その他短編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
狗星家の朝は早い。
満月は夜も明けきらぬうちに目を覚まし身支度を手早く済ませて台所へ向かう。
狗星家の後継者である琉伽、その他住み込みで修行をしている門下生たちが朝の鍛錬を行っている間に全員の朝食を用意する。
満月は式神つかいである、しかし狗星家とは関わり無く、毎日の修行には参加せず日々を家政婦のように過ごしていた。
「いたのかババア」
食堂に最初に顔を出したのは琉伽、それから門下生がゾロゾロと続いてくる。
横柄な態度の琉伽に眠気から覚めきらない満月が不機嫌を隠しもせず表情に出す。
「はえーよクソガキどもちゃんと修行しやがれ。クソ雑魚がうまい飯食えると思ったら大間違いだクソ」
「うるせェんだよ…朝からクソクソ言うな…飯がマズくなるだろ」
険悪な空気にも慣れた様子の門下生たちは、それぞれ好きな席につき食器や茶を用意する満月のコダマに礼を言う。
というのも、満月は元々口も性格も悪く、本人に礼を言うと二時間はシバき倒され特殊な術式を練った縄で吊されるからだ。
「じゃあパッパにご飯運んでくるから、ピイは号令よろしく」
「は、はい…ババアさん」
切比古が椅子から立ち、両手を合わせて号令をする、合宿じみた光景は満月が来てからすでに見慣れたものだ。
満月が膳を持ち道場に入る、座禅を組み瞑想する男、琉伽の父でもある狗星家当主の彼は、その気配を察知して満月を一瞥する。
彼は毎日この場所で食事を摂る、なのでここまで満月が自ら食事を運ぶことになっていた。
配膳にコダマを使わないのはこれがその日の予定を立てることを兼ねていることもあるが、門下生たちが満月に気兼ねなく食事できるようにという配慮もあった。
「どうだあいつは」
「まだまだクソ雑魚ですね。あとピイは今日もかわいい」
「報告は琉伽だけで良い」
「パッパわかってない!琉伽ちがかわいいのは知ってるけどピイのことも見て!!ババアさんって呼ぶのも一瞬躊躇するピイめっちゃかわいい!!」
「わかったわかった…今日は協会に顔を出す用事がある、午後から道場は弟子たちに任せるが、琉伽のことはお前に任せたい」
興奮した様子で床を叩いていた満月は、その言葉を聞き顔面の筋肉を引き戻す。
「…ずっと言ってますけど、私はこの道場に関して口は出さないと」
「わかっている」
反論に、すかさず制止が入る。
「ただ、お前を持て余していることに嫌味を言われるのは少し飽きた…たった一日、ほんの数時間なんだがな…?」
猛禽類を思わせる眼に、満月は直感した。
この男は自分と己の息子が戦うことを望んでいる、双方の実力を把握するために、あるいは、当面の代わりを得ようとしているのだ。
このところ、式神つかいの界隈が慌ただしいのはしばらく狗星家から出ていない満月にもわかっていた。
それまで非公式という形でしか存在できなかった式神協会が、政府の公認を得て活動できるだとか、その件で名家の長がたびたび集められるだとか、そういったことがあって彼は道場を空けることが多くなった。
それこそコダマを使やいいのに、とは満月も口にはしないが、いや半分くらい口から出ているが。
「んっどくさ…! あんたら親子―ットにめんどくせえ! そらいろいろ拗らせるわ琉伽ちも…将来マジ心配だわー」
「本当にお前はズケズケと言うな…」
「息子の前でかっこ付けて古臭い言い方してるパッパより遥かにマシと自負しているよ」
「別に格好付けとらん」
「今日は夕食どうする?」
「向こうで会食がある」
了解、と短く答え、スケジュール帳がわりにしているコダマにその日の予定を伝えると、満月は閃いたように顔を上げた。
