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夜嵐とホットミルク/篁夏


「明日と明後日、店閉めるからな」
 珍しく客が途切れて手持ち無沙汰に携帯をいじっていると、唐突に先輩ホストにそう告げられた。
「あれ、何かありましたっけ?」
「馬鹿。ナツ、ニュース見てないのかよ」
 唐突な休業の理由が思いつかずに首を捻ると、先輩は呆れたように言って煙草をふかした。
「台風だよ。明日と明後日で直撃らしい。電車も止まるし客も来ねえだろうから、店は閉める。危ねえしな」
「台風?」
 そういえば、今日はやけに雨風が強かった気がする。
 携帯でニュースサイトを確認すると、非常に強い勢力を保った台風が日本列島に接近中、とレインコートを着たキャスターが暴風にさらされながらリポートしている動画が出てきた。既にいくつかの警報も発令されているらしい。
「ホントだ。気がつかなかった」
「ニュースくらい見ろよ、お前。そんなわけで、今日も少し早く閉店するから。客の入りも悪いし」
 先輩が店内を見渡す。いつもならこの時間はどのテーブルもキラキラとした女性客で埋まっているはずなのだが、今日はやはり台風の影響なのか空席が目立っていた。売れっ子ホストなはずの夏生でさえ、少し時間を持て余すくらいだ。
「ねぇ、客がいないならもう帰ってもイイ?」
「あぁ? ……まぁ、ただでさえ少ない客をみんなナツに持っていかれたら他の奴らが可哀想だしな。いいぞ」
「やった、じゃあお先です」
 先輩に軽く頭を下げて、店のバックヤードに下がる。
 台風が近い、と聞いてから、ひとつ気になることがあった。
(──センセイ、大丈夫かな)

 タクシーを使って、恋人である篁の家である古アパートに乗りつける。その頃には、雨足は更に強まっていた。
 タクシーを降りてからアパートの屋根の下に入るまで、水を跳ね上げながら駆け抜ける。スーツの裾に泥が撥ねたかもしれない。あとでクリーニングに出さなければ。
「センセー、いる?」
 どんどん、と古い扉を叩いてみる。返事はない。もう寝てしまっているのだろうか。
 今までは夜中に押しかけると篁が出てくるまでひたすら扉を叩いていたが、恋人という関係になってからはそんなことは必要なくなった。先日篁から渡された合鍵を使って、扉を開ける。
「センセー?」
 部屋の中は薄暗かった。寝ているのかと思ったが、居間の電気がついているのがわかる。玄関で濡れてしまったスーツの上着を脱いで、居間に繋がる戸を開けると、篁はそこにいた。力なくちゃぶ台に突っ伏した姿で。
「あー、やっぱり。大丈夫? センセイ」
「夏生か……」
 いつもより声が数段低い。やっぱり、と苦笑しながら濡れてしまった上着をハンガーにかける。ちゃぶ台の前に胡座をかいている篁の隣にしゃがみ込むと、篁は突っ伏したままこちらに顔を向けた。眉間に皺が寄っている。
「台風近いって聞いたから、センセー大丈夫かなと思ったけどやっぱりダメか。薬飲んだ?」
「……さっき飲んだ」
 ちゃぶ台の上には、白い紙袋が無造作に置かれていた。篁用の頭痛薬だ。
 恋人という関係になってから、篁がひどく気圧の変化に弱いということを知った。天気の悪い日は必ずといっていいほど頭が痛くなるらしい。そのため、頭痛薬を常備している。
「気圧に弱いと大変だね。大丈夫?」
「う〜ん……」
「うわっ、何、センセー」
 唸り声をあげて、篁が腕を伸ばす。膝を押されて、しゃがみ込んでいたのを無理矢理座らせられる。夏生が体勢を崩すと、そのまま膝に頭を乗せてきた。いわゆる膝枕の体勢になる。
「頭痛え、ちょっと膝貸してくれ」
「いいけど、俺の膝じゃ固くない?」
「大丈夫だ」
 篁の頭がもぞもぞと動いて、楽な体勢を探す。結局、夏生の腰に抱きつくようにして落ち着いた。恋人としてやるべきことは一通りやっているはずなのに、ただ抱きつかれているだけということが妙にくすぐったくなる。
「……」
 見下ろせば、ぎゅっと目を瞑っている篁の頭がある。頭が痛いようで、眉間には深く皺が刻まれていた。そっと頭を撫でると、甘えるように僅かに額を夏生の腹に押し付けてきた。その仕草に、ズキュン、と胸を撃ち抜かれる。
(……か、かわいい!)
 普段、共に寝た夜でもこんな風に篁が甘えてくることなんて珍しい。
 篁と夏生には無くすことができない年の差がある。篁のことになると子供っぽくなってしまう夏生と対照的に、篁はいつだって年上の男として悠然と構えていることが多かった。
(いや、子供っぽいところがないわけじゃないけど、むしろたまに見せるそういうところが好きだけど! それにしたってこんな風に甘えてくることってないじゃん! やばい、にやける)
 悶えそうになるのを堪えながらつん、と指先で眉間をつつくと、篁がうっすらと目を開けた。夏生を見上げて、「何にやついてるんだ」と呟く。思わずその唇にキスを落とすと、篁の瞳が驚いたように丸くなる。
「なんだ、急に」
「いや、弱ってるセンセイめちゃくちゃかわいいなと思って」
「なんだそれ……」
「だってセンセー、こんな風に甘えてくること滅多にないじゃん」
 ごろり、と篁が夏生の膝の上で仰向けになった。上と下から真っ直ぐに見つめ合う。
「割と甘えてる気がするがな……。メシ作ってもらったり」
「そういうのじゃないよ。なんか、こんな風に分かりやすく甘えられると嬉しい。いつも年上の余裕見せつけられてばっかだもん」
「そりゃ、俺は年上だしな。あんまりカッコ悪い所見せたら、夏生に愛想尽かされそうだ」
「んなわけないじゃん、センセーのダサい所も好きだよ」
「ダサいって」
 はぁ、とため息をつく篁にもう一度キスをする。顔を近づけると、するりと首に手が回された。引き寄せられるままに唇を合わせる。静かな室内に、雨音ではない湿った水音が響く。
 篁とのキスは気持ちいい。今までキスなど数えきれないほどしてきたが、そのうちのどれとも比べられないほど、篁とのキスは幸福感に満ちている。何が違うのか。きっと、篁が上手い、というだけではない。
 は、と息継ぎのために唇を離すと、篁の大きな手が夏生の髪を撫でた。
「……そういえば、今日は帰りが早かったな」
「台風で客が来ないから、早上がりした。明日と明後日も休業になったから、弱ってかわいいセンセーがたくさん見れるね」
「勘弁してくれ……」
 ため息をついて、篁が起き上がる。
「だめだ、やっぱり頭痛いから寝る」
「ホットミルクでも作ってあげようか。寝つきが良くなるように」
「子供扱いか?」
 拗ねたように言う恋人がかわいくて、もう一度抱きつく。
「恋人扱いだよ。ホットミルクにブランデー入れてあげる」
「そりゃどうも」
 やっぱり少し拗ねている。ふは、と吹き出すと、かわいい恋人は少し不機嫌な顔で夏生の唇にキスを落とした。

 
 
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