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芸能界パロ

――時は乱世、戦国七雄と呼ばれる七国が覇を競い合う春秋戦国時代。
…………ではなく…………。
「雪さん、お疲れ様でしたーっ!」
もはやブラウン管、そしてデジタルなどを通り越して、やれ4Kだ8Kだと言われる時代。
熔雪は俳優・廉頗の熱狂的ファン兼マネージャーから一転して、世間を驚かせた話題の謎モデルになっていた。
「ありがとうございます……。みなさんもお疲れ様でした」
雪は深々と頭を下げる。
「いやぁ、廉頗さんとダンスのリハーサルをする雪さんをスカウトして本当によかった……!弊社の新しい化粧品ブランド『Schnee(シュネー)』にまさに相応しい……」
「それは開発した方々が人を美しくさせることに拘っているからでしょう……私は、そのおかげで綺麗になれてるんです」
雪は『Schnee』の広告担当に微笑んだ。
「廉頗さんもお喜びになられてると思いますよ、ご自身のマネージャーが有名になられるのは」
「そうでしょうか……私の正体が知れてマネージャーのお仕事に差し障りがあると、困るのですが……」
「雪さんの正体は、今のところ広告戦略上でも分からないように厳しい箝口令を敷いていますので……そこは恐らく……」
「よかった……廉頗様の足手まといには、絶対になりたくないんです。では、今日はこれで……」
雪は広告担当に深々と礼をして去っていった。
広告担当は、困ったように頭を掻く。
「うーん、まだまだ君との共演は難しそうだなぁ……」
そう呟くと、
「――そうですか、それは残念」
スタッフの一人に扮していたモデル・李牧が広告担当に声をかけた。
「彼女、廉頗さんのファン過ぎてマネージャーになったって有名な人なんだよねぇ」
「廉頗さん、逆によくそんな方をマネージャーにしましたね……」
「あ、もちろん最初は隠してたみたいだよ?でも廉頗さんが元々の所属事務所との契約の裁判で……彼を友人の弁護士と共に全面勝訴に導いた際にカミングアウトしたみたい。廉頗さんむしろ喜んでたらしいよ、『肝の座った女』だって」
あの廉頗さんなら言いかねないな……と、思いつつ、李牧は変装用の度無しの眼鏡を外して下ろしていた髪を無造作にポニーテールにした。
「やっぱりそうすると『李牧』って感じするね」
「だから変装してるんでしょうが……それにしても、やはり雪さんとは一緒に仕事したいですね……私なりにも、色々動いてみるとします」
「う…………動く?」
広告担当の戸惑いを気にせず、李牧はそのままスタジオを出ていった……。
 


――まずい、今日は廉頗様たちとご飯の日なのに。
一応「撮影があります」とは廉頗や輪虎、介子坊、姜燕、玄峰に申告済だが、約束の時間よりも早く終わると思っていた。
思っていたより自分でも熱が入ってしまったのもあるが、写真家の言葉に刺激を受けたのもある。
――もっともっと、自分こそが至上の存在であるかのように。
そう言われて、悪く思わなかった自分がいる。
なんだか、昔からそうあるべく生きていたような……。
――気のせい気のせい……!私はずーっと廉頗様一筋だったんだから……。
スタジオのあるビルの廊下を早歩きで歩いていた時、
「痛っ…………!」
誰かとぶつかってしまい、持っていた書類の束と記念にもらっていた『Schnee』のハロウィン限定リップを落としてしまう。
「ごめんなさい……!すぐ拾いますね……!」
雪は屈みこんで、大慌てで書類を拾う。
「いや、あまりちゃんと俺も前を見てなかったからなぁ……よし、これで全部か?」
残りの半分の書類を、ぶつかった相手の男性は集めて渡してくれた。
「ありがとうございます、ご迷惑おかけしました」
「気にするなって。今度からは気をつけろよ」
「ありがとうございます、もう少しスケジュール管理を考えないとですね……では、約束がありますのでこれで」
雪はぶつかった男性に一礼したあと、再び道行きを急いだ。
「……ほんと……気をつけねぇと忘れ物にも気付かねぇぜ、雪」
ぶつかった男性――桓騎の手元には、『Schnee』のハロウィン限定リップが残っていたのだった……。



今日は廉頗お気に入りの中華料理店で夕食の日だった。
「ここの酸辣湯麺、私すっごい好きなんです……」
喜々として酸辣湯麺を食べている雪を見て、廉頗は嬉しそうな顔をする。
「そうかそうか、たくさん食べて精を付けんとな。マネージャーとモデルの仕事の両立は大変じゃろう」
「ごめんなさい、廉頗様……。早く両立のライフスタイルに慣れないとですね」
シュンと落ち込んだ表情を見せた雪に、廉頗たちは焦る。
「身体を壊したら元も子もないからさ、雪、ね、無理しちゃだめだって」
