繚乱〜終章
それから数日後の夜。
賑やかな桜花廊の桜色の暖簾を潜る者がいた。
「お客様、茶屋からのご紹介はおありで…」
見慣れない男に番頭が愛想良く近付くと、男はかぶっていた傘を取る。
すっきりと整った髷と月代と腰にある大小、良く見れば着物も質素だが良い仕立ての物。
さほど大きくない体格と大人しい顔立ちに番頭の警戒心も幾ばくか和らぐ。
「お忙しい刻限に申し訳ない…こちらに、朧月という御仁がおられると伺って参りました」
「朧月、で御座いますか?」
「何卒、お取り次ぎ頂きたい」
静かにそう告げて男が頭を下げると番頭は珍しい出来事に少々焦りながらも「花魁に」と使いを走らせ、とりあえずと男には玄関先で待つ様に伝えた。
「朧月にお客様?」
知らせを受けた桜花は訪ねてきた男の風体や物腰を細かく訊ねると、少し考えてから口を開いた。
「分かりましたわ…某かのご用がある様ですわね、すぐ取り次いで差し上げて頂戴。場所は…そうね、わたくしの部屋をお使い頂いて」
「花魁、取り次いで宜しいんですか?」
「きちんとご挨拶に礼儀を尽くして下さっていますもの。その風体では長旅でしたでしょうし、お茶も用意して差し上げて頂戴ね」
桜花の声は玄関先と、座敷にいた朧月にすぐ伝えられ、男は桜花廊の桜を通り過ぎた先にある桜花の部屋へ、朧月は座敷用の着物から少しばかり大人しい柄の着物への着替えを桔梗に手伝わせ、髪を結い直してから部屋へ向かった。
「…失礼致します」
開く戸に合わせて頭を下げる。
どんな客にも礼を尽くす。
それが桜花の教えだった。
「朧月でございます」
顔を上げた朧月の前にいたのは、きちんとした身なりの侍。
桔梗を伴って部屋に入ると、男は「申し訳ないが、あなたと二人で話をさせて頂きたい」と申し出た。
普通なら断るのだが、桜花が大丈夫と判断したからだろうか、朧月は桔梗を部屋の外に出す。
「これで宜しいでしょうか」
「かたじけない」
「そうまでしての私にお話とは、何でございましょう」
朧月がそう言うと、男は目の前にある膳を脇に避け、静かに平伏する。
勿論それに驚いたのは朧月だが、それを声にする前に男の声が耳に届いた。
「拙者は近衛一之進…近衛総次郎の兄でございます」
賑やかな桜花廊の桜色の暖簾を潜る者がいた。
「お客様、茶屋からのご紹介はおありで…」
見慣れない男に番頭が愛想良く近付くと、男はかぶっていた傘を取る。
すっきりと整った髷と月代と腰にある大小、良く見れば着物も質素だが良い仕立ての物。
さほど大きくない体格と大人しい顔立ちに番頭の警戒心も幾ばくか和らぐ。
「お忙しい刻限に申し訳ない…こちらに、朧月という御仁がおられると伺って参りました」
「朧月、で御座いますか?」
「何卒、お取り次ぎ頂きたい」
静かにそう告げて男が頭を下げると番頭は珍しい出来事に少々焦りながらも「花魁に」と使いを走らせ、とりあえずと男には玄関先で待つ様に伝えた。
「朧月にお客様?」
知らせを受けた桜花は訪ねてきた男の風体や物腰を細かく訊ねると、少し考えてから口を開いた。
「分かりましたわ…某かのご用がある様ですわね、すぐ取り次いで差し上げて頂戴。場所は…そうね、わたくしの部屋をお使い頂いて」
「花魁、取り次いで宜しいんですか?」
「きちんとご挨拶に礼儀を尽くして下さっていますもの。その風体では長旅でしたでしょうし、お茶も用意して差し上げて頂戴ね」
桜花の声は玄関先と、座敷にいた朧月にすぐ伝えられ、男は桜花廊の桜を通り過ぎた先にある桜花の部屋へ、朧月は座敷用の着物から少しばかり大人しい柄の着物への着替えを桔梗に手伝わせ、髪を結い直してから部屋へ向かった。
「…失礼致します」
開く戸に合わせて頭を下げる。
どんな客にも礼を尽くす。
それが桜花の教えだった。
「朧月でございます」
顔を上げた朧月の前にいたのは、きちんとした身なりの侍。
桔梗を伴って部屋に入ると、男は「申し訳ないが、あなたと二人で話をさせて頂きたい」と申し出た。
普通なら断るのだが、桜花が大丈夫と判断したからだろうか、朧月は桔梗を部屋の外に出す。
「これで宜しいでしょうか」
「かたじけない」
「そうまでしての私にお話とは、何でございましょう」
朧月がそう言うと、男は目の前にある膳を脇に避け、静かに平伏する。
勿論それに驚いたのは朧月だが、それを声にする前に男の声が耳に届いた。
「拙者は近衛一之進…近衛総次郎の兄でございます」