【親編】進路と将来設計
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「秀ちゃんのばかっ! だいっ嫌い!」
「なに?」
千鶴は叫ぶと、きつく眉根を寄せた秀一に向けて筆箱を思いっきり投げつけた。
月瀬秀一。切れ長の一重の瞳に、すっと通った鼻筋。冷たい印象を与える眉目秀麗なその顔。
秀一はその綺麗な顔を不機嫌にゆがめると、千鶴のその至近距離の攻撃をやすやすと顔の前で受け止めた。
絶対にヒットしたと思った千鶴は、悔しそうに唇を噛み締める。
「うう……!」
千鶴は喉の奥から呻き声をあげると、秀一にべっと思い切り舌を突き出して、くるりと踵を返してその場を駆け出した。
「弥生ちゃぁ~ん!」
隣りの隣りのクラスに駆け込むと、窓際の自分の席で行儀悪く肩膝を立てながら席に座って、征樹と談笑していた弥生に抱きついた。
東島弥生。肩までの金髪の髪に、長い睫毛に縁取られた、眼光鋭い二重の目。口角の上がった薄い唇。その制服のスカートは足首まであり、態度も口調も粗野で乱暴な面が目立つ、いわゆるヤンキー娘と形容するのがふさわしい、中性的な印象のスレンダー美人。
そしてその彼氏の水戸征樹。無造作にまとめられた短い黒髪に、きりりと上がった眉。どこか小動物を思わせるような優しい瞳に、笑ったときにやんちゃな八重歯が覗く口。整った人懐こい顔立ちをしていて、一見爽やかで元気な印象を与えるが、まとう雰囲気には一切の隙がない。
そんな彼らは千鶴の親友だった。
ちなみに、千鶴は緩やかに波打つ栗毛の髪に、それと同じ色をした瞳を持つ、純真無垢で清らかな美少女だった。
そんな一見弥生たちとは対極の千鶴がなぜ彼女たちと仲が良いのかというと……。
「なに、千鶴。どうしたの? 秀一にいじめられたの?」
千鶴の彼氏・月瀬秀一に、千鶴が見初められたのがきっかけだった。
なんと、秀一と征樹と弥生の三人は、この近辺で最強と名高い暴走族『死神』の、初代総長と特攻隊長と参謀だった。
ちなみに、暴走族を旗上げした初代総長が、千鶴の彼氏の月瀬秀一。
特攻隊長兼No.2が水戸征樹。
参謀兼No.3が東島弥生だった。
現在高校三年生の三人は、勉強に専念するという、暴走族としては信じられないような理由で既にこの春、族を引退していた。
弥生が優しく千鶴の髪を撫でながら聞いてくる。
千鶴はそれに小さく頬を膨らませて答えた。
「いじめなんかよりもっとひどいよ! 秀ちゃんってわたしのことなんだと思ってるんだろ!」
「そりゃあ、目に入れても痛くないかわいい彼女、だろ?」
にかっと眩しいような笑顔で、征樹が口を挟んだ。
その顔を弥生が丸めた教科書で思い切り叩く。
「うるさいよ、征樹。女の問題にアンタが口出すんじゃないよ!」
「いてぇな、弥生! オレのが秀一との付き合いなげぇんだぞ!? オレだって千鶴の力になれるかもしんねぇだろーが!」
「あのね。いいこと教えてやるけど、アンタのその短絡な思考回路でどんなに秀一と長く一緒にいようと、アイツが何考えてるのか一生わかりっこないんだよ!」
「うーわー、ひでえ弥生! それが愛する彼氏に言うことか!?」
「愛してたらお世辞言わなきゃいけないんなら、わたしは今すぐアンタと別れるね」
「ギャー悪かった! 弥生ごめん! オレ、いいわバカで! だから別れるとか言わないでくれ!」
「フン。当然だね」
弥生は荒々しく鼻から息を吐き出すと、征樹の頭を掴んで前の席に乱暴に座らせた。
そうして気を取り直したように咳払いをして、千鶴に言う。
「で? 秀一に何言われたの?」
千鶴はうう、と拗ねたように唇を尖らせた。