「廉頗様のマネージャーは介子坊や玄峰さんもいるのだし、そこまで一人で抱え込まれずとも……」
輪虎と姜燕は、すぐさま雪をフォローした。
「ですが……元々私は廉頗様のお役に立てることを願ってマネージャーになったのに、今の状態は……むしろご迷惑をおかけしてしまってます……私……」
「雪…………お主…………」
廉頗は、対応に困ってしまう。
するとすぐさま輪虎が、
「大丈夫!大丈夫だから雪!心配しないで!あっ、ほらほら雪の好きな荔枝布丁(ライチのプリン)が来たよ」
と、雪の気を反らせる。
「あっ、本当だ!廉頗様が頼んでくれたんですか?」
「……いや?輪虎か姜燕か介子坊じゃろ」
「え、僕は廉頗様か姜燕か介子坊かと」
「私は廉頗様か輪虎か介子坊かと」
「私はそもそも何も頼んでませんけど……?」
「え……では誰が?」
皆が不思議がっていると、
「こちら、李牧様からの差し入れです」
「李牧じゃと…………?!?!」
持って来たスタッフから李牧の名前を聞いた瞬間、廉頗たちは顔色を変える。
「え?皆さんどうなさったんですか……?」
「あれ、雪知らないの…………?」
キョトンとしている雪を見て、輪虎は雪に問いかける。
「え、えぇ……ごめんなさい。廉頗様が共演した、している、される方の顔とお名前は全部覚えているのですが……」
李牧……李牧か……と、雪は何度か彼の名前を口にする。
――なんだか、昔から彼の名を知っているような。
「まぁ、廉頗様と李牧は俳優とモデルだから業種の直接な接点はないよね。それに李牧が趙芸能事務所と契約した時期は、ほとんど廉頗様の退所と入れ替わりだし」
「李牧さんは趙芸能事務所の方なんですか?」
「ええ、今でも確か彼は趙芸能事務所の所属ですよ」
姜燕は顎に指を沿わせて考え込む。
「そうなんですね……李牧さん……ですか。私、食べ終わったらちゃんと荔枝布丁の御礼を言わないと!」
ありがとうございます李牧さん、と呟いてから雪は大好きな荔枝布丁を口にした……。

「――あなたもなかなかな策士ですね、李牧様」
中華料理店の別室、李牧とそのマネージャーのカイネはそこで夕食を取っていた。
「例えあの方の前世の記憶が戻らなくても、私はまた雪様を愛したいのですよ」
迷いのない李牧の言葉に、カイネは苦笑する。
まだ男性が大々的に基礎化粧品以外の使用をすることが少ない世に……『Schnee』は敢えて、挑んだ。
『Schnee』の名前は女性も男性も、誰でも使える、天より遍く降り注ぐ雪のようにと願って付けられた。
――だからこそ、雪さんは名前だけでなく我々の理想に共感して広告塔になることを引き受けてくれたんです。
自分にオファーが来た時に広告担当から言われたその言葉を聞いて、
――雪様らしい。
と、李牧は懐かしさを覚えた。
天青国やアレーシャの豪華な袞冕や騎士甲冑を纏っていなくても、雪は何にも変わっていない。
きっと、あの魅力的な身体も…………。
「李牧様!李牧様……!」
「え、ああ……申し訳ありません、少し考え事をしていました」
カイネに呼びかけられて、李牧はようやく思考から戻る。
「李牧様……雪様にお会いしても、いきなり求婚したりしないでくださいね」
「そんな…………求婚だなんて」
そんなことしませんから……と李牧がカイネに冗談混じりの風で話していると、
「あのう……李牧さん……は、こちらにいらっしゃいますか……?」
と、荔枝布丁のお礼を言いに来た雪が部屋に来た途端、
「結婚してください…………」
と、李牧は雪の前で跪いた。
「えっ」
雪がびっくりして動けないでいると、李牧は雪の手を取って唇を寄せた。
「ずっとあなたにお会いしたかった……」
「えっと……それは嬉しいのですが……」
困り果てる雪と、それにすら見惚れている李牧との間にカイネは割って入った。
「失礼しました……!李牧様は今後『Schnee』の広告で共演する雪様に、ずっとお会いしたかったそうで……嬉しさのあまりこんな事を……!」
「『Schnee』の広告で……共演?」
カイネの言葉に、雪は首を傾げる。
「ええ……広告担当の方が言っていたでしょう。『Schnee』の次の広告には、相手役が来ると」
そういえば?そうだった?かも?と、雪は李牧の整った顔を見ながらぼんやりと思い出そうとしたが、思い出せなかった。
「そうでしたか……それで……荔枝布丁、ありがとうございました。私、ライチが大好きなんです」
「そうでしたか、それはよかった」
――知ってます、だって私はずっとあなたの側にいましたから。
古代に絶えた殉死の赦しを李牧と桓騎が乞うても、雪は許可せずに次代を支えてやって欲しいと言い残して長寿を賜って後に崩御した。