「任せる、ってことは、メニューも時間も好きにしていいってこと?」
「そうだ。手は抜くなよ?」
「ええ、ええ、手は抜かないデスよ」
明らかに企んでいる満月のにやけ面を見て、あとで切比古に包み隠さず報告させようと彼は強く思った。
食事が終われば、満月は学校へ向かう琉伽たちの見送りだ、コダマに手伝わせながらその日の弁当を渡していく。
「ピイ、今日は何時終わり?」
「16時頃の予定ですが」
「んじゃその頃電話するわ。琉伽ちのことヨロシク」
「勿論です」
切比古は琉伽のことを一番に慕っていて、家以外での琉伽のことは自然と切比古に託すようになっていた。
実力も、琉伽を除けば門下生の中ではトップクラスであるし、琉伽も後ろを付いてくる切比古を突き放すことはしないので、お付きのような役割ではあるが、切比古も進んでその役目を担っていた。
正直なところ切比古は満月にピイと呼ばれることは不服なのだが、何度訂正しようと直らないので半分諦めの境地に達している。
満月が狗星家に来てから1年、切比古には彼女についてまだわからないことが多い。
1年前、とある事件があった、交流試合を行うために訪れていた皇家の子息と琉伽の間で揉め事があり、結果として琉伽は右目を失うこととなった。
重傷を負った琉伽の元に訪れたのが、治療役として呼ばれた麻葉院香月とその付き添いの満月であった。
満月は従えることのできるコダマの多さから、忙しい医療班の助手としてよくこうして駆り出されていた。
その後からだ、満月が狗星家に居候を始めたのは。
詳しい事情は切比古も知らされていない。
わかっているのは狗星家の者に対して歯に衣着せぬ物言いをしても咎められない程には何かしらの力があるというだけで、それが血筋なのか実力なのかは、恐らく当主と琉伽だけしか知らないことなのだろう、ということだった。
そしてその自己紹介の際に、満月は自らのことを「ババア」と呼ぶようにと厳しく言い含めた。
そう、決して琉伽や切比古の口が悪いわけではなく、満月自身がババアと呼ぶようにと教育したのだ。
その理由も切比古は知らない、ただババアと呼ばなければキツいお仕置きが待っていることはその身でもって知っている。
ちなみに琉伽もその一人だ、というか、門下生のほぼ全員がそうだ。
あれは切比古にとって思い出したくもないおぞましいお仕置きであった、内容はとても言えたものではない。
それにしても、と切比古は思う、普段から密に連絡をとっているわけではないというのに何か用事があったのだろうか、だとしたら何故その時言わなかったのか、と。
そして予定していた時刻を5分ほど過ぎて、切比古の携帯が着信を知らせた。
『もっしも~し、ピイ?』
「何かあったんですか?」
『何か…っていうか、パッパに聞かれたらマズいからと思ってね。実は今日琉伽ちの稽古任されちゃってさ』
「エッ!?」
切比古の様子を見て側にいた琉伽が反応する、琉伽の稽古相手とこの連絡に何の関係があるのか、切比古は次の言葉を待つ。
『しょーじきメンドーだから、琉伽ち連れてどっか遊びに行ってきなよ~5分くらいでも稽古は稽古でしょ? 手抜きじゃなくて息抜きだからダイジョブダイジョブ、包みにお駄賃入ってたっしょ?』
昼食を食べようと包みを開けた切比古が最初に見たのは数枚の紙幣で、購買で買えという意味かと思えば弁当は弁当できちんと入っていたものだからしばらく混乱していたのだった。
「アレ…そういうことだったんですかァ!? ババアさんふざけないでくださいよッ!?」
『ふざけてねェよ本気だ』
「余計タチ悪いですから!!」
「おい ババアがなんか言ってるのか」
「いや、それが…」
事情を説明しようとしたら、さらに満月は続けた。
「……ッ! ちょ、満月さ…じゃなっ、あッ…!」
「おいどうした」
