Fate/The Knight of The Blue Carbuncle~千年古都と幻の聖杯~
朝にスマホの画面を見たら、スイーツ巡りをすると約束していた友人に急用が入ったらしく、申し訳ないが行けそうにないと連絡が来ていた。
「――ふーむ……どうするか……」
「僕は君に合わせよう……さすがに新選組が襲ってくることはないだろうが、斎藤の言う通りならば……そろそろ何かしらこの聖杯戦争に動きがあるんだろう」
「……え、じゃあ邪魔しないんでホームズの姿をスケッチしても……?」
断られるかな……と思いつつ聞いたが、
「――脱がせないのと、僕に話しかけないなら構わないがね」
と、案外あっさりと許可され、自分は驚く。
そして、ホームズの気が変わらないうちにスケッチをし出した……。
――嵐山、鈴虫寺。
春水と政は、毎年冬に行われる大根焚きに来ていた。
「――大根焚き……とは、初めて聞いたぞ」
「大根焚きは京都の一部の寺院で行われる無病息災・健康祈願などをお祈りする京都の冬の風物詩です。また、この鈴虫寺は年中鈴虫を飼育している事や日本で唯一草鞋を履き願い事を一つだけ叶えるという幸福地蔵様、そして先程のように茶菓のもてなしや説法があるということで有名で、積極的な観光客誘致策を展開し、成功した寺院としても知られています」
「ふむ……確かに日本に来て説法を聞かされるとは思っていなかったな。しかし興味深いものだった。それにこの大根と油揚げ……美味い、美味いぞ!」
熱いのが難点だがな、とふーふー息を吹きかけつつ大根を味わう。
「住職様に、お伝えしておきますね」
「うむ、先程の説法も心洗われたと伝えてくれ」
「――はい」
「鈴虫……一年中飼育するのは、さぞ苦労したであろうよ」
リーンリーンと鈴虫の鳴き声に耳を澄ませつつ、政は感慨深そうに言う。
「お寺の本当の名前は『華厳寺』なのですが、そのこともあって『鈴虫寺』と呼ばれています」
「今度は、紅葉の季節に来てみたいものだ」
その言葉を聞いて、春水は嬉しそうな笑顔を見せた……。
******
――夜。
貴征とロバーツが開店の準備をしていると、そこにジェームズ・モリアーティと氷見亜蓮が現れた。
「アーチャー、まだ開店の時間にはなってないぞ」
「ライダー、この氷見亜蓮が君に宝具の使用を命じよう」
「……は?」
アーチャーは、貴征の喉元に仕込み杖を突き付けた。
「はは……亜蓮さん、冗談は……」
「――私は本気だぞ、鴫野」
「……ッツ!!」
顏こそ笑っているが、亜蓮の目からは一切の感情が消えていた。
――これは“逆らう”すら許されぬ、“京の裏を統べる者”の目。
「ロバーツ、君の宝具は君の伝説そのものなのだろう?最大にして最後の大海賊よ……」
「逆に聞くぜ、使ってどうするんだ?まさか、ただ単に俺の船が見たいって訳じゃねえだろ?」
ロバーツは貴征とアーチャーの間に立った。
「端的に言えば、ある“仮説”を証明するためにキャスターをおびき寄せて聞き出す必要があるのサ」
「“仮説”だぁ?」
アーチャーは、ロバーツの声を聞くとバーの壁に向けて仕込み杖の銃を発砲した。
「おい!!!」
店の壁を傷付けられてロバーツは声を上げる。
「――まァ、見ていたまえよ」
アーチャーがニヤリと笑うと、傷付いた壁は数秒後に修復され、弾丸が床へと転げ落ちた。
「なんだよ……それ」
「――私の“仮説”では、これはキャスターのどちらかの神の宝具。可能性としては天照大神の方だが……この宝具の利用法を、今一度聖杯の在り処を聞くために必要があってネ……。君の宝具で、他も倒しつつ彼女をおびき寄せる……悪くないだろう?聖杯が手に入ったら、我々で山分けだよ」
「それ、人でも適応されんのか?」
「君のマスターで試してみるかい?」
ロバーツは、その言葉を聞いて“海賊らしい“好戦的な目をした。
「そんなのは気にすんなってか、アンタやっぱり……“犯罪界のナポレオン”なんだな」
「君もなかなかだとは思うネ。では、外で待っているよ」
そう言うと、亜蓮とアーチャーは外に出て行った。
「――海賊相手に、それは褒め言葉だな。いいぜ、ちょっと待ってろ。開店の準備はあと少しなんだ」
「――ロバーツ!!」
貴征が、ロバーツの背中に声をかける。
「マスター、別に死ぬなんて俺は一言も言ってねえぞ?帰ってきたら、そこの一番いい酒を浴びるほど飲ませろよ?いいな?」
ロバーツはネクタイを解いて、自らの本来の姿――“黒い准男爵”の姿になった。
「ああ……ああ、いいとも。ライダー……そうしよう」
「――決まりだな」
ロバーツは、一瞬だけ貴征の方を見てから外へと出た。
「――お前ら、今すぐ鴨川を越えた方がいいぜ。死んでも知らねえからな。我が父、デウス・エナリオスに奉る……我は海神の息子、バーソロミュー・ロバーツなり」
ロバーツが霊体化すると同時にポタリと、地面にロバーツの血が落ちる。
すると、雷鳴と共に京都の空に大艦隊が現れた……。
春水は雷鳴がしたと同時に身震いをした。
――これは……サーヴァントの魔力。
「――どうした、春水?寒いのか?」
「……え、ええ……やはり京都の北は寒いですね……」
「もう夕方で、日も落ちているしな……レストランに連絡して、夕食の時間を早めてもらうか?」
政は自分が羽織っていたコートを春水にかける。
「いえ……その……」
「もしや体調が悪いのか?」
春水は首を横に振った。
「春水……」
「趙様、申し訳ありません。タクシー代は後で私の代金から差し引いていただいても構いませんので、ここからお一人で帰っていただけますか」
「ど、どうした……大丈夫か?」
「――ごめんなさい、政様」
春水はコートを政に返してから、走り去っていった。
「――春水!!」
春水を引き留めようとしたが、その手は虚しく空を掴む。
政は寂しそうな目をしてから、目を閉じた。
「……キャスターよ、それこそ朕の思う壺であるぞ」
次に目を開いた時、政は赤珊瑚の色のような目をしていた。
「――聞こえておるな、新選組よ」
――同時、南禅寺三門上。
「――ああ、皇帝陛下殿」
バーサーカー・新選組の核である土方歳三は他の新選組隊士たちと京都市中を見渡していた。
「ライダー、遂に業を煮やしたんだね」
「……さてな、必要に迫られたのかもな」
斎藤は、沖田の言葉に対して確実な返事はしなかった。
「陛下より下賜された翡翠によりますと、アーチャーがどうやら焚きつけたようです」
「丞も、よくそれぞれのマスターと英霊を見つけてくるよね」
「陛下の技術が、オーパーツ気味なだけですよ」
監査方の山崎丞が、鳳凰の形に掘られた石英を掲げた。
『其方らには魔力と玉を結びつけるという発想はないのか』
「――ま、ねえよな」
土方の一声に、新選組隊士たちは笑う。
「そうそう、僕らは戦闘集団だからね。魔術の才能なんて、誰にもなかったのさ」
沖田は、そう言った後にググッと伸びをした。
『なるほど……朕の祖父も……いや、ややこしくなるな。この話はやめよう、其方らの任務は分かっておるな?』
「氷見亜蓮の始末……それでいいんだな?」
『ああ、もし何者かが邪魔してくるなら倒しても構わん。キャスターは、朕が何とかする』
「――了解した」
そこで話が終わったので、山崎は石英をしまった。