しかし結局、二人は最愛の雪の死に絶えきれず同時に雪の亡骸の前で毒を仰ぎ命を断った。
――まさか雪が、先に残して逝くなど。
だがそこで、どうやら転生の道筋を違えたらしい。
趙芸能事務所に昔からいるスタッフ曰く、雪に前世の記憶はないと……。
それに、なんの因果か自分が趙芸能事務所に入るのと入れ替わりに廉頗たちは魏芸能事務所に移籍してしまった。
まるで、李牧と雪を会わせないためのように……。
「雪ー!そろそろ戻るよー」
「あっ、はい!輪虎さん、今行きます!すみません、連れの方が呼んでるので……戻りますね。ありがとうございました、李牧さん。またお会いしましょう、ご挨拶はその時改めて……」
「ええ……いいでしょう。ではまた」
李牧は雪から手を離した。
雪は、一礼をしてから李牧とカイネの元を去っていった……。



「相変わらず、みんなすごかった……廉頗様楽しそうだったからよかったけど……」
あの後、二次会で居酒屋に行って廉頗たちは「すごく飲んだ(雪評)」。
「うーん、みんなはタクシーで帰ったけど……まだ終電にはちょっとあるし」
雪は、駅の方向に歩こうとした。
すると、
「――気をつけろ、って言ったよなぁ?」
と、昼間ぶつかった相手と同じ声がしてびっくりする。
そこには、なんだか高そうなスポーツカーに背を預けているなんだか高そうなスーツを着た男性が立っていた。
「……あ……」
彼の顔を見た瞬間、ズキリと頭が痛む。
「お、おい……大丈夫か?」
「待って……何か思い出しそうなの……李牧さん……あなたは?」
雪は彼に問いかける。
彼は、一瞬悲しそうな顔をした後に雪を抱きしめた。
「天青国震旦大将軍にして三宝玉“黒曜石”……桓騎」
「桓騎……あなたは桓騎というのね…………」
雪は、その名前を繰り返した。
そして、何度か深呼吸をする。
――あぁそうか、私は、私の周りの人たちは……。
知っていた上で、扱っていてくれたのだと雪はようやく知って頬に涙が伝う。
「あぁ……私の大切な“黒曜石(ヘイヤオシー)”」
雪は、かつて天青国女帝だった頃の記憶を思い出した。
そこには、丞相・李牧と震旦大将軍・桓騎が最後の“三宝玉”として並んでいたのも。
民安らかにして平和なりて、美しく栄華に満ちた治世……。
「二人は、ずっと私を待っていてくれたのね……」
雪は、桓騎の頬を両手で包む。
「記憶が戻らなくても、また愛し抜くつもりだったけどな……」
「今度会ったら、李牧も同じことを言いそう……」
そうして、どちらともなく唇を重ねた……。

桓騎の家は、想像とは違って生活感のあるものだった。
「偏見かもしれないけど……ずっとホテル暮らしかと思った……」
「さすがに今の世でとっかえひっかえ女を抱いてたら、何があるか分かったもんじゃねーし……。まぁ雪が『Schnee』の広告に出た時から、全部関係を断ったぜ」
かつて震国を皇帝ごと献上してきた桓騎も、それまで戦陣にまで連れてきていた数多の女達と何の未練もなく関係を断った。
桓騎の思い切りの良さに対して、雪はさすがに「捨てられる女子達の気持ちも考えてやれ……」と、彼女たちを自分の後宮(というよりも私的空間)の宮女に迎え入れた。
しかし桓騎の女達は皆「夜天の皇帝陛下と自分たちでは、桓騎様に釣り合う訳がない」と泣きながら暇を乞うて辞めていった。
その点、李牧はかつて「情報収集」と称しては妓楼に行って一度限りの関係を繰り返していたからマシというか……。
――いや、どちらも私を抱いた瞬間どうなったか覚えているだろうよ雪……。
どちらも、雪以外の女には何ら欲など唆られなかった。
そして自分たち以外の『三宝玉』は要らぬ、と詮議すら開かせず(雪自身もそう思っていたが)……。
挙げ句最後には、殉死の赦しまで乞うてきたではないか。
雪はそれを全て却下したが、結局最後の『三宝玉』として二人は自分の亡骸の前で毒を仰いで死に仰せた。
――今の世で言う『重い男』だな……。
はぁ……と雪はため息をついた。
「……桓騎、お前は何にも変わってないな」
かつての天青国女帝の頃の口調で言うと、桓騎は嬉しそうな顔をする。
「お待ちしていました、皇帝陛下」
桓騎は、躊躇うことなく雪の前で拱手をした。
「やめろやめろ、私はもう皇帝ではないぞ」
「しかしあなたは今なお歴史書で輝かしき天青国唯一の女帝として評価されている……」
「本当、たまたま名前が一緒なだけと昔は思っていたのにな……」
まさか私がまたこうして記憶を持って人の世を生きるとは、と雪は苦笑した。
「嫌なのか?」
「嫌という訳ではないが……廉頗殿や輪虎たちが私を『皇帝陛下』と知った上で接してくれていたのだと思うとな……。なるほど、過保護気味に扱われたのも頷ける……」
雪は、いつも身につけているラピスラズリのペンダントに手を触れる。
