かみなり
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部活が終わって体育館の外に出ると、灰色のぶ厚い雲が重そうに垂れ込めていた。
「うわ……」
宗一郎は眉をひそめて暗い空を見つめた。
夏特有の、じんわりと肌にはりつくような生ぬるい空気。それに混じって、微かだけれど土の匂いがした。雨が降る前の独特の空気だ。
宗一郎はうんざりしたようにため息をひとつ吐くと、足早に自転車置き場に向かった。
これは急いで帰らないと、確実に降られてしまうに違いない。
宗一郎は一台だけぽつんと取り残された自分の自転車に駆け寄ると、素早く番号を打ち込んで鍵を外した。
宗一郎の自転車の鍵は差し込むタイプではなく番号であけるタイプだ。今日みたいに急いでいる時に鍵を探さなくてすむのでとても重宝している。
宗一郎は自転車に跨ると、いつもより少し強めにペダルを漕いだ。
勢いよく風を切った瞬間、頬に冷たい感触。雨だ。
一度滴を落とした空は堰を切ったように激しく泣き出す。
降り注ぐ無数の雨粒と、地面に叩きつけられ跳ね返った滴とで、景色が白んだ。
これは強行突破は難しいかもしれない。
全身びしょぬれでいまさら雨宿りというのもないような気がしたが、ただでさえ雨でしっかり目を開けることができないのに、視界まで悪いのでは危険なことこの上ない。
宗一郎は辺りを見まわすと、雨宿りできそうな場所を探した。いくつか並ぶシャッターの降りた店。その軒下のひとつに、見知った顔を見つけた。
クラスメイトの柏木結花だ。
宗一郎の胸がどきんと高鳴る。深呼吸して速くなる鼓動を落ち着けると、宗一郎は自転車を降りて結花のほうへと近づいた。
その気配に気づいて、結花も顔をあげる。
「あれ、神くん?」
にこりと結花が笑った。彼女の笑顔はいつも優しくて、心がとても温かくなる。
神くんも降られちゃったの? なんていう結花自身も、すっかり濡れそぼっていた。
肩のラインで切りそろえられた濡れた髪が、ぴっとりと首筋に張り付いている。その毛先からしたたる滴がいくつも、第二ボタンまで開けられた結花の胸元にしなやかな曲線を描いて滑り落ちていった。
その先を無意識で目で追う。途端、結花のワイシャツが水を含んで透けていることに気づいた。
心臓が爆発したような音を立てて、慌てて宗一郎は目を逸らす。
結花の透けたワイシャツ越しの下着が、まぶたの裏に焼きついてちかちかした。
「見ての通りだよ。俺も雨宿りに入れてもらってもいい?」
「もちろん」
宗一郎は内心ホッと胸を撫で下ろしながら、にこやかに答える結花の隣りに自転車ごとからだを滑り込ませた。
ポーカーフェイスが得意でほんとうによかった。
相変わらず心臓は痛いくらいに高鳴っているけれど、この動揺をなんとか気づかれずに済みそうだった。
少し頭を冷やそうと激しく降りしきる雨をぼんやり眺めていると、ふいに首元になにか柔らかなものを押し付けられた。
ぎょっとして振り返ると、悪戯っぽい笑顔を浮かべた結花と目が合った。
「タオル。拭かないと風邪引いちゃうよ?」
「あ、ありがとう」
短く礼を言ってタオルを受け取り、軽く撫でるように雨を拭っていく。
「…………」
首まわり、右腕、左腕と拭いて、次は胸元を拭おうとした時、宗一郎は参ったように眉尻を下げた。
先ほどから体を拭いている間ずっと、タオルを追いかけるようにして結花がじっとこちらを見つめていた。
「……そんなに見つめられるとやりにくいんだけど」