「――絶景かな、絶景かな」
原田左之助が石川五右衛門を描いた歌舞伎の台詞の真似をする。
「いいなぁ、僕が言いたかったのに……。討ち入りの宵は値千両とは、小せえ、小せえ。我らの目からは、値万両、万々両……」
「――新選組、出るぞ!」
沖田が続きの台詞のアレンジを考えていると、土方の号令がかかった……。
******
ホームズのスケッチが何枚か完成したところ、それまで座っていたホームズがふと窓を見た。
「――あれは……」
「え?どうしたの?」
ホームズに聞こうとした時、スマホが鳴った。
「誰からかな」
「僕の推理が間違っていなければキャスターだ、早く出たまえ」
言われるまま、電話に出た。
『忙しい時に、電話に出てくれてありがとう。……いきなりだけど、本題に入らせてもらうよ』
月読が出てきたことでただならぬ空気を感じた自分は、音声をホームズに聞こえるようにスピーカーに切り替える。
『――お前、先程の魔力の圧を感じたな?』
「ああ、誰かが動き始めたか……」
『ライダーだ。あいつ、空に自分の船団を呼び出しよった』
「ライダー……会ったことあったかな」
『お前はないだろう……。彼の真名は、バーソロミュー=ロバーツ』
「え?ロバーツ……??」
その名前を聞いた時、この間会った容姿端麗なバーテンダーの姿が思い出された。
――そう思えば、あの美しさは“人”ではないものか。
自分は、ここにきてようやく彼が鴫野貴征のサーヴァントであったことに気付く。
『その勾玉にある記憶、昨夜拝見したが……気付いていなかったようだな』
「……え、この勾玉……そんな便利グッズなんですか……」
天照大神に言われて、自分が最近お守り代わりに付けている春水からもらった勾玉のペンダントに触れる。
『玉と魔力の親和性は高くてね。触媒にもなり得るんだよ……と、それは置いておいて……。セイバー……君を見込んで頼みがある。我らはこれから京都駅に行って、再度結界を張る……今でも十分かもしれぬが、万が一どこか修復可能範囲を超えてしまったら……京都が“聖杯戦争の被害そのまま”になってしまうかもしれぬ。我らとしては、いかなる理由があろうとそれは断固許されぬことである。……故に、誰か我らの邪魔をしに来た者から……我らを、春水を守ってくれぬか』
ホームズは、もう一度窓を見た。
「――今ならまだ、公共交通機関は動くだろう。分かった、今から向かわせてもらう。マスター、スケッチは終わりだ」
『ありがとう……名探偵』
春水との電話は、そこで終わった。
出かける準備を手早く済ませて外に出ると、2人はそのまま京都駅への地下鉄に乗る。
「ホームズ!!あれ……」
駅に向かう途中、自分は空を指してホームズに異変を知らせる。
「ライダーの艦隊か……あんなに……」
「とにかく急がないと!!」
地下鉄に乗って、15分ほどで京都駅に着く。
「いったん地上に出よう、キャスターを探さないと」
京都タワーに直結している出口から出て、キャスターの気配を探す。
「――キャスターはあの大階段だ」
そこに向かおうと二人が歩き出した時、突如弾丸の雨が降って来た。
「マスター!!」
とっさにホームズは自身の“青いガーネット”をバリアのように展開させて弾丸たちを防いだ。
「……これは……」
「――そのいけ好かない姿、クラスを問うまでもなく、我が宿敵・シャーロック=ホームズだろう?」
京都タワーのビルの上から、中年男性の声が聞こえてきた。
「モリアーティ……教授」
ホームズと自分は、自分達を見下す男の名前を発した。
「――あの美しい女神に騎士よろしく守護を任されたようだが、私も彼女たちに用があるので力ずくでも倒させてもらう!」
モリアーティは、自身が持っていた大砲のようなもの――おそらくこれがモリアーティの武器なのだろう――から砲撃を繰り出した。
「マスター!建物の中にいたまえ……奴はモリアーティだが、“破壊の概念を具現化させる幻霊”も取り込んでいるとみた」
「幻霊……?」
「英霊より下位の存在……だが、数が集合したら……可能性は、未知数な存在とされるものだよ。さ、早く」
ホームズは、砲撃を躱しながらマスターを建物の中に入れた……。
「――なんだ、あっけなさすぎるな」
氷見亜蓮の拠点を襲撃した新選組は、彼の邸宅を守る自警団のあっけなさにため息をついた。
彼等は気付いていないのだ。
英霊となっていた自分達は、最早生前の自分達とは比べ物にならない程の身体能力を有していることに。
彼等が生前苦しめられた銃という武器の最新型さえも、彼等の前では子供の玩具に等しい。
英霊としての体、そしてそこに“死を何ら恐れぬ”というバーサーカーの所以ともいえる価値観が組み合わさった彼等は、人間など取るに足らぬ存在になってしまったのだと。
そしてまた、二度とその人間には戻れぬのだということにも、彼等は気付いていない。
「お前ら……」
捕縛された亜蓮は、邸内で一番立派な桜の木に縛り付けられていた。
既にある程度殴られていたようで、一言発したのみで気を失ってしまう。
「……さて、皇帝陛下殿は“殺せ”とは言ってなかったな」
「え、でもどうするの?土方さんお得意の拷問をしても、何もこの人知らないだろうから吐く物もないかと思うけど……あーでも、警察に提出したら食いつきそうなくらいヤバそうな薬物や密猟動物の入手・密売ルートくらいならいけそうかなぁ」
「――邸内を捜索しましたが、その他にも美術品の密売……更には仏像の盗難の元締めもしていたようですね」
「えげつなーーーっ!!調べる山南さんもえげつなーーっ!!」
沖田は、そう言いつつも心からはそう思っていない風だった。
「さて……どうするかな……」
土方は、亜蓮の邸内にあった上等な葉巻に口を付けようとするも、切るための道具が見つからず不機嫌になる。
すると、突如現れた水銀の刃がその葉巻を上手いこと切断して火も点けられた。
「――其方らの好きにして構わぬ。この者がどうなろうが、朕の知るところではない」
立派な冕服を着た政が、水銀で形成された羽衣を自分の元に呼び戻しながら現れた。
「ほうほう、お前が氷見亜蓮か……いや、名前だけ中国でも聞いておったが……このような風貌とはのう……もうちと年を食っているかと思ったぞ」
「お前が……こいつらのマスターか……」
亜蓮は、ようやく目を開けて政を見る。
「サーヴァントだのマスターだの、聖杯戦争は堅苦しいのう!……ま、朕がこの者達と契約しているのは事実だな。其方さぁ、今この京都の空にある珍妙な艦隊を持つ英霊を焚きつけて、早期決着を望んだな?」
「師匠が、『キャスターをおびき寄せる』……そう言ったものでね……」
その言葉を聞いて、政は面白いことを聞いたかのように笑い出す。
「そうかそうか、どうやら其方らは何度もそれを画策していたのに、ことごとく朕に阻止されておったのだなぁ。可哀想に、春水はずっと朕の下にあったというのを知らずに虚しい努力を……あの者は誰にも渡さぬ」
最後の方になると、政は生前のように威厳のある声で宣言した。
「あの者は朕の……始皇帝の大願を叶える者。其方如きにどうこうできる存在では、全くないのだ」
政は自身を睨みつける亜蓮に興味を失くしたようで、土方へ「後は任せた」と言ってどこかへと消えていった……。