「それに、李牧が『Schnee』の広告をやりたがった訳もな」
「……そういえば『Schnee』で思い出したぜ。これ、渡すの忘れてた」
桓騎はスーツのポケットから『Schnee』のハロウィン限定リップを取り出し、雪の手に載せた。
「正直に言ったら許してやろう。これを使って私にもう一度接触するのを……狙っていたな?」
「よく分かってるじゃねぇか」
「本当にお前たちは清々しいよ…………」
「だけど、そんな俺たちが好きなんだろ?」
再度、雪はため息をつく。
「そのような『分かった』ような振る舞い、私くらいにしかしてはならぬぞ。勘違いする哀れな女子は、今の世でもたくさんいるからな」
雪は、桓騎にグッと顔を近付けて脅した。
ゾクゾク……と桓騎の背に電流が走る。
袞冕や騎士甲冑の姿でなくとも、雪には顔と気位だけで人を従わせるような素養がある。
それでいて、桓騎と李牧だけには己の肉体全てを以て己に狂った男達の肉欲を満たさせてくれる。
そしてその時だけ、男と女の優位が逆転する……。
それが愛おしくて堪らない。
「陛下……」
「桓騎、お前……私を抱きたい、という顔をしているな?」
長年の経験で、雪は桓騎の欲望を見抜いた。
「むしろ抱かねぇ選択肢があるのかよ」
「ある」
雪が予想しなかった答えを出してきたので、桓騎は「ん?」と思いとどまる。
「私の今のこの身体は……生娘の身体だ」
雪の口から出た言葉を、生娘……と繰り返した桓騎は、目を見開いた。
「お前は昔に『生娘は面倒だ』とか言って、李牧と大喧嘩していたからなぁ……まぁ李牧も『雪様限定です』とか言ってたから私は剣の柄で頭を殴ったのだが……」
――思い出したぜ…………。
桓騎は、その時の酒宴を思い出した。
旅の芸人一座の即興の歌垣を聞いていて、漏らした言葉がああなろうとは。
「……ということで、桓騎が私を抱くのは難しい課題があるということだ」
――あー……これは陛下にその気がない時の。
滅多になかったが、その分桓騎と李牧は雪が拒否する時の仕草をよく覚えていた。
そういう時は、引き下がるしかなかった。
「雪にその気がないんなら、仕方ねぇ……今日はこのまま帰してやるよ」
「ありがとう、桓騎。またお前とは、この先何度も会うことになりそうだ」
「それが早く毎日になることを祈るしかねぇな」
ふふ……と雪は含み笑いをしたあと、どちらともなく口付けを交わした。
「また会おう、私の“黒曜石”」
雪は、鮮やかに帰っていった…………。



「今のすごくいいよ、雪さん!!」
前世の記憶を取り戻した後、雪は潜在的に有していた「人を魅了する力」で表情に緩急を持たせることができるようになった。
美しいだけでなく気品も伝わる雪に、誰もが「この広告は絶対に成功する」と確信した。
――そして、遂に『Schnee』第二弾広告のリリースの日。
第一弾とは全く毛色の違う雪に、世間は沸き立った。
そしてますます、雪の正体に注目が集まっていったのだった……。

雪は魏芸能事務所よりマネージャーから正式にモデルとして契約しないかと打診された。
雪の記憶が戻ったことを知った廉頗や輪虎達には「雪はこれからモデルとして活躍した方がいい」と勧められた。
廉頗と関係が絶たれるのは嫌だ、と雪は言ったが「何、仕事は共にせずとも同じ芸能界という戦場には共にいるではないか」と廉頗に言われて納得する。
だから、より自分の仕事と向き合うことができた。
『Schnee』の製品開発担当と直接話ができたり、『Schnee』のクリスマス限定コスメのコンセプトなど……。
より自分が『Schnee』の顔であるべく振る舞い方を研究する。
「――は…………」
図書館で本を読み込んでいたら、閉館のアナウンスが鳴ったことでようやく意識を取り戻した。
「わ……これ閉館前に戻せるかなぁ」
あちこちから取り出した本を抱えて、雪はそれぞれの場所に戻してゆく。
「……………………」
最後の一冊は、天青国の後宮制度についての研究書だった。
――そうか、私は確かに働き手のない女性を迎えて仕事をさせていたな。
瑠璃帝・熔雪の後宮は「皇帝の後継ぎを生む場所という機能を凍結し、女性の社会自立を支援した施設となった」と評価されていた。
――ああ、そういう風に捉えられるか。
しかし改めて自分の時代の研究という風に目を向けてみると、同時代史料「天青記」や後代の歴史書からの研究、水晶都や古戦場、そして自らの陵墓の発掘(質素過ぎて学者たちは困惑しているそうだが、自分は次代の皇帝・政に厳しく薄葬を命じたので何ら嫌とは思っていない)からの考古学、そして果てには「瑠璃帝之辞」などの文学・戯曲作品(やはりここでも李牧、桓騎との関係は様々な解釈で書かれる)の研究など、様々であり、自分の生前の影響力のすごさを現代の自分が感じる有様……。
