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天使と悪魔と契約した男


「……結局犯人らしき人物は、観劇者にも劇場関係者にも見当たらねえ……か」
小十郎は同僚の猿飛佐助と共に名簿を洗いざらい調べていたが、これといった怪しい人物は見当たらなかった。
むしろ観劇者には政財界や文化人で名の知れた人物の方が多く、改めて日比野明美の一族が仕切る「日比野財閥」の影響力を思い知った。
「でもさ……日比野明美の親や兄に聞いても、『娘は素晴らしいオペラ歌手でした』くらいしか言わないし、こういう人物のスキャンダルとかを好き好んで報道しそうな週刊誌が全く報道しないって……なんか裏……在りそうじゃない?」
佐助は、日比野明美についての記事が載っている雑誌をパラパラと捲りながらコーヒーを飲んでいる。
「……チッ、あまり使いたくねぇが、裏をかいて奴に聞いてみるか」
「あの男がこの大物に食いつかない訳ない。彼を以てしても取材ができない、報道できないのなら、相当な圧力があるとみていいだろうしね。損はないよ、こちらからは死因は絞殺なくらい言っても大丈夫でしょ。今日また会見があるんだし、さ」
「……外回りに行ってくる、鑑識からのデータ……来たら俺の机に置いておけよ」
「了解!」
小十郎は、短く「あの男」にメッセージを送ってから警視庁を出た。


向こうが指定して来た待ち合わせの場所は、動物園だった。
「……おい、長曾我部」
入場券を買っていた「あの男」こと長曾我部元親を、小十郎は背後からドスの効いた声で呼ぶ。
「……おう、わざわざ俺を呼ぶたぁ……余程のことには違いねぇだろうな」
元親は、平然と小十郎の方を振り向いて、無言で入場券を差し出してきた。
「……入るのか」
「じゃなかったらお前の分まで買うか?」
「…………」
小十郎は入場券を受け取り、元親と共に動物園に入る。
「子どもの喧噪に紛れた方が、いいだろ?」
「……一理あるな」
捜査上の情報を、うかつに一般人に聞かれてはいけない……本来は、元親に聞こうとするのもかなり危ない橋なのだ。
それでも、常日頃有名人に張っている記者は時として警察の捜査に寄与する情報を持っていたりする。
中でも元親は、本当に人が嫌がるであろうことは報道しない、人情がある方の男だった。
「……で、聞きたいことはもしかして、あのオペラ歌手のことか?」
「――随分と察しがいいじゃねえか」
パンダの檻の前で、小十郎は立ち止まる。
「お前が俺に聞きに来るのって、週刊誌で取り上げられるレベルの有名人が事件の対象になった時くらいだろ?で、今あらゆる週刊誌が一番狙ってるのがオペラ歌手のスクープ……。でも大したことは上がらねぇ、スキャンダルじゃなくて単なる追悼記事みたいなもんだ。……それがおかしいと、お前は思ったんだろ?」
パンダがゴロゴロと転がっているのを、元親は面白そうな表情で見ている。
「……歌手の家族は『娘は素晴らしい歌手でした』、人間関係でトラブルはねぇ、だとよ。旦那はショックで聴取を拒否。出演者は、順次聴取中だ」
「なるほどなぁ……やっぱり言いたくねえことあるん……だろうな」
元親はパンダの檻に背を向けて歩き出す。
「なんだ、思い当たることがあるのか」
「これは藤堂に張ってる同僚からの情報だが、オペラ歌手……相当な数の愛人がいたみたいだぜ。藤堂もその一人らしい」
「……はぁ?そんな大スクープ、お前らなら……普通すぐさま記事にするだろ」
「――そいつはするさ、なんせ不倫ネタに容赦ねぇからな。だが、する直前に……根源からの圧力があったんだ」
「……圧力」
「今回もそんな感じさ、メディアはオペラ歌手に不都合なことは載せられねぇ、報道しねぇ。だから……一応調べてはみるが、これ以上俺にあまり期待するな」
ちらりと象の方を見て、元親は小十郎の前から去っていった……。