******
マスターのブランカ=ダルタニアンの謡の練習を聞いていると、大学の警報が鳴った。
「え、何?何?」
「――マスター、サーヴァントが宝具を使ったのよ」
「サロメ……どういうこと?」
「私には分かる、あの人よ」
サロメは、ブランカを窓の元へと連れてくる。
「あの祇園の方にあるのって……」
「船……ね。それも、大艦隊」
「となると、サロメが前に会ったバーソロミュー・ロバーツが……?」
「そうね、あの人ね。あの人に違いないわ……この身がそう、告げている」
サロメは、ため息をついた。
――どうやら今回の“ファム・ファタール”の相手は、彼らしいわね。
その様子を見たブランカは、
「サロメ、彼に会いに行くのね?」
と、察した。
「マスター……」
「いいのよ、あなたはあなたの宿命を全うして」
ブランカは、サロメを抱き締める。
「マスター……」
「短い間だったけど、楽しかったわ」
「こちらこそ……不安定な英霊の私を呼んでくれて、ありがとう」
お礼を言った後、サロメはブランカと別れた。
「――会いに行くわ、ロバーツ。私はあなたの……“運命の女”」
サロメは、懐に持っていた小刀を手に持ってから霊体化した。
自分が生まれたのは、海底の王国だった。
海神ポセイドンが堕落した子孫に怒って海に沈めたアトランティス王国は、海底で再建された。
旧王国のようにポセイドンの怒りを買わぬように、王家の女性たちは代々ポセイドンと結婚して子を成してきた。
その内の一人が、自分だった。
それを知るのは、海が嵐の時に流されてしまった王子である自分を探しに来たというアトランティス出身の海賊・ハウエル=デイヴィスに会ってからだった。
デイヴィスが戦闘で亡くなり、皆に推挙されて後を継いだ自分が最初にした仕事は、彼の敵討ちだった。
海神の息子たる自分は、海にいる生き物たち……伝説と言われていた怪物でさえも操れた。
「驚異的」であるとされた戦果たちも、この海神の息子の恩寵によるものが大きい。
アトランティスの王子として生きるよりも、「有り得ない戦果を上げた最大にして最後の海賊」として生きる方を選んだ。
それに、何一つ後悔はしていない。
後悔など、何一つない。
「……例え、惚れかけた女に殺されようってもな……」
自分の胸に深々と刺さった小刀の持ち主を、ロバーツは抱き締めた。
「ロバーツ、愛しい人。私は、あなたの、“運命の女”……」
「なるほど……お前、“俺を殺すためだけの”サーヴァントだったんだな」
「ロバーツ……!!」
「――何も言うんじゃねえよ。誰か知らない英霊なんかより、お前の方がずっといい」
ロバーツは、そっと目を閉じた。
きっともうすぐ、迎えが来る。
――マスター……また会おうぜ。
後悔など、何もない。
******
「――なるほど、強大な魔力の後を辿れば……群体のサーヴァントでしたか」
槍を持ったスーツ姿の男性が、氷見邸を訪れて淡々と述べる。
「――誰だ、お前」
「ランサー・趙雲子龍……あとは、説明するまでもないでしょう。どうやら……お取り込み中のようですね。近くの平安神宮でお待ちしていますから、夜明けまでには来ていただけると助かります」
そう言うと、趙雲は氷見邸を出て行った。
「ええー……どうする、土方さん」
「おい、お前大体吐いたんだな?」
すぐさま、首を縦に振る。
亜蓮は、土方の剣幕に耐えかねて携わって来た悪事を全て自白してしまった。
「――じゃあ、このまま置いといたらいいな。記録は全部趙政の名前で警察に送ってやった、あとは警察の仕事だろ」
「だねー、あのランサー待たせると厄介そうだし、早く行こうよ……」
「――そうだな、行くぞ!」
土方の号令で、隊士達は霊体化した。
「あ……ああ……師匠、お許しください……!!」
亜蓮は、悔しさのあまり涙を流した。
――平安神宮。
「来てくださいましたか」
趙雲は、現れた新選組に対して微笑みかける。
「俺は約束は破らねぇ主義でな」
「それは大きな美徳でしょう。儒教思想が強い我々にとっても」
「……一つ聞いていいか」
土方は、あくまでも趙雲に対して敵の構えを崩さない。
「――ええ、どうぞ」
「お前、正史典拠か演義典拠か……どっちなんだ」
趙雲は、スーツ姿から自身本来の姿に変えた。
「――曹操殿以外、基本は演義からと聞いています」
「だろうな……で……まさか隊士たち対お前ひとり、なんてことはないよな」
「――ええ、ありません」
趙雲は、目を閉じて固有結界を展開させた。
彼の固有結界は、彼が走り抜けた戦場であろう風景だった。
「――我らの兵たちと、お手合わせ願えますか」
趙雲は、自身の後ろにいた兵たちに命じた。
「遠慮はいらねぇ!好きに暴れてやれ!新選組、御用である!!」
土方たちは、向かってくる彼らと応戦する。
「あなたは、私がお相手しましょう」
土方の前には、趙雲が立ちはだかった。
「――ああ、いいぜ」
「あなたも、己が信念に従って戦った人なのですね」
趙雲は、土方と刃を交えながら彼に語りかける。
「いつだって、そういうやつはいるんだぜ。どこにだって、何年たっても、な」
「それを聞いて安心しました、ええ。本当に」
趙雲は真剣な表情をした。
「これは全力で行かねば、あなたへの侮辱となる」
趙雲は槍の持ち方を変える。
「――!!」
「まだ私は、こんなものではありませんよ」
「じゃねぇと、面白くねぇよな!」
土方は、ニヤリと笑って再び趙雲に刃を振り下ろす。
「――ええ、そのように」
それからしばらく、彼らは互角の勝負を繰り広げる。
そして一瞬、互いの動きに隙が出た。
「これで、終わりだ!!」
土方は自身が持つ宝具――いかなる因果をも捻じ曲げて相手を倒す宝具――“戦場の鬼”を使用した。
「……!!」
趙雲は、“必ず勝利する”固有結界のしきたりに則ってすかさず土方に一撃を入れる。
「土方さん!!」
「子龍将軍!!」
――絶対と絶対は、相殺するしかない。
相討ちなのは、目に見えていた。
「――なるほど、素晴らしい腕をお持ちだ」
「あんたもな……」
「聖杯戦争は、残りの人々にお任せしましょう」
「そうだな……皆ともう一度戦えた、それだけでも……」
――それだけでも、十分さ。
******
「……!!」
京都タワーの展望室の上でホームズと対峙していた時、モリアーティは亜蓮が舌を噛み切って死んだことを自身の魔力供給のパスが切れて脳内に流れ込んできた映像を見て悟る。
「亜蓮……君はなかなか優秀な弟子ではあったが、プライドが高いのだけが欠点だったネ……」
モリアーティはコツンと杖で下をつついた。
「ホームズ、今回はここまでだ。……だが私だけが死ぬのは不平等だ……ライヘンバッハのように、お前も死ね!!」
吐き捨てるように言うと、モリアーティは京都タワーから飛び降りた。
「……!!」
なぜ、とホームズが思った瞬間、モリアーティは10階のビアガーデンにまで出ていた自身のマスターの周辺に向けて砲撃をする。
「マスター!!!」
――私の“仮説”が正しければ、天照大神の結界は聖杯戦争に関連する損傷のみに適応される……。つまり、私が破壊した建物は治っても……私が指一本触れていないあのマスターは、聖杯戦争に関連しないから、死ぬ!!
