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世界一の花束を抱えて / 短編


『君の一生分と俺の一生分は全然違うものかもしれない。出会って来た人の数も命の長さも違うけど、今この瞬間、ここに確かな愛があることは何一つ嘘偽りはない。そうだろ?』


(今日もだ…)
触れるだけの口付けを交わした後、厚い胸板に優しく包まれる時にふわりと香る花束の香り。
甘くて優しくて安心するとても愛おしい匂い。
「それじゃあね、今日はゆっくり寝るんだよ?」
「はい…」
身を離されると、まだ離れるのが惜しくてつい彼の服をキュッと摘んでしまう。
今日一日幾度も身を寄せあって、愛の言葉を交わし合って、それでもまだ足りないと感じてしまうのは毎度会うたびに彼に恋焦がれてしまっているからだろうか。
「ん〜?まだ帰りたくないって顔してるな?」
「だって……」
フランシスさんは、明日は世界会議のために他国に発たないとならない。
ここで引き留める訳にいかないし、いつものように朝まで一緒に、なんてことは今日は叶わない。
「俺だってさ、このまま君を離したくない気持ちは山々だよ?このままストライキしたいくらいだし。次会った時まで今日は我慢、な?」
まろい柔かな眼差しでじっと見つめられて、ポンポンと頭を撫でられながらおでこにキスが落とされる。
ヒラヒラと手を振って去っていく彼の背中を見送ると、先程まで一緒にいた人にもう触れられない恋しさとフランシスさんから香っていた花束の残り香がだけが漂っていて、その僅かな残り香に包まれればより一層名残惜しさが募る。
次会えるのは週末。
残り香と寂寥感を抱きしめながら私は玄関のドアを開けた。

*****

週末。
今日はフランシスさんの家にお呼ばれしている。
いつも以上に身なりに気を配って、手土産を片手に彼の玄関のベルを鳴らした。
「いらっしゃい」
綺麗なウェーブの髪を後ろに結いて、服の袖を腕まで捲っている彼からは料理を作っていたであろう香ばしい香りが漂っていた。
ちゃんと朝ご飯は食べて来たというのにそんな匂いに釣られて空腹感が増してしまうのは許してほしい。
「いい匂いですね」
「今日はとっておきのご馳走を用意してるからさ。さ、入って」
家に招き入れた私を、玄関先ですっぽりと腕の中に包み込む彼は挨拶代わりに触れるだけの軽いキスを落とした。
まだ味付けの途中なのか、それとも味見をしたばかりなのか、彼の唇からはほのかにしょっぱいスパイシーな味がする気がする。
「バターソース…」
「そう、今日はサーモンのムニエルだよ。お腹空いてる?」
「はい、お腹空いちゃいました」
相手のハートを掴むのはお腹から、なんて決まり文句があるが、そんな策略に乗せられてしまってるのはもしかしたら私の方なのかもしれない。
「それじゃ、一緒に食べようか。でも、その前に…」
髪の毛を撫でるように首の後ろを持ち上げられて、押し当てられた唇を受け入れると舌で破られて先程感じた調味料の味が一層深くなる。
唇が離れれば、「君の唇、食べたくなっちゃった」なんて満足そうに笑うのだから、つくづくこの人には敵わない。
「会いたかったよ」
「…私もです」
ぎゅっと抱き合えば美味しそうな匂いの中にも微かに香る花束の匂い。
フランシスさんの匂い、落ち着く匂い。
この匂いに身を包まれる度に、どこまでもこの人に溶けていたいと思ってしまう。

食事を終えた後、フランシスさんに見せたいものがあるんだ、と、庭にいざなわれた。
足を踏み入れてみると、彼方此方に美しくて愛らしい薔薇が咲き誇っていた。
まるでフランシスさんそのものを表しているかのようだ。
「綺麗…」
「だろ〜?」
丁寧に手入れをしているのだろうか。
心なしか薔薇たちも嬉しそうに見えて、おしゃまなすまし顔を浮かべているような気がした。
庭一面が優雅で優しい甘い香りに包まれていて、名残のある感覚にハッとする。
彼からいつも漂っていた匂いの正体はこれだったのか、と、腑に落ちて心が弾み、より一層強くなった彼の匂いに鼻先をくすぐられた。
全身で彼から包まれているような気がしてとても心地がいい。
「いつか、その人の生涯も含めて本当に心から愛したいと思った人に、この庭を見せたかったんだ」
彼が今までどれだけの愛を捧いできたかは計り知れない。
嘘偽りのない、愛の結晶。
「俺は君の幸せを一番に願ってるよ。これからも、隣で見守ってていいかな?」
愛に満ち溢れたその温かな彼の手に身を寄せられて、強く香る心地の良い匂いに心が綻ぶ。
美しく華やかに咲く花々に囲まれた庭の中で、愛おしさを確かめ合う二人の影が重なった。
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