オートフィクション

26 離鹿

2019/08/06 23:17
飛行機に乗ってすぐ、けたたましい笑い声が耳についた。それは、クラーララララ!カーッカッカカカ!アッハーッハハハッと、嘘みたいな笑い声で、親戚同士の女数人からあがっているようだった。たまに、男の話し声も加わり、また女達の笑い声があがる。キャビンアテンダントの荷物に関する案内も、いつもよりも声を張っている気がした。

女達の笑い声を遮るように、子どもの泣き声が聞こえてきた。アーッ!アーッ!といった泣き声に、女達の笑い声は一瞬静かになったけれど、また何事も無かったように始まる。子どもの泣き声も、女達の笑い声も、大きさは変わらないことに気づく。子どもは、いやぁぁぁ!あーーっ!ぐぁあ!っと、痰の絡んだ泣き方を始めた。同時に、あけるー!あけるー!と必死に叫んでいる。

女達の笑い声はやみ、やがて機内は子どもの泣き声と、ヒソヒソと聞こえる話し声となった。

子どもは、ずっと、一生懸命泣いていた。離れた私の席まで届く声量と、声に含まれる熱量に、徐々に引き込まれていく。飛行機に乗っているのが怖いのかもしれない。大人の私でさえ、LCCの機内の狭さには圧迫感を感じるし、離陸前の時間は緊張する。あの狭い空間に、密接したパーソナルスペース。隣の人の咳や、本をめくるときにおこる風、ため息などにさえ神経質になってしまう。

「怖ぃいいいい!」

ハッキリと聞こえてきた言葉に、ハッとして小説の文字を追う目を止めた。

「いやぁああ!あけるぅうう!あ゛ぁあああ!」

自分の力ではどうしようもない状況の中で、パニックになり、自分の言葉や行動で更に訳が分からなくなるあの感覚。不安や恐怖だけがやけにハッキリしていて、もうそれしか感じることのできないあの鮮烈な絶望感。世界が一気に膨れ上がり、その広すぎる世界に圧迫されながら自分の胸の中で暴れ回る苦しみに気が狂わないよう叫び続けなければならないあの感じ。

「あ゛ぁあああ!ぎぃゃあああ!」

子どもが叫び続ける中、飛行機が轟音を立てながら加速を始める。隣の席の女が咳をした。見れば、前の座席に手を付き、俯いたまま目を閉じている。心なしか顔が赤く熱っぽく見える。後ろの席では、若そうな女二人が、遠くに違う飛行機の羽が見えたと話し合っている。

暫くして飛行機は無事離陸し、更に数分たって子どもの泣き声はしなくなった。女達も笑っていない。機内には、シートベルト着用サインが消える音が響き、機内アナウンスが流れ始めた。

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