「あ、あの…琉伽さん…それが……」
切比古が先ほどの内容を話せば、琉伽はここ最近久しく見なかったマジギレの表情でオーラを逆立てていた。
「あの女ァ…!! 行くぞ切比古…アイツの言うことに従う義理は無ェ」
「あっ…待ってください琉伽さん!」
「ア?」
「ババアさんが「戻ってくるなら長ネギも買って来い」…と」
「……先に戻ってる。お前は後からで良い」
「は、はいッ…申し訳ありません…」
横暴を絵に描いたような満月と何よりも尊敬している琉伽を天秤にかける…などということはなく真っ先に琉伽を選ぼうとした切比古だったが、そんなこと百も承知の満月が先行して釘を刺したのだ。
それを琉伽も理解して、先に戻ることにした。
――帰りに長ネギ買ってきて、買ってこなきゃマジで琉伽ちに稽古つけねえ。
「クソォ…あの人の言った通りなんて納得できねぇ…!」
――これ聞いたら琉伽ち激おこちょっぱやで戻ってくるだろうけど、まあ怒らないよ、私に従う義理なんか無いしょ? でも長ネギは買ってこなきゃ怒るよ。島崎商店さんが今日イイのが入ってるっぽいんだよね~そんなわけでヨロ~♪
これは琉伽には話していない内容だが、満月の言った通りに琉伽が行動しているのは正直満月に腹が立った。
そこまでわかっていて何故琉伽の機嫌を損ねるような真似をするのか、そしてわざわざ隣町の商店を指定するあたりを、切比古は満月からの嫌がらせだと判断した。
「「クソババア…ッ」」
琉伽は苛立ちを隠さずに荒々しく扉を開いた、琉伽に稽古をつけるためだけに作られた修練場、その真ん中にいつものスウェットではなく武道用の袴姿で座っている満月がいて、一瞬琉伽は面食らった。
「オース琉伽ち、あんたほんとにちょっぱやで戻って来たねえ、ダメだよそんなわかりやすくちゃあ」
「チッ…ババア……わざわざ切比古を引き離してナニ企んでるんだ…?」
「ありゃぁバレてたか、いや島崎さんにイイ長ネギが入ってるのは本当なんだけど。だって琉伽ちのことボコボコにしたらピイに嫌われちゃうかもしれないし、琉伽ちだってピイの前でボコボコにされたくないでしょう?」
さらりとにこやかに、しかし的確に琉伽の神経を逆撫でする満月に、琉伽はコイツ殺す…と思ったがこれが初めてではない。
隙あらば殺そうとずっと狙っていた時期があった、だが、比喩ではなく常に満月には隙というものが存在しなかった。
寝込みならばと忍び込んでみれば、ガウン姿でワイングラスにぶどうジュースを注いで待たれていた、ぶどうジュースの味は悪くなかったのであとで切比古にメーカーを聞きにいかせた。
「琉伽、ずいぶんと強くなったねえ」
変わらぬ笑顔だというのに、琉伽の背筋に寒気が走った。
「強くなったから、何故琉伽ちがクソ雑魚なのか徹底的に教えてあげるよ、いつでもおいで」
「コダマしか使えねェクセに…調子に乗るなよ……ッ」
「――お釣りいりません!」
切比古は走っていた、少しでも道場に早く戻るために車の通りの少ない信号はいくつか無視した。
なんなら式神を使って車を止めればいい、などとはた迷惑なことを考えながら、切比古はざわつく胸を押さえつけた。
切比古も最初から満月のことを認めていたわけではなかった、外部の人間とはいえ狗星家に出入りする者がその当主と琉伽に不遜な口をきいているのだから認められるわけがない。
それでも切比古が一応の敬意を払うようになったのはあるきっかけがある。
あれは満月が居候を始めてから半年ほど経った時期のこと、琉伽の負傷も治療の甲斐あってすっかりと良くなっていたが、琉伽自身はふさぎ込んだままであった。
琉伽は前以上に強さを求めるようになり、稽古でも余裕なく振る舞う様にはあの時見ていることしか出来なかった切比古にも後悔として痛々しく刺さった。
