ち上げる。
「伊織が俺のこと待ってるし」
宗一郎の言葉に、なぜ宗一郎があんなにも言いにくそうにしていたのか合点がいったのか、相沢が九条を見ながら、ああ、と低く呟いた。
何を隠そう、この九条は伊織に惚れていた過去がある。
しかもそれだけに留まらず、付き合っていると宣言した宗一郎に、譲ってくれ発言までしたのだ。
あの時宗一郎が怒って以来、伊織のことが話題にのぼることはなかったけれど、宗一郎は九条が伊織のことを諦めたとは思っていない。
逆に九条がその話題に触れないのが、まだ伊織を諦めきれていないと言っているように思えてならなかった。
案の定、九条の瞳が伊織の名前を聞いてわずかに細められた。
それには気づかないフリをして、相沢がわざと言葉を続ける。
「伊織ちゃんかー。もうすっかり宗の公認彼女だよな。宗、ちゃんとうまくいってるのか?」
「当たり前だろ」
その返事に、九条が嬉しそうに表情をほころばせる。
「そっかそっかー。いいよなー、伊織ちゃん。最近すっごく綺麗になったよな。前はさ、ちょっと目立たない感じだったじゃん? 地味っていったらアレだけど、どっか暗かったっていうかさ……。だけど今は、あの球技大会のときみたいに常にキラキラしてて、ほんと目が離せないよなー。少し伸びてきた髪も、伊織ちゃんの大人っぽい雰囲気にすっげえ合ってるし」
九条の言葉に、相沢が呆れたようにため息をもらす。
「バッカだな、九条。あの子、もともと素材はピカイチだったんだぜ? だから、あの子が綺麗になるのは当たり前なの。見抜けなかったお前はまだまだだな」
「なにぃ! でもちゃんと見つけたじゃんか!」
「輝きを放ってるときなんか、誰だって見つけられんだよ。なー、宗」
言いながら、相沢がふいに肩を組んできた。
なんとなく気まずい気持ちで、二人の会話を聞いていた宗一郎は、その言葉に慌てて頷く。
「あ、うん……。そう、だね」
「くぅぅ、宗に言われちゃ敵わねえよなぁ。宗は、最初っから伊織ちゃんのこと見つけてたんだもんな」
冗談ぽく響く声音とは対照的に、九条の瞳が切なげに揺れる。
いつも元気な九条のそんな様子に、宗一郎がひとり胸を痛めていると、ふいに相沢が宗一郎の肩にまわしていた手をくりっと首に絡めてきた。
そのまま宗一郎の首を軽くホールドする。
「うわ、ちょ、相沢!? なにすんだよ!」
突然のことで全く対処できなかった宗一郎に、相沢が体勢を維持したままで不敵に微笑む。
「ときに宗」
「うん?」
「オレは、伊織ちゃんがあまりにも短期間でこんなに綺麗になったのには、なにか理由があると思っている」
「? うん」
宗一郎は話の終着点がわからなくて、曖昧に相槌をうった。
九条もきょとんとした表情で相沢を見つめている。
「ずばり聞くが、宗。――お前、伊織ちゃんとシたな?」
「ぶっ!」
あまりにも予想外の言葉に、宗一郎の呼吸が気管で絡まった。
げほげほと盛大に咳き込む宗一郎に、相沢がホールドしていた腕を放して背中を撫でてくる。
一体なにを言い出すのかと思えば。ましてや九条の目の前で。
咽せた苦しさから潤んだ瞳で、宗一郎は相沢を睨みつけた。
「急になに言い出すんだよ、相沢!」
「お、その反応は図星か?」
「ばッ……! 違うよ、そういうことじゃなくて! 全く、どうしたらそういう発想になるんだよ」
「えー。だって、女が急に綺麗になるって言ったらそれしかないだろ? ーーで、ほんとのとこはどうなんだよ、宗。もうシたのか? なぁ、なぁ、なぁ!」
言いながら再び絡みついてくる相沢を乱暴に振り払いながら、宗一郎は乱れた心を落ち着けて、ぼそりと呟いた。
「……まだだよ」
「えー、なんで!? 信じられん! あんな綺麗な子に隣りで、宗くん、なんて微笑まれたら、オレだったら絶対一も二もなく押し倒すのに! 伊織ちゃん、胸は小ぶりだけどスタイルいいし肌は綺麗だし、手ざわりもすべらかそうだしさあ!」
「……相沢。お前、それ以上言ったら殴るよ」