「……弥生ちゃんのクラスって、もう進路希望の紙もらった?」
「ああ、そういやそんなのもらったなあ……。今日の帰りまでに提出しろって言ってたね、そういえば」
言いながら弥生はごそごそと机をまさぐって、配られた紙を引っ張り出した。
千鶴はその紙に目を落とす。
おそらく弥生はめんどくさいと思って適当に机に突っ込んだんだろう、今朝もらったばかりとは思えないくらい紙がくしゃくしゃになっていた。
案の定、この紙の存在を思い出した弥生がチッと舌打ちをして、めんどくさいと吐き捨てる。
「それで、この紙がどうしたって?」
「今ね、クラスで秀ちゃんと進路について話してたの。秀ちゃんは、なんだか一流企業にとりあえず勤めたいみたいで、だから一流大学を目指すんだって」
「あー。秀一なー。アイツあったま良いから多分今からでも有名一流大学余裕だよな。オレなんて二流大学に滑り込めるかどうかってとこなのに」
青春時代をさんざんバイクとケンカに注ぎ込んで、それでいてなお二流大学に手が届きそうならば充分征樹も頭が良いと思ったが、千鶴はそこには触れないでおく。
それを言えば話が横道に逸れるのが目に見えていたからだ。
千鶴は征樹の言葉にうんとだけ頷いて、話を続ける。
「でね、わたしはどうしようかなって悩んでたの。大学はね、もちろん秀ちゃんと同じところを目指すつもりなんだけど、でも希望大学だけじゃなくて希望学部とか希望学科とかも書いて提出しなくちゃいけないじゃない? 将来何になりたいかなんてわたしぜんぜん考えたこともないし、どうしようって頭を悩ませてたら秀ちゃんが……」
思い出して千鶴の喉が詰まった。
じんわりと目に涙が浮かぶ。
千鶴はグッと机を強く掴むと、涙が流れるのを堪えるように唇を噛み締めて言った。
「千鶴は何も考えなくていいって。今一番興味の引かれる適当な学部と学科を書いておけって言うのよ! それじゃあ将来路頭に迷うかもしれないじゃないって言ったら、なんだお前働くつもりなのか? って、そりゃあもう秀ちゃんにしては珍しく驚いた顔で聞いてくるのよひどいでしょう!?」
「…………」
「…………」
千鶴の言葉に、弥生と征樹が顔を見合わせた。
それには気づかずに、千鶴はどんどんヒートアップしていく。
「秀ちゃんはわたしが将来プー太郎にでもなると思ってたのかな、それって彼女に対してあんまりじゃない!? なんかもう悔しくって泣けてきちゃって!」
「……それで、どうしたの?」
「秀ちゃんのばかっ! だいっ嫌いって筆箱投げつけて来てやった!」
ふんと千鶴は鼻から息を吐き出した。
残念ながら筆箱は受け止められちゃったけどね、と言うと、弥生と征樹の二人が呆れたように瞳を細めて千鶴を見てきていた。
千鶴がその視線に、訝しげに眉を寄せる。
「なに? 弥生ちゃんも征樹くんも、なんでそんな顔してるの?」
「いや、だって……なあ、弥生」
「うん。秀一のそれってたぶん……」
「ストップ。その先は言わなくていい」
弥生が何かを言いかけたところで、ふいに落ち着いた低い声が割り込んだ。
その耳なじみのありすぎる声音に千鶴はハッと後ろを振り返る。
「し、秀ちゃん」
秀一は千鶴を一瞥すると、すぐに視線を弥生と征樹に戻した。
無表情の瞳の奥に優しい光をともして、二人に言う。
「悪いな二人とも。千鶴が迷惑かけた」
「いーえー。わたしはかわいい千鶴に頼られて嬉しかったからいいわよ、別に。なんかあれだね。大変だね、秀一」
「な」
征樹はうんうんと弥生の言葉に頷くと、千鶴の瞳を覗きこむようにして真剣に言う。
「千鶴。お前、もう少し感覚磨かないとだめだぞ。いつか秀一が泣いちまう」
「「お前が言うな」」
と、征樹は秀一と弥生に同時に脳天チョップを受けた。
