従者のお出迎え

 ライがその特徴的な蒼髪の青年をトハの街酒場で見かけたのは本当に偶然だった。それは秋も深まり、冬の裾が見えてきた時節のことで、トハの街での休息を終えたあと、共に任務に当たっていた同僚を先にガリアへ帰還させ、そのままクリミアに残り友の傭兵団の砦に挨拶に赴こうと思っていたちょうどその時だった。
 声をかけると酒場で朝食をとっていた蒼髪の青年は本当にびっくりした顔をしたあと、にわかに嬉しそうに笑みを浮かべライの肩を勢いよく叩いた。

「ライ。久しぶりだな。なぜクリミアに?」
「ってぇ…! どんだけ怪力なんだよお前…。一年ぶりだな。外交だよ外交。カイネギス様の遣いでメリオルからの帰りなんだ。てか、ベオクは一年でこんなに成長するのかってくらいまた一回りデカくなったな」

 青年、アイクは「そうか? 自分ではそこまで変わったように感じないが」となんでもないように返したが、彼が爵位返上してからはバタバタして全然会えなかった身からすると彼の変貌ぶりはすごかった。元々筋肉質で精悍な印象はあったが、筋肉にはさらに磨きがかかり、幼さの残っていた大きな瞳も少し落ち着きを見せ、大人の男へと変化しつつあった。
 一年ではさほど変化のないラグズと比べて凄まじい成長を遂げつつある青年を少し寂しく思いながらも元気であることを知れてライは嬉しさの方が優った。友が健勝であることは何よりなことだ。

「ちょうど王の休暇に合わせて俺も暇をもらったからさ。お前のところに寄ろうと思ってたんだ。クリミアに立ち寄ることはあってもお前のところまでは一回も行ったことなかっただろ」

 アイクに今は任務の帰りなのかと尋ねると頷かれる。オスカーと共にトハでの依頼をこなした後、オスカーは先に馬に乗って帰ったらしい。自他共に認める自転車操業の貧乏傭兵団らしく、忙しないのは相変わらずのようだ。

「来てもらえるのは嬉しいが、本当に何にもないぞ? クリミアでも田舎の田舎だからな」
「大丈夫、俺が土産持ってっから。会いに行くのが目的なんだ、もてなしてもらおうとか思ってないから気にするな」

 ガリア土産である干し肉やら乾燥させた香草を持ってきた旨を伝えると、ガリアの野趣に富む味付けが好みなアイクは嬉しそうに「今週はオスカーが料理当番なんだ。運が良かった、その肉が美味く食えるぞ」と少年のように笑った。なるほどオスカーが先に帰ったのは忙しさというよりは、団員の皆がオスカーの食事を楽しみにしているからその責任感から帰ったのだろう。相変わらず家族思いな集団だなと感心せざるを得ない。
 タイミングよく出会した二人は、朝食を摂るとすぐに出立することになった。グレイル傭兵団の砦はトハから、街道ではなく道なき道を行けば徒歩で向かっても夜には到着するらしい。ラグズの自分が街道云々を気にするはずもなく、早く着くのであればそれに越したことはないとライは承諾した。「決まりだな」と朝食をかき込んで、アイクは席を立った。





 聞いていた通り、傭兵団の砦は片田舎のまた辺境に位置し、ライとアイクが砦をまみえた時にはすでに深夜を回っていた。日が暮れた頃に夜目が利かないアイクを慮って野宿することも検討したが、秋も深まり気温も低くなってきたこともあり、ここまで来たら帰った方が休まるからと言われそこから三時間は歩かされた。
 砦に着くと、みんな寝静まっているだろうからと静かに入り、厩を横切って母屋に向かう。外から見る限り二階には殆ど灯りは灯っておらずみな眠っているようだったが、ライは母屋に入る直前に、一階には人の気配がすることに気付いた。

「おい、アイク。誰か、」

 起きてるんじゃないか、と声をかけようとした直前、がちゃんと扉が開き、とある人物が顔を覗かせた。

「アイク、おかえりなさい。……あ」

 グレイル傭兵団参謀、セネリオである。
 セネリオは戦場で見た時より幾許かゆったりした服装で、いかにも就寝前だった。肩からは寝巻き用のシンプルなローブを羽織り、そこから伸びるほっそりした手で燭台を持っている。蝋燭の灯りに照らされた色白の顔はライの存在を認めた瞬間アイクに向けていた微笑を引っ込め、すぐにライのよく知る無表情で呟いた。