久秀は、久しぶりに利休が茶道師範をしている京都に訪れた。
「お師匠様!!」
久秀の姿を見かけると、利休は駆け寄ってくる。
「利休、わざわざ出迎えありがとう」
「いえ、ちょうど館林さんが好きなお菓子を買いにこちらに来ていたので」
「館林、というと……あの」
「――はい、彼女の実家は京都なので。……だから、時々だけど私のお弟子さん、なんです」
「確かに、今は東京にいるよりこちらにいた方がいいだろうな」
「館林さん曰く、藤堂さんも滋賀のホテルに滞在しているのだとか。藤堂さんは知り合いの伝手をたどって来たそうな」
久秀は「日比野財閥の指示か?」と、この間秋津から聞いた噂を思い出して推測する。
「……利休、藤堂さんに会ってみたいのだが……できるかね?」
久秀は利休の車に乗った瞬間に切り出した。
「…………!」
ハッと、利休は思わず久秀の方を振り向く。
「少々、気になることがあってね」
「……やってみます。館林さんに言ったら、何とかなるかもしれません」
「恩に着る」
利休は、その言葉を聞いてから車を発進させた。
二十分ほど車を走らせると、利休の邸宅に着いた。
「……あれ、館林さんと、藤堂さん?」
「……ん?」
久秀は、助手席から身を傾けてフロントガラス越しに利休邸への坂を上る男女の姿を確認した。
「おやおや、どうやら君にかける手間が省けたようだ」
「どうしたんだろう……急いで用意しないと」
「――私も手伝おう」
「ありがとうございます、お師匠様」
久秀と利休は、大慌てで着物を着て茶席のために湯を沸かした。
準備が終わると同時に玄関のチャイムが鳴り、利休はにこやかに二人を迎えた。
「ようおいでくださいました」
「利休さん、ごめんなさい。急に藤堂さんも連れてきてしまうし、お伺いするのは明日だったんだけど……予定が入ってしまって」
「大丈夫ですよ。今日は……私の師匠が立てるお茶になってしまいますが」
「利休さんの師匠……それはまたすごい方に」
「今の本業は、探偵さんなんですけどね。ささ、どうぞこちらに」
利休は、二人を茶室に案内する。
そこには、黒の着物を見事に着こなした久秀が待っていた。
「――はじめまして。私は千利休の師匠、松永久秀。本業は、探偵だ。そうだ……偶然にも、この間のお二人の『アイーダ』……拝見させていただきました。……素晴らしい歌でした」
久秀は、スッと美しい所作で礼をする。
「そうなんですか!それは嬉しいことですね……!僕は藤堂潤太郎、オペラ歌手です」
「すごい偶然……!それに、直接感想をいただけて光栄です。私は館林凛子です」
二人は、嬉しそうな顔をする。
「まずは一服……いただいてください」
久秀は、迷いのない洗練された動作で茶を立てる。
今はもう人前で立てることは多くないが、週に数度は自宅で長逸をもてなしている。
何度か小十郎も誘ったのだが、彼がそれに応じたのは久秀が解決した「畠山事件」という密室殺人を解決した直後の一度きりだ。
小十郎は、その事件の幼い遺族である伊達政宗を引き取り、自身の手で育てている。
――彼は今、いくつだったか。
二人に茶を出すと同時に、そのことを思い出す。
――いや、それはまた彼に聞けばいい。
「――どうぞ」
「ありがとうございます」
館林は慣れていたが、藤堂は館林の見よう見まねで礼をする。
「……そういえば、お二人はなぜ京都に?」
「私は、その……あまり東京が好きじゃなくて、こちらを拠点にしているんです」
「僕は……ちょうど知り合いの京極マリアさんから紹介を受けて、泊まりに来たんです。……決して、ゴシップ除けという訳では」
「京極マリアさん……とは」
「彼女ですか?彼女は、私や藤堂さん、日比野さんと……同じ大学の友人です。今は……確か、誰かの秘書をしているって」
久秀は、さりげなく二人から情報を引き出すことを決めた。
「館林さん、藤堂さんは日比野さんと同じ大学だったんですね」
「ええ……。大学を卒業してからも日比野さんがよく公演をさぼりたがったのを、私と綾子で説得したりしました」
「……凛子!!」
その「綾子」という名前を聞いた瞬間、藤堂は館林に向けて制止をかける。
「……どうしたの、藤堂さん?」
「思い出話を、する必要……ないだろう」
「え、ええ……」
「――失礼、松永さん。僕は滋賀まで戻らないとだから、そろそろお暇します」
藤堂は、動揺した様子で礼をしてから慌ただしく帰っていった。
「……藤堂さん……」
「……館林さん、『綾子』とは……誰のことかね?」
「…………」
館林は、話すべきか離さないべきか迷っているようだった。
「何、私は探偵だが……警察の手先ではない。守秘義務は守るし、そこの利休も口が堅くて信頼できるよ」
「念のため……席を、外しておきますね」
利休は一礼してから茶室を出て行った。
館林は決心したように口を開く。
「綾子……三条西綾子さんは……日比野さんの元婚約者の……足利義輝さんの亡くなった奥さんです」
「足利……とすると日比野財閥以上とも言われる……あの足利財閥、の。では、なぜ彼は日比野さんと結婚せずに、綾子さんと?」
久秀の言葉に、館林は頷く。
「きっかけは、私たちの大学の定期公演でした――」