困惑して言うと、結花がハッとして慌てて視線を外した。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃなかったんだけど、つい……」
「つい、なに?」
「いや……その……。神くん、いいカラダしてるな、と思って」
どうやら透けた制服に気をとられていたのは自分だけではなかったらしい。
薄く頬を染めて恥ずかしそうに言われたその言葉に、宗一郎は驚いて呼吸を止めた。
女の子って、時々すごく大胆だと思う。狙ってるのか、無意識なのか。どちらにしても手に負えない。すごく。
「それはお互い様」
結花の顔を覗き込むようにしてわざとらしい笑顔でそう言うと、宗一郎はエナメルカバンの中からジャージの上着を取り出して、結花の肩に掛けてやった。
そこではじめて結花は自分のシャツが透けていたことに気付いたらしい。
りんごのように顔を真っ赤に染めると、慌てた手つきでジャージを胸元に引き寄せる。
勧めたのは自分とはいえ、少しだけ残念だと思ったことは言わないでおく。
「そのままじゃさすがにまずいから、それ着て帰りなよ。夏だしあんまり着てないから大丈夫だと思うけど、もし汗くさかったらごめんね」
自分のジャージに、すっぽり腿の辺りまで覆われている結花を見て、宗一郎の胸がきゅうんと縮んだ。
恥ずかしいのか、結花が顔を俯けて小さく首を振る。そのあらわになったうなじが赤い。
「だ、大丈夫。あの、ありがとう。ジャージ、洗って返すね」
「いいよ。気にしなくて。俺もタオル借りたし。こっちも洗って返すね」
「え、いいよ。それわたしも使ったやつだし! というか、そんなタオル貸しちゃってごめんね! よく考えたら汚いし嫌だったよね!?」
結花が焦った表情で顔をあげた。
宗一郎はくつくつ笑って否定する。
「そんなことないよ。嬉しかった。ありがとう」
「ほんと? よかったぁ」
「ほんと。だからちゃんと洗って返すよ」
「気にしなくていいのに」
「んー。でもお礼したいし」
「お礼? なんの?」
きょとんとした顔で言う結花に、宗一郎は悪戯っぽく微笑んでみせる。
「いいもの見せてもらったお礼」
「っ! もう、神くん!?」
いいものが何を差しているのか気づいたのか、結花がさらに顔を赤くして声を怒らせた。
その激しい剣幕に、宗一郎はおかしそうに笑い声をあげる。
「ごめんごめん。冗談だよ」
「冗談ってのも、なんか引っかかるなあ」
「ふうん? じゃあ、やっぱり本気」
ぶつぶつと拗ねたように唇を尖らせる結花に、宗一郎がにっこり笑ってそう言うと、また結花が怒ったように頬をふくらませた。
本心を言ったら怒られて、誤魔化したら拗ねられて、まったく女の子はむずかしい。
これは旗色が悪いと話を変えようとしたその時、ごろごろと空が小さな唸り声をあげた。
二人は顔を上げて空を仰ぎ見る。
「雷だね」
夏のこの時期は、突然の雷雨が多い。
まったく動じた様子がない結花に、宗一郎は意外そうに目を丸くした。
てっきり怖がるかと思っていた。
「雷、平気なの?」
「平気ってほどでもないけど、でもこの程度なら――」
だいじょうぶ、と結花が結ぼうとした時、今度は空を引き裂くような稲妻が走った。辺りがまるで昼間のように明るくなったかと思うと、すぐに微かな地響きを連れた雷鳴が轟く。
「きゃあああ!」
どうやら近くに落ちたようだ。
さっきとはうって変わって悲鳴をあげた結花が宗一郎に抱きついた。
宗一郎はそれを軽く受け止める。
音が去った瞬間、自分の体勢に気づいた結花がハッとしたように顔を赤くさせて宗一郎から体を離した。
「ご、ごめん!」
「いいよ」
宗一郎はそれを少し淋しい気持ちで見送って、結花に優しく問いかける。