そうすれば、ホームズも存在できない。
――今度こそ、相討ちだ。
ホームズのマスターが崩壊に巻き込まれたのと、後を追って京都タワーを飛び降りる焦る顔のホームズを見届けて、モリアーティは英霊の座に帰っていった。
――ダメだ、間に合わない。
落ちる速度が、追いつかない。
――ああそれでも、間に合ってくれ、僕よ。
ホームズは、目を閉じて願った。
すると、ホームズの周囲にあった青ガーネットが輝きだす。
――“それ”は、人の可能性を現したもの。
頭の中で、精神宮殿の“誰か”が語りかける。
――おお、美しき可能性の獣よ。
「マスター!!!!!!」
青い光が、マスターを包み込む。
――漢字 可能性の漢字 ガーネットよ。
目を開けると、ホームズは自身のマスターを抱えていた。
「ホームズ……?」
「マスター」
「助けてくれたんだね、ホームズ」
「――ああ」
ホームズはマスターを抱き締める。
「君のおかげで、この“青いガーネット”が“人間の可能性”そのものだということが分かったよ」
「人間の……可能性」
「確かに、人間の可能性は儚く消えていくものだ。……だが、無限に生まれて決して消えないものでもある。そしてそれは、いつか“不可能さえも可能にする”ものとなる……君を救ったように」
ホームズは、ようやく自身の力の正体を解き明かした。
春水は、短時間で何体ものサーヴァントが消えていったことに気付く。
「――京都は、無事なの……?」
――たった一度も結界は途切れていない、無事だろう。
「そう……よかった……」
春水は緊張が途切れたかのように意識が薄くなっていく。
手に持っていた神楽鈴が手から滑り落ち、階段を転がる。
意識が完全になくなる寸前に、
「――見つけた、京聖杯の担い手よ」
とても美しいと思った人の声がした。
「――大儀である、賀陽院春水」
政は、春水の額にキスをする。
「春水さん!!!」
その直後に、セイバーとそのマスターが現れた。
「――随分と遅かったではないか、セイバーよ」
「あなたは……」
「――御前であるぞ!身の程を弁えよ」
政の一喝で、ホームズとそのマスターは動けなくなる。
「朕はルーラー・始皇帝。三皇五帝を超越せし者。此度は京の都の聖杯を召し上げに来た」
「なん……だって」
「――二度も言わせるな、聖杯を献上されに来たと」
始皇帝は不機嫌そうな顔をする。
「え、でも……月読さんの話では、京都の聖杯は空気のようなものだって……」
「――気付かぬか、名探偵とその助手よ。今は、それを集積するために最適な器があることに」
そこまで言われて、ホームズはやっと気付いた。
――キャスターの結界を“器”に変換させるのか。
「あなたは……そのためにキャスターを」
「――そうよ、そうでなくば……何のために、朕が春水と4日を共にしたというのだ」
口調こそ冷たいままだったが、春水の頬を撫でる手は優しさがこもっていた。
「幸い、春水の体を依り代にしている神々は春水に流れ込んでくる聖杯の力に押し負けて出てこれぬようだし、直春水の体は聖杯を行使する鍵に変わり果てよう」
「そんな……春水さんは……!!」
――考えろ、考えろ、打開策を。
ホームズは、“青いガーネット”に問いかけた。
――出てこれないのではない、時間がかかるだけだ。
その時、マスターの勾玉を通じて天照大神の声がした。
――言っておくけど……僕は一等気が短い神だからね……僕の宝具を使ってあげるよ。ホームズ、一時的に僕の力を貸そう。
ホームズの青ガーネットに、月読の力である金の光が混じる。
――それで皇帝を刺し貫け。余を怒らせた罪、せいぜい償わせてやる。
ホームズは青ガーネットでいくつもの弾丸を作り出した。
――常夜月照天海之理(じょうやげっしょうてんかいのことわり)!!!!さぁ……心ゆくまで、裁いてやるとも。
「――いい加減にせんか!!」
始皇帝は、とっさに春水をかばった。
******
「――春水、そろそろ起きなさい」
春水が目を覚ますと、そこは全く見覚えのない場所だった。
「――あなた、は」
春水は、自分を介抱していた床まで及ぶ長い金の髪を持つ女性に聞いた。
「人の名前を申すならば、アルテミス=アスクレーピオ……医神の末裔。別の名前では、精神宮殿の主。そして……嬴趙政様に不死……転生の術を施した者」
「政様……って」
「――あなたの知る政様ですよ。あの方は、転生を繰り返した……秦の始皇帝そのもの」
「転生……どうして、そんなことを」
「――話すと、長くなりますよ」
そう言いつつも、アルテミスは政との出会いを語り始めた……。
私の先祖はギリシャからアレクサンドロス大王の東方遠征に伴って、そのまま現地に在留した一族だった。
そこが一族にしては楽園……治療に使うあらゆる薬草が生えていた場所だった。
一族は、治療の技術を広めようと世界中に散っていった。
そして私はその一人……男の格好をして、咸陽にて治療をしていた。
――遠き西方の国から、神農の末裔来たり。
私の名声は秦王政にまで届き、私は彼に召し上げられた。
彼は、彼の部下である李信の病を治療できる者を探していた。
私は李信を治療してみせた。
それにより秦王政は私を信頼し、私を侍医の一人に任命した。
私が荊軻の暗殺未遂事件で夏無且と共に彼を守ったので、ますます信頼を深めたらしい。
そしてそれ以降、彼は“不老不死”を求め始めた。
――ちょうど私が“転生の術”を完成させた頃に。
何度も何度も彼と問答を繰り返した末、私は彼に“精神は永遠に死ぬことはないが、肉体は変える必要はある”という“転生の術”を施した。
その術は完璧だった。
そう、「嬴趙政」の精神は死ぬことはない。
だから、彼は私が彼を毒から庇って死んだことについての永遠の謎を抱えながら、何千年もの歳月を生き抜いてきた。
「あなたは……政様が“始皇帝”になれぬことを恐れて、政様を庇ったのですね」
春水は「嬴趙政」が未だに解けていない謎をあっけなく解いてしまった。
アルテミスは、そっと頷いて
「私は、あの方を想うが故に転生の術をあの方に施した。でも、私は秦王政を想うが故に“嬴趙政”を裏切った。それは二千年を経てもなお、呪いとなってあの方を苦しめてしまっている」
春水の頭をなでる。
「私は、あの方の……秦王政の“夢”に恋をしていた。子孫の馬に黄河の水を飲ませたいという、一族の大願に……恋をしていた。そしてそれを、秦王政に成し遂げてもらいたかった。私が施したのは、あくまでも精神的な不死……決して、“嬴趙政”が焦がれた“不老不死”ではないから」
「もしそこで秦王政が死んでしまったら、嬴趙政は“始皇帝”として歴史に名を残さなかった……」
「――人間は、肉体と魂が共にあってこそ……初めて“人間”となる。あの方も、ようやく無意識にそれを感じて……あなたの都の聖杯を求めに来たのでしょう。彼の理想とする不老不死を、叶えるために」
「…………」
「――だが、その望みは……あなただけでなく京の都をも滅ぼしかねない。……決して、許してはならぬもの。臣が御諫めするべきこと、臣が陛下に……お答えを奏上する時が来たということでしょう。さぁ……おいでなさい、私と共に来なければ……あなたは、二度と戻れなくなりますよ」
アルテミスは春水の手を握って、精神宮殿の扉を開けた……。
「――朕に何か落ち度があったか?」
余裕の構えを崩さない始皇帝に、神々は慄く。
「ホームズ、始皇帝は……なんだかんだいってヤバいことを成し遂げているのでは……?」
「当たり前だろう。精神的な不死とはいえ、それは本来……有り得ないことだ」
――だが、彼はなぜそうまでして生きている必要があったのだろう。
始皇帝が不老不死を望んでいたのは、歴史的に有名だ。
だが、帝位を望むならば貴人に執着するはず。
転生した始皇帝は、様々な職業に就いていた。
医者、資産家、軍人、職人、画家……。
まるで、この世のあらゆることを知ろうとするように。