――深夜。
小十郎のスマホに、突如電話が入った。
画面を見ると、「長曾我部元親」と表示されており、渋々出る。
「おい、どんなスクープだろうがさすがに時間を選びやがれ」
「――足利義輝」
「あ??」
「そいつを当たれ、足利財閥のそいつは日比野の元婚約者だ。数年前まで日比野の使用人だった奴から聞いた、間違いねえ、今回の事件……奴が関わってる」
「そんな根拠のないこと……」
「足利が日比野の同級生と駆け落ちして、その駆け落ちした女が自殺していても、『ない』と言えるのか」
「……分かった、足利義輝だな」
「そうだ……俺は今から別の一件で忙しくなる。調べられるのもここまでだ」
「十分な収穫だ、今度飯でも奢ってやる」
小十郎は電話を切った後、大きなため息をつく。
「やれやれ、えらく大物が出てきたな……」


――滋賀県某市ホテル。
ホテルの清掃スタッフが、藤堂潤太郎の宿泊している部屋の清掃をしようと部屋に入った。
その瞬間、スタッフは衝撃的な光景を目にする。
藤堂がワインを飲んだまま、亡くなっていたのである。
その報せは、すぐに警視庁に入った。
「藤堂が殺害された?!」
「即効性の毒らしいよ、グラスに塗られていたとか。まあ、まさか地元のファンから貰ったワインのセットに毒があるなんて思わないよねぇ」
佐助は、届いて印刷したばかりの資料を見ながら彼に答える。
「その地元のファンとやらは」
「あー……それが、ホテルの関係者がその人に『依頼されて渡した』だってさ」
「指紋は」
「その人と藤堂のだけだって。で、ワイングラスには藤堂だけ。塗るくらいだから一度は触ってるはずなんだけど、拭いた形跡もなく……機械でやったのかな。それとも、元から手袋をしているとか?……って、自分で読んでよ!!」
佐助は乗せられるまま全部答えてしまったことに気付いて、不満を言う。
「日比野と同一犯だと思うか?」
「……可能性は、ゼロじゃないね。こう関係者が続いて殺されるのは不可解だよ。……怨恨の線……あるんじゃない?」
佐助は日比野の事件の資料を出して、もう一度読み直す。
「――足利義輝」
「え?」
「『あの男』が、奴を当たれとさ」
「……待って、その名前……前の名簿で見た気がする」
「……なんだと!」
小十郎は、自身の机にあった名簿を調べる。
幸い五十音順だった故、「足利」はすぐに見つけられた。
「……足利義輝は……『アイーダ』に……来ている……」
「日比野財閥よりもましな結果が得られそうじゃない?足利財閥が日比野の人間を知らないはずないでしょ」
「――行くか」
「だね。あっ!ちょっと待って。さすがにこの格好はまずいから先に新しいスーツ買いに寄っていい?」
小十郎は佐助の見た目を一見する。
「仕方ねえ、それ込みで行くぞ」
「理解のある同僚でありがたいわー!!」
佐助は、急いで外出の準備を始めた……。


