そんなくだらない感情で、夏子にキスをしてしまった。
どんなに罵倒されたって足りないくらいなのに。
なんと言ったらいいかわからなくて苦しげに夏子を見つめていると、夏子が呆れたように瞳を細めて洋平の鼻をつまんだ。

「!!　ちょ、夏子さん!?」

驚く洋平に、夏子が呆れた調子を崩さず言う。

「ちょっと洋平。やめてよなによその憐れみ100％の視線は。あんたに失恋したわたしはかわいそうだけど、別に憐れじゃないわよ」
「憐れなんて思ってねぇよ。ただ……悪いと、思って……」
「あら。じゃあわたしと付き合う？」
「…………」

あっけらかんと返された言葉に、洋平は苦い顔で沈黙した。
夏子は苦笑すると、洋平の眉間に優しくでこぴんをしてくる。

「もー、冗談だってば」

おどけるように言うと、慈しむように瞳を細めて洋平を見つめた。

「……洋平。あんたはほんとうに素直で聞き分けのいい、良い子ね。そんな洋平に、お姉さんがアドバイスしてあげる」

言って夏子は洋平に抱きついた。
洋平は抱きしめ返すでも抵抗するでもなく、ただそんな夏子を受け入れた。
夏子が小さく微笑えんだ気配がして、洋平のからだに回した腕に少し力を込めてくる。

「――洋平」

夏子が穏やかな声音で、一語一語大切そうにゆっくりと話し出す。

「今を、大切に生きなさい。人はよく未来の話ばかりするけれど、未来は今の積み重ねなのよ。ひとつひとつ、一瞬一瞬を積み重ねて、それが明日になって、未来になっていくの。今をないがしろにする人に、明るい未来なんて訪れないわ。今を、大切に。……洋平。未来に後悔を残さないように生きなさい。……わたしがなにを言いたいか、わかるわね？」

真摯に見つめてくる夏子の瞳を、洋平も同じように見返した。
今を大切に。
夏子の言葉が胸に響く。
夏子の言いたいことはわかった。夏子は背中を押してくれている。洋平が、伊理穂のもとへ行けるように。
だけど。

「――努力、するよ」
「……わかってないわね」

答えると、夏子が瞳を細めてじっとりと見てきた。
洋平はそれに苦笑を返して、否定するように小さく首を振る。

「わかってるって。とりあえず明日伊理穂の……あー、元彼に……なんのか？　そいつに話を聞きにいってくる。じゃないと、始まんねぇだろ？」
「伊理穂ちゃんに直接聞けばいいじゃない」
「ジョーダン。それでうっかりあいつのこと傷つけちまったらどうすんだよ」
「あんたもう充分すぎるくらい傷つけてるじゃない。なにをいまさら」
「…………。夏子さんてさ、優しいのかと思いきやたまにえぐってくるよな」
「愛のムチって知ってる？　ビシッバシいくわよ」
「…………」

精一杯の嫌味のつもりだったのに、明るく返されてしまった。
もう何も言う気力がわかなくて、洋平は黙り込む。
と、夏子が眉尻を下げて微かに口角を持ち上げた。

「普通、あんたぐらいの歳の子だったら、一も二もなく伊理穂ちゃんのとこに行くだろうに、あんたのその根回しの良さはどこで身につけたの？　ほんっとうに可哀想な子。……洋平。ゆずれないもの、大切なものを守るときには、多少のわがままや強引さだって必要なんだからね？」
「……ああ。覚えておくよ」
「…………」

夏子は疑うような目でずっと洋平を見つめていたが、やがて諦めたように深くため息をついた。
この話はもう終わりと言うように手をひらひら振ると、洋平の背後に回る。