「――彼は……」
その時、
「アルテミス=アスクレーピオ、ただいま参上いたしました」
法廷の扉を開けて、春水を連れてきたアルテミスという女性が入ってきた。
――あ……。
ホームズは、彼女がすぐに精神宮殿の“誰か”だと分かった。
「――アルテミス!!」
始皇帝は、アルテミスを見て初めて動揺する様子を呈した。
「――こうしてお会いするのは二千年ぶりとなります、陛下。此度は、あなた様にお出しした謎のお答えを奏上しに参りました」
始皇帝は、そう聞いてハッと我に返って居住まいを正す。
「私は秦王政であるあなた様に西方の大帝国に匹敵する国を作っていただきたかった。秦の国を統べるあなた様でなければ成せぬことを、やっていただきたかった。故に、私は秦王政様を殺す者を許せず、陛下を庇い申し上げた次第でございます」
「……そちは肉体を超えることを研究しておったのに、肉体に留まれと……朕に申すか」
「――私は、秦王政様のことをお慕いしております。趙政であるあなた様は、嬴趙政様であれど秦王政様に非ず。現に、私はこの春水よりも遥かに……今のあなた様を知りませぬ」
アルテミスは始皇帝の前に春水を連れてきた。
「彼女は臣でも敵でもありませぬ。……あなた様を、あなた様として見てくださる生者の方……私には最早できぬ御役目を……することができる者」
「――アルテミス……春水……」
「政様、私……まだあなたに言いたいこと、たくさんあります」
春水は、政の手を握った。
「…………!!」
「――どうか、政様と共に時を過ごすことをお許し願えますか」
政は、春水の頬に手をやる。
春水は、目を逸らすことなくしっかりと政を見ていた。
「……よかろう。其方の誠意に免じて、朕の供を許す。朕が死ぬまで、共にいよ。始皇帝を捨て、趙政として死のうではないか。それに朕は、そこの名探偵に負けたのだ……よくよく考えれば、聖杯を使う資格など、今の朕にはなかろうて」
政は春水を抱き締めた。
「其方は、朕のみを見ていてくれたのだな」
「――月読様、どうかお許し願えますか」
「……仕方ない、君に免じて許してあげるよ……アルテミス」
「――ありがとうございます」
主審の月読が折れて、その場は結審した。
「――ふーむ……どうするか……」
「僕は君に合わせよう……さすがに新選組が襲ってくることはないだろうが、斎藤の言う通りならば……そろそろ何かしらこの聖杯戦争に動きがあるんだろう」
「……え、じゃあ邪魔しないんでホームズの姿をスケッチしても……?」
断られるかな……と思いつつ聞いたが、
「――脱がせないのと、僕に話しかけないなら構わないがね」
と、案外あっさりと許可され、自分は驚く。
そして、ホームズの気が変わらないうちにスケッチをし出した……。
――嵐山、鈴虫寺。
春水と政は、毎年冬に行われる大根焚きに来ていた。
「――大根焚き……とは、初めて聞いたぞ」
「大根焚きは京都の一部の寺院で行われる無病息災・健康祈願などをお祈りする京都の冬の風物詩です。また、この鈴虫寺は年中鈴虫を飼育している事や日本で唯一草鞋を履き願い事を一つだけ叶えるという幸福地蔵様、そして先程のように茶菓のもてなしや説法があるということで有名で、積極的な観光客誘致策を展開し、成功した寺院としても知られています」
「ふむ……確かに日本に来て説法を聞かされるとは思っていなかったな。しかし興味深いものだった。それにこの大根と油揚げ……美味い、美味いぞ!」
熱いのが難点だがな、とふーふー息を吹きかけつつ大根を味わう。
「住職様に、お伝えしておきますね」
「うむ、先程の説法も心洗われたと伝えてくれ」
「――はい」
「鈴虫……一年中飼育するのは、さぞ苦労したであろうよ」
リーンリーンと鈴虫の鳴き声に耳を澄ませつつ、政は感慨深そうに言う。
「お寺の本当の名前は『華厳寺』なのですが、そのこともあって『鈴虫寺』と呼ばれています」
「今度は、紅葉の季節に来てみたいものだ」
その言葉を聞いて、春水は嬉しそうな笑顔を見せた……。
******
――夜。
貴征とロバーツが開店の準備をしていると、そこにジェームズ・モリアーティと氷見亜蓮が現れた。
「アーチャー、まだ開店の時間にはなってないぞ」
「ライダー、この氷見亜蓮が君に宝具の使用を命じよう」
「……は?」
アーチャーは、貴征の喉元に仕込み杖を突き付けた。
「はは……亜蓮さん、冗談は……」
「――私は本気だぞ、鴫野」
「……ッツ!!」
顏こそ笑っているが、亜蓮の目からは一切の感情が消えていた。
――これは“逆らう”すら許されぬ、“京の裏を統べる者”の目。
「ロバーツ、君の宝具は君の伝説そのものなのだろう?最大にして最後の大海賊よ……」
「逆に聞くぜ、使ってどうするんだ?まさか、ただ単に俺の船が見たいって訳じゃねえだろ?」
ロバーツは貴征とアーチャーの間に立った。
「端的に言えば、ある“仮説”を証明するためにキャスターをおびき寄せて聞き出す必要があるのサ」
「“仮説”だぁ?」
アーチャーは、ロバーツの声を聞くとバーの壁に向けて仕込み杖の銃を発砲した。
「おい!!!」
店の壁を傷付けられてロバーツは声を上げる。
「――まァ、見ていたまえよ」
アーチャーがニヤリと笑うと、傷付いた壁は数秒後に修復され、弾丸が床へと転げ落ちた。
「なんだよ……それ」
「――私の“仮説”では、これはキャスターのどちらかの神の宝具。可能性としては天照大神の方だが……この宝具の利用法を、今一度聖杯の在り処を聞くために必要があってネ……。君の宝具で、他も倒しつつ彼女をおびき寄せる……悪くないだろう?聖杯が手に入ったら、我々で山分けだよ」
「それ、人でも適応されんのか?」
「君のマスターで試してみるかい?」
ロバーツは、その言葉を聞いて“海賊らしい“好戦的な目をした。
「そんなのは気にすんなってか、アンタやっぱり……“犯罪界のナポレオン”なんだな」
「君もなかなかだとは思うネ。では、外で待っているよ」
そう言うと、亜蓮とアーチャーは外に出て行った。
「――海賊相手に、それは褒め言葉だな。いいぜ、ちょっと待ってろ。開店の準備はあと少しなんだ」
「――ロバーツ!!」
貴征が、ロバーツの背中に声をかける。
「マスター、別に死ぬなんて俺は一言も言ってねえぞ?帰ってきたら、そこの一番いい酒を浴びるほど飲ませろよ?いいな?」
ロバーツはネクタイを解いて、自らの本来の姿――“黒い准男爵”の姿になった。
「ああ……ああ、いいとも。ライダー……そうしよう」
「――決まりだな」
ロバーツは、一瞬だけ貴征の方を見てから外へと出た。
「――お前ら、今すぐ鴨川を越えた方がいいぜ。死んでも知らねえからな。我が父、デウス・エナリオスに奉る……我は海神の息子、バーソロミュー・ロバーツなり」
ロバーツが霊体化すると同時にポタリと、地面にロバーツの血が落ちる。
すると、雷鳴と共に京都の空に大艦隊が現れた……。
春水は雷鳴がしたと同時に身震いをした。
――これは……サーヴァントの魔力。
「――どうした、春水?寒いのか?」
「……え、ええ……やはり京都の北は寒いですね……」
「もう夕方で、日も落ちているしな……レストランに連絡して、夕食の時間を早めてもらうか?」
政は自分が羽織っていたコートを春水にかける。
「いえ……その……」
「もしや体調が悪いのか?」
春水は首を横に振った。
「春水……」
「趙様、申し訳ありません。タクシー代は後で私の代金から差し引いていただいても構いませんので、ここからお一人で帰っていただけますか」
「ど、どうした……大丈夫か?」
「――ごめんなさい、政様」
春水はコートを政に返してから、走り去っていった。
「――春水!!」
春水を引き留めようとしたが、その手は虚しく空を掴む。
政は寂しそうな目をしてから、目を閉じた。
「……キャスターよ、それこそ朕の思う壺であるぞ」
