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SSのログ

「わぁ…………すごい、こんなにたくさん」
朝、ラインハルト元帥府に出仕して自らの部屋に赴くと、ヒルデガルドから中将昇進祝として高級な化粧品一式が届けられていた。
どれもこれも地球時代より続くキリスト教修道院にて受け継がれてきた貴重なレシピから作られたものであり、裕福な貴族やフェザーンなどに輸出され高級な嗜好品として消費される。
………ので、あまりそういったことに興味を示さなかったエリザベートにとってはヒルデガルドの贈り物は新鮮だった。
「いい香り……やっぱりバラの香りが一番」
その中の一つ、いつも使っているのと同じバラの香りのハンドオイルを手に取って垂らしてみる。
「…………っわわ!」
新品だったため量が多く、少し出す量を誤ってしまった。
さすがの高級化粧品、ベッタリと手に残ることはしないが……まだ少し人に分ける余裕があるように思う。
「……………………」
エリザベートは、じっと自分の手を見つめる。
その時、
「エリザベート中将、少しよろしいか」
と、ドアの外からノックと共にファーレンハイトの声が聞こえた。
「…………ええ…………!どうぞ、閣下」
エリザベートは、オイルが付かないように器用に机から立ち上がった。
「エリザベート中将、この宇宙艦隊再編のことなのだが……どうしたんだ、そんな手術をする医者みたいな手の構え方は」
「……アード、左手」
説明するのもなんだ、と思ったエリザベートはとりあえずファーレンハイトが素直に出した左手を両手で包み込んだ。
「待て待て、何をしている」
「ハンドオイル、少し量が多かったから……お裾分け。アードの手は、私よりずっと大きいのね……」
この手で艦隊を指揮し、この手でペンを握り、この手で……。
自らの肌を行き来する彼の手を思い出し、エリザベートは慌てて邪念を振り払う。
「はい、次は右。その紙袋はそこのソファに置いておいていいから」
ファーレンハイトは、これは最後まで聞いてやったほうがいいなと判断したようで言う通りにする。
「いつもの薔薇の香りとは少し違うな?」
「ヒルダにもらったの、中将昇進祝だって」
「もし君が上級大将になったら、一体何を贈ってくるのだろう……」
目の前でファーレンハイトの手にバラの香り移すエリザベートをじっと見つめながら、尋ねる。
「さぁ?もしかしたらずーっとこのまま中将かもしれないし……あなたと同じ上級大将は、まだちょっと功績と実力と年齢が足りないと思う」
「しかしローエングラム侯は21で上級大将におなりだ」
「ローエングラム侯と私では格が違うでしょう」
そんな分かりきったこと……と、エリザベートは少し呆れた様子で手を離した。
「閣下、失礼致しました」
瞬時に公務の顔と口調に戻ったエリザベートは、ファーレンハイトが置いた紙袋を自らの手に取る。
「こちら、お返し致します」
「いや、いいんだ。それは君がもらってくれ」
「?私何かデリバリーのお料理頼んでました?」
貴族令嬢が過ぎて全くと言っていいほど料理ができないエリザベートは、他人が作ったものしか食べたことはなかった。
エリザベートの部隊には元ホーエンツォレルン家付きの料理人が所属しているし、異色の管理栄養士もいる。
それもこれもメルカッツ提督がエリザベートを心配して配属させた者たちだった。
それほどまでに、エリザベートにとっては人から料理を貰うのが当たり前になっている。
かくして、エリザベートはファーレンハイトからもらった紙袋の中身を食べ物だと思い込んだ。
「……残念だが、食べ物じゃないな」
「あら……そうでしたか。では、帰宅後に見た方がよろしいでしょうか?」
「どちらでも構わない」
そうか、どちらでもいいのか……じゃあ今見て御礼を言っておこうと思い立って、エリザベートは紙袋の中に手を伸ばす。
中にあった箱の大きさを一見して、万年筆かな……と推測する。
「あの、着席させていただいても?」
「ああ」
エリザベートは、ソファに座ってテーブルに箱を置いて箱にかけられたリボンを解いていく。
そうして箱を開けると、
「………………!アード、これ…………」
そこには、ファーレンハイトの瞳と同じ色の宝石――アクアマリン――が先端にあしらわれた銀の簪が入っていた。
「君が一番大切にしていた簪は、もう髪には挿せないだろう……?……だから、その代わり……には、とても及ばないが……私からも、君の髪を彩るものを贈らせてくれ」
「アード……」
流れるような仕草でその簪を手に取ったファーレンハイトは、エリザベートの髪を優しく整え始める。
ファーレンハイトの手が動くたび、自分と同じバラのハンドオイルの香りがする。
それはまるで、彼の使っている香水の香りが自分の肌に僅かでも移るような錯覚。
心からファーレンハイトと愛し合っているのだと、思うことができる幸福。
そのバラの香りは、それを……。
は……と、気付かれぬ程度に戸惑った吐息を吐く。
そうこうしている内に、ファーレンハイトは慣れた手付きでエリザベートの髪をまとめ上げた。
「ああやはり……君の髪は、いかなる色も似合うな」
「そ、そう……?ありがとう、アード」
平静を装うとするも、少し声が上ずる。
「――では、俺はこれで」
それを気にしない風で、ファーレンハイトは部屋を去ろうとする。
「ええ、ありがとうございました。閣下」
動揺、名残惜しさを隠し通さんとしながらファーレンハイトを送り出そうとすると、
「――では今夜、シシィの髪を解きに家へ伺おう」
と、ファーレンハイトは飲みに行こうくらいの気軽な調子で言い残して部屋を去っていった。
…………その閉まったドアの前で顔を真っ赤にしていたエリザベートを知るのは、誰もいなかった。

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