朝、久秀は利休の邸宅のゲストルームで館林の話を思い出していた。
――今回の犯人は、間違いなく「彼」だ。
「――長逸」
久秀は、長逸と連絡を取る。
「いかがなさいましたか」
「足利義輝と、その妻三条西綾子のことを調べろ、次の被害者が出る前に……だ」
「了解いたしました」
長逸は続けて「これくらいのことは、ショートメールでもいいんですよ」と付け足してから電話を切った。
「電話が一番確実じゃないか……」
そのまま天気予報を見ようとニュースのアプリを開くと、真っ先に目に入って来たニュースがあった。
『藤堂潤太郎さん、何者かに殺害される』
――遅かったか。
久秀は悔しそうに唇を噛む。
――あと彼が恨みを抱いている人物は……。
思案し始めたその時、長逸から電話が入る。
「早いな、さすが長逸だ」
「いえ……それが、足利義輝は五年前アメリカの支社に行ったきりの公式の情報が何も出てこなくて」
「……は?」
「それと……三条西綾子は、どうやら青山霊園に葬られているようですね。それと……あなたが探し求めていた『天使の歌声を持つ者』は……彼女では」
「……ああ。私も、京都で館林さんと会って彼らの関係を聞いたら、間違いないと確信したよ」
「――やはり日比野ではありませんでしたか」
「ああ、彼女も上手いが『三条西綾子』には及ばなかった……という訳だ」
「あなたが感動しすぎて彼女の名前を忘れてしまわなければ、探し求める必要もなかったのに」
「――『天使の歌声を持つ者』は彼女以外に得難いものと分かっていながら、なお探し求めるのが私だよ」
久秀はスッと目を伏せた後、
「――で、なぜ彼女は死んだんだ」
と、隠し立てなく長逸に聞いた。
「自殺です……一応」
「一応……自殺?」
久秀は、長逸の言葉を聞いて驚きを見せる。
「明らかに不可解な点がプロフィールに見られます」
「……改変されたかもしれないな」
「はい」
「引き続き調べてくれ」
「了解です」
そうして、ようやく電話を切った。
「――足利義輝……卿は何に囚われているのかね」


「せっかく新しいスーツ買ったのに!!」
足利財閥の門前で事情聴取を断られた小十郎と佐助は、近くの定食屋で昼食を取っていた。
「でも、連中は『足利義輝』に対しては絶縁状態だということは分かったじゃねぇか」
「うーん、実際次の社長は弟さんみたいな感じになっていたしねぇ」
佐助は、ざるそばを食べてから考え込んだ。
「振り出しだな……こうなったらもう一回名簿見て劇場の関係者を当たるぞ」
「遠回りだけど、それがいいかもねぇ」
お代を払ってから、小十郎と佐助は再び東京の街へと歩き出した。


――夕方。
久秀は東京に着いた。
その時、突如電話が鳴る。
久秀は長逸だろうと思い込んで画面を確認せず、電話に出た。
「どうした、何か分かったかね長逸」
「――其之方が館林の言っていた松永久秀だな」
「…………!!」
その声の威厳に、思わず久秀は立ち止まる。
「……足利、義輝……さんですか」
久秀は、本能的にこの人物が「足利義輝」だと感じ取った。
「――ああ、予は足利義輝。其之方が思っている通り、予が日比野も、藤堂も殺した」
「……なぜ」
「残念だが語るまでの力が、もう、予にはないのだ……綾子の墓まで来い、予が言えるのはそれだけだ」
「……いいだろう」
電話を切ってすぐさま久秀は長逸の車を見つけ、青山霊園まで行くようにと言った。
霊園の管理者に「三条西綾子」の墓の場所を聞いて、久秀と長逸は急ぎ足でそこへ向かう。
すると、驚きの光景が視界に広がる。
「……!!」
墓前には、数冊のノートが置かれており、更に既にこと切れた足利義輝と思しき人物が倒れていたのだった。
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