次に目を開いた時、政は赤珊瑚の色のような目をしていた。
「――聞こえておるな、新選組よ」
――同時、南禅寺三門上。
「――ああ、皇帝陛下殿」
バーサーカー・新選組の核である土方歳三は他の新選組隊士たちと京都市中を見渡していた。
「ライダー、遂に業を煮やしたんだね」
「……さてな、必要に迫られたのかもな」
斎藤は、沖田の言葉に対して確実な返事はしなかった。
「陛下より下賜された翡翠によりますと、アーチャーがどうやら焚きつけたようです」
「丞も、よくそれぞれのマスターと英霊を見つけてくるよね」
「陛下の技術が、オーパーツ気味なだけですよ」
監査方の山崎丞が、鳳凰の形に掘られた石英を掲げた。
『其方らには魔力と玉を結びつけるという発想はないのか』
「――ま、ねえよな」
土方の一声に、新選組隊士たちは笑う。
「そうそう、僕らは戦闘集団だからね。魔術の才能なんて、誰にもなかったのさ」
沖田は、そう言った後にググッと伸びをした。
『なるほど……朕の祖父も……いや、ややこしくなるな。この話はやめよう、其方らの任務は分かっておるな?』
「氷見亜蓮の始末……それでいいんだな?」
『ああ、もし何者かが邪魔してくるなら倒しても構わん。キャスターは、朕が何とかする』
「――了解した」
そこで話が終わったので、山崎は石英をしまった。
「――絶景かな、絶景かな」
原田左之助が石川五右衛門を描いた歌舞伎の台詞の真似をする。
「いいなぁ、僕が言いたかったのに……。討ち入りの宵は値千両とは、小せえ、小せえ。我らの目からは、値万両、万々両……」
「――新選組、出るぞ!」
沖田が続きの台詞のアレンジを考えていると、土方の号令がかかった……。
******
ホームズのスケッチが何枚か完成したところ、それまで座っていたホームズがふと窓を見た。
「――あれは……」
「え?どうしたの?」
ホームズに聞こうとした時、スマホが鳴った。
「誰からかな」
「僕の推理が間違っていなければキャスターだ、早く出たまえ」
言われるまま、電話に出た。
『忙しい時に、電話に出てくれてありがとう。……いきなりだけど、本題に入らせてもらうよ』
月読が出てきたことでただならぬ空気を感じた自分は、音声をホームズに聞こえるようにスピーカーに切り替える。
『――お前、先程の魔力の圧を感じたな?』
「ああ、誰かが動き始めたか……」
『ライダーだ。あいつ、空に自分の船団を呼び出しよった』
「ライダー……会ったことあったかな」
『お前はないだろう……。彼の真名は、バーソロミュー=ロバーツ』
「え?ロバーツ……??」
その名前を聞いた時、この間会った容姿端麗なバーテンダーの姿が思い出された。
――そう思えば、あの美しさは“人”ではないものか。
自分は、ここにきてようやく彼が鴫野貴征のサーヴァントであったことに気付く。
『その勾玉にある記憶、昨夜拝見したが……気付いていなかったようだな』
「……え、この勾玉……そんな便利グッズなんですか……」
天照大神に言われて、自分が最近お守り代わりに付けている春水からもらった勾玉のペンダントに触れる。
『玉と魔力の親和性は高くてね。触媒にもなり得るんだよ……と、それは置いておいて……。セイバー……君を見込んで頼みがある。我らはこれから京都駅に行って、再度結界を張る……今でも十分かもしれぬが、万が一どこか修復可能範囲を超えてしまったら……京都が“聖杯戦争の被害そのまま”になってしまうかもしれぬ。我らとしては、いかなる理由があろうとそれは断固許されぬことである。……故に、誰か我らの邪魔をしに来た者から……我らを、春水を守ってくれぬか』
ホームズは、もう一度窓を見た。
「――今ならまだ、公共交通機関は動くだろう。分かった、今から向かわせてもらう。マスター、スケッチは終わりだ」
『ありがとう……名探偵』
春水との電話は、そこで終わった。
出かける準備を手早く済ませて外に出ると、2人はそのまま京都駅への地下鉄に乗る。
「ホームズ!!あれ……」
駅に向かう途中、自分は空を指してホームズに異変を知らせる。
「ライダーの艦隊か……あんなに……」
「とにかく急がないと!!」
地下鉄に乗って、15分ほどで京都駅に着く。
「いったん地上に出よう、キャスターを探さないと」
京都タワーに直結している出口から出て、キャスターの気配を探す。
「――キャスターはあの大階段だ」
そこに向かおうと二人が歩き出した時、突如弾丸の雨が降って来た。
「マスター!!」
とっさにホームズは自身の“青いガーネット”をバリアのように展開させて弾丸たちを防いだ。
「……これは……」
「――そのいけ好かない姿、クラスを問うまでもなく、我が宿敵・シャーロック=ホームズだろう?」
京都タワーのビルの上から、中年男性の声が聞こえてきた。
「モリアーティ……教授」
ホームズと自分は、自分達を見下す男の名前を発した。
「――あの美しい女神に騎士よろしく守護を任されたようだが、私も彼女たちに用があるので力ずくでも倒させてもらう!」
モリアーティは、自身が持っていた大砲のようなもの――おそらくこれがモリアーティの武器なのだろう――から砲撃を繰り出した。
「マスター!建物の中にいたまえ……奴はモリアーティだが、“破壊の概念を具現化させる幻霊”も取り込んでいるとみた」
「幻霊……?」
「英霊より下位の存在……だが、数が集合したら……可能性は、未知数な存在とされるものだよ。さ、早く」
ホームズは、砲撃を躱しながらマスターを建物の中に入れた……。
「――なんだ、あっけなさすぎるな」
氷見亜蓮の拠点を襲撃した新選組は、彼の邸宅を守る自警団のあっけなさにため息をついた。
彼等は気付いていないのだ。
英霊となっていた自分達は、最早生前の自分達とは比べ物にならない程の身体能力を有していることに。
彼等が生前苦しめられた銃という武器の最新型さえも、彼等の前では子供の玩具に等しい。
英霊としての体、そしてそこに“死を何ら恐れぬ”というバーサーカーの所以ともいえる価値観が組み合わさった彼等は、人間など取るに足らぬ存在になってしまったのだと。
そしてまた、二度とその人間には戻れぬのだということにも、彼等は気付いていない。
「お前ら……」
捕縛された亜蓮は、邸内で一番立派な桜の木に縛り付けられていた。
既にある程度殴られていたようで、一言発したのみで気を失ってしまう。
「……さて、皇帝陛下殿は“殺せ”とは言ってなかったな」
「え、でもどうするの?土方さんお得意の拷問をしても、何もこの人知らないだろうから吐く物もないかと思うけど……あーでも、警察に提出したら食いつきそうなくらいヤバそうな薬物や密猟動物の入手・密売ルートくらいならいけそうかなぁ」
「――邸内を捜索しましたが、その他にも美術品の密売……更には仏像の盗難の元締めもしていたようですね」
「えげつなーーーっ!!調べる山南さんもえげつなーーっ!!」
沖田は、そう言いつつも心からはそう思っていない風だった。
「さて……どうするかな……」
土方は、亜蓮の邸内にあった上等な葉巻に口を付けようとするも、切るための道具が見つからず不機嫌になる。
すると、突如現れた水銀の刃がその葉巻を上手いこと切断して火も点けられた。
「――其方らの好きにして構わぬ。この者がどうなろうが、朕の知るところではない」
立派な冕服を着た政が、水銀で形成された羽衣を自分の元に呼び戻しながら現れた。
「ほうほう、お前が氷見亜蓮か……いや、名前だけ中国でも聞いておったが……このような風貌とはのう……もうちと年を食っているかと思ったぞ」
「お前が……こいつらのマスターか……」
亜蓮は、ようやく目を開けて政を見る。
「サーヴァントだのマスターだの、聖杯戦争は堅苦しいのう!……ま、朕がこの者達と契約しているのは事実だな。其方さぁ、今この京都の空にある珍妙な艦隊を持つ英霊を焚きつけて、早期決着を望んだな?」
