恋人は名乗った後で / 短編
今日はいつもと違って夕方からの集合だった。
フランシスさんは会議が終わった後、私はいつもの業務を終えた後。
「今日は君にとびきり美味しいワインを紹介したくて」
レディ・ファースト、なんて先にタクシーに乗せられて、後に続いて隣に座ったフランシスさんから今日は手じゃなくて腰に手を回されている。
でももうこういうような仕草に変に驚くこともなければ距離感にももう慣れてきてしまっていた。
いや、というよりもこれは───
フランシスさんから「次のデートに良いお店に連れて行きたいから、ちょっと綺麗めな服をお兄さんと一緒に選ぼう」と、前回のデートで選んだもらったスマートカジュアルなドレスを纏いながらいつもと違う浮ついた感覚に駆られる。
自分が自分じゃないみたいで、少しむず痒い。
隣に座っているフランシスさんもいつもとは雰囲気が少し違くて、いつもの緩いウェーブの髪の毛は後ろに一つにまとめて、綺麗なネクタイにベストとピカピカな靴で現れた。
…なかなかイケてる。
それが率直な感想だった。
格好良い、なんて思ってしまったらなんだか負けな気がして、たとえ心の中でさえ言葉としてそう表すのは辞めておいた。
「うん、なかなか似合ってる。流石お兄さんが選んだだけあるなぁ?」
「な、なんですか…」
「そのドレス、凄く綺麗だよ」
あまりにも優しい眼差しでそんな事を言われて、一気に顔が火照る。
「ちょっと、やめてくださいよ」
「ふふ、その照れた顔も含めて本当に可愛い」
腰に回されていた手がするりと私の腕を伝って、手を持ち上げられながらちゅ、と手の甲にキスが落とされた。
「きゃっ!!ちょ、ちょっと!!!!」
「つい?君があまりにも可愛いから」
顔がすごく近い。
いつもふんわり香っている薔薇の香りがさらに強く鼻をツンと刺激する。
どうしよう、なんだか鼓動が早くなってきている気がして、顔が熱くて落ち着かない。
「はあ、もう、本当に、さ。──このまま食べちゃいたいくらい」
耳元でそう囁かれて、ぞくりと鳥肌が立って、不覚にも胸の奥が疼いてしまい。
さらにするりと背中を撫でられて変に身体が震えてしまった。
「ひっ、あ、あの…っ!」
先程までの優しい眼差しに一瞬熱の篭ったような気がして、それを見逃すことも出来なくて。
どうしよう、ちょっとあの、本当に待って…!
キュッと目を瞑ると、途端、パッと手が離されてへにゃりと笑いかけられた。
かと思えば「ふふ、本気にした?」なんて、彼はいつもの調子に戻っている。
「もう!!!いい加減にして下さい!!!」
チラッと、ルームミラーを確認してみると、この一連のやり取りをタクシーの運転手は呆れた顔で眺めていたようだった。
それで急に顔がカッと沸いて、あまりの恥ずかしさに私は苦笑いをこぼすことしか出来なかった。
「どう?美味しいでしょ?このワイン」
「うん、とっても」
手元に出されたチーズとワインがよく合う。
確かにこのワインは美味しい。
流石、フランシスさんはワインの産地の方なだけある。
なので、ワインがすごく進んでしまう。
でも、それだけじゃない。
自分の中に生まれつつある感情に、処理の仕方が見つからずについグラスを口に運んでしまっている。
「そりゃよかった。んーでもちょっとペース早いんじゃないか?せっかくの大切なデートなんだ、もうちょっとゆっくり楽しんでもいいんだぜ?」
デート、か。もう何回目のデートになるんだろう。
いや、そもそもデートって……。
ん?デート?
そうだ。私はいつも彼の誘い文句にいざなわれてそれとなく”デート”なんて口にしてしまっていたが、
彼からすればデートなんてものは日常茶飯事のようなものだろう。
私はその数あるうちの一人でしかない。
それなのに、デート?
