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繚乱〜壱

私が十の年にね、と真一郎は話し始める。
「父親があの仕事を始めたんだ。それからずっと母親は父親を心配し続けて…でもいつかは真っ当に、呉服屋商売をしてくれるって信じて…働いて、働いて、気が付いたら胃の腑の病は酷くなってた」
「医者は…?」
「見放されたよ。手に負えないってね。で、五年前…私が二十歳になったすぐに倒れた…血を吐いて。次の日の出を見ずに、逝っちまったんだ」
真一郎の目が心なしか揺れた様に見える。
近藤はそれを目にしながらも何も言わない。
「私はね、母親が守ったこの店を守らなきゃいけないんだよ」
そう言って真一郎は菓子と茶を一気に片付ける。
上等じゃなかったのか、と軽く茶化しながら近藤もそれに習う。
「お前なら立派に店をやっていけるさ」
「どうしてそう言えるんだい?」
近藤は反物が並んだ棚の方に目をやる。今いる縁側からは棚の端しか見えない。
近藤は立ち上がって真一郎を縁側に置いたまま反物の前に立ち、その棚から反物を一反引き出す。
「右から二番目、上から三段目の棚。一番上の右から二本目の柄は?」
反物を背中に回し、縁側に向かいながら近藤が言うと、少しの間を置いて真一郎が答える。
「白地に藍色の露芝」
露芝。
着物の模様の一つで、線弧を三日月形に描き、芝草に露の玉がついている状態を表す。
露と言えば水、と涼しく感じられることから、特に夏の着物や帯に用いられるもの。
近藤が背に回した手に持った反物を真一郎に手渡しながら、珍しく優しい声音で言う。
「お前はあそこにある反物だけじゃなく、店全部の反物や帯を、その柄から仕舞っている位置まで覚えてる。それは商売人になくてはならない才だろう?」
「…そう、だね」
だったらお前の才は?
そう思いながらも口に出さず、真一郎はしなやかな指で藍色の露芝の弧をすいとなぞった。
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