ぐおおおと頭をおさえて、征樹が二人を睨みつける。
「いってぇな! 何すんだよ二人とも!」
「あのね。前科もちのあんたが何言ってんだよ本当に」
「まったくだな。お前、まさか俺から千鶴を奪おうとしたあのときのこと、忘れたわけじゃないだろうな?」
秀一が冷たく言うと、征樹がぶるっと身を震わせた。
あのときとは、約一年半くらい前のことだ。
征樹は、弥生が秀一を好きだと勘違いして、当時秀一と付き合っていた千鶴を別れさせて、弥生と付き合わせようと画策したことがある。
そのときも二人に、いや、特に秀一にかなりぼこぼこにされた。
それからしばらく秀一にかなりの嫌がらせを受け続けたが、どうやらこの様子だと秀一は今もそのことを根に持っているようだった。
まだ満足していなかったかと征樹は内心で密かにぞっとする。
「いや、忘れてません。そんなまさか滅相もない」
「そうか。それは安心した」
慌てて征樹が言い募ると、ちっともそう思ってないようにさらりと秀一が言った。
千鶴はそんな征樹を庇うように秀一の正面に立つ。
「秀ちゃん、あんまり征樹くんをいじめないでよね!」
「なんだ、千鶴。征樹のほうがいいのか?」
「そういうことじゃないけど! でも、意地悪な秀ちゃんより、優しい征樹くんのほうがよっぽどいいかもね!」
そう言ってべっと千鶴が舌を出すと、秀一の瞳が剣呑に光った。
「ほう」
その氷のような声色に、弥生と征樹が同時にからだを硬直させる。
つんつんと焦ったように千鶴のからだをつついて、囁くように語りかけてきた。
「ちょ、ちょっと千鶴! あの秀一の反応はやばいって! 謝りなさいよ!」
「大丈夫だ千鶴! 今ならまだ間に合うから!」
「いーや! 絶対に謝らない! なによ、秀ちゃんなんてだいっ嫌いなんだか……らっ! わあっ!」
言い終わらないうちに、ふいに千鶴は秀一に手首をつかまれた。
そのまま秀一は千鶴を振り返りもせずに、ずんずんと足早に歩いていく。
自然、強い力で腕をつかまれたままの千鶴もついていくしか出来ず、もつれるようにして秀一の後に続いた。
「ちょ、秀ちゃん! 腕、痛いよ! 離して!」
「…………」
だけど秀一は答えない。
「秀ちゃん!」
呼んでも振り返りもしなかった。
千鶴の胸にざわざわと波風が立つ。
と、ふいに昼休みの終了五分前を告げる予鈴が鳴り響いた。
天の助けと千鶴はその音に顔をあげる。
「あ、ほら、秀ちゃん。予鈴だよ! 教室に戻らないと」
「関係ない」
「――え」
短く返された秀一の言葉に、千鶴は表情を止めた。
秀一は足を止めることなく、教室へ帰る生徒たちから逆流するように廊下を歩いていく。
「し、秀ちゃん。どこ行くの?」
「…………」
「秀ちゃん!」
胸に焦ったような恐怖が芽生えて名前を呼ぶと、突然秀一が足を止めた。
この春吹奏楽部と合併されて廃部になった軽音部の部室の前だった。
ホッと息をついたのもつかの間、千鶴はそのまま乱暴に部室の中に押し込まれる。
「わっ!」
なだれるように部室に転がり込むと、秀一もそのまま部室に入ってきた。
後ろ手でドアを閉めると、そのまま誰も入ってこれないように鍵を閉める。
かちゃりと閉じられた音が、千鶴の耳にやけに大きく響いた。
「し、秀ちゃん……?」
感情の読めない顔でじっと千鶴を見下ろしてくる秀一の名前を、千鶴はおそるおそる呼んだ。
緊張でからだが強張る。
こんな秀一はじめてだった。
こわい。
「誰が……誰を嫌いだって?」
秀一が冷たく質問してきた。
その声に思わず千鶴は謝ってしまいそうになったけれど、ぎゅっと歯をくいしばってそれを堪える。
負けじと震える足に力を入れて、秀一をにらみつけた。