「近いとこわい?」
「う、うん……」
再びぴかっと辺りが明るくなって、腹の底を震わすような雷の音がした。
結花も今度は抱きつくことはしなかったものの、咄嗟に宗一郎のシャツの裾を掴んでいた。
まだ心細いのか、その手が小さく震えているのを見て、宗一郎の中の何かが激しく揺さぶられた。
宗一郎は必死にその衝動を静めると、結花の震える手にそっと自分の手を重ねる。
「大丈夫」
不安そうな表情をしていた結花が、その言葉に安心したように微笑んだ。
「ありがとう、神くん。ごめんね、しばらく手、握っててもらってもいい? もともと大きい音が苦手で。光るのも遠い雷も大丈夫なんだけど、近いのはちょっと……きゃあっ!」
言葉の途中で再び雷が鳴った。
怯えたように身を竦める結花の、宗一郎のジャージにすっぽり包まれた背中がとても小さく頼りなげで、宗一郎は思わず結花を抱きしめたい衝動に駆られた。
気づいたら結花の肩に伸びていた手を慌てて引っ込めて、気づかれないように一度呼吸を整えると、結花の視界から空を隠すようにその前に体を移動させた。
「神くん?」
「もうちょっとだけ下がって? 俺が濡れちゃうから」
「あ、うん」
ふしぎそうな表情をした結花が、わけもわからぬまま数歩後ろに下がる。
宗一郎はほとんどからだが触れあいそうなくらい距離をつめると、おもむろにその両手を結花の耳に当てた。
「わ、神くん!?」
驚いて目を白黒させる結花に悪戯に微笑みながら、宗一郎は自分の声が聞こえるよう少しだけ手を浮かせて言う。
「こうすれば雷の音聞こえないでしょ? こわかったら俺に寄りかかってもいいよ。――大丈夫。雷、遠くなったら教えてあげる」
「……ありがとう」
安心させるように言うと、結花が嬉しそうに笑った。
宗一郎が微笑み返すと、結花は宗一郎の胸におでこをくっつけるようにして下を向き、宗一郎のシャツを掴んでぎゅっと目を閉じた。
その様子があんまりかわいくて、宗一郎はこの体勢になったことを少しだけ後悔した。
どこまで自分の理性がもつだろうか。
邪な気持ちと葛藤していると、雷が落ちて結花の体がびくりと震えた。
しまった。つい衝動を抑えるのに必死で耳を塞ぐ手に力を入れるのを忘れていた。
掴んだシャツを強く握り締めて、本気で怖がっている結花の姿に、宗一郎の中の邪な気持ちが今度こそ掻き消えた。
「ごめん。次はちゃんと聞こえないようにする」
結花はこくりと小さく頷くと、宗一郎に体を寄せてきた。
純粋に自分を頼ってくれる結花に胸が熱くなる。
こんな時に自分はいったいなにを考えていたんだろうか。
心の中で結花にもう一度ごめんと謝って、なんとか雷の音が聞こえなくなる方法はないかと考える。
「そうだ」
思いついて、宗一郎は雷の合間を狙って結花の耳から手を離した。
ごそごそとカバンをあさると、そこからミュージックプレイヤーを取り出す。
瞳に涙を浮かべ、不安そうな表情で宗一郎をじっと見つめていた結花にそのイヤフォンを差し出した。
「俺の好みで選んでるから、柏木さんが気に入らなかったら申し訳ないんだけど……。ないよりマシだと思うから」
言って、結花の耳に嵌めてやる。
音量を程よい大きさに調節して再生ボタンを押すと、その上から耳を覆うように手を被せた。
「俺の声が聞こえたら首を縦に振ってみて」
数秒待って結花の首が動かないことを確認すると、宗一郎はホッと息を吐いた。
どうやら今度はうまく周囲の音をシャットアウトできたみたいだ。
稲光が走る。結花の耳を塞ぐ手に力を込めると、地面を鞭打つような雷鳴に隠れるようにして、