伊織のなにを想像しているのか、だらしなく頬を緩める相沢を、宗一郎は温度のない視線で見つめた。
相沢はぎくりと表情を止めて、ごまかすように咳払いをする。
「あー、えー、まあ、あれだ。それはともかく! 宗、お前伊織ちゃんが欲しくないのかよ?」
「……それとこれとは別だろ」
「あ、宗が赤くなった! へえ、やっぱり宗でもそういうこと考えるんだなー!」
九条が嬉しそうに声をあげる。
宗一郎はそれに不機嫌に顔をしかめた。
「なんだよ、俺でもって。当たり前だろ。俺だって男なんだから」
「じゃあ、なんで手を出さないんだよ? オレだったら我慢なんてできないね」
とんでもないことをさらりと言ってのける相沢を、宗一郎は呆れた眼差しで見やる。
「お前と一緒にするな。俺は……伊織のこと、大切にしたいんだ」
「――大切に……ねえ」
「なんだよ」
やけに含みのある言い方をする相沢を、宗一郎は拗ねたように見た。
てっきり意地の悪い笑顔を浮かべているとばかり思っていた相沢が、なぜか切なそうに瞳を細めて、いや、と苦笑をこぼした。
「オレ……さ。常々思ってたんだけど。なんで手を出したら大切にしてないってことになるんだろうな」
「それは……あれだろ? カラダ目的みたいになるからだろ……? ん、あれ、違うか?」
戸惑うように眉根を寄せる九条に、相沢が苦笑を深くする。
「いや。多分、そういうことなんだろうな。だけどさ、オレは好きだからこそ、愛してるからこそ、その先に進みたい。心のことも体のことも全部知りたいし、全部欲しくてたまらないんだ。……なあ、宗もあるだろ? どんなに好きだって囁いても、どんなに愛してるって伝えても、まだまだ全然伝えきれてないって思うとき。オレの気持ちはこんなもんじゃない、どれだけお前に夢中なのか、どれだけお前じゃなきゃだめなのか、俺の全てで感じてくれって、苦しいくらいに思うときがさ……」
「……うん。あるよ」
宗一郎は、瞼の裏に伊織の笑顔を思い浮かべながら肯定した。
伊織と一緒にいるとき、ふいに胸をかき乱す激しい衝動。
言葉だけじゃ伝えられない。抱きしめるだけじゃ物足りない。キスですら、この気持ちの半分も伝えることができない。
苦しいくらいに愛しくて、伊織のことで頭がいっぱいになって、もうそれ以上なにも考えられなくなる。
「だよな……。男は、そういうもんなのに……。別に、カラダ目的で押し倒すわけじゃねえのに……。女は違うのかねえ」
わっかんねえなと、切なそうに言う相沢に、宗一郎がハッと目を見開いた。
「……相沢。お前、もしかして宮本と……」
「ん。そう。押し倒したらひっぱたかれて、少し距離をおきましょう……だってさ」
ははと自嘲するように笑って、相沢が宗一郎をまっすぐ見つめてくる。
「なあ、宗。お前はなんで伊織ちゃんに手を出さないんだ? お前の言う大切って、どういう意味なんだよ?」
「俺は……」
宗一郎は慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと口を開く。
「まだ、そうなりたいって思うのが、俺だけだってわかるからだよ。だから手を出さないんだ」
「? どういう意味だよ? 伊織ちゃんが望んだら、すぐにでも押し倒すってことか?」
「あのさ九条。ひとを盛りのついた獣みたいに言わないでくれる? そういうことじゃなくて」
「じゃあどういうことだよ?」
首をひねる九条に、宗一郎は苦笑する。
「……女の子のほうがさ、やっぱり失うものって多いだろ? 俺は伊織のこと……うん、多分……本気で愛してるし、全て欲しいけど、でも、愛情をぶつけた結果、伊織が泣くようなことになるのはいやなんだ」
「それはまあ、そうだよな。でもアレだろ? 妊娠を心配してるなら予防すりゃいいじゃんか」