――来世は、愛する者と共に平穏な人生を送りたいものだ。
などと死ぬ直前一瞬思ったが、はてさてこの世も皇帝……とまではいかぬもののなんだか平穏では終わらなさそうである。
皇帝の時の自分なら「それでこそ世は面白いというもの」と、一笑しただろう。
しかし今回はそうともいかない。
今回は前の世ではなかった「顔」を売る仕事なのである。
「私はこのままで、いいのだろうか」
外面だけで評価される世界で、生きていっていいのだろうか。
その最後の一冊を戻す前に、
「あの…………戻す場所が分からなかったら、お戻ししましょうか」
と、司書の女性に声をかけられた。
「――ごめんなさい、出してそのまま分からなくなってしまって。確か天青国のところだとは覚えているのですが」
「その本は……あ、こちらです。お預かりしますね」
「ありがとうございます」
「天青国関連の本をお探しだったのですか?」
本を戻した後、司書の女性は雪に尋ねてきた。
「そうですね……瑠璃帝を、少し」
「瑠璃帝ですか……でしたら、確かよく問い合わせが来るのでレファレンスのリストがあったはずです……こちらにどうぞ」
司書の女性は、雪をカウンターに案内する。
「レファレンスのリストがあるんですか」
「瑠璃帝は中華史では人気の方ですよ」
「そ、そうなんですね……」
他人から自分の人気云々を言われると、少し恥ずかしい思いもある。
「あ、ありましたありました。これとこれと……あと、よかったら李牧と桓騎についての研究も。これはフィクションである小説のリストですね、あとメディア資料もあるので……また今度ご利用の際にでも」
十枚ほどの紙資料を渡され、雪は苦笑いするしかなかった。
――この人、私が熔雪だと気付いているんだろうか。
いや……それはない、だって今日は『Schnee』の化粧品じゃないし……と、片付ける。
それに、伊達眼鏡を付けているから大丈夫だ。
「ありがとうございます、閉館時間を過ぎているのにごめんなさい」
雪は、そのまま素直に御礼を言った。
「とんでもございません、またおいでください」
「えぇ、そうさせていただきます……」
司書に微笑みかけて後、図書館を出た。
すると、
「――陛下」
「李牧……なぜここに」
図書館の出入口には、李牧が立っていた。
「あなたが時間のある時、といえばどこに行くか分からない私ではありませんよ」
ああ、そうか、と雪は納得する。
自分と李牧は、そういう関係だった。
戦う時も、お互いの位置を予想して戦を進めていた。
「ふふ……そうだな」
「廉頗殿からお聞きしました、あなたの記憶が戻ったと」
「……そうか、聞いたか。すまない、前の時はまだ記憶が戻っていなかったのだ」
「ええ……存じております。ここではなんでしょうから、私の家にお招きしても?」
「おや……桓騎は一軒家持ちだったが、李牧もか」
「え、陛下は違うんですか?」
「今の私は皇帝の時のような資産などないぞ。ま……別に賃貸マンションでも、住むのには困っておらんでな」
今度は李牧が、ああ、そうでしたね、と納得する番だった。
そして今の世でも、この天青国女帝は外に出る時以外はろくな服を着ていないだろうな……と、李牧はため息をつきそうになった。
天青国がある時代でも、もし震国で蒙驚将軍や王翦将軍の世話にならなかったら、きっともっと庶民的な人間になっていただろう……。
あるいは、御母君・パドミニのように芸事に長けて最後には震国の昭儀という位に登るような……いや、雪ならば皇后など容易いだろう。
それに相応しい美貌と、知識を兼ね備えている。
――ですがそうなっていては……どの国もあっけなく滅んでいたでしょうね。
雪の美と知性には、破滅を招く妖しさも孕んでいた。
故に李牧と桓騎は、それにあえて溺れに溺れ尽くして幸福を得ているのだが……。
「さて李牧、ここではあれ故にお前の家に招くのではなかったか」
雪の言葉で、ようやく李牧は思考から戻る。
「……申し訳ございません、陛下」
「泊まるということになるならば、私は一度私の家に戻るが」
泊まる、と聞いて李牧は目をカッと開いた。
「では、先に連絡先を交換しましょう。後で私の家の情報を送ります」
「あー……桓騎も呼んでやっていいか?」
「ええ……陛下の仰せのままに」
雪と李牧は、手早く連絡先を交換してから散開した……。

――およそ二時間後。
雪は李牧に送られた位置情報を頼りに移動する途中に、桓騎と鉢合わせした。
「桓騎」
「よぉ、雪」
「今日は、あのかっこいい車ではないのか」
「先に李牧から『私の家には駐車場がないので』って来た」
「なるほど、それでか。まぁ今の世はありがたいことに公共交通機関というものがある」