違う、私はただ彼の誘いを断るのが面倒臭いから応じているだけで、それで…。
だけどいつしか誘われるのが少し楽しみになっていたり、あんなに憧れていたはずのアーサーさんのことよりもこの人との思い出で心がいつしか埋められてしまって…。
あれ?私、なんでこんなにイライラしてるんだろう。
「フランシスさん、は、なんで私とデート、なんて」
「ん〜?そんなの、君が好きだからだよ?」
「でも、フランシスさんは、色んな人にそうやってたくさん愛を振り撒いて…、色んな人と触れ合ってて…私は…私は…」
視界がぐずぐずに朧げになって、目元から雫が溢れた感覚が頬を伝ったような気がした。
「おいおい、少し飲み過ぎじゃないのか?」
「だって!!フランシスさんの言う本気が信じられないんですもん!!!」
途端、私の中の何かが砕け散った。
ああ、やってしまった。
自分がなんでこんな気持ちに駆られて、涙まで込み上げてきてしまっているのか。
その答えは簡単だった。
私は、この人が好きなんだ。
好きになってしまったんだ。
そう自覚してしまった瞬間だった。
いつのまにか一緒に過ごしているうちに、いとも簡単に、奪われてしまっていたんだ。
この人に酔ってしまったら、もう後戻りができなくなる事がわかっていながら、やっぱりまんまと嵌まってしまったわけだ。
「もう、君って子は。毎回デートに誘ったり、好きな女の子の可愛いドレス着せたり、良いワインを味わってほしいって思うのは本気で愛おしいと感じているから、なんだけどな?」
「その…!貴方の本気なんて!嘘っぱちに聞こえます…!!」
泣きじゃくりながらポカポカと彼を殴る私に、フランシスさんは腕の中にぎゅっと包み込んで背中を摩った。
「はいはい、もうわかったから。こんなに本気なのに、まだ信じてもらえない?」
ふわりと香る薔薇の香り。
ちょっと前までは卑しくて、腹立たしくて、嫌で嫌で仕方がなかったのにいつしかこの匂いが心地よくて、愛おしく感じるようになってしまっていて。
「貴方を、好きでいるのが怖いですっ…!貴方の周りにはたくさん女性がいて、貴方はその愛にたくさん応えていて、そんな姿を私はずっと眺めていなきゃいけないなんて…!」
「あれ?それってもしかして嫉妬?んもう、可愛いなぁ」
頭を優しく撫でられて髪の際に軽くキスが落とされる。
「お兄さん、本当に君に夢中だよ。それに──」
涙を拭われたかと思えば、優しくて大きな手が頬を包んでちゅ、と口元に柔らかなものが触れた。
「やっと、”好き”って言ってくれたね」
そうして再び視線を混じり合わせて、今度は長めのキスを交わした。
なんて甘いんだろう、薔薇な香りも相まって心が溶けてしまいそうで少しクラクラする。
唇が離れた後彼のシャツをギュッと掴んで、つい薄紫に煌めく瞳を見つめてしまっていた。
綺麗な目、いつからこんなにも惹かれてしまっていたんだろう。
「こら、その顔は反則。それに、少し酔いすぎだぜ?」
この酔いが、一緒に飲んでるワインから来てるものなのか、それとも彼への気持ちからくるものなのか、もうよくわからない。
「もう一回だけ…」
「はぁ、この可愛い子猫ちゃんは全く仕方ないな」
今度は、熱の篭った蕩ける口付けを交わす。
もう、このままこの人に酔ってしまってもいい。
「…っと、危ない。続きはまた今度、ね?君のこと、ちゃんと大切にしたいから、さ?」
「本当に、信じていいんですね…?遊びじゃないってことで、いいんですね?」
「君のことは初めから遊びじゃないし、心から愛してるよ。だからさ──」
『君の名前聞いていいかな?』
晴れて恋人になったあの日、初めて名前を彼に名乗った。
「想像通り可愛い名前。あぁ本当に、愛おしくてたまらない」
