2022年めり誕SS
「アメリカ、デートするぞ」
予定より少し早く俺の家を訪れた恋人は、玄関の扉を開けるなりそう言い放った。その直後、「ゔっ」とうめいて口元を抑える。例年通り、体調は最悪らしい。俺は彼が落っことす前に、彼の荷物を取り上げた。とりあえず、荷物と一緒に彼を家の中に招き入れる。
「いらっしゃい、来てくれて嬉しいよ──いきなりどうしたんだい?」
恋人であり元兄の丸まった背中をさすりながらそう尋ねる。俺の誕生日パーティが開催されるのは明日の予定だ。招待した国の何人かはもう俺の家のホテルに滞在して観光なんかをしているけれど、イギリスは──体調不良が理由で、当日にうちにきてパーティに出たらそのままとんぼ返りするのが常だった。
だから今年も、イギリスがやってくるのは明日だと思っていたけれど、なぜかイギリスは今日、うちにやってきた。予想外のことに嬉しさよりも驚きの方が勝ってしまう。
「君は明日くると思ってたけど、体調は………良くなさそうだね」
イギリスは真っ青な顔で何度かえずいた。もしかしたら血を吐くかもしれない。
「とにかく、リビングに行こう。座って少し休みなよ」
「いや、出かけるぞ。今からだ」
「今から?」
イギリスはポケットから綺麗な刺繍がされたハンカチを取り出すと、それで口元を拭った。ハンカチが赤く汚れてしまったのを隠すように、さっとすぐにポケットに戻す。
「体調悪いんだろ。出かけるなんて無理だよ。座って休んだ方がいい」
「今座ったら、動けなくなるだろ」
「だから、休みなよ。いつもはギリギリまで君の家を出ないのに、今年はこんなに早く来るなんて、どうしたって言うんだい?」
真っ青な顔で今にも倒れ込みそうなのに、イギリスは玄関から動く気はなさそうだった。彼の背中を支えながら、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。本当に、彼が俺の誕生日の前日にやってくるなんて、この何百年間で初めてのことだった。
イギリスはふらふらしながら、その立派な眉毛を悔しそうにしかめる。
「……髭野郎が」
「フランス?彼なら少し前に来て、今はカナダの所にいるんじゃないかな。また喧嘩したのかい?」
顔を合わせれば喧嘩ばかりしている二人を思い出して、呆れたようにため息をつく。昔は彼らがすごくかっこいい大人に見えていたけれど、彼らに近づけば近づくほど、俺が思っていたよりもだいぶしょうもないということがわかってきた。まぁ、頼れるところはあるけれどね。
「……あいつが、恋人の誕生日にデートのひとつもできないんじゃそのうち見限られるって……」
悔しそうに、小さな声でイギリスが呟く。はっとして俯くイギリスの顔を覗き込むと、彼の顔はいつの間にか、悔しさと不安と悲しみでいっぱいになっていた。
フランスのやつ、余計なことを言ったな。彼はいつもふざけているようで、その実誰よりも人を見ている──けれど、お酒を飲んで酔っ払っている時、特にイギリスと飲んでいる時は、その限りではないようだった。
この時期のイギリスは、いつも以上にちょっとしたことで落ち込むし、傷つく。身体の不調に精神的に引っ張られるのか、情緒不安定になりやすいのだ。
「だから、出かけるぞアメリカ」
「出かけないよ、今にも倒れそうな人とデートなんてしないぞ」
「大丈夫だ、今日は三回しか吐いてない」
「三回も吐いてるじゃないか。無理しないでくれよ」
言っている側から、イギリスがごほごほと咳き込む。今年は去年よりひどいな。最近はだいぶマシになってきたと思っていたんだけど。体調が悪いのに加えて、フランスから言われたことで更にナーバスになってしまっているみたいだ。
俺がイギリスから独立して二百年と少し、彼はずっと血を吐き続けている。最初の百年くらいは、彼は俺の顔を見ることもなければ、独立記念日という俺の誕生日を祝ってくれたこともなかった。絶望と憎しみが渦巻く緑色の瞳を爛々と光らせて、俺を睨みつけてくることもあった。それが辛くなかったかって言われたら嘘になる。