それでも勝負に勝った時の琉伽はその荒々しさもなりを潜め、心なしか安らいだようで、その時だけは切比古も心の痛みから解放された。
勝つことが琉伽の安らぎであり、強くなった実感を得ることで琉伽は以前までの琉伽に戻るのではないだろうか、と切比古は思い至った。
だから、というわけではない、しかしそれが一瞬頭をよぎったのが琉伽との試合中であったのが最大の不運だった。
病み上がりとはいえ、余所事を考えていられる相手ではないことは切比古がよく知っている、その隙を見逃す琉伽ではない。
勿論勝ったのは琉伽だった、隙がなくとも琉伽が勝っただろう、しかし琉伽にはそれが気に入らなかった。
「俺を失望させるな」
その言葉は、切比古にとって命を奪われることよりも辛い一言だった。
気が付けば切比古はトイレでその日食べていたものを全て吐き出していた、胃の中が空になっても、胃液を吐き出しても、吐き気は収まらない。
切比古の脳裏には琉伽の言葉と表情が駆けめぐる、切比古を映していない眼であっても、もう見てもらえないと思うと吐き気とは違う嫌悪感が湧き上がる。
手を抜いたと思われた、見下したと思われた、琉伽を失望させることをしてしまった。
たとえこのまま吐き続けて、胃をまるごとひっくり返したとしても、琉伽の受けた苦痛には足りないだろう。
それほどのことをしてしまったのだ、と切比古は知らず知らず手を強く握り込む。
まだ足りない、こんなものではこの罪は拭えない。
死んでしまいたい、消えてしまいたい、生きていたくない、だが、死ぬわけにはいかない。
琉伽に失望されたまま死にたくない、それに自死となればまた琉伽に失望されてしまう、それはだめだ。
強くならなければ、また見てもらえるように。
けれど罰は与えなければ、死なない程度に、しかし痛みが残る場所、己の愚かを悔いることが出来る場所。
自室に閉じ籠もり考え抜いた末に、切比古はカバンの中のカッターに手をかけた。
額の傷は罪の証、咎の証明、強くなるための決心。
翌日、切比古の様子がおかしかったことを知っていた門下生たちがざわざわと何か囁いていたが、切比古にとって琉伽以外のことはどうでもよかった。
琉伽は、切比古を一瞥するだけであとは何も言わなかった、琉伽もまた己が強くなること以外はどうでもよかった。
また切比古の心がじくりと痛んだが、見て見ぬ振りをし、朝食の席につく。
満月は何を言うだろうか、と切比古は考えた。
満月は門下生たちにもなにかとうるさかった、だが、せいぜい傷の心配か聖人気取りの説教だろう、傷を見た者の反応は大体にして決まっているのだ。
それならば何を言われても無視を決め込めば良い、何も言わないならばそれで良い。
「切比古」
と、思っていた矢先に満月が切比古に近寄り、静かに見下ろした。
「誰にやられた?」
その言葉に、琉伽との思い出が甦る。
切比古は答えない、満月に向けていた目を、そっと手元にいる満月のコダマへと戻す。
「自分でやったのか」
納得したような声色に、切比古は冷や汗を覚えた。
今の間で何がわかったというのだろう、混乱する切比古に答える余裕は無い。
「その傷が生涯残ったとして、お前に悔いは無いな?」
それには、切比古は頷くことで答えた。
後悔ならば琉伽が右目を失った時からしている、生涯残るというのならばそれに越したことは無い、誰が許そうが自身がその罪を許さない、その証なのだから。
そうか、と満月は小さく言うと、今度は琉伽のもとにズカズカと歩いて行き、琉伽の頭頂部に拳骨をお見舞いした。
なんで!? と門下生たちの心が一つになった。
「何しやがるババア…」
「…はあ~これだから琉伽ちはクソ雑魚なんだよね~ほら雑魚ども朝飯ちゃんと食えよ。琉伽ち号令」