彼にそんなことを呟かれながらキスの嵐が降ってきて、どこもかしこも愛されてしまったのはまた別の話。
フランシスさんは会議が終わった後、私はいつもの業務を終えた後。
「今日は君にとびきり美味しいワインを紹介したくて」
レディ・ファースト、なんて先にタクシーに乗せられて、後に続いて隣に座ったフランシスさんから今日は手じゃなくて腰に手を回されている。
でももうこういうような仕草に変に驚くこともなければ距離感にももう慣れてきてしまっていた。
いや、というよりもこれは───
フランシスさんから「次のデートに良いお店に連れて行きたいから、ちょっと綺麗めな服をお兄さんと一緒に選ぼう」と、前回のデートで選んだもらったスマートカジュアルなドレスを纏いながらいつもと違う浮ついた感覚に駆られる。
自分が自分じゃないみたいで、少しむず痒い。
隣に座っているフランシスさんもいつもとは雰囲気が少し違くて、いつもの緩いウェーブの髪の毛は後ろに一つにまとめて、綺麗なネクタイにベストとピカピカな靴で現れた。
…なかなかイケてる。
それが率直な感想だった。
格好良い、なんて思ってしまったらなんだか負けな気がして、たとえ心の中でさえ言葉としてそう表すのは辞めておいた。
「うん、なかなか似合ってる。流石お兄さんが選んだだけあるなぁ?」
「な、なんですか…」
「そのドレス、凄く綺麗だよ」
あまりにも優しい眼差しでそんな事を言われて、一気に顔が火照る。
「ちょっと、やめてくださいよ」
「ふふ、その照れた顔も含めて本当に可愛い」
腰に回されていた手がするりと私の腕を伝って、手を持ち上げられながらちゅ、と手の甲にキスが落とされた。
「きゃっ!!ちょ、ちょっと!!!!」
「つい?君があまりにも可愛いから」
顔がすごく近い。
いつもふんわり香っている薔薇の香りがさらに強く鼻をツンと刺激する。
どうしよう、なんだか鼓動が早くなってきている気がして、顔が熱くて落ち着かない。
「はあ、もう、本当に、さ。──このまま食べちゃいたいくらい」
耳元でそう囁かれて、ぞくりと鳥肌が立って、不覚にも胸の奥が疼いてしまい。
さらにするりと背中を撫でられて変に身体が震えてしまった。
「ひっ、あ、あの…っ!」
先程までの優しい眼差しに一瞬熱の篭ったような気がして、それを見逃すことも出来なくて。
どうしよう、ちょっとあの、本当に待って…!
キュッと目を瞑ると、途端、パッと手が離されてへにゃりと笑いかけられた。
かと思えば「ふふ、本気にした?」なんて、彼はいつもの調子に戻っている。
「もう!!!いい加減にして下さい!!!」
チラッと、ルームミラーを確認してみると、この一連のやり取りをタクシーの運転手は呆れた顔で眺めていたようだった。
それで急に顔がカッと沸いて、あまりの恥ずかしさに私は苦笑いをこぼすことしか出来なかった。
「どう?美味しいでしょ?このワイン」
「うん、とっても」
手元に出されたチーズとワインがよく合う。
確かにこのワインは美味しい。
流石、フランシスさんはワインの産地の方なだけある。
なので、ワインがすごく進んでしまう。
でも、それだけじゃない。
自分の中に生まれつつある感情に、処理の仕方が見つからずについグラスを口に運んでしまっている。
「そりゃよかった。んーでもちょっとペース早いんじゃないか?せっかくの大切なデートなんだ、もうちょっとゆっくり楽しんでもいいんだぜ?」
デート、か。もう何回目のデートになるんだろう。
いや、そもそもデートって……。
ん?デート?
そうだ。私はいつも彼の誘い文句にいざなわれてそれとなく”デート”なんて口にしてしまっていたが、
彼からすればデートなんてものは日常茶飯事のようなものだろう。
私はその数あるうちの一人でしかない。
それなのに、デート?