しかし月日は流れて、俺とイギリスはまた新しい関係を築けるようになった。その瞳から憎しみが消え、以前のように彼が俺を見てくれる。俺も彼も、あの日のことを忘れたわけではないけれど、それでももうお互いに憎み合ったりなんてしていなかった。お互いに、幸せだと思う。
──それでも、彼がパーティに来てくれるようになっても、俺と彼が恋人という新しい関係を結んでも、彼は俺の誕生日が近づくと必ず体調を崩して血を吐いてしまう。
「俺は……俺は本当にもう、お前を恨んじゃいないんだ。それ以上に愛しているし、お前とこういう関係になれて良かったと思ってる。だけどどうしてもだめなんだ。この時期になると、どうしても……」
顔を覆って、イギリスはずるずると玄関にしゃがみ込んだ。倒れないように彼の身体を支えながら、俺もそれに寄り添う。
「わかってるよ、イギリス。君が体調を崩すなんていつものことじゃないか」
「いつまで経っても引きずってる、情けない男だと思うだろ。お前の誕生日なのに、まともに祝うことすらできない」
「思わないよ、だって君はこうしてパーティに来てくれるじゃないか。プレゼントだってくれる。そんなこと思うはずないよ」
ぐすぐすと鼻を鳴らし始めるイギリスを慰めるように、背中を撫でてやる。
「でも……」
「君が一日早くうちに来てくれたってだけですごいサプライズだ。これ以上のプレゼントなんてないよ。ねぇ、出かけないで、うちでディナーにしようよ。それがいい」
玄関に座り込んでしまったイギリスの腕を引っ張って立たせてやる。
最初は死にそうな顔でやってきたイギリスに驚きの方が勝ってしまったけれど、彼がこうして一日早くやってきてくれたことに対する喜びがふつふつと俺の心を温かく包んでいく。
「来てくれて本当に嬉しいよ、イギリス。一日早くプレゼントをもらっちゃったな。ねぇ、本当に嬉しいんだよ」
彼の手を両手で包んで、顔を覗き込む。俺が本当に嬉しいって思ってることが伝わるように。
「無理しなくていいんだよ。君の体調不良の原因は俺にあるってわかってる。君が俺のことを大好きだっていうのもわかってる。誕生日にデートができなくたって、こうして会いにきてくれるじゃないか。それでじゅうぶんだよ」
いつか、イギリスが苦しまずに俺の誕生日を祝ってくれる日がくるといいと思う。でも、今はこれで本当にじゅうぶんだ。
「ねぇイギリス、今日は一緒に寝ようよ。それで、明日の朝、一番最初にハッピーバースデーって言って。誕生日の一番初めに君に会えるなんて、こんなに嬉しいことないよ。きっと明日は最高の誕生日になるな」
「……パーティでまた吐くかもしれないぞ」
「大丈夫だよ、明日は誰かが酔っ払ってワインをこぼしても大丈夫なように、テーブルクロスもカーペットも赤にしてあるから」
そう言うと、イギリスはようやく小さく微笑んだ。俺も笑って、置きっ放しだった彼の荷物を取り上げる。
「さぁ、リビングに行こう。君が来るなんて思ってなかったから散らかってるけど、文句は受け付けないぞ」
「お前な、普段からちゃんと片付けろってあれほど……」
「片付けてるのにいつの間にか散らかってるんだ、これは何者かの陰謀だよ」
「そんなわけあるか!」
少し調子を取り戻したイギリスが、立派な眉毛を跳ね上げる。俺は真面目な顔で陰謀論を説きながら、胸が幸福で満たされていくのを感じていた。
国として生まれて生きてきて、いろんなことがあった。いいことばかりではなかったかもしれない。幸せな時も、絶望と悲しみに挫けそうになった時もあって、それでも今、こうして俺たちは一緒にいる。
そしてきっと、これからも。
「──ハッピーバースデー、アメリカ」
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