「好きだよ」
小さく囁いた。
「うわ……」
宗一郎は眉をひそめて暗い空を見つめた。
夏特有の、じんわりと肌にはりつくような生ぬるい空気。それに混じって、微かだけれど土の匂いがした。雨が降る前の独特の空気だ。
宗一郎はうんざりしたようにため息をひとつ吐くと、足早に自転車置き場に向かった。
これは急いで帰らないと、確実に降られてしまうに違いない。
宗一郎は一台だけぽつんと取り残された自分の自転車に駆け寄ると、素早く番号を打ち込んで鍵を外した。
宗一郎の自転車の鍵は差し込むタイプではなく番号であけるタイプだ。今日みたいに急いでいる時に鍵を探さなくてすむのでとても重宝している。
宗一郎は自転車に跨ると、いつもより少し強めにペダルを漕いだ。
勢いよく風を切った瞬間、頬に冷たい感触。雨だ。
一度滴を落とした空は堰を切ったように激しく泣き出す。
降り注ぐ無数の雨粒と、地面に叩きつけられ跳ね返った滴とで、景色が白んだ。
これは強行突破は難しいかもしれない。
全身びしょぬれでいまさら雨宿りというのもないような気がしたが、ただでさえ雨でしっかり目を開けることができないのに、視界まで悪いのでは危険なことこの上ない。
宗一郎は辺りを見まわすと、雨宿りできそうな場所を探した。いくつか並ぶシャッターの降りた店。その軒下のひとつに、見知った顔を見つけた。
クラスメイトの柏木結花だ。
宗一郎の胸がどきんと高鳴る。深呼吸して速くなる鼓動を落ち着けると、宗一郎は自転車を降りて結花のほうへと近づいた。
その気配に気づいて、結花も顔をあげる。
「あれ、神くん?」
にこりと結花が笑った。彼女の笑顔はいつも優しくて、心がとても温かくなる。
神くんも降られちゃったの? なんていう結花自身も、すっかり濡れそぼっていた。
肩のラインで切りそろえられた濡れた髪が、ぴっとりと首筋に張り付いている。その毛先からしたたる滴がいくつも、第二ボタンまで開けられた結花の胸元にしなやかな曲線を描いて滑り落ちていった。
その先を無意識で目で追う。途端、結花のワイシャツが水を含んで透けていることに気づいた。
心臓が爆発したような音を立てて、慌てて宗一郎は目を逸らす。
結花の透けたワイシャツ越しの下着が、まぶたの裏に焼きついてちかちかした。
「見ての通りだよ。俺も雨宿りに入れてもらってもいい?」
「もちろん」
宗一郎は内心ホッと胸を撫で下ろしながら、にこやかに答える結花の隣りに自転車ごとからだを滑り込ませた。
ポーカーフェイスが得意でほんとうによかった。
相変わらず心臓は痛いくらいに高鳴っているけれど、この動揺をなんとか気づかれずに済みそうだった。
少し頭を冷やそうと激しく降りしきる雨をぼんやり眺めていると、ふいに首元になにか柔らかなものを押し付けられた。
ぎょっとして振り返ると、悪戯っぽい笑顔を浮かべた結花と目が合った。
「タオル。拭かないと風邪引いちゃうよ?」
「あ、ありがとう」
短く礼を言ってタオルを受け取り、軽く撫でるように雨を拭っていく。
「…………」
首まわり、右腕、左腕と拭いて、次は胸元を拭おうとした時、宗一郎は参ったように眉尻を下げた。
先ほどから体を拭いている間ずっと、タオルを追いかけるようにして結花がじっとこちらを見つめていた。
「……そんなに見つめられるとやりにくいんだけど」
困惑して言うと、結花がハッとして慌てて視線を外した。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃなかったんだけど、つい……」
「つい、なに?」