「そりゃあそうだけど。でもそれだけじゃないだろ? 俺たちは愛情をぶつけて終わりだけど、女の子は体にいろいろ残るし、やっぱりそれが原因で不安になったり、落ち着かなかったりすることもあると思うんだ。そうなったときに俺は支えてやれるようになりたいし、伊織にも俺を頼りにして欲しい。だからそうなれるまでは、例え伊織がいいって言っても、俺は手を出せないと思う」
「ふうん……。なるほどね。でもそしたら、経済的なことも考えると、社会人になるまでは無理なんじゃないか?」
「……そこは、それだよ」
「あー、つまり、そこまでガマンするのは無理だと」
「うっるさいな! それこそお前の言うとおり好きなんだからしょうがないだろ!」
「ははは! はいはい。そーだよなー、やっぱり宗も健全な男子で安心したわ」
「だから最初からそうだって言ってるだろ! もう、なんなんだよ相沢も九条も! 俺は聖人君子じゃないっつーの!」
珍しく声を荒げる宗一郎に相沢がひとしきり大笑いしたあと、ふうと息をついて瞳を細めた。
「ははは。まあ、あれだ、宗。あんまりガマンしすぎるなよ。普通の人が80くらいで余力を持って音をあげるところを、お前は100の限界値までガマンしちまうからな。そうすると、理性が吹っ飛んだときに伊織ちゃんを余計傷つけることになるぞ」
「……心得とくよ」
宗一郎が低く答えると、相沢が大人びた表情で微笑む。
「おう。――オレも、逃げてないで琴美にちゃんと謝らないとな。許してもらえるかわかんないけど」
「……宮本なら大丈夫だろ」
「はは。サンキュ」
と、それまで比較的静かだった九条が、あーあと伸びをした。
「いいなー、二人とも。オレも恋してーなー」
「そうだな。お前はまず伊織ちゃんを諦めるところからスタートしないとな」
「げ! 相沢、そういうこと宗の前で言うなよ! っていうかなんでオレがまだ諦められてないこと知ってんだよお前! 誰にも言ってないのに!」
「お前はバレバレなんだよ。安心しろ、宗も気付いてる。なあ?」
「……うん」
相沢に水を向けられて、宗一郎は眉尻を下げた。
それを見た九条が、顔を青くして慌てて否定する。
「うわわ、違うんだ宗! オレ、決してお前が伊織ちゃんと別れるのを虎視眈々と狙ってるわけじゃなくて、ただ諦めつかないだけで……!」
「もちろんそれはわかってるけど……。逆にそんな風に言われると、狙ってるのかと思っちゃうな」
「ぎゃああ違う! 断じて違う! 狙ってない! むしろオレはもう今となっては宗の隣りで幸せそうに笑う伊織ちゃんが好きっていうか! だから決してお前からとろうなんてことは……っ!」
「はは。うん。わかってるよ。……ありがとう、九条」
と、宗一郎が九条に微笑んだその時。
「こんにちはー」
がらっと教室のドアをスライドさせて、伊織がひょこっと顔を覗かせた。
宗一郎を見つけて、ぱあっとその表情を明るくする。
「あ、よかった、宗くん教室にいた! なんか静かだったからもう誰もいないのかと思っちゃった」
言いながらそばまで来る伊織に微笑みかけながら、宗一郎は手に持っていた教科書で九条を指した。
「はは、ごめんね伊織。こいつが勉強教えろ教えろってうるさいからさ」
「やっほー、伊織ちゃん。久しぶり。ごめんねこんな遅くまで宗を借りちゃって」
「こんにちは、伊織ちゃん」
片手をあげて挨拶する九条と相沢に、伊織が屈託なく微笑んだ。
「こんにちは! 九条先輩、テスト勉強ですか?」
「そうなんだよ伊織ちゃん。こいつバカだからさ」
意地悪く笑いながら九条を指す相沢に、伊織も笑みを返す。
「そうなんですか? 相沢先輩は余裕ですねー。テスト、ばっちりなんですか?」
「まあね。オレは要領がいいから、こんな風に根詰めなくてもだいたいはできるよ」
「でも相沢はそれで満足しちゃうから、いつもだいたいしかできなんだよな。お前が本気で勉強したら、多分俺なんかすぐ抜かれちゃうのに」
「あのなー、宗。お前わかってないなー。努力も才能のひとつなんだぜ? オレにはそれが欠けてるの。だから、一生かかってもお前には敵わねーよ。やらないんじゃなくてやれないんだから」