それだけ言って立ち去る満月、結局なんだったのかはわからないまま、琉伽は憮然とした面持ちで号令をした。
「切比古」
食事が終わると同時に満月に呼び出されて、切比古は重い足取りで満月のそばに歩み寄った。
「食器片すの手伝ってくんない? どうせしばらく学校休むんでしょ」
道場はまだいいが、学校の教師は少し面倒だと思っていたのを見透かされたようで、有無を言わさず了承させられた。
「あちらさんには適当に言って誤魔化しておくよ」
食器を洗いながら、先ほどより穏やかな表情を浮かべて満月は言った。
静かな時間だった、水の音と食器の合わさる音しかしない。
常ならば修行に集中させてやれと家事は一切手伝わせないのだが、わざわざこんなことをさせるのならば何かあるのだと身構えていた切比古は肩透かしを食らった気分になりつつも少し安心していた。
ぴょん、と満月のもとに定時連絡のコダマがやってくる、満月が状況を把握して指示を出すと、それはまたトコトコと去って行った。
満月が式神つかいであることは知っているが、修練に参加しないので実力はよく知らなかった。
普段はこうやって過ごしているのかと、珍しいものを見た気持ちでいると、ふとある疑問が浮かんだ。
思い返してみれば、満月のコダマを見かけない日が無い、視界の端にいることがあまりにも多すぎて監視されているような気味悪さを覚えたこともある、それも常時だ、琉伽も他の門下生も紙コダマ程度気にしたことも無いが。
「いつもどんだけコダマ喚んでんすか」
ぽつりとこぼれた疑問は、満月の手を止めるほどではなかったがきちんと聞こえたようだった。
「敷地にまんべんなくと近所に数体かな」
その答えに切比古の手は止まった。
狗星家の敷地は、かなり広い。
住み込みと通いの門下生たちのための道場、琉伽たちの住む母屋、離れ、倉庫や庭…大まかな区画に分けてもどれだけの数召喚するか想像もつかない。
紙コダマは憑力の消費の少ない式神であるが、それを数多く長時間となると話は別だ。
「大掃除のときにはもっと動員しないとね」
そのうえ、さらに召喚するつもりらしい、いったいどれだけの憑力を持っているというのだろうか。
涼しい顔をして、所帯じみた仕草を見せる隣の人物が得体の知れない何かに見えて、切比古はブンブンと頭を振った。
「フフ、強いね切比古。私から見ればまだ雑魚だけど」
「ハ…?」
突然なんなのだ、言っていることが矛盾していて意味が分からない、と顔に書いたまま満月を見た。
「戒めは人を強くする。お前はよくわかっているよ、強くなりな、ピイ」
「…ハァ」
応援されているらしい、とわかるまでだいぶ時間がかかった。
「……ピイ、ってなんですか」
「あだ名だけど? ピイちゃん、かわいいだろ?」
「切比古でいいんでちゃんと呼んでくれませんかァ?」
「強くなったらねえ~~??」
――――バン!!
切比古は頼まれていた長ネギをそっと入り口に置いてきて、修練場まで一目散に駆け抜けた。
琉伽の勝利を疑っているわけではない、ただこの戦いは見届けなければならない気がして。
扉を開ければ、圧倒的な空気に入り込めず結界を張られているような錯覚を起こした。
「アレェ…ピイおかえりぃ、早かったねえ」
「いい度胸だな…!」
余所見をする満月に攻撃をしかける琉伽、だがそれはあっさりと防がれ流されて、琉伽の鼻先に掌底で返ってきた。
ぎりぎりで避けた琉伽は大ぶりな蹴りで距離をとり、荒い呼吸を整える。
お互いに召喚したコダマ同士の対戦であるはずなのに、生身で戦っているような気迫だった。
「ちょうどいいや、ピイもついでに相手してあげるよ。そうね…雑魚のお前たちをあと15分で倒せなかったら私の負けでいっかな」
「テメェ…それでハンデのつもりか…? ナメるなよクソ女ァ…!!」