違う、私はただ彼の誘いを断るのが面倒臭いから応じているだけで、それで…。
だけどいつしか誘われるのが少し楽しみになっていたり、あんなに憧れていたはずのアーサーさんのことよりもこの人との思い出で心がいつしか埋められてしまって…。
あれ?私、なんでこんなにイライラしてるんだろう。
「フランシスさん、は、なんで私とデート、なんて」
「ん〜?そんなの、君が好きだからだよ?」
「でも、フランシスさんは、色んな人にそうやってたくさん愛を振り撒いて…、色んな人と触れ合ってて…私は…私は…」
視界がぐずぐずに朧げになって、目元から雫が溢れた感覚が頬を伝ったような気がした。
「おいおい、少し飲み過ぎじゃないのか?」
「だって!!フランシスさんの言う本気が信じられないんですもん!!!」
途端、私の中の何かが砕け散った。
ああ、やってしまった。
自分がなんでこんな気持ちに駆られて、涙まで込み上げてきてしまっているのか。
その答えは簡単だった。
私は、この人が好きなんだ。
好きになってしまったんだ。
そう自覚してしまった瞬間だった。
いつのまにか一緒に過ごしているうちに、いとも簡単に、奪われてしまっていたんだ。
この人に酔ってしまったら、もう後戻りができなくなる事がわかっていながら、やっぱりまんまと嵌まってしまったわけだ。
「もう、君って子は。毎回デートに誘ったり、好きな女の子の可愛いドレス着せたり、良いワインを味わってほしいって思うのは本気で愛おしいと感じているから、なんだけどな?」
「その…!貴方の本気なんて!嘘っぱちに聞こえます…!!」
泣きじゃくりながらポカポカと彼を殴る私に、フランシスさんは腕の中にぎゅっと包み込んで背中を摩った。
「はいはい、もうわかったから。こんなに本気なのに、まだ信じてもらえない?」
ふわりと香る薔薇の香り。
ちょっと前までは卑しくて、腹立たしくて、嫌で嫌で仕方がなかったのにいつしかこの匂いが心地よくて、愛おしく感じるようになってしまっていて。
「貴方を、好きでいるのが怖いですっ…!貴方の周りにはたくさん女性がいて、貴方はその愛にたくさん応えていて、そんな姿を私はずっと眺めていなきゃいけないなんて…!」
「あれ?それってもしかして嫉妬?んもう、可愛いなぁ」
頭を優しく撫でられて髪の際に軽くキスが落とされる。
「お兄さん、本当に君に夢中だよ。それに──」
涙を拭われたかと思えば、優しくて大きな手が頬を包んでちゅ、と口元に柔らかなものが触れた。
「やっと、”好き”って言ってくれたね」
そうして再び視線を混じり合わせて、今度は長めのキスを交わした。
なんて甘いんだろう、薔薇な香りも相まって心が溶けてしまいそうで少しクラクラする。
唇が離れた後彼のシャツをギュッと掴んで、つい薄紫に煌めく瞳を見つめてしまっていた。
綺麗な目、いつからこんなにも惹かれてしまっていたんだろう。
「こら、その顔は反則。それに、少し酔いすぎだぜ?」
この酔いが、一緒に飲んでるワインから来てるものなのか、それとも彼への気持ちからくるものなのか、もうよくわからない。
「もう一回だけ…」
「はぁ、この可愛い子猫ちゃんは全く仕方ないな」
今度は、熱の篭った蕩ける口付けを交わす。
もう、このままこの人に酔ってしまってもいい。
「…っと、危ない。続きはまた今度、ね?君のこと、ちゃんと大切にしたいから、さ?」
「本当に、信じていいんですね…?遊びじゃないってことで、いいんですね?」
「君のことは初めから遊びじゃないし、心から愛してるよ。だからさ──」
『君の名前聞いていいかな?』
晴れて恋人になったあの日、初めて名前を彼に名乗った。
「想像通り可愛い名前。あぁ本当に、愛おしくてたまらない」
彼にそんなことを呟かれながらキスの嵐が降ってきて、どこもかしこも愛されてしまったのはまた別の話。
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