「師匠が、『キャスターをおびき寄せる』……そう言ったものでね……」
その言葉を聞いて、政は面白いことを聞いたかのように笑い出す。
「そうかそうか、どうやら其方らは何度もそれを画策していたのに、ことごとく朕に阻止されておったのだなぁ。可哀想に、春水はずっと朕の下にあったというのを知らずに虚しい努力を……あの者は誰にも渡さぬ」
最後の方になると、政は生前のように威厳のある声で宣言した。
「あの者は朕の……始皇帝の大願を叶える者。其方如きにどうこうできる存在では、全くないのだ」
政は自身を睨みつける亜蓮に興味を失くしたようで、土方へ「後は任せた」と言ってどこかへと消えていった……。
******
マスターのブランカ=ダルタニアンの謡の練習を聞いていると、大学の警報が鳴った。
「え、何?何?」
「――マスター、サーヴァントが宝具を使ったのよ」
「サロメ……どういうこと?」
「私には分かる、あの人よ」
サロメは、ブランカを窓の元へと連れてくる。
「あの祇園の方にあるのって……」
「船……ね。それも、大艦隊」
「となると、サロメが前に会ったバーソロミュー・ロバーツが……?」
「そうね、あの人ね。あの人に違いないわ……この身がそう、告げている」
サロメは、ため息をついた。
――どうやら今回の“ファム・ファタール”の相手は、彼らしいわね。
その様子を見たブランカは、
「サロメ、彼に会いに行くのね?」
と、察した。
「マスター……」
「いいのよ、あなたはあなたの宿命を全うして」
ブランカは、サロメを抱き締める。
「マスター……」
「短い間だったけど、楽しかったわ」
「こちらこそ……不安定な英霊の私を呼んでくれて、ありがとう」
お礼を言った後、サロメはブランカと別れた。
「――会いに行くわ、ロバーツ。私はあなたの……“運命の女”」
サロメは、懐に持っていた小刀を手に持ってから霊体化した。
自分が生まれたのは、海底の王国だった。
海神ポセイドンが堕落した子孫に怒って海に沈めたアトランティス王国は、海底で再建された。
旧王国のようにポセイドンの怒りを買わぬように、王家の女性たちは代々ポセイドンと結婚して子を成してきた。
その内の一人が、自分だった。
それを知るのは、海が嵐の時に流されてしまった王子である自分を探しに来たというアトランティス出身の海賊・ハウエル=デイヴィスに会ってからだった。
デイヴィスが戦闘で亡くなり、皆に推挙されて後を継いだ自分が最初にした仕事は、彼の敵討ちだった。
海神の息子たる自分は、海にいる生き物たち……伝説と言われていた怪物でさえも操れた。
「驚異的」であるとされた戦果たちも、この海神の息子の恩寵によるものが大きい。
アトランティスの王子として生きるよりも、「有り得ない戦果を上げた最大にして最後の海賊」として生きる方を選んだ。
それに、何一つ後悔はしていない。
後悔など、何一つない。
「……例え、惚れかけた女に殺されようってもな……」
自分の胸に深々と刺さった小刀の持ち主を、ロバーツは抱き締めた。
「ロバーツ、愛しい人。私は、あなたの、“運命の女”……」
「なるほど……お前、“俺を殺すためだけの”サーヴァントだったんだな」
「ロバーツ……!!」
「――何も言うんじゃねえよ。誰か知らない英霊なんかより、お前の方がずっといい」
ロバーツは、そっと目を閉じた。
きっともうすぐ、迎えが来る。
――マスター……また会おうぜ。
後悔など、何もない。
******
「――なるほど、強大な魔力の後を辿れば……群体のサーヴァントでしたか」
槍を持ったスーツ姿の男性が、氷見邸を訪れて淡々と述べる。
「――誰だ、お前」
「ランサー・趙雲子龍……あとは、説明するまでもないでしょう。どうやら……お取り込み中のようですね。近くの平安神宮でお待ちしていますから、夜明けまでには来ていただけると助かります」
そう言うと、趙雲は氷見邸を出て行った。
「ええー……どうする、土方さん」
「おい、お前大体吐いたんだな?」
すぐさま、首を縦に振る。
亜蓮は、土方の剣幕に耐えかねて携わって来た悪事を全て自白してしまった。
「――じゃあ、このまま置いといたらいいな。記録は全部趙政の名前で警察に送ってやった、あとは警察の仕事だろ」
「だねー、あのランサー待たせると厄介そうだし、早く行こうよ……」
「――そうだな、行くぞ!」
土方の号令で、隊士達は霊体化した。
「あ……ああ……師匠、お許しください……!!」
亜蓮は、悔しさのあまり涙を流した。
――平安神宮。
「来てくださいましたか」
趙雲は、現れた新選組に対して微笑みかける。
「俺は約束は破らねぇ主義でな」
「それは大きな美徳でしょう。儒教思想が強い我々にとっても」
「……一つ聞いていいか」
土方は、あくまでも趙雲に対して敵の構えを崩さない。
「――ええ、どうぞ」
「お前、正史典拠か演義典拠か……どっちなんだ」
趙雲は、スーツ姿から自身本来の姿に変えた。
「――曹操殿以外、基本は演義からと聞いています」
「だろうな……で……まさか隊士たち対お前ひとり、なんてことはないよな」
「――ええ、ありません」
趙雲は、目を閉じて固有結界を展開させた。
彼の固有結界は、彼が走り抜けた戦場であろう風景だった。
「――我らの兵たちと、お手合わせ願えますか」
趙雲は、自身の後ろにいた兵たちに命じた。
「遠慮はいらねぇ!好きに暴れてやれ!新選組、御用である!!」
土方たちは、向かってくる彼らと応戦する。
「あなたは、私がお相手しましょう」
土方の前には、趙雲が立ちはだかった。
「――ああ、いいぜ」
「あなたも、己が信念に従って戦った人なのですね」
趙雲は、土方と刃を交えながら彼に語りかける。
「いつだって、そういうやつはいるんだぜ。どこにだって、何年たっても、な」
「それを聞いて安心しました、ええ。本当に」
趙雲は真剣な表情をした。
「これは全力で行かねば、あなたへの侮辱となる」
趙雲は槍の持ち方を変える。
「――!!」
「まだ私は、こんなものではありませんよ」
「じゃねぇと、面白くねぇよな!」
土方は、ニヤリと笑って再び趙雲に刃を振り下ろす。
「――ええ、そのように」
それからしばらく、彼らは互角の勝負を繰り広げる。
そして一瞬、互いの動きに隙が出た。
「これで、終わりだ!!」
土方は自身が持つ宝具――いかなる因果をも捻じ曲げて相手を倒す宝具――“戦場の鬼”を使用した。
「……!!」
趙雲は、“必ず勝利する”固有結界のしきたりに則ってすかさず土方に一撃を入れる。
「土方さん!!」
「子龍将軍!!」
――絶対と絶対は、相殺するしかない。
相討ちなのは、目に見えていた。
「――なるほど、素晴らしい腕をお持ちだ」
「あんたもな……」
「聖杯戦争は、残りの人々にお任せしましょう」
「そうだな……皆ともう一度戦えた、それだけでも……」
――それだけでも、十分さ。
******
「……!!」
京都タワーの展望室の上でホームズと対峙していた時、モリアーティは亜蓮が舌を噛み切って死んだことを自身の魔力供給のパスが切れて脳内に流れ込んできた映像を見て悟る。
「亜蓮……君はなかなか優秀な弟子ではあったが、プライドが高いのだけが欠点だったネ……」
モリアーティはコツンと杖で下をつついた。
「ホームズ、今回はここまでだ。……だが私だけが死ぬのは不平等だ……ライヘンバッハのように、お前も死ね!!」
吐き捨てるように言うと、モリアーティは京都タワーから飛び降りた。
「……!!」
なぜ、とホームズが思った瞬間、モリアーティは10階のビアガーデンにまで出ていた自身のマスターの周辺に向けて砲撃をする。
「マスター!!!」
――私の“仮説”が正しければ、天照大神の結界は聖杯戦争に関連する損傷のみに適応される……。つまり、私が破壊した建物は治っても……私が指一本触れていないあのマスターは、聖杯戦争に関連しないから、死ぬ!!