「陛下も大運河作っただろ」
「あぁ、どうやら今も役に立っているようでなによりだ」
瑠璃帝第一の功績と言われる大運河の整備の業績を誇るでもない雪に、桓騎は苦笑いする。
「もっと誇ってもいいんだぜ」
「為政者として当然のことをしたまで」
そうして何一つ驕らぬ雪故に、彼女の晩年に於いて遥か西の国の人々と共に「麒麟」が訪れたのだろう。
――私のしてきたことは、徳のあることだったのだな。
と、頭を垂れた麒麟を前にして雪が晴れた顔をしていたのは今でも覚えている。
そしてそれに満足したかのように不治の病は雪の体を蝕み始めた。
されども痩せ衰えて美を損なうような死に方ではなく、雪は美しいままで死んでいった。
――せめて痩せ衰えて醜い姿であったなら、俺たちは雪の望みに従って死を選ぶなどしなかったろうな。
桓騎は、隣で「はぁ〜夜は寒いな〜」と呑気に呟いている雪の髪を触る。
「…………どうした桓騎?」
「あぁ……別に……なんでもねーよ」
「そうか、ならばそれでよい。さて、そろそろ指定の場所に着くと思うのだが」
どこだどこだ、と雪は辺りを見回す。
そのうち、なぜか雪はスーッとケーキ屋に吸い寄せられていった。
「あっ、おい雪!」
「美味しそう〜」
「なんだ、ケーキが食べたいのか?」
「あっ……いや……その、なんだ……見てるだけ、だ……」
パッと雪はケーキ屋の窓から目を逸らす。
「仕方ねぇなぁ、ハロウィンのお菓子代わりに好きなの買ってやるよ」
「……いいのか!?」
雪は華のような笑顔を見せる。
「そんなに喜ぶものか……?」
「当たり前だ、人からの贈り物は何であれ嬉しいものだろう。あぁ、もちろん双方無理しない程度に、だ」
それは、天青国の後の中華王朝がどうやって滅んでいったかを知った上での言葉だった。
まだ雪や政の時代は朝貢国に対して莫大な恩恵を与えていたが、幼帝が続いて外戚が天青国を蝕み始めると財政は破綻していった。
そして最後は大規模な農民反乱によって天青国は滅んだ。
――民が滅べと望んだなら、それでいい。
かつて自分が天青国の皇帝だったとしても、それが何よりも民が望んだなら……と、終焉を受け入れている。
それに、国の枠組みなど所詮は人間が勝手に自分たちで線引きしたものである。
気に入らねば、引き直せばいい。
「さて……私の食べたいケーキは、もう決まったぞ」
雪の達観した微笑みに、桓騎のみならず店にいた全ての人が圧倒される。
「スイーツに関しては、逆にたくさん選択肢があると困るんだよな……」
桓騎が一つ一つのケーキの説明文をじっくり読んでいると、
「雪様、桓騎、お待たせしました。李牧が到着しましたよ」
と、李牧が来た。
「おや、李牧。よくここが分かったな」
「桓騎から連絡がありましたし、ここは絶対雪様好きだろうなと……」
「あー、うん、そうだな……」
呆気なく二人の男に思考回路を見抜かれて、雪は顔を曇らせる。
「まぁまぁ、こちらとしては見つけやすかったので良しとしましょう。ここのケーキ屋は、アップルパイが美味しいんですよ」
「だったら俺はそれにするぜ。ほら、雪は何が食べたいんだ」
「こ……このハロウィン限定のかぼちゃのモンブランタルトで……」
ハロウィン、と雪の声を聞いて李牧はびっくりする。
「なんだ李牧、お前ハロウィン知らねぇのか」
「え、いやもうそんな時期なのかと」
「まーな、毎年ハロウィンライブとかしてなきゃあんま芸能界では関係ねぇか」
「ライブ?桓騎は歌手だったのか」
「ん……?あぁ、別にそんな有名なあれじゃねぇよ」
「いやいや『Bloody Flame』は有名でしょうに」
李牧から『Bloody Flame』と聞いた瞬間、雪は口元を抑える。
「私めっちゃ好きなんです…………」
「え」
「え」
李牧と桓騎は、同時に抜けた声を発した。
「嘘……そんなことある……?」
雪は、動揺を隠すように慌てて店から出た。
そうして、すぐに輪虎に電話をする。
『ちょっとちょっと、どうしたの雪』
突然の電話ながら、輪虎は出てくれた。
「聞いて……私、何で気付かなかったんだろう……『Bloody Flame』のボーカルが……」
『あー……うん、うん、言いたいことは分かったよ』
どうやら、輪虎はすべてを察してくれたようだ。
雪は、それに甘えて更に話を続ける。
「私、廉頗様しか興味なさすぎて、ボーカルが誰とか全然気にしてなかった……」
『曲はすごい好きだけど、バンドの構成員にはあまり興味ないとかあるよねー』
「私どうしたらいいの……?」
『どうしたら……って……そのままでいいんじゃないかな……』
「そのまま……そのままって……」
迷っていると、
『ごめんね、雪。僕これから撮影だから、電話はここまでになっちゃうけど』
と、輪虎はすまなさそうに答えた。