「いや……その……。神くん、いいカラダしてるな、と思って」
どうやら透けた制服に気をとられていたのは自分だけではなかったらしい。
薄く頬を染めて恥ずかしそうに言われたその言葉に、宗一郎は驚いて呼吸を止めた。
女の子って、時々すごく大胆だと思う。狙ってるのか、無意識なのか。どちらにしても手に負えない。すごく。
「それはお互い様」
結花の顔を覗き込むようにしてわざとらしい笑顔でそう言うと、宗一郎はエナメルカバンの中からジャージの上着を取り出して、結花の肩に掛けてやった。
そこではじめて結花は自分のシャツが透けていたことに気付いたらしい。
りんごのように顔を真っ赤に染めると、慌てた手つきでジャージを胸元に引き寄せる。
勧めたのは自分とはいえ、少しだけ残念だと思ったことは言わないでおく。
「そのままじゃさすがにまずいから、それ着て帰りなよ。夏だしあんまり着てないから大丈夫だと思うけど、もし汗くさかったらごめんね」
自分のジャージに、すっぽり腿の辺りまで覆われている結花を見て、宗一郎の胸がきゅうんと縮んだ。
恥ずかしいのか、結花が顔を俯けて小さく首を振る。そのあらわになったうなじが赤い。
「だ、大丈夫。あの、ありがとう。ジャージ、洗って返すね」
「いいよ。気にしなくて。俺もタオル借りたし。こっちも洗って返すね」
「え、いいよ。それわたしも使ったやつだし! というか、そんなタオル貸しちゃってごめんね! よく考えたら汚いし嫌だったよね!?」
結花が焦った表情で顔をあげた。
宗一郎はくつくつ笑って否定する。
「そんなことないよ。嬉しかった。ありがとう」
「ほんと? よかったぁ」
「ほんと。だからちゃんと洗って返すよ」
「気にしなくていいのに」
「んー。でもお礼したいし」
「お礼? なんの?」
きょとんとした顔で言う結花に、宗一郎は悪戯っぽく微笑んでみせる。
「いいもの見せてもらったお礼」
「っ! もう、神くん!?」
いいものが何を差しているのか気づいたのか、結花がさらに顔を赤くして声を怒らせた。
その激しい剣幕に、宗一郎はおかしそうに笑い声をあげる。
「ごめんごめん。冗談だよ」
「冗談ってのも、なんか引っかかるなあ」
「ふうん? じゃあ、やっぱり本気」
ぶつぶつと拗ねたように唇を尖らせる結花に、宗一郎がにっこり笑ってそう言うと、また結花が怒ったように頬をふくらませた。
本心を言ったら怒られて、誤魔化したら拗ねられて、まったく女の子はむずかしい。
これは旗色が悪いと話を変えようとしたその時、ごろごろと空が小さな唸り声をあげた。
二人は顔を上げて空を仰ぎ見る。
「雷だね」
夏のこの時期は、突然の雷雨が多い。
まったく動じた様子がない結花に、宗一郎は意外そうに目を丸くした。
てっきり怖がるかと思っていた。
「雷、平気なの?」
「平気ってほどでもないけど、でもこの程度なら――」
だいじょうぶ、と結花が結ぼうとした時、今度は空を引き裂くような稲妻が走った。辺りがまるで昼間のように明るくなったかと思うと、すぐに微かな地響きを連れた雷鳴が轟く。
「きゃあああ!」
どうやら近くに落ちたようだ。
さっきとはうって変わって悲鳴をあげた結花が宗一郎に抱きついた。
宗一郎はそれを軽く受け止める。
音が去った瞬間、自分の体勢に気づいた結花がハッとしたように顔を赤くさせて宗一郎から体を離した。
「ご、ごめん!」
「いいよ」
宗一郎はそれを少し淋しい気持ちで見送って、結花に優しく問いかける。
「近いとこわい?」
「う、うん……」
再びぴかっと辺りが明るくなって、腹の底を震わすような雷の音がした。