「なぜあなたが」
「カイネギス王の遣いでメリオルに来たついでに会いに来てくれたんだ。たまたまトハで会ったから一緒に帰ってきた」
「久しぶり、軍師殿」

 手を挙げて挨拶すると、セネリオはしばらくじぃと見定めるようにライを見た後「……どうぞ」と感情のない声でライも含めて中に入れてくれた。どうやらラグズ嫌いは変わらずで、自らが最も落ち着ける家屋に入れるのは少しためらいがあったようだが、先の戦の功労のおかげで害がないとわかっているからか入れてくれるようだ。アイクが連れてきたから無碍にできないというのも大いにありそうだが。
 秋も深まり夜はかなり冷えるため、居間の炉には火がわずかに入れられていた。食事をするダイニングテーブルの上で書類作業をしていたセネリオ個人のために入れているというよりは、他の団員たちが居間を温めるために入れた火の残りのようだったが、寒さが苦手である猫のライはありがたくすぐに火の前の古ぼけたソファに座らせてもらう。クリミアの秋はガリアよりだいぶ寒い。

「アイク、遅くまでお疲れ様でした。マントを預かります」
「あぁ、ありがとうな。お前、仕事してくれるのはありがたいがあんまり遅くまで根詰めすぎるなよ」
「もう少ししたら休みますよ」

 セネリオは従者らしく主のマントを恭しく受け取るとせっせと埃を払って、マントの定位置である木枠にかけた。自分も主人である王やジフカの帰還にはそのように接することもあるが、その様子を横目で見ながらこの傭兵団はあまり上下関係はないと思っていたがプライベートな場でもそれなりに主従があるのだなと新たな発見をした気分になる。おそらくそれはボーレやシノンなどといった他の面々にはなく、アイクとセネリオのみに適当されるかもしれないが。

「火が残っているので湯を沸かすこともできますが、お風呂には入りますか? 空腹であればオスカーが残してくれたスープを温めることもできます」

 と思っていた直後、突然所帯じみた発言がセネリオから飛び出した。その様子をバレないようにこっそり横目で盗み見ると、アイク以外には絶対に向けない微かな笑みを浮かべ、嬉しそうにアイクを見上げている。

(これは完全に…お風呂にする? ご飯にする? の発言じゃね……?)

 従者の発言というより、妻の発言である。ちなみにお風呂にする? ご飯にする? の先のセリフは、今は考えたくない。
 よく見るとアイクを見上げるその眼差しも、参謀による団長への敬愛の眼差しを超え、恋心を胸に抱く乙女、あるいは夫に愛を持って接する妻のようにさえ思えた。
 ライの勘は本当によく当たる。こういうとき自分が他種族よりも聡い猫科のラグズであることを少しだけ恨めしく思う。

「今から湯を沸かすのもお前が寒いだろうし時間かかるだろ。明日水浴びするから気にしなくていい」
「ですが、体が冷えています。おやすみになる前に温まった方が疲れが残りませんよ」
「…ならスープだけもらう。ライもいるよな?」
「えっ、あ、…あぁ…、い、いただこうかな…?」

 完全に夫婦の会話のような雰囲気の中いきなり話を振られて、驚きと二人だけの世界を邪魔したような気まずさがライを襲い、無意識に尻尾がピンと伸びる。ライが返事をするとセネリオは承知してキッチンの方に姿を消した。アイクも手伝うためにキッチンに行こうとしたが、火の前で温まっていろとでも言われたのか、むっつりした顔でライの隣にやってきて腰掛け、もうすぐ消え入りそうな暖炉の火にあたった。
 一連のやりとりを見ていたライは隣に座った巨体にこっそりと尋ねる。

「……あのさ…。軍師殿にいつもああいうことさせてんの?」
「ああいうことって?」
「いやその……マント預けたりとか夜食の準備させたりとかさ…風呂の準備まで申し出るのは流石にイメージになかったわ。行軍中もお前自分のことは自分でやる将軍だったし」
 