「あっ……いや、私も突然電話しちゃってごめんね……ありがとう、お仕事がんばって」
そこで、輪虎に甘えていたことをようやく自覚して雪はエールをかけてから電話を切る。
「そのまま…………か…………」
雪が再び言葉を繰り返した時、ふと誰かにぶつかってしまう。
「…………ッツ!」
「すまない、大事ないか」
すぐさまぶつかった相手に両肩を持たれて、気を遣われた。
「しっかり前を見ておらず、申し訳ありません…………」
「いいや、否はこちらにも…………」
雪は、ぶつかった相手と顔を合わせた。
その瞬間、相手も目を見開く。
「――陛下」
「――黄歇」
その顔は、忘れようもなかった。
天青国で『三宝石』に次ぐ栄誉である賜石侯の筆頭にして、雪の一番最初の皇配候補……。
春申君こと、黄歇……。
天青国を我が黄家の物にせんと、異母妹から産まれた一番上の兄を利用し尽くした男。
そして、自分に初めて肉欲を顕にした男。
それ故に、丞相になった李牧により唯一死を下された男……。
何にせよ、非常に優秀な男ではあるがあまりいい感情を抱かずに終わった人物であった。
「陛下、今までどちらにいらっしゃったのですか」
「え……あ……」
肩を掴む手に力が入ったのを確信した雪は、とっさに身動きが取れなくなってしまう。
「『Schnee』の広告でお見かけしたときから、ずっと探し申し上げておりました」
「そ、そう……ですか……」
「陛下……」
「――おっと……そこまでにしとけよ、春申君」
雪を追ってきたらしい桓騎が、雪を己の懐に引き寄せた。
「桓騎……お前が先に陛下を」
「いーや、一番最初に雪と会ったのは輪虎殿だ。そして廉頗将軍、李牧……俺の言いたいことが分からねぇほど馬鹿じゃねぇよな?」
桓騎は、雪の肩に乗せた手でピッと春申君を指す。
――今世でも、お前の好きにはさせない。
一度でもその手で天青国を操った、そして雪の肌を暴きかけた春申君の罪を、桓騎とて許しはしていなかった。
「――フン、陛下の寵がなくば栄達できなんだ震の男が」
「アァ……?喧嘩なら買うぜ?」
敵に対するような低い声を、桓騎は発する。
すると、
「――こら、飼い主の指示なくして噛み付く狗がどこにおるのだ」
と、雪は女帝の頃の口調で桓騎を窘めた。
「しかし陛下」
「何、この世の私は黄歇の望むような地位も権力も持っておらぬ。よって黄歇にとって私の利用価値は無きにも等しいだろう、なぁ?」
『応』としか求めていないような雪の問いかけに、春申君は押し黙る。
しばらくの沈黙のあと、
「――……陛下の仰せの通りでございます」
と、答えた。
――こいつ、絶対雪を抱きてぇとか思ってたな。
春申君もなかなか整った面相を持っているし、現世の春申君は雪が興味がないだろう業界に幅を利かせている楚コンツェルンの重役でもある。
もし、雪が前世の記憶を取り戻していなかったり、あるいは最初に出会った前世との繋がりのある人物が春申君だったら……。
雪は前世を思い出すことがないまま、春申君の妻に収まっていたかもしれない。
そして、楚コンツェルンの経営に携わっていたか……あるいは……。
百パーセントあり得ない未来故、桓騎は考えるのをやめた。
「そうであろう。それに肉欲など所詮は果てがないのだ……求めても求めても足りぬ……理想の女を抱いてしまえば、男は満足してしまう……そして面白みを別に求めるのだ」
「――陛下は、手厳しくていらっしゃる……」
春申君の言葉に、雪はわざとらしく首を傾げる。
「はて、どういうことだ?……これはお前がまた私によって人生を狂わされるのは惜しいという慈悲であるのだが」
「ええ…………ええ、分かっております」
――この世でも、俺は陛下と別の道を歩めというのが世界の望むところなのだろう。
春申君は、ここで納得するしかなかった。
「分かっておるならばよい、お前は本来優秀な男だ。血に拘らぬ今の方が、息苦しくもなかろう」
「……陛下」
束の間、雪はビジネスライクな笑みを見せ、
「まぁまた仕事絡みの話なら聞いてやらんでもない……桓騎と李牧込みならば、な」
と、桓騎に目線のみで李牧の元に案内するように命じる。
その雪の意図を汲み取って、桓騎は雪の手を引いて春申君に背を向けて歩き出した……。

******

「――お戻りになられましたか、陛下」
桓騎によって李牧の家に案内されてインターホンを押すと、すぐに李牧が飛んできた。
「すまぬ、待たせたな」
「まさか春申君と鉢合うなんて思ってなかったぜ」
春申君、と聞いて李牧は目を瞬いた。
「黄歇様ですか。確かにコンツェルンの支社はこの近くですが……珍しいですね」
「また雪を口説いてたから、牽制しといたぜ」
「それはどうも……。まぁ今の世では通報できますからねぇ」