「は~い~? ハンデだぁ? わっかんねえかなぁお前ら二人ごとき15分で倒せるって言ってんだこっちゃァよ」
ビキ、と琉伽の額に青筋が浮かぶ。
琉伽の戦いに水を差すことになるのを恐れていた切比古も、参戦への迷いは消えた。
切比古の召喚したコダマが満月のコダマに拳を掠らせる。
「言わせておけば…琉伽様に敗北の二文字なんか存在しねェんだよッ…!! 部外者が知ったような口叩くなァ!!」
「ッ…ぴょえぇ~…! ピイめっちゃガンギレじゃん……! マズったかなぁ…!?」
「琉伽さん、見たところあっちも疲労してます、このまま一気に押し込みましょう」
「わかってる」
しかし切比古は妙な違和感を覚えた、扉を開けた時、満月はたしかに疲労しているように見えたというのに、目の前で戦闘態勢をとる満月は全くそれを感じさせない。
激しい戦闘に慣れている琉伽ですら呼吸が上がっているのだ、疲労していないはずはない。
「じゃあピイも入ったことだし術者への攻撃もアリにし…よォッ――…っと…まだ途中なのに」
「喋ってる途中に攻撃すんなとは言われて無ぇからなぁ?」
「コダマの相手は俺がッ!」
満月のコダマを切比古と切比古のコダマが阻む、数で言えば四対二、琉伽たちのほうが有利であるが、満月は表情を崩さない。
本体である満月の前には琉伽が立ちふさがり、コダマと満月を分断した。
「えぇ~っ! ピイの相手は私がやりたいー!!」
「どこ見てやがる!」
琉伽のコダマが右ストレートを打ち込むのに反応し避けた先で、琉伽自身が拳に憑力を込めて待ち構えていた。
完璧に先回りしていたはずが、琉伽の拳は満月の二本指で止められていた。
「ジャンケンは私の負けかぁ♪ 琉伽ちっち強ぉい」
「クソが…!!」
「憑力コントロールがなってないぞ琉伽ち、憑力を乗せる時はこうすんの」
挟み討つ形で迫った琉伽のコダマに満月がデコピンをすると、コダマの頭部の一部が抉れるように吹き飛んだ。
「ウン、まぁだ遊べるね。んじゃ投げるよ琉伽ち」
「なっ」
手首を掴まれ、コダマにぶつかるように投げ飛ばされる、延長線上には満月のコダマと戦っている切比古がいた。
気付いた切比古が衝撃に耐えるように目を瞑るが、想像した衝撃はやってこない。
「セーフセーフ、わざとじゃないよピイ」
「クッ…そ、放せ!!」
腕を狙ったつもりのパンチを満月はあえて頬で受けに行く、当たったが、ビクともしない。
「は~すっかり男の子の手だな~」
それどころか頬ずりのオマケがついて、切比古は鳥肌が立った。
なんとか満月の腕の中から逃げ出した切比古は琉伽のもとに駆け寄る、琉伽は巻き込まれた満月のコダマと切比古のコダマに埋もれて身動きがとれなくなっていた。
切比古はコダマに琉伽の体を支えさせて満月のコダマを引きはがす、重たい攻撃のわりに軽い体をしているコダマは切比古の出来上がりきっていない体でも容易に投げることができた。
「琉伽さん!」
「チッ…完全に遊んでやがる…」
「こっちは真剣だっつーのバカめ。お前たちをどうおちょくってやろうか真面目に考えてんだよ」
それを遊んでるというのだが、二人は何も言わない。
とても本気とは思えないのに全く歯が立たない、力の差をまじまじと見せつけられ、琉伽は歯噛みする。
「憑力は心と体の両方でコントロールするのさ、上がり方に個人差はあるけど鍛えるほど使える量は増えるし上限なんかないし、便利だよネェ」
言いながら、向かってくる二人の攻撃を捌き躱す、時折切比古の頭を撫でる。
「もっと憑力を自在に操れるようになれよ、そんなまばらなモンで私に傷をつけられると思うな雑魚」
自らのコダマを椅子にし二人と二体の攻撃を防ぐ、切比古の頭を撫でる。
「ピイ体重移動甘い、琉伽ちはもっと周り見て、はいピイよくできました」
切比古の頭を撫でる。
