零の復活
とにかく十番隊隊舎の位置が知りたい。
そう思った私はろくに確認もせず資料室を飛び出し、嫌われ主人公らしく突然因縁をつけられた。
相手は平隊士の男が三人。やれどの面下げてここへ来ただのやれ仕事しろだのと言うが、私の仕事は夢主だ。現在進行形で仕事中だ。あと真の姿が社畜なので仕事しろと言われると腹が立つ。
しかし、嫌われ主人公がそんなことを言えるはずもなく。私は思い出の中の主人公になりきって礼儀正しく頭を下げた。こういうときは事を荒立てないよう立ち振る舞っておけば、味方側の人間が現れるのがお約束。三割ほどの確率で味方面した敵が来ることもあるが、そのときは私のエクスカリバーで黙らせればいい。
「おい! なんとか言ったらどうなんだよ!」
「姫華がどれだけ傷ついたと思ってんだ!」
「それをお前は……!」
「はーいそこまで。揉め事はこんな人の往来のあるところでするもんじゃないよ」
「京楽隊長!?」
振り上げられた腕を掴んでの登場という、完璧なまでの形式美に目が眩む。
現れたのは髭面した味方、京楽春水隊長だ。二メートル近い身長はテニスやバスケに励む中高生を彷彿とさせるが、ラテン臭漂う顔面が私の意識を現実へと引き戻す。目線の高さに溢れる胸毛が濃い。
まだ何か言いたげな男たちも、自隊の隊長に諌められれば従うしかなかった。それと悪女(仮)の名前を教えてくれてありがとう。最後にひと睨みして去っていったが、お前たちは立派な旗だった。私は感謝する。
「さて、賀田くんは先の一件から僕の下にあるわけだけど」
「ご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」
「……まあ、ここじゃあなんだし。詳しい話は部屋で聞こうか」
隊長の言葉に逆らえないのは私も同じ。仕方なく頷き、京楽隊長の後に続く。
彼は私を賀田と呼んだ。それはかつてのハンドルネーム“賀田ガ太”。名前変換記入欄は男装時の名字と名前。タグは##NAME_3##と##NAME_4##辺りが妥当だろうか。いずれにせよ懐かしい##NAME_2#だ。誤変換は形式美。
などと考えていた私は、現状をしっかりと把握できていなかった。
京楽春水率いる八番隊。この言葉が持つ意味の大きさを、この人物が持つ(古の夢小説における)役割の重さを、私はすっかり忘れていた。
あの恐ろしい名前を聞くまでは。
二人で向かった先、京楽隊長の執務室には七緒ちゃんこと伊勢七緒副隊長がいた。
まずは仕事を抜け出していたらしい隊長のことを咎め、続いて入室した私を見て一瞬だけ動きを止める。その様子からして、私に対する印象は良いものではない。予想の範疇だ。ただし心へのダメージは別とする。
伊勢副隊長は念のためにと周囲の人払いを頼まれて退室。座卓に置かれた二人分の茶が湯気を揺らす中、何事か思案していた京楽隊長が湯呑みを取った。
「なんというか、災難続きだね」
君は昔からそうだ。そう結んで、私にも茶を勧める。
昔と言われても、私はここへ飛ばされてまだ一時間ほどしか経っていない。それより前といえば普通に社畜をしていた。うっ、頭痛が痛い。
ひとまずこの“間”を誤魔化したいがため、安易に湯呑みを掴んでしまった私は愚かだった。
「こういう陰事とかあしらうの苦手だったもんねえ。“甘菜ちゃん”は」
その名を聞いた瞬間、手の中の湯呑みが砕け散った。
あれだけ湯気を上げていた茶だ。当然、熱さもそれなりにあるだろうに、今の私は痛みを感じる余裕さえない。
突然のことに京楽隊長が狼狽えている。何が引き金になったのか分からないとでもいいたげな顔だ。
嗚呼、あなたは絶対に踏み抜いてはならない地雷を踏み抜いた。そして私の逆鱗に触れた。それだけのこと。
「その名を、呼ばないでいただきたい」
正直に言おう。油断していた。柄慧さえあれば恐れるものはないと、慢心していた。
京楽春水は八番隊にて“百年以上もの間”隊長を務めた男だというのに。私はそんなことすら忘れていた。それもこれも胸毛のせい。
古の夢小説において、私的見解ではあるが死神には三種類あった。
ひとつ、主人公の敵となる死神。ふたつ、特に出番のない死神。みっつ、主人公の味方となる死神。