「わたしが、秀ちゃんを嫌いなの」
「…………」
秀一の瞳が、きつく細められる。
「千鶴。もう一回言ってみろ」
「だから、わたしが秀ちゃんを……んっ」
繰り返そうと口を開けたところで、噛み付くように秀一が口づけてきた。
抵抗しようと試みても、頭をしっかり押さえられてどうすることもできない。
「ん……っ……やっ……だ、しゅ……ちゃんっ……ふっ!」
呼吸のために僅かに唇を離される隙を狙って抗議の声を出しても、秀一は行為をやめることがなかった。
荒々しい秀一のキスに、千鶴の瞳から涙が零れる。
それに気づいて、秀一がようやく千鶴から唇を離した。
千鶴は上気した息を整えながら、キッと目の前の秀一を睨みつける。
「ひどい、秀ちゃん! こんな……強引に……っ!」
「お前のほうがひどいだろう?」
微かな痛みを含んだ秀一の声音に、千鶴がハッと息を呑んだ。
気をつけて見なければわからない。けれど確かに、秀一の瞳が苦しげに揺れていた。
「秀……ちゃん?」
千鶴はそろそろと秀一の頬に手を伸ばす。
秀一はその手を掴むと、もう一度千鶴に問いかけた。
「千鶴。もう一回言えるか? 誰が、誰を嫌いなのか」
「…………」
「千鶴」
秀一の苦しそうな瞳に、千鶴は小さく首を横に振った。
「わたしが」
「ああ」
「秀ちゃんを」
「……ああ」
「好き」
「…………」
秀一がふうと肺の底から大きく息を吐き出した。
そうしてそのまま千鶴のからだを力強く抱き寄せる。
「正解だ」
耳元で、秀一がホッとしたように囁いた。
千鶴がそれに驚いて、小さくくすくすと笑みを零す。
もうすっかり涙は引っ込んでいた。
「なあに、秀ちゃん。めずらしい、そんな声出して」
「あのな、千鶴。弾みで出た言葉だとはわかっていても、お前にそう何度もそんなことを言われればいくら俺でも傷つく」
「! そうなの?」
その言葉があまりに意外で秀一の瞳を覗きこんで言えば、秀一が呆れたように瞳を細めて言った。
「当たり前だ。よく覚えておけ」
「ふふ、わかった。でも、元はといえば秀ちゃんがいけないんでしょ? わたしがまるで働く気のないプー太郎みたいな言い方するから!」
思い出してムキーと小さく憤慨すると、秀一が大きく嘆息した。
そして、やれやれというような声音で言ってくる。
「そうだな、俺が悪かった」
「ほら、やっぱり!」
言い方は気になったけれど、素直に認めた秀一に千鶴は得意げに胸をそらせた。
謝れ~! と言うと、秀一が微かに口元をほころばせる。
「お前の鈍感さを、俺ははかり間違えていたな」
「む。それってどういう意味?」
「つまり、あれはお前が働く気がないと思って言ったわけじゃなくて、お前の将来の面倒は俺が見るから、別に働かなくてもいいって意味だ。そのために俺は一流大学と一流企業を目指すんだからな。お前ひとりくらい、俺が本気になればいくらでも養ってやれる。ああ、あと子供もな」
「――! 秀ちゃん。それって……!」
プロポーズ? と小さく聞けば、秀一がいまさら何言ってるんだというように眉間に皺を刻んだ。
「プロポーズも何も、俺は最初からお前と結婚するつもりで付き合ったんだが。なんだ、千鶴は違うのか?」
まあ、違っても逃がさないけどな。秀一は意地悪く口角を持ち上げてそう言うと、千鶴の耳元にそっと唇を寄せた。
「俺に見初められたのが運のツキだ。残念だったな」
「!」
残念どころかすごく幸せだと言おうとして、千鶴はそれを止めた。
真っ赤になった千鶴の頬を秀一が嬉しそうに撫でてきていて、どうせ言わなくても伝わっていると気づいたからだ。
結局秀一にはいつだって敵わない。
千鶴は拗ねたように思うと、目の前の秀一の胸に体重を預けた。