「イイ加減にしろよォ!?」
二人と二体でほとんど休みなく打ち込んでいるというのに、まるで壁を殴り続けているようだった。
だが、いかに強固な壁でも攻撃を続けていればいずれ壊れる、その兆しを満月の表情に見た。
わずかに満月は目を細める、余裕ありげな表情から一転して表情が無くなっていく。
今日も朝からコダマを大量に使役して家事をこなし、普段はやらない琉伽との対戦、それから切比古も相手をし、満月本人も長いこと動き続けている、疲労するだろう、当然だ。
今までの余裕ぶった言動はすなわちブラフ、体力の限界を悟らせないための演技だ。
満月の表情の変化からそこまで読み、琉伽はこれまでで一番力強い拳を満月の顔面に叩き込んだ。
のけぞり、よろめく満月、唇を切ったのか血が滴るのが見えた。
ついに、という気持ちで二人は静かに満月の様子をうかがう。
「…学習が早いのもそれはそれで腹が立つな」
満月は流れた血を舐めとり、眼光を鋭く光らせた。
背筋がゾワついた一瞬、直後琉伽の視界は満月ではなく天井を捉えていた。
何が起こったのか理解する間もなく、切比古のうめき声が聞こえた。
コダマは…と確認してまだ紙に戻っていないことがわかると、琉伽は仰向けの状態から転がり、周囲に目を向ける。
とにかく起き上がろうと力を入れる琉伽の目に、満月の姿が映る。
楽しげに口角を上げ、立ち上がろうとする琉伽に手を伸ばす。
――死……!?
死を連想させる殺気を放つ腕が琉伽に届こうとした時、
『ババアさん! ババアさん! ババアさん! ババアさん!』
修練場の奥にいるコダマから、満月を呼ぶ切比古の声がした。
瞬間殺気が解かれ、満月は顔からも体からも一気に力が抜けた。
「あれま……もーそんな時間…?」
「時間…だと…?」
満月がババアと呼ぶ切比古の声を発し続けているコダマの頭をやさしくなでると、叫んでいたソレは止んだ。
「あちゃー、かなり真剣にやってたのに時間内に二人のコダマを倒せなかったやー、まいったまいった私の負けだ」
わざとらしいほど棒読みでそんなことを言う満月に、琉伽がからがら立ち上がり食い下がる。
「まだ終わって無ェ…!! まだ戦れるだろう……っ!」
「いいや、時間切れ」
さきほどまで切比古の声を再生していたコダマが変化し、時計の文字盤の姿をして時刻を示す。
「夕飯の支度ができたから今日はおしまい」
あっけらかんと言い放つ言葉を理解するまで時間がかかった。
「いやー負けちった。二人は軽く汗流してから来なよ、汗クセーままで来たら飯抜きだから」
そう言い捨てて修練場を出た満月の姿が見えなくなって、二人はようやく緊張を解いた。
満月は負けたと言っていたものの、まったく勝った気がしなかった、完敗だとすら感じた。
「最初から勝つ気なんかさらさら無かったんだな…あのババア…」
「す、すみません琉伽さん…俺がもっと…」
「……」
手加減てのはこうするんだよ、とのたまう満月の姿が琉伽の脳裏に浮かぶ、本当の手加減とは本気を出されるまでわからないものなのか、と琉伽は思った。
「…風呂行くぞ」
琉伽はそれだけ言って立ち上がり、風呂場へ向かった。
「前よりはマシになった」
琉伽たちが食堂に入るなり、満月は言った。
いつも通りの時間の夕食、食器やお茶を用意するコダマたち。
琉伽たちと戦っている最中も召喚したコダマは減らさず家事を続けていたのだと理解したとき、二人は文句を言う気も失せた。
椅子に座り、満月がここに居座ると宣言した日のことを思い出すと、琉伽は皮肉げに微笑んで言った。
「お前、人に教えるの上手いと思うぜ」
言われて、満月は右上に視線を向け、少し考えてから、
「疲れたから、もうやんない」
と、だるそうに答えた。
みそ汁の具は長ネギだった。
1/2ページ