 アイクが依頼してやっていることであればその完全に妻じみた行動にも納得がいく。いやそれを年端も行かない美少年参謀に自らの望みのままにやらせているという団長にも問題があるかもしれないが、依頼の下やっているのであれば団長と参謀の主従関係を超えない範囲の間柄なのだろうと推測することができる。しかしもしセネリオが自発的にやっていることだとすると、その範囲は主従の域を越え、恋愛に全く興味がなくエリンシア王女とのフラグも真っ二つに折るこの朴念仁アイクへの叶わぬ恋心の発露のように思えた。
 ライはわずかな希望を胸にアイクの返答を待った。

「やってもらってはいるが、やって欲しいと頼んだことはないな」

 自発的だった。
 ライのささやかな希望は打ち砕かれた。アイクの頼みではなく、自発的に夜中まで居間で帰りを待ち、帰ってきた途端風呂や食事を用意するほどに尽くす参謀が持つ感情なんて敬愛を超えているに決まっている。
 たとえばアイクとセネリオがトパックとムワリムほど歳が離れていれば、危なっかしく幼い主人の世話を焼きたくなるムワリムの気持ちもわかる。しかし、二人は同世代で二人ともテリウスでは結婚していても全くおかしくない年齢だ。
 戦時中でさえ言葉の端々にアイクを慕う気持ちを滲ませていたセネリオは、安心できる家の中だとよりくっきり、はっきりとアイクに対して愛情表現をしていた。対するアイクは見ての通りそんな愛情に対しても特別な気持ちなんてなく、なんてことないことのように接している。馬鹿野郎。これでは軍師殿が報われない。
 きっとセネリオ本人からするとやらせてもらえる今が幸せなのかもしれないが、過度な接近は後々アイクが別の女性と結ばれたときなんかにその役目を奪われ、彼をドン底に貶めるきっかけとなるだろう。本人から聞いたわけではないが、セネリオは恐らく印付きで、アイクはその迫害された人生の中唯一心を開けた拠り所的な人物であることは明白である。それを奪われる辛さは計り知れないだろう。
 アイクは進言もよく聞いてくれる将だった。言えば意外とすんなりと、「そうか、気をつける」と頷いてくれるかもしれない。セネリオの未来のためにも、今薬をつけておくのが賢明だとしてライは口を挟むことに決めた。

「……外野が言うことでもないかもしれないけどさ。その気もないのに近い距離を許しすぎるのもあんまり良くないと思うぞ? 特にあぁいう妻みたいな距離感でこの先もずっといられるって勘違いしちゃうと、あとあと軍師殿がつらいかもしれないからな」

 率直に言わないとこの男には伝わらないと踏み、敢えて言葉を選ばずに伝えてみる。男なのに妻みたいと言えばそんな馬鹿なと罵る輩もいるだろうが、アイクはきっとそんなところに引っかかるような男ではないことも見越しての言葉だった。
 
「……勘違いしてるのは俺の方だと思うけどな」
「は?」

 ボソリとつぶやかれたアイクの発言は、猫科の耳にはしかと聞こえたが、ライは思わず聞き返した。アイクは「なんでもない」と首を振り、灰になりつつある薪の中で輝く小さな炎を見つめて話し始めた。正直ライからすると、先ほどの発言はなんでもなくないのだが。

「確かに…セネリオの厚意に甘え過ぎだし、ここまでやらせるべきではないとは思ってるんだ。今日はたまたまオスカーが先に帰ったから俺の帰還時間が予測できたっていうのもあって待っててくれたんだと思うが…こんなに夜遅くまで待ってることはあいつの身体にも悪いしな。だが……あー…まぁ、なんだ」

 いつもは心配になるくらい率直に物事を述べるくせに、今に限ってアイクは口を濁した。そのもどかしい様子にライはすぐに一つの仮説に辿り着き、歯切れの悪い救国の英雄を目を細めてじっとりと見つめる。

「おい、アイクお前もしかして、」
「準備ができました。どうぞ」

 そのもどかしさを一刀両断するように、セネリオのいつも通りの冷静な声が響く。彼は宣言通り湯気の上がるスープを盆に乗せて現れ、二人にスプーンごと手渡した。ダイニングテーブルに移動せず暖炉の前でいただいていいらしい。

「アイク、食べながらでいいのでここ数日間の任務の結果報告を聞いていただけますか」
「あぁ。頼む」

 スープを配膳し終えたセネリオが、テーブルの上の書類を持ってきてアイクの脇に控えた。アイクが諾と頷くと、そのままアイク不在中の任務の戦果報告が始まり、ライもスープを啜りながら聞き入る。貧乏傭兵団らしく収支は芳しくなかったが、アイクに団長が代替わりしてから減少が予期されていた近隣の住民からの依頼もここ数ヶ月で徐々に増えており、危険な任務の負傷者もほとんどおらず、経営は細々としながらも順調なように思えた。