「秀ちゃん、好き」
「ああ、知ってる」
この先の幸せな未来を想像して、千鶴は瞳を閉じた。
「なに?」
千鶴は叫ぶと、きつく眉根を寄せた秀一に向けて筆箱を思いっきり投げつけた。
月瀬秀一。切れ長の一重の瞳に、すっと通った鼻筋。冷たい印象を与える眉目秀麗なその顔。
秀一はその綺麗な顔を不機嫌にゆがめると、千鶴のその至近距離の攻撃をやすやすと顔の前で受け止めた。
絶対にヒットしたと思った千鶴は、悔しそうに唇を噛み締める。
「うう……!」
千鶴は喉の奥から呻き声をあげると、秀一にべっと思い切り舌を突き出して、くるりと踵を返してその場を駆け出した。
「弥生ちゃぁ~ん!」
隣りの隣りのクラスに駆け込むと、窓際の自分の席で行儀悪く肩膝を立てながら席に座って、征樹と談笑していた弥生に抱きついた。
東島弥生。肩までの金髪の髪に、長い睫毛に縁取られた、眼光鋭い二重の目。口角の上がった薄い唇。その制服のスカートは足首まであり、態度も口調も粗野で乱暴な面が目立つ、いわゆるヤンキー娘と形容するのがふさわしい、中性的な印象のスレンダー美人。
そしてその彼氏の水戸征樹。無造作にまとめられた短い黒髪に、きりりと上がった眉。どこか小動物を思わせるような優しい瞳に、笑ったときにやんちゃな八重歯が覗く口。整った人懐こい顔立ちをしていて、一見爽やかで元気な印象を与えるが、まとう雰囲気には一切の隙がない。
そんな彼らは千鶴の親友だった。
ちなみに、千鶴は緩やかに波打つ栗毛の髪に、それと同じ色をした瞳を持つ、純真無垢で清らかな美少女だった。
そんな一見弥生たちとは対極の千鶴がなぜ彼女たちと仲が良いのかというと……。
「なに、千鶴。どうしたの? 秀一にいじめられたの?」
千鶴の彼氏・月瀬秀一に、千鶴が見初められたのがきっかけだった。
なんと、秀一と征樹と弥生の三人は、この近辺で最強と名高い暴走族『死神』の、初代総長と特攻隊長と参謀だった。
ちなみに、暴走族を旗上げした初代総長が、千鶴の彼氏の月瀬秀一。
特攻隊長兼No.2が水戸征樹。
参謀兼No.3が東島弥生だった。
現在高校三年生の三人は、勉強に専念するという、暴走族としては信じられないような理由で既にこの春、族を引退していた。
弥生が優しく千鶴の髪を撫でながら聞いてくる。
千鶴はそれに小さく頬を膨らませて答えた。
「いじめなんかよりもっとひどいよ! 秀ちゃんってわたしのことなんだと思ってるんだろ!」
「そりゃあ、目に入れても痛くないかわいい彼女、だろ?」
にかっと眩しいような笑顔で、征樹が口を挟んだ。
その顔を弥生が丸めた教科書で思い切り叩く。
「うるさいよ、征樹。女の問題にアンタが口出すんじゃないよ!」
「いてぇな、弥生! オレのが秀一との付き合いなげぇんだぞ!? オレだって千鶴の力になれるかもしんねぇだろーが!」
「あのね。いいこと教えてやるけど、アンタのその短絡な思考回路でどんなに秀一と長く一緒にいようと、アイツが何考えてるのか一生わかりっこないんだよ!」
「うーわー、ひでえ弥生! それが愛する彼氏に言うことか!?」
「愛してたらお世辞言わなきゃいけないんなら、わたしは今すぐアンタと別れるね」
「ギャー悪かった! 弥生ごめん! オレ、いいわバカで! だから別れるとか言わないでくれ!」
「フン。当然だね」
弥生は荒々しく鼻から息を吐き出すと、征樹の頭を掴んで前の席に乱暴に座らせた。
そうして気を取り直したように咳払いをして、千鶴に言う。
「で? 秀一に何言われたの?」
千鶴はうう、と拗ねたように唇を尖らせた。
「……弥生ちゃんのクラスって、もう進路希望の紙もらった?」
「ああ、そういやそんなのもらったなあ……。今日の帰りまでに提出しろって言ってたね、そういえば」
