「んなもん、誰に習った」
「ん？　こいつの親父さん」

伊理穂を指差して言うと、流川が理解に苦しむという表情で激しく眉根を寄せた。
そんな流川に苦笑を零して、洋平は言う。

「ま、ケガ人のお前には伊理穂は頼めねぇわな。お前も安静にしてろ。ケガ自体は浅くても、その出血はやべえだろ？　頭はただでさえ血が出やすいからな。というわけでアヤコサン、こいつ頼んます」
「え、ええ。わかったわ」

洋平は彩子に伊理穂を預けると、早くしろよーと騒がしい桜木軍団たちの下へ歩を進めた。
不良グループと対峙して、不敵に微笑む。

「さて。ぐずぐずしてらんねぇし、早いとこ終わらせるか」


＊　　　＊　　　＊


それは、ある日突然やってきた。
洋平の家で、千鶴から預かった洋平のご飯を温めていた伊理穂は、玄関から響いてきた轟音に、驚いてその身を竦ませた。
慌てて玄関へ駆け寄ると、そこには制服姿でボロボロに傷ついた洋平の姿があった。
荒い息で苦しそうに眉を寄せる洋平に、伊理穂は悲鳴をあげてその体に近寄った。

『洋平っ！』
『っるせえ！　オレにさわんな！』

触れようと伸ばした手を、乱暴に振り払われる。
伊理穂は驚いて、今しがた振り払われた自分の手と、洋平とを交互に見つめた。
胸が小さく波立つ。
洋平に、こんな風にされたのは初めてだった。

『よう……へい？』
『うるせえ……。オレの名前を気安く呼ぶんじゃねえよ』
『洋平？　ねえ、ちょっとどうしたの、洋平？』

冷たい声音に、伊理穂の心が泣きそうに震える。
洋平はいったいどうしてしまったんだろう。
今日の朝までは、たしかに普通だったのに。
いつもみたいに優しく、しょうがねえな伊理穂はって笑ってくれていたのに。
それが、どうしていきなりこんな。
混乱した頭で伊理穂は必死に思考をめぐらせる。だけど、思い当たることはなにひとつなくて、伊理穂はもう一度目の前の洋平に手を伸ばした。

『洋平……？』
『さわんなって……言ってるだろ！』
『きゃあっ』

伊理穂の手を振り払おうとした洋平の手が、大きくそれて伊理穂の頬に当たった。
ばしんと大きく鳴った乾いた音に、洋平がぎくりと目を瞠る。
だけどそれも一瞬のことで、洋平はククッと小さく笑い声をあげた。
どこか傷ついたような瞳で伊理穂をじっと見つめ、苦しみに歪んだ笑みを浮かべて、洋平が口を開く。

『お前、ウゼェんだよ。オレの気持ちもしらねぇで、毎日毎日、へらへらへらへら平和な顔で笑いやがって……！』
『洋平……！』

洋平のその言葉に、なによりもその傷ついた表情に、伊理穂の心が切り刻まれたようになる。

『親父が死んで、お袋も全然家にいなくなって、なのにいつもいつも……おまえんちの平和な家族ごっこに付き合わされるオレの身にもなってみろ！　オレの……気持ちなんか……っ！　呑気なお前にわかりもしねえくせに……！』
『！　洋平……！』

伊理穂の瞳から涙が溢れた。
絞り出す様な洋平の言葉に、心臓が潰されて息が吸えなくなる。
全然気付かなかった。
洋平がそんなことを思っていたなんて。