三つ目の筆頭株は日番谷冬獅郎だろうか。ただしかなり翻弄されるが。
彼とは別に、しかしほぼ確実に味方となるのが百年以上隊長を務めている……言い換えると“主人公が零番隊であった頃を知っている”人物たちだ。山本元柳斎国重、卯ノ花烈、浮竹十四郎、そして京楽春水その人である。
つまり、目の前のこの男は私の本当の姿が零番隊隊長であることを知っている。更に真の姿は社畜だが頭痛が痛いので今は置いておく。
「な、なんで駄目なんだい? 人払いもしたし、別に本当の名前で呼んでも」
「本当の名前? 冗談じゃない。疾うの昔に捨てた名です。もうそれは私の名前ではありません」
怒りのあまり、握り締めた拳の中で陶器が砂に変わった。さすが最強。これが明日には六人も増えるのだから恐ろしい。
見開かれた京楽隊長の視線が、徐々に下へと下がっていく。口角は緩く持ち上がっているというのに、彼の顔は“哀しい”と言う。
「……そうか。君は、独りでそれほどの覚悟を決めてしまったんだね」
物悲しげに勘違いしてくれるのはありがたいが誰だって最初期のハンドルネームを呼ばれれば手のつけられないゴリラと化す。
フルネームは卯月甘菜(ルビ:うづきかんな)。ああ、そうだとも。初めてサイトを作った時の名だ。殺せ。
当時のことを細部まで覚えているわけではない。手がかりになるものがどこかに残っているわけでもない。それでも、あれは確かに私という人間の始まりで、なかったことにしたいが消してはいけない過去なのだ。
ただし他人が爪を立てるならば容赦はしない。殺す。
「今の僕は賀田ガ太です。卯月……甘菜は、僕が殺しました」
結局、未来に進めば過去は黒歴史ばかりになる。今だっていつかは黒歴史。離れた位置から振り返らなければ見えないこともある。
京楽隊長は何かを言いかけ、しかし一度口をつぐみ、改めて“賀田君”と柔らかく、ひとつ前のハンドルネームを呼んだ。私は一体、どんな顔をすれば良かったのか。答えは分からない。
あらゆる本音を飲み込んで、懐の手拭いを溢れた茶に浸す。
私の真名はつつおみ。もはや本名よりも呼ばれ慣れたその名前を、早く誰かに呼んで欲しい。
そう思った私はろくに確認もせず資料室を飛び出し、嫌われ主人公らしく突然因縁をつけられた。
相手は平隊士の男が三人。やれどの面下げてここへ来ただのやれ仕事しろだのと言うが、私の仕事は夢主だ。現在進行形で仕事中だ。あと真の姿が社畜なので仕事しろと言われると腹が立つ。
しかし、嫌われ主人公がそんなことを言えるはずもなく。私は思い出の中の主人公になりきって礼儀正しく頭を下げた。こういうときは事を荒立てないよう立ち振る舞っておけば、味方側の人間が現れるのがお約束。三割ほどの確率で味方面した敵が来ることもあるが、そのときは私のエクスカリバーで黙らせればいい。
「おい! なんとか言ったらどうなんだよ!」
「姫華がどれだけ傷ついたと思ってんだ!」
「それをお前は……!」
「はーいそこまで。揉め事はこんな人の往来のあるところでするもんじゃないよ」
「京楽隊長!?」
振り上げられた腕を掴んでの登場という、完璧なまでの形式美に目が眩む。
現れたのは髭面した味方、京楽春水隊長だ。二メートル近い身長はテニスやバスケに励む中高生を彷彿とさせるが、ラテン臭漂う顔面が私の意識を現実へと引き戻す。目線の高さに溢れる胸毛が濃い。
まだ何か言いたげな男たちも、自隊の隊長に諌められれば従うしかなかった。それと悪女(仮)の名前を教えてくれてありがとう。最後にひと睨みして去っていったが、お前たちは立派な旗だった。私は感謝する。
「さて、賀田くんは先の一件から僕の下にあるわけだけど」
「ご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」
「……まあ、ここじゃあなんだし。詳しい話は部屋で聞こうか」
隊長の言葉に逆らえないのは私も同じ。仕方なく頷き、京楽隊長の後に続く。
彼は私を賀田と呼んだ。それはかつてのハンドルネーム“賀田ガ太”。名前変換記入欄は男装時の名字と名前。タグは##NAME_3##と##NAME_4##辺りが妥当だろうか。いずれにせよ懐かしい##NAME_2#だ。誤変換は形式美。
