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ある日の夜

英米

 死ぬほど疲れた。
 いや、国である以上、簡単に死んだりはしないんだけど。でも肉体的にはもうこれ死ぬんじゃないかなってくらい疲れた。
 ふらふらになりながらも自宅に帰り着いて、アメリカはスーツを脱ぐ力もなくベッドに倒れ込んだ。
 時計を見れば日付が変わろうかという頃で、思わずため息が出る。会議だ視察だと急に上司に仕事を言いつけられて、もう一ヶ月はまともに寝られていない。
 国象は人間ではないけれど、かといって人間よりも偉いのかと言われるとそうでもなく、国の化身であることを除けば人間とそう変わらない。日本風に言えば社畜。上司の無茶振りにもなんとかして応えなければならない立場なのである。むしろ時には人間じゃないからこれくらいは大丈夫だと言わんばかりに仕事を詰め込まれることもしばしばあり、国の化身だからと言ってのんべんだらりと暮らしているわけではないのである。
 天下のアメリカであってもそれは変わらない。世界のヒーローであっても、上司の命令に逆らうことはできないのである。意外と国象とは世知辛いいきものなのだ。
 閑話休題。とにかく、アメリカはこれでもかというほど詰め込まれた仕事に忙殺され、恋人との逢瀬すらままならない状態にあった。
 ベッドの上に寝転がりながら、乱暴にネクタイを外して床に落とす。きっと几帳面なイギリスが見ていたら、その立派な眉を顰めて小言を口にしていたことだろう。元兄であり現恋人の彼の小言などいつもはあまり聞きたくないけれど、今は小言でもいいから声が聞きたかった。
 iPhoneの画面をタップする。電気もつけていない暗い部屋に、携帯の画面がぼんやりと光を放った。──どうしても、声が聞きたくなった。アドレス帳から彼の番号を呼び出してタップする。深夜の静寂に、コール音が微かに響いた。
 あちらは何時だろう。特に考えずにかけてしまったから、もしかしたら出ないかもしれない。iPhoneを持った右手をベッドの上に投げ出しながら、目を閉じてコールの音を聞く。出なかったら諦めて寝よう。
 一回め、二回め。コール音の数を数える。そろそろ切ろうかな、と思ったところで、ふつりとコール音が途切れた。
『……ハロー?』
 少しだけくぐもった、寝起きの彼の声がした。繋がると思っていなかったので、少し慌てる。
「……イギリス?」
 声を潜めて呼びかけると、数秒の沈黙のあと、『アメリカ?』と彼の声が自分を呼ぶ。
「うん、俺」
『お前、今何時だと思って……』
「ごめん、起こしたかい? 起こすつもりはなかったんだよ。またかけ直す」
 自分と彼の家には時差がある。離れて暮らしている以上それは仕方がないことで、電話をするにもいつも時差のことは気にしていた。今回は本当に、出たらいいな、くらいの気持ちだったので、時差のことは考えていなかった。
『……いや、いい。ちょうど起きる時間だから、目覚まし代わりになった。もう起きる』
「俺は今から寝るとこだよ……」
『今から? お前んち、今何時だ?』
 怪訝そうに訊かれて、時計の時刻を読み上げる。途端に、彼がその立派な眉を顰めた。……見えてはいないけれど、なんとなく声でわかった。
『お前の家はいつから日本になったんだ?』
「日本はもっとすごいって聞くけどね」
 はは、と乾いた笑い声をあげる。少し前に会った日本も、どうやら仕事が山積みにされているようだった。国象の労働環境について、いつか正式に訴えを起こすべきかもしれない。
「そっちはどう?」
『忙しいは忙しいが、お前ほどじゃない。……大丈夫か?』
 トーンを落とした心配そうな恋人の声に、きゅっと胸が詰まった。顔が見たいな、と思う。こういう時は、どうしても離れて暮らさなくてはならない国という立場が少しだけ嫌になってしまう。
「うん、大丈夫。俺はヒーローだからね。これくらいなんともないさ!」
『疲れて急に電話してきたやつがよく言うよ。……まぁ、いつでも電話してこい』
 うん、と返事をする。電話して良かった。声を聞くだけで、少しだけ疲労が軽くなった気がする。でも逆に、直接会えない寂しさが募った。
「……ねぇ、今度の休みにそっち行ってもいいかい?」
『いいけど、お前忙しいんだろ?』
「明日から……いや、今日から詰め込めば、次の休みまでには終わるよ。終わらなかったらストライキする。国にも労働基準法は適用されるべきだ」
 フランスはよくストライキをしていたはずだ、と思い出す。たいていはすぐに捕まって、連れ戻されて泣きながら仕事をしていたようだけど。それでもフランスが許されるなら、アメリカだってストライキしてもいいはずだ。国外逃亡という、少し規模の大きなストライキだけど。多少無理してでも、どうしても会いたかった。
『……いや、駄目だ』
「えっ、どうして!?」
 せっかく湧いたやる気が、嘘のように消えていく。しばらく会えなくて寂しいのは自分だけなのかと、少しがっかりした。携帯を握る手からも力が抜ける。
『違ぇよ、俺がそっち行くって言ってんだ』
「え」
 落としそうになった携帯を慌てて掴み直す。
『俺は今そんなに忙しくないから、俺がそっちに行く。どうせ忙しいからって家のことも何もしてないんだろ』
 呆れたようにため息をつくのはポーズだとわかっている。──彼がこっちに来る。ふつふつと喜びが湧き上がって、アメリカは目を輝かせた。
「本当に⁉︎」
『あぁ。しばらくそっちでお前の面倒見てやるから、仕事はちゃんとしろ。あのクソ馬鹿髭野郎の真似はするな』
「オーケー、わかった」
 にこにこと頬が緩む。嬉しさに声まで弾んでしまって、それが伝わったのか電話の向こうのイギリスも笑ったのがわかった。海を挟んで離れていても、彼が自分のそばにいるのだということを感じる。

『そっちにいる間は俺が飯作ってやるからな』
「それは丁重にお断りするよ」
『なんでだよ!』
 それでも、彼が作った黒焦げの料理を嬉しく思ってしまうのだろう。電話の向こうの彼に気づかれないよう、アメリカはひっそりと笑った。
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