言いながら弥生はごそごそと机をまさぐって、配られた紙を引っ張り出した。
千鶴はその紙に目を落とす。
おそらく弥生はめんどくさいと思って適当に机に突っ込んだんだろう、今朝もらったばかりとは思えないくらい紙がくしゃくしゃになっていた。
案の定、この紙の存在を思い出した弥生がチッと舌打ちをして、めんどくさいと吐き捨てる。
「それで、この紙がどうしたって?」
「今ね、クラスで秀ちゃんと進路について話してたの。秀ちゃんは、なんだか一流企業にとりあえず勤めたいみたいで、だから一流大学を目指すんだって」
「あー。秀一なー。アイツあったま良いから多分今からでも有名一流大学余裕だよな。オレなんて二流大学に滑り込めるかどうかってとこなのに」
青春時代をさんざんバイクとケンカに注ぎ込んで、それでいてなお二流大学に手が届きそうならば充分征樹も頭が良いと思ったが、千鶴はそこには触れないでおく。
それを言えば話が横道に逸れるのが目に見えていたからだ。
千鶴は征樹の言葉にうんとだけ頷いて、話を続ける。
「でね、わたしはどうしようかなって悩んでたの。大学はね、もちろん秀ちゃんと同じところを目指すつもりなんだけど、でも希望大学だけじゃなくて希望学部とか希望学科とかも書いて提出しなくちゃいけないじゃない? 将来何になりたいかなんてわたしぜんぜん考えたこともないし、どうしようって頭を悩ませてたら秀ちゃんが……」
思い出して千鶴の喉が詰まった。
じんわりと目に涙が浮かぶ。
千鶴はグッと机を強く掴むと、涙が流れるのを堪えるように唇を噛み締めて言った。
「千鶴は何も考えなくていいって。今一番興味の引かれる適当な学部と学科を書いておけって言うのよ! それじゃあ将来路頭に迷うかもしれないじゃないって言ったら、なんだお前働くつもりなのか? って、そりゃあもう秀ちゃんにしては珍しく驚いた顔で聞いてくるのよひどいでしょう!?」
「…………」
「…………」
千鶴の言葉に、弥生と征樹が顔を見合わせた。
それには気づかずに、千鶴はどんどんヒートアップしていく。
「秀ちゃんはわたしが将来プー太郎にでもなると思ってたのかな、それって彼女に対してあんまりじゃない!? なんかもう悔しくって泣けてきちゃって!」
「……それで、どうしたの?」
「秀ちゃんのばかっ! だいっ嫌いって筆箱投げつけて来てやった!」
ふんと千鶴は鼻から息を吐き出した。
残念ながら筆箱は受け止められちゃったけどね、と言うと、弥生と征樹の二人が呆れたように瞳を細めて千鶴を見てきていた。
千鶴がその視線に、訝しげに眉を寄せる。
「なに? 弥生ちゃんも征樹くんも、なんでそんな顔してるの?」
「いや、だって……なあ、弥生」
「うん。秀一のそれってたぶん……」
「ストップ。その先は言わなくていい」
弥生が何かを言いかけたところで、ふいに落ち着いた低い声が割り込んだ。
その耳なじみのありすぎる声音に千鶴はハッと後ろを振り返る。
「し、秀ちゃん」
秀一は千鶴を一瞥すると、すぐに視線を弥生と征樹に戻した。
無表情の瞳の奥に優しい光をともして、二人に言う。
「悪いな二人とも。千鶴が迷惑かけた」
「いーえー。わたしはかわいい千鶴に頼られて嬉しかったからいいわよ、別に。なんかあれだね。大変だね、秀一」
「な」
征樹はうんうんと弥生の言葉に頷くと、千鶴の瞳を覗きこむようにして真剣に言う。
「千鶴。お前、もう少し感覚磨かないとだめだぞ。いつか秀一が泣いちまう」
「「お前が言うな」」
と、征樹は秀一と弥生に同時に脳天チョップを受けた。
ぐおおおと頭をおさえて、征樹が二人を睨みつける。
「いってぇな! 何すんだよ二人とも!」
