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繚乱〜弐

桜花の前。
近藤はしばらく立ち止まってから、意を決した様に暖簾を潜る。
「いらっしゃいま…せ」
客として訪れる見慣れた顔が昼日向に見えたからか、番頭の声が不自然になる。
「…そう怪訝な顔をしないでくれ…これが仕事でな」
近藤の手が前掛けに伸びると、番頭もそれとわかったのだろう、居住まいを正す。
「失礼を致しました、近藤様」
「九重屋の若旦那、真一郎から、朧月にと」
近藤はそう言うと、包みと伝票を番頭に渡す。
番頭も慣れたもので、さらさらと伝票に桜花の名を書き付けると近藤に手渡した。
「またのお上りを」
「使い走りに言う台詞ではないな」
お互いに顔を見合わせて笑顔になると、近藤は伝票を懐に入れて見世を出た。
内心、もしかしたら朧月や東雲に会えるのではないかと期待したのだが、昼間の遊廓は夜とは全く違っていた。
夜に見れば妖しく揺れる紅や、暖簾の飾りや街並みすらも、昼の光の下ではいっそ洗練された芸術品の様だ。
何やら新鮮な気持ちでふと桜花を振り返った、その視線の先。
見上げた二階の窓。
小さな手が元気に振られ、次いで見えたのは紅葉の顔だった。
「紅葉」
近藤は小さく名を呼ぶと、窓の中が見えやすい様に通りの反対側に足を進め、窓へ向き直って紅葉に軽く手を振る。
紅葉が笑顔を浮かべながら部屋の中へ声をかけると、ゆっくりと姿を現したのは薄い色の普段着だろう無地の着物に身を包み、手には先の包みを持ち、髪を下ろしたままの朧月。
「朧月」
近藤の唇がそう動くのを見たのだろう、朧月はすいと頭を下げる。
反物の包みを持っているという事は、届けた者が自分が来たと告げたのかも知れないと近藤の頭が働いた、刹那。
見上げた朧月の、見た事のない程に美しい表情に、近藤の胸が強く打つ。
息が止まるかもしれないとさえ思う程、胸が苦しくなる。
「朧月…」
かろうじて呟いた名にまでも胸が痛い。
朧月に目を奪われていると、部屋に誰か来たのか、朧月が体を返して中に消える。
残った紅葉が窓を閉めながら近藤に手を振っていたが、近藤の目にはずっと朧月の姿が残っていた。
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