「言い訳に聞こえるけどな」
「はは。お前にはわかんないだろうな。やれるから」
言うと、相沢はよっと気合を入れて腰掛けてた机から飛び降りた。
んーっと伸びをして言う。
「さって。オレはそろそろ帰りますかね」
「えー、もう帰っちゃうのかよ! 相沢はオレの勉強に付き合えよ!」
すがるような声を出す九条に、相沢はべっと舌を出す。
「やだよ。お前、理解すんのおせぇんだもん」
「なんだよ、親友だろ!」
「親友だけど、その程度困ってるだけじゃオレは自分の時間を割いてやんねーよ」
それだけ言い残すと、相沢はひらひらと手を振って教室を後にした。
宗一郎はそれを見て、口元に笑みを浮かべる。
「はは、あいつらしいね。じゃあ、俺たちもそろそろ行こうか、伊織?」
「え!? だって九条先輩は?」
「ああ、いいの、こいつはこのままで。あんまりここにいると伊織に手を出されるかもしれないし」
「え!?」
わざとらしく言うと、伊織が瞬時に顔を赤く染めた。
焦ったように宗一郎の背中をばしばしと叩いてくる。
「や、やだなあ宗くん! もう、いつの話してるのよ! ねえ、九条先輩?」
「なー、伊織ちゃん」
笑顔で同意する九条に、伊織がほらー、変なこと言わないでよ宗くん、と怒ったように頬を膨らませている。
そんな伊織を見て、九条が瞳を細めて口を開いた。
「な、伊織ちゃん」
「はい?」
「宗に大切にしてもらってよかったな。今、幸せ?」
「――はい。幸せです」
伊織がふわりと笑ってそれに答える。
宗一郎は伊織のその言葉に嬉しさを胸の奥に押し隠しながら、九条を睨む。
「急に何言い出すんだよ、九条」
「はは、いいだろ別に。な、伊織ちゃん。宗、紳士なように見えて、その実とんでもねえ狼だから気をつけろよ?」
「えっ!?」
九条の言葉に、伊織が勢いよくこちらを振り向いた。
深刻な表情で、そうなの宗くん……なんて呟きながらこちらを見上げている。
宗一郎は参ったように頭を抱えると、鋭く九条を睨みつけた。
「覚えてろよ、九条」
「えー、なんのことかわっかりっませーん!」
おどける九条の机を宗一郎は蹴り飛ばすと、伊織の腕を掴んで踵を返した。
後ろで九条が、なにすんだよ宗のバカー、狼ー! と叫んでいるけど、もう無視することにする。
「アホはほっといて、部活行こう伊織」
「え、え!? 九条先輩はいいの?」
「いいの。あいつなんか赤点取ればいいんだよ」
「え、あ、く、九条先輩、お勉強がんばってくださいね!」
伊織は振り返って九条にそれだけ言うと、先を歩く宗一郎に必死で歩幅を合わせてきた。
拗ねたように前を向く宗一郎の顔を、伊織が悪戯な表情で覗き込んでくる。
「ね、宗くん。そんなにムキになるなんてどんな話してたの?」
「……聞きたい?」
「うん、聞きたい!」
「俺が、どれだけ伊織を好きかって話」
「!!」
答えると、伊織の全身が赤く染まった。
ぱくぱくと焦ったように口を動かして何かを言おうとしているけれど、最終的にそれは諦めたのか伊織は俯いた。
照れたように、小さく、バカ……と言ったのが風に乗って聞こえてくる。
そんな伊織がかわいくて、宗一郎はくすくすと笑い声を漏らした。
俯く伊織の耳元に、そっと口を寄せる。
「ね、伊織」
「な、なに?」
伊織の肩が驚いたように飛び上がる。
「伊織はさ、俺の愛を全部受け止める自信がある?」
「もちろん。当ったり前じゃない! わたしだって宗くんのこと大好きだもん」
ぐっと拳を握りこんで伊織が言う。
でもなんで? とくりっと首を傾げてくる伊織の表情がなんとも愛らしくて、宗一郎の胸がこそばゆくなった。
宗一郎は、そっか、と微笑んで、再び伊織の耳元に唇を寄せる。
「じゃあ、いつか教えてあげるね。――心もカラダも全部使って」
「!」
伊織が真っ赤になってその場に固まった。
宗一郎は声をあげて笑いながら、そんな伊織を腕の中に閉じ込める。
誰もいないのをいいことに、その頭にキスを落として、愛してるよ、と心を込めて囁いた。