「あのね。前科もちのあんたが何言ってんだよ本当に」
「まったくだな。お前、まさか俺から千鶴を奪おうとしたあのときのこと、忘れたわけじゃないだろうな?」
秀一が冷たく言うと、征樹がぶるっと身を震わせた。
あのときとは、約一年半くらい前のことだ。
征樹は、弥生が秀一を好きだと勘違いして、当時秀一と付き合っていた千鶴を別れさせて、弥生と付き合わせようと画策したことがある。
そのときも二人に、いや、特に秀一にかなりぼこぼこにされた。
それからしばらく秀一にかなりの嫌がらせを受け続けたが、どうやらこの様子だと秀一は今もそのことを根に持っているようだった。
まだ満足していなかったかと征樹は内心で密かにぞっとする。
「いや、忘れてません。そんなまさか滅相もない」
「そうか。それは安心した」
慌てて征樹が言い募ると、ちっともそう思ってないようにさらりと秀一が言った。
千鶴はそんな征樹を庇うように秀一の正面に立つ。
「秀ちゃん、あんまり征樹くんをいじめないでよね!」
「なんだ、千鶴。征樹のほうがいいのか?」
「そういうことじゃないけど! でも、意地悪な秀ちゃんより、優しい征樹くんのほうがよっぽどいいかもね!」
そう言ってべっと千鶴が舌を出すと、秀一の瞳が剣呑に光った。
「ほう」
その氷のような声色に、弥生と征樹が同時にからだを硬直させる。
つんつんと焦ったように千鶴のからだをつついて、囁くように語りかけてきた。
「ちょ、ちょっと千鶴! あの秀一の反応はやばいって! 謝りなさいよ!」
「大丈夫だ千鶴! 今ならまだ間に合うから!」
「いーや! 絶対に謝らない! なによ、秀ちゃんなんてだいっ嫌いなんだか……らっ! わあっ!」
言い終わらないうちに、ふいに千鶴は秀一に手首をつかまれた。
そのまま秀一は千鶴を振り返りもせずに、ずんずんと足早に歩いていく。
自然、強い力で腕をつかまれたままの千鶴もついていくしか出来ず、もつれるようにして秀一の後に続いた。
「ちょ、秀ちゃん! 腕、痛いよ! 離して!」
「…………」
だけど秀一は答えない。
「秀ちゃん!」
呼んでも振り返りもしなかった。
千鶴の胸にざわざわと波風が立つ。
と、ふいに昼休みの終了五分前を告げる予鈴が鳴り響いた。
天の助けと千鶴はその音に顔をあげる。
「あ、ほら、秀ちゃん。予鈴だよ! 教室に戻らないと」
「関係ない」
「――え」
短く返された秀一の言葉に、千鶴は表情を止めた。
秀一は足を止めることなく、教室へ帰る生徒たちから逆流するように廊下を歩いていく。
「し、秀ちゃん。どこ行くの?」
「…………」
「秀ちゃん!」
胸に焦ったような恐怖が芽生えて名前を呼ぶと、突然秀一が足を止めた。
この春吹奏楽部と合併されて廃部になった軽音部の部室の前だった。
ホッと息をついたのもつかの間、千鶴はそのまま乱暴に部室の中に押し込まれる。
「わっ!」
なだれるように部室に転がり込むと、秀一もそのまま部室に入ってきた。
後ろ手でドアを閉めると、そのまま誰も入ってこれないように鍵を閉める。
かちゃりと閉じられた音が、千鶴の耳にやけに大きく響いた。
「し、秀ちゃん……?」
感情の読めない顔でじっと千鶴を見下ろしてくる秀一の名前を、千鶴はおそるおそる呼んだ。
緊張でからだが強張る。
こんな秀一はじめてだった。
こわい。
「誰が……誰を嫌いだって?」
秀一が冷たく質問してきた。
その声に思わず千鶴は謝ってしまいそうになったけれど、ぎゅっと歯をくいしばってそれを堪える。
負けじと震える足に力を入れて、秀一をにらみつけた。
「わたしが、秀ちゃんを嫌いなの」
「…………」
秀一の瞳が、きつく細められる。
