オートフィクション

17 傷

2019/11/22 01:13
放課後、トイレで化粧をなおしながら「自分でするのを見てお金貰えるとしたらやる?」というまひろちゃんの突拍子もなさすぎる言葉に、「んー、え?」と笑いながら、右耳に触れると、耳たぶに刺すような痛みが走った。

先週開けたピアスホールが膿みはじめていた。バイ菌が入るから触らない方がいいよと言ってきたマヤの右の耳たぶはズタズタで、6つ開けた穴のち1つは塞がりかけ、2つは落ち着いてるけど重いのを付けすぎて穴が縦に伸び、あとの3つは化膿中という、あんな耳には絶対になりたくないなと思わせるお手本みたいな状態になっている。

「じじいなら却下かな。なんで?」と、マヤが同じく自分の耳を触りながら答える。

「それだけでお金もらえるならよくない?」
「じじいのオナニーはちょっとなぁ」
「若い人もいるよ」
「いるよって、したの?」

その質問には答えず、「ユイちゃんする?」と聞かれ、答える前に「いや、ユイちゃんはしないかぁ」と言われる。

「私は彼氏いるから」
「そうかぁ。そうだよね」

他人のオナニーを見て金を貰うなんて無理だった。そこまで落ちたくはないというのが正直な気持ちだったけれど、何となくまひろちゃんと意見を違えたくなくて彼氏を引っ張り出す。マヤとは違って、まひろちゃんがお金に困っているとは聞いたことがなかったから意外に思う。意味もなくラインを開いて、彼氏の名前をタップした。早くこの会話から離脱したかった。マヤがうまい具合に、セフレのセフレがブスすぎて引いたという話を始めると、話題はどんどんそっちへ流れていった。

学校を出て、3人でローソンへ行きからあげクンを買って近くの公園に寄った。マヤがタバコを取りだし、フィルターの先端に火をつけると、辺りにはセッターの苦い匂いが漂った。からあげクンを食べながら彼氏からのラインにメッセージを返していると、まひろちゃんがスクールバッグから新品のアイプチとピアッサーを取りだし、「あげる」とマヤと私に渡してきた。

「なにこれ?」
「ユイちゃんピアス右だけ開けてるじゃん。使うかなと思って」

まひろちゃんからの突然のプレゼントに嬉しくなり、受け取りながら石の色を確認する。ブラックという印字を見ていると、マヤが「またやったの?」とタバコの煙を吐きながらぽつりと言った。

「うん」
「うける。バレないの?」
「バレないバレない。簡単だよ」

呆気にとられ、すぐにどういうことか分かって、浮かれていた心が急速にしぼんでいった。手元にあるピアッサーに視線を落とす。1,200円・ブラックと書かれたそれが、なんだか重くなった気がした。

「ユイ今度やってあげようか?」

マヤがタバコを持った手で左耳を指さす。右耳のピアスホールは、ピアッサーで自分で開けた。ほとんど衝動的に真夜中氷でキンキンに耳たぶを冷やし、ビビりながらもガシャンとやった。痛みはなかったけれど、全身冷汗をかいていたのを思い出す。

「いいよ、自分でする」
「大丈夫だって、あたし慣れてるし」
「慣れててその耳ってやばくない?」

まひろちゃんの言葉に「うるせー」と笑うマヤ。マヤが吐き出す煙の向こうに、小さい子どもとその母親らしい人が遊具で遊ぶ姿が見えた。

マヤとまひろちゃんと別れ、駅へと向かう道すがら、唐突に自分はもう左耳にピアスは開けない気がした。駅に着き、電車を待ちながら、バッグの中から貰ったピアッサーを取り出す。

1,200円・ブラック

印字を見つめ、再びそれをバッグにしまった。ジッパーを閉めて膝に乗せたバッグに両肘を乗せると、中から押し出された空気が顔にかかった。マヤが吸っていたタバコの香りの片鱗が鼻先をかすめ、私の心にできた小さな傷をジクリとつついてから、跡形もなく空気に溶けていった。

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