結花も今度は抱きつくことはしなかったものの、咄嗟に宗一郎のシャツの裾を掴んでいた。
まだ心細いのか、その手が小さく震えているのを見て、宗一郎の中の何かが激しく揺さぶられた。
宗一郎は必死にその衝動を静めると、結花の震える手にそっと自分の手を重ねる。
「大丈夫」
不安そうな表情をしていた結花が、その言葉に安心したように微笑んだ。
「ありがとう、神くん。ごめんね、しばらく手、握っててもらってもいい? もともと大きい音が苦手で。光るのも遠い雷も大丈夫なんだけど、近いのはちょっと……きゃあっ!」
言葉の途中で再び雷が鳴った。
怯えたように身を竦める結花の、宗一郎のジャージにすっぽり包まれた背中がとても小さく頼りなげで、宗一郎は思わず結花を抱きしめたい衝動に駆られた。
気づいたら結花の肩に伸びていた手を慌てて引っ込めて、気づかれないように一度呼吸を整えると、結花の視界から空を隠すようにその前に体を移動させた。
「神くん?」
「もうちょっとだけ下がって? 俺が濡れちゃうから」
「あ、うん」
ふしぎそうな表情をした結花が、わけもわからぬまま数歩後ろに下がる。
宗一郎はほとんどからだが触れあいそうなくらい距離をつめると、おもむろにその両手を結花の耳に当てた。
「わ、神くん!?」
驚いて目を白黒させる結花に悪戯に微笑みながら、宗一郎は自分の声が聞こえるよう少しだけ手を浮かせて言う。
「こうすれば雷の音聞こえないでしょ? こわかったら俺に寄りかかってもいいよ。――大丈夫。雷、遠くなったら教えてあげる」
「……ありがとう」
安心させるように言うと、結花が嬉しそうに笑った。
宗一郎が微笑み返すと、結花は宗一郎の胸におでこをくっつけるようにして下を向き、宗一郎のシャツを掴んでぎゅっと目を閉じた。
その様子があんまりかわいくて、宗一郎はこの体勢になったことを少しだけ後悔した。
どこまで自分の理性がもつだろうか。
邪な気持ちと葛藤していると、雷が落ちて結花の体がびくりと震えた。
しまった。つい衝動を抑えるのに必死で耳を塞ぐ手に力を入れるのを忘れていた。
掴んだシャツを強く握り締めて、本気で怖がっている結花の姿に、宗一郎の中の邪な気持ちが今度こそ掻き消えた。
「ごめん。次はちゃんと聞こえないようにする」
結花はこくりと小さく頷くと、宗一郎に体を寄せてきた。
純粋に自分を頼ってくれる結花に胸が熱くなる。
こんな時に自分はいったいなにを考えていたんだろうか。
心の中で結花にもう一度ごめんと謝って、なんとか雷の音が聞こえなくなる方法はないかと考える。
「そうだ」
思いついて、宗一郎は雷の合間を狙って結花の耳から手を離した。
ごそごそとカバンをあさると、そこからミュージックプレイヤーを取り出す。
瞳に涙を浮かべ、不安そうな表情で宗一郎をじっと見つめていた結花にそのイヤフォンを差し出した。
「俺の好みで選んでるから、柏木さんが気に入らなかったら申し訳ないんだけど……。ないよりマシだと思うから」
言って、結花の耳に嵌めてやる。
音量を程よい大きさに調節して再生ボタンを押すと、その上から耳を覆うように手を被せた。
「俺の声が聞こえたら首を縦に振ってみて」
数秒待って結花の首が動かないことを確認すると、宗一郎はホッと息を吐いた。
どうやら今度はうまく周囲の音をシャットアウトできたみたいだ。
稲光が走る。結花の耳を塞ぐ手に力を込めると、地面を鞭打つような雷鳴に隠れるようにして、
「好きだよ」
小さく囁いた。
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