「あぁ、そういえばそうだな」
他人事のような雪の声に、二人は呆れる。
「とりあえず、どうぞお入りください。ちょうど料理を温めておいたので」
「おや、李牧は料理ができるのか」
「天青国の宮廷料理人には及びませんが」
「それはそうだろう、あの者たちは料理を生計(たつき)にしていたのだ。生きるために食べるだけに作る我々とは矜持の持ち方が違う」
淡々と言いながら、雪は李牧が玄関に置いてくれていたお泊りセットを持って部屋に入る。
「――ほほう。二人とも、よき趣味をしている」
現代のインテリアの視点から鑑みて、雪は二人を褒めた。
「光栄でこざいます、陛下」
「李牧よ、無理にとは言わぬが……その『陛下』呼びは何とかならぬか。せめて相如様の下にいた時の昔のように呼んでくれ……あぁ、そうか……この口調も、よくない……ね……」
そのまま何度か咳払いして、雪は李牧の手を握る。
「どうか雪と呼んで、李牧」
その瞬間、李牧が膝を着いて崩れ落ちた。
「なっ、えっ!?」
「そりゃそうなるだろ、ずっと主従だった主からそんなこと言われたら」
戸惑う雪に、桓騎はフォローを入れる。
「でも桓騎は全く物怖じしてないけど……」
「まぁなぁ……俺は雪と会った時、別に主従じゃなかったし」
「あ、そうか。そういうことね……ごめんなさい、シリウス」
幼い頃の記憶と共に置いてきたアレーシャ名を呼ばれて、李牧は思わず顔を上げた。
「雪様……」
「ええ、どうかそう呼んで頂戴」
「あなたがそう、お望みならば……」
「さ、あなたの作った料理が冷めてしまうでしょう?ケーキもあるのだし、食べないと。手伝うことはある?」
「て、手伝う…………?」
今度は、李牧のみならず桓騎も戸惑った。
「な、何がそんなにおかしいの……?」
「雪が何かする必要なんてねぇだろ……?」
「いやでも、現世では私とて一人暮らしで一通りの家事の経験は」
「雪様が家事を!?そのような畏れ多いこと……明日からでも、私の家に引っ越されては?」
「はぁ?何抜け駆けしてんだよ」
李牧の言葉に、すかさず桓騎は抗議する。
「抜け駆けも何も……」
そこで、昔のように口論が始まってしまう。
――全く、この男たちは何にも変わっておらぬな。
雪は、ハァ……とため息をついた。
そして、口論している二人を横目に厨房の方へ向かう。
しっかり手を洗ってから、厨房を一見する。
「……ははぁ、ビーフストロガノフか」
鍋の蓋を開けて内容を察した雪は、食器棚から見合う皿を取り出す。
――ご飯も炊けている、サラダの用意も……ドレッシングまで作っているのに、李牧といったら。
要領よく料理を盛り付ける合間に、冷蔵庫を勝手に開けた。
――やった、ライチがある。
冷凍庫にライチの袋があったのを見つけた雪は、そのままボウルに入れて流水解凍する。
そしてビーフストロガノフやサラダをテーブルに置いてライチを水から引き揚げた後、
「話はついたか?」
と、刺すような口調で二人に声をかける。
その瞬間、二人はバッと雪を見た。
「……えっと……」
「ごめんなさい、勝手に色々した。さ、食べよう?」
「申し訳ございません……」
「昔と全く変わってないようで、安心もしたけどね……」
李牧と桓騎は、雪の用意した食卓に着いた……。

******

食後のケーキと紅茶やコーヒーを楽しんだ三人は、李牧が慶舎からもらったという世界一周ゲームをする。
「それでは、最後の目的地……ロンドンに到着です」
「えーっ、早くない!?」
「今回はカードの引きが良かっただけですよ」
「そっかぁ……なら仕方ないね……。そうだ李牧……そろそろ、私お風呂に入りたいなって思うんだけど……借りてもいい?」
雪の言葉に、李牧と桓騎は驚愕の表情を見せた。
「え……借り、る?」
「……一緒に、入るのじゃなくてか?」
――ああ……この二人は、そういう男だったな……。
雪は、二人が“三宝玉の特権”を使って寝所のみならず浴場まで共にしたがったのを思い出した。
それに桓騎と初めて身体の関係を持った場所が震国皇帝代々の温泉地でもあったことを思い出せば、命によって相伴を拒否しない限り……二人は雪と湯を共にするという選択肢しか頭にないのだろう。
はぁ……と雪は諦めを含んだため息をついた。
「よろしい、よきように致せ」
あえての皇帝の頃の口調で李牧と桓騎に言ってやると、二人は満足そうな表情をして雪のそれぞれの指先に口付ける。
「陛下の、仰せの通りに――」
――まことに悔しいが、すこぶる顔がいいんだよな……。
昔と変わらず、二人に絆されている部分があるのも仕方ないものだな……と雪は目を伏せた。
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