などと考えていた私は、現状をしっかりと把握できていなかった。
京楽春水率いる八番隊。この言葉が持つ意味の大きさを、この人物が持つ(古の夢小説における)役割の重さを、私はすっかり忘れていた。
あの恐ろしい名前を聞くまでは。
二人で向かった先、京楽隊長の執務室には七緒ちゃんこと伊勢七緒副隊長がいた。
まずは仕事を抜け出していたらしい隊長のことを咎め、続いて入室した私を見て一瞬だけ動きを止める。その様子からして、私に対する印象は良いものではない。予想の範疇だ。ただし心へのダメージは別とする。
伊勢副隊長は念のためにと周囲の人払いを頼まれて退室。座卓に置かれた二人分の茶が湯気を揺らす中、何事か思案していた京楽隊長が湯呑みを取った。
「なんというか、災難続きだね」
君は昔からそうだ。そう結んで、私にも茶を勧める。
昔と言われても、私はここへ飛ばされてまだ一時間ほどしか経っていない。それより前といえば普通に社畜をしていた。うっ、頭痛が痛い。
ひとまずこの“間”を誤魔化したいがため、安易に湯呑みを掴んでしまった私は愚かだった。
「こういう陰事とかあしらうの苦手だったもんねえ。“甘菜ちゃん”は」
その名を聞いた瞬間、手の中の湯呑みが砕け散った。
あれだけ湯気を上げていた茶だ。当然、熱さもそれなりにあるだろうに、今の私は痛みを感じる余裕さえない。
突然のことに京楽隊長が狼狽えている。何が引き金になったのか分からないとでもいいたげな顔だ。
嗚呼、あなたは絶対に踏み抜いてはならない地雷を踏み抜いた。そして私の逆鱗に触れた。それだけのこと。
「その名を、呼ばないでいただきたい」
正直に言おう。油断していた。柄慧さえあれば恐れるものはないと、慢心していた。
京楽春水は八番隊にて“百年以上もの間”隊長を務めた男だというのに。私はそんなことすら忘れていた。それもこれも胸毛のせい。
古の夢小説において、私的見解ではあるが死神には三種類あった。
ひとつ、主人公の敵となる死神。ふたつ、特に出番のない死神。みっつ、主人公の味方となる死神。
三つ目の筆頭株は日番谷冬獅郎だろうか。ただしかなり翻弄されるが。
彼とは別に、しかしほぼ確実に味方となるのが百年以上隊長を務めている……言い換えると“主人公が零番隊であった頃を知っている”人物たちだ。山本元柳斎国重、卯ノ花烈、浮竹十四郎、そして京楽春水その人である。
つまり、目の前のこの男は私の本当の姿が零番隊隊長であることを知っている。更に真の姿は社畜だが頭痛が痛いので今は置いておく。
「な、なんで駄目なんだい? 人払いもしたし、別に本当の名前で呼んでも」
「本当の名前? 冗談じゃない。疾うの昔に捨てた名です。もうそれは私の名前ではありません」
怒りのあまり、握り締めた拳の中で陶器が砂に変わった。さすが最強。これが明日には六人も増えるのだから恐ろしい。
見開かれた京楽隊長の視線が、徐々に下へと下がっていく。口角は緩く持ち上がっているというのに、彼の顔は“哀しい”と言う。
「……そうか。君は、独りでそれほどの覚悟を決めてしまったんだね」
物悲しげに勘違いしてくれるのはありがたいが誰だって最初期のハンドルネームを呼ばれれば手のつけられないゴリラと化す。
フルネームは卯月甘菜(ルビ:うづきかんな)。ああ、そうだとも。初めてサイトを作った時の名だ。殺せ。
当時のことを細部まで覚えているわけではない。手がかりになるものがどこかに残っているわけでもない。それでも、あれは確かに私という人間の始まりで、なかったことにしたいが消してはいけない過去なのだ。
ただし他人が爪を立てるならば容赦はしない。殺す。
「今の僕は賀田ガ太です。卯月……甘菜は、僕が殺しました」
結局、未来に進めば過去は黒歴史ばかりになる。今だっていつかは黒歴史。離れた位置から振り返らなければ見えないこともある。
京楽隊長は何かを言いかけ、しかし一度口をつぐみ、改めて“賀田君”と柔らかく、ひとつ前のハンドルネームを呼んだ。私は一体、どんな顔をすれば良かったのか。答えは分からない。
あらゆる本音を飲み込んで、懐の手拭いを溢れた茶に浸す。
私の真名はつつおみ。もはや本名よりも呼ばれ慣れたその名前を、早く誰かに呼んで欲しい。