「最後に、本日あなたとオスカーが終えた任務については、オスカーが先に報告書を出してくれています。戦死者及び、回復不可能な傷を受けた者はいませんでした。 見事な戦いぶりです」

 これが彼のいつもの最後の締めくくりの文言だ。先の戦で何度かこのやりとりを耳にしていたライは、これこそが団長と参謀、主と従者の関係であるとようやく少しホッとした。

(なんだ…俺の勘違い…、もとい俺としたことが少し早とちりしただけだったか…)
「あと、ヨファが作った弓が昨日初めて売れました」
「む、それはめでたいな」

 そう思った矢先、また夫婦じみた雰囲気に逆戻りした。思わずスープを吹きそうになる。

「ヨファ、シノンにしごかれてここ数日完成度上げてたもんな」
「はい。売上金は基本団に帰属するものとしていますが、今回は大目に見てヨファに還元しましたが、良かったでしょうか?」
「良いんじゃないか。本人のやる気にも繋がるだろ」

 突然子どもの成長の話になった。それからもそういえばミストがじゃがいもの芽を取れるようになっただとかオスカーを早く返してくれたおかげで夕食が豪華になってボーレが喜んだだとかそんな他愛もない話が続いた。普段はグレイル傭兵団無愛想代表のような面のな二人も心なしか穏やかな表情をしており、とても優しい時間のように思えたが、ライの心境は穏やかではない。
 いやまだだ。ぎりぎり、ぎりぎり家族経営の参謀と団長の域を超えない範囲かもしれない。いくら雰囲気が夫婦じみていてもまだ判定としては保留だ。これは後で寝る前にアイクにはっきりと先ほどの話の続きを問いたださなければ、判定するには早すぎる。

「あと、セネリオ」
「はい?」

 話が少し落ち着いたその時、ふとアイクがセネリオの二の腕を掴んでその身体を少し自分の方に引き寄せた。ともすれば抱きしめてしまいそうなほどの距離になり、セネリオがその距離の近さに一瞬固まり、一瞬ちらりとこちらを見た。ライはあまりの気まずさに見てないフリで押し通す。

「あ、あの、」
「……わかってる。ここではしない」

 セネリオが小声で戸惑ったように声を発すると、アイクは同じくらい小声、かつ低い声で応対した。それもラグズの耳にはしっかり届いていることを二人はわかっていないのだろう。その普段より少し低い声に含みがあることもバレバレである。

「ただいまを言っていなかった。ただいま、セネリオ。遅くまで待っていてくれてありがとう」

 アイクの大きな手のひらが、セネリオの形の良い頭に乗せられぽんぽんと優しく叩かれた。その瞬間、戦場では冷徹が服を着て歩いているとまで言われたセネリオの赤い瞳がきゅうと丸くなり、わずかに眉尻を下げながら細められ、その形の良い小さな口に微笑を浮かべた。

「…はい。おかえりなさい、アイク」

 そして、ライからは横顔しか伺えないアイクも目は優しげに細められ明らかに嬉しそうにしながらセネリオの頭を撫でている。
 ライはもう認めざるを得なかった。

(あー…夜遅くまで待たせるのはあれだけど、好きな子が出迎えてくれてアイクも嬉しいからやめろって言えないってことね……)

 主従以上恋人未満といったところだろうか。勘違いしているのは自分の方かもしれないと宣っていたということは、恐らくアイクもセネリオに想いを寄せているがまだ正式には通じ合ってはいないのだろう。ここまで見せつけておいてもどかしい連中だ。
 何にせよ、印付きで過酷な運命と共にある軍師殿の一方的な片想いではなく、アイクからも気持ちをきちんと返しているのであればライはもう言うことはない。むしろ馬に蹴られて死ぬのはごめん被りたい。

(はー……早くもガリアに帰りたくなってきた)

 ガリアに帰っても、自分は想いを寄せる子が温かく出迎えてくれるわけではないが、呼べばモウディとレテくらいは挨拶してくれるだろう。ライはこれ以上二人の邪魔をしないよう、ここでの滞在は短めにすることを心に決めた。

 

fin.
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