繚乱〜終章
しばらくぶりの情事の後、布団の上で寝乱れた髪と緋襦袢を直す朧月に、珍しく神妙な声で近藤が話しかける。
「朧月…お前に、話しておきたい事がある…聞いてくれるか?」
「そんな物言い、近藤様にはお珍しいですね…ええ、勿論」
布団の上で近藤も軽く身を正すと、着物を直し終えた朧月と向き合って座る。
「…俺は名を偽っている」
近藤の声は小さいが確かに朧月に届く。
膝の上に握られた近藤の両の拳が話し辛さに小さく震えるのが薄暗い部屋でも見て取れ、朧月は自然とその拳に自分の手を重ねる。
「俺の、本当の名は、近衛…近衛総次郎という」
「近衛、総次郎様…」
「この仕事に就くと決めた時、この名を封じた…今、俺の周りでこの名を知るのはお前だけだ」
「…私だけ…」
「おかしいだろう?俺はこの仕事をすると自分で決めた癖に、この仕事が名を汚す事を恐れた」
「いいえ、何もおかしくはございません、近衛様」
朧月の言葉に近藤の目が丸くなる。
「近衛と言う立派なお名…さぞや近藤様のご実家は古いお武家様なのでしょう?お父上が守られたお名を、大事に思うのは侍ならば当たり前です」
「朧月…」
「残念ながら私は百姓の子、名には何の思い入れもありませんが、お武家様は違うのでしょう?それに」
朧月は近藤の右拳を両手でぎゅうと握り締める。
それは刀を握る、近藤の利き手。
「あなたは、心底、今のお仕事を好きでいる訳ではないのですから」
「朧月」
「人を殺める事がどういう意味を持つのかを、分かっているから、あなたは名を隠したのでしょう?近衛様」
近藤は答える代わりに朧月を抱き締める。
細い朧月の体から伝わる温度と、髪から香る香の香は、近藤に落ち着きを取り戻させる。
「あなたは」
近藤の体に手を触れながら朧月が言う。
「本当は、優しい、立派な人なのに」
刀に捕らわれて。
朧月はそれを口にしなかった。
その言葉を一番理解しているのは、今自分を抱き締める腕の持ち主だから。
朧月の気持ちを察したのか、近藤はぽそりと言う。
「朧月、ひとつ頼みを聞いてくれないか」
声を出さずに朧月が頷くと、近藤は朧月の体を少し自分から離し、朧月の目を真っ直ぐに見る。
「今だけで良い。俺を、本当の名前で呼んでくれないか」
「…上のお名ですか?」
近藤が答えずにいると、朧月はゆっくり、美しく微笑む。
「分かりました…でしたら私の我が儘も…聞いて下さい」
そう言うと朧月は近藤の前ですいと立ち上がり、くるりと背中を向けると緋襦袢を体から離す。
今まで、どれだけ抱かれていても決して体から離さなかった緋襦袢。
生まれたままの姿で朧月は背中を近藤に向けたまま座り込み、近藤の方を見ながら呟く。
「今だけ…私は廓の掟を破ります…それを誰にも言わないで下さい…総次郎様」
「朧月」
二人の体が自然に引き合う。
深く重なった体と唇の隙間、朧月はかすれた熱のこもった声で何度も近藤の耳元に囁いた。
総次郎様。
私は。
あなたを、愛しています。
「朧月…お前に、話しておきたい事がある…聞いてくれるか?」
「そんな物言い、近藤様にはお珍しいですね…ええ、勿論」
布団の上で近藤も軽く身を正すと、着物を直し終えた朧月と向き合って座る。
「…俺は名を偽っている」
近藤の声は小さいが確かに朧月に届く。
膝の上に握られた近藤の両の拳が話し辛さに小さく震えるのが薄暗い部屋でも見て取れ、朧月は自然とその拳に自分の手を重ねる。
「俺の、本当の名は、近衛…近衛総次郎という」
「近衛、総次郎様…」
「この仕事に就くと決めた時、この名を封じた…今、俺の周りでこの名を知るのはお前だけだ」
「…私だけ…」
「おかしいだろう?俺はこの仕事をすると自分で決めた癖に、この仕事が名を汚す事を恐れた」
「いいえ、何もおかしくはございません、近衛様」
朧月の言葉に近藤の目が丸くなる。
「近衛と言う立派なお名…さぞや近藤様のご実家は古いお武家様なのでしょう?お父上が守られたお名を、大事に思うのは侍ならば当たり前です」
「朧月…」
「残念ながら私は百姓の子、名には何の思い入れもありませんが、お武家様は違うのでしょう?それに」
朧月は近藤の右拳を両手でぎゅうと握り締める。
それは刀を握る、近藤の利き手。
「あなたは、心底、今のお仕事を好きでいる訳ではないのですから」
「朧月」
「人を殺める事がどういう意味を持つのかを、分かっているから、あなたは名を隠したのでしょう?近衛様」
近藤は答える代わりに朧月を抱き締める。
細い朧月の体から伝わる温度と、髪から香る香の香は、近藤に落ち着きを取り戻させる。
「あなたは」
近藤の体に手を触れながら朧月が言う。
「本当は、優しい、立派な人なのに」
刀に捕らわれて。
朧月はそれを口にしなかった。
その言葉を一番理解しているのは、今自分を抱き締める腕の持ち主だから。
朧月の気持ちを察したのか、近藤はぽそりと言う。
「朧月、ひとつ頼みを聞いてくれないか」
声を出さずに朧月が頷くと、近藤は朧月の体を少し自分から離し、朧月の目を真っ直ぐに見る。
「今だけで良い。俺を、本当の名前で呼んでくれないか」
「…上のお名ですか?」
近藤が答えずにいると、朧月はゆっくり、美しく微笑む。
「分かりました…でしたら私の我が儘も…聞いて下さい」
そう言うと朧月は近藤の前ですいと立ち上がり、くるりと背中を向けると緋襦袢を体から離す。
今まで、どれだけ抱かれていても決して体から離さなかった緋襦袢。
生まれたままの姿で朧月は背中を近藤に向けたまま座り込み、近藤の方を見ながら呟く。
「今だけ…私は廓の掟を破ります…それを誰にも言わないで下さい…総次郎様」
「朧月」
二人の体が自然に引き合う。
深く重なった体と唇の隙間、朧月はかすれた熱のこもった声で何度も近藤の耳元に囁いた。
総次郎様。
私は。
あなたを、愛しています。