「千鶴。もう一回言ってみろ」
「だから、わたしが秀ちゃんを……んっ」
繰り返そうと口を開けたところで、噛み付くように秀一が口づけてきた。
抵抗しようと試みても、頭をしっかり押さえられてどうすることもできない。
「ん……っ……やっ……だ、しゅ……ちゃんっ……ふっ!」
呼吸のために僅かに唇を離される隙を狙って抗議の声を出しても、秀一は行為をやめることがなかった。
荒々しい秀一のキスに、千鶴の瞳から涙が零れる。
それに気づいて、秀一がようやく千鶴から唇を離した。
千鶴は上気した息を整えながら、キッと目の前の秀一を睨みつける。
「ひどい、秀ちゃん! こんな……強引に……っ!」
「お前のほうがひどいだろう?」
微かな痛みを含んだ秀一の声音に、千鶴がハッと息を呑んだ。
気をつけて見なければわからない。けれど確かに、秀一の瞳が苦しげに揺れていた。
「秀……ちゃん?」
千鶴はそろそろと秀一の頬に手を伸ばす。
秀一はその手を掴むと、もう一度千鶴に問いかけた。
「千鶴。もう一回言えるか? 誰が、誰を嫌いなのか」
「…………」
「千鶴」
秀一の苦しそうな瞳に、千鶴は小さく首を横に振った。
「わたしが」
「ああ」
「秀ちゃんを」
「……ああ」
「好き」
「…………」
秀一がふうと肺の底から大きく息を吐き出した。
そうしてそのまま千鶴のからだを力強く抱き寄せる。
「正解だ」
耳元で、秀一がホッとしたように囁いた。
千鶴がそれに驚いて、小さくくすくすと笑みを零す。
もうすっかり涙は引っ込んでいた。
「なあに、秀ちゃん。めずらしい、そんな声出して」
「あのな、千鶴。弾みで出た言葉だとはわかっていても、お前にそう何度もそんなことを言われればいくら俺でも傷つく」
「! そうなの?」
その言葉があまりに意外で秀一の瞳を覗きこんで言えば、秀一が呆れたように瞳を細めて言った。
「当たり前だ。よく覚えておけ」
「ふふ、わかった。でも、元はといえば秀ちゃんがいけないんでしょ? わたしがまるで働く気のないプー太郎みたいな言い方するから!」
思い出してムキーと小さく憤慨すると、秀一が大きく嘆息した。
そして、やれやれというような声音で言ってくる。
「そうだな、俺が悪かった」
「ほら、やっぱり!」
言い方は気になったけれど、素直に認めた秀一に千鶴は得意げに胸をそらせた。
謝れ~! と言うと、秀一が微かに口元をほころばせる。
「お前の鈍感さを、俺ははかり間違えていたな」
「む。それってどういう意味?」
「つまり、あれはお前が働く気がないと思って言ったわけじゃなくて、お前の将来の面倒は俺が見るから、別に働かなくてもいいって意味だ。そのために俺は一流大学と一流企業を目指すんだからな。お前ひとりくらい、俺が本気になればいくらでも養ってやれる。ああ、あと子供もな」
「――! 秀ちゃん。それって……!」
プロポーズ? と小さく聞けば、秀一がいまさら何言ってるんだというように眉間に皺を刻んだ。
「プロポーズも何も、俺は最初からお前と結婚するつもりで付き合ったんだが。なんだ、千鶴は違うのか?」
まあ、違っても逃がさないけどな。秀一は意地悪く口角を持ち上げてそう言うと、千鶴の耳元にそっと唇を寄せた。
「俺に見初められたのが運のツキだ。残念だったな」
「!」
残念どころかすごく幸せだと言おうとして、千鶴はそれを止めた。
真っ赤になった千鶴の頬を秀一が嬉しそうに撫でてきていて、どうせ言わなくても伝わっていると気づいたからだ。
結局秀一にはいつだって敵わない。
千鶴は拗ねたように思うと、目の前の秀一の胸に体重を預けた。
「秀ちゃん、好き」
「ああ、知ってる」
この先の幸せな未来を想像して、千鶴は瞳を閉じた。