そうすれば、ホームズも存在できない。
――今度こそ、相討ちだ。
ホームズのマスターが崩壊に巻き込まれたのと、後を追って京都タワーを飛び降りる焦る顔のホームズを見届けて、モリアーティは英霊の座に帰っていった。
――ダメだ、間に合わない。
落ちる速度が、追いつかない。
――ああそれでも、間に合ってくれ、僕よ。
ホームズは、目を閉じて願った。
すると、ホームズの周囲にあった青ガーネットが輝きだす。
――“それ”は、人の可能性を現したもの。
頭の中で、精神宮殿の“誰か”が語りかける。
――おお、美しき可能性の獣よ。
「マスター!!!!!!」
青い光が、マスターを包み込む。
――
目を開けると、ホームズは自身のマスターを抱えていた。
「ホームズ……?」
「マスター」
「助けてくれたんだね、ホームズ」
「――ああ」
ホームズはマスターを抱き締める。
「君のおかげで、この“青いガーネット”が“人間の可能性”そのものだということが分かったよ」
「人間の……可能性」
「確かに、人間の可能性は儚く消えていくものだ。……だが、無限に生まれて決して消えないものでもある。そしてそれは、いつか“不可能さえも可能にする”ものとなる……君を救ったように」
ホームズは、ようやく自身の力の正体を解き明かした。
春水は、短時間で何体ものサーヴァントが消えていったことに気付く。
「――京都は、無事なの……?」
――たった一度も結界は途切れていない、無事だろう。
「そう……よかった……」
春水は緊張が途切れたかのように意識が薄くなっていく。
手に持っていた神楽鈴が手から滑り落ち、階段を転がる。
意識が完全になくなる寸前に、
「――見つけた、京聖杯の担い手よ」
とても美しいと思った人の声がした。
「――大儀である、賀陽院春水」
政は、春水の額にキスをする。
「春水さん!!!」
その直後に、セイバーとそのマスターが現れた。
「――随分と遅かったではないか、セイバーよ」
「あなたは……」
「――御前であるぞ!身の程を弁えよ」
政の一喝で、ホームズとそのマスターは動けなくなる。
「朕はルーラー・始皇帝。三皇五帝を超越せし者。此度は京の都の聖杯を召し上げに来た」
「なん……だって」
「――二度も言わせるな、聖杯を献上されに来たと」
始皇帝は不機嫌そうな顔をする。
「え、でも……月読さんの話では、京都の聖杯は空気のようなものだって……」
「――気付かぬか、名探偵とその助手よ。今は、それを集積するために最適な器があることに」
そこまで言われて、ホームズはやっと気付いた。
――キャスターの結界を“器”に変換させるのか。
「あなたは……そのためにキャスターを」
「――そうよ、そうでなくば……何のために、朕が春水と4日を共にしたというのだ」
口調こそ冷たいままだったが、春水の頬を撫でる手は優しさがこもっていた。
「幸い、春水の体を依り代にしている神々は春水に流れ込んでくる聖杯の力に押し負けて出てこれぬようだし、直春水の体は聖杯を行使する鍵に変わり果てよう」
「そんな……春水さんは……!!」
――考えろ、考えろ、打開策を。
ホームズは、“青いガーネット”に問いかけた。
――出てこれないのではない、時間がかかるだけだ。
その時、マスターの勾玉を通じて天照大神の声がした。
――言っておくけど……僕は一等気が短い神だからね……僕の宝具を使ってあげるよ。ホームズ、一時的に僕の力を貸そう。
ホームズの青ガーネットに、月読の力である金の光が混じる。
――それで皇帝を刺し貫け。余を怒らせた罪、せいぜい償わせてやる。
ホームズは青ガーネットでいくつもの弾丸を作り出した。
――常夜月照天海之理(じょうやげっしょうてんかいのことわり)!!!!さぁ……心ゆくまで、裁いてやるとも。
「――いい加減にせんか!!」
始皇帝は、とっさに春水をかばった。
******
「――春水、そろそろ起きなさい」
春水が目を覚ますと、そこは全く見覚えのない場所だった。
「――あなた、は」
春水は、自分を介抱していた床まで及ぶ長い金の髪を持つ女性に聞いた。
「人の名前を申すならば、アルテミス=アスクレーピオ……医神の末裔。別の名前では、精神宮殿の主。そして……嬴趙政様に不死……転生の術を施した者」
「政様……って」
「――あなたの知る政様ですよ。あの方は、転生を繰り返した……秦の始皇帝そのもの」
「転生……どうして、そんなことを」
「――話すと、長くなりますよ」
そう言いつつも、アルテミスは政との出会いを語り始めた……。
私の先祖はギリシャからアレクサンドロス大王の東方遠征に伴って、そのまま現地に在留した一族だった。
そこが一族にしては楽園……治療に使うあらゆる薬草が生えていた場所だった。
一族は、治療の技術を広めようと世界中に散っていった。
そして私はその一人……男の格好をして、咸陽にて治療をしていた。
――遠き西方の国から、神農の末裔来たり。
私の名声は秦王政にまで届き、私は彼に召し上げられた。
彼は、彼の部下である李信の病を治療できる者を探していた。
私は李信を治療してみせた。
それにより秦王政は私を信頼し、私を侍医の一人に任命した。
私が荊軻の暗殺未遂事件で夏無且と共に彼を守ったので、ますます信頼を深めたらしい。
そしてそれ以降、彼は“不老不死”を求め始めた。
――ちょうど私が“転生の術”を完成させた頃に。
何度も何度も彼と問答を繰り返した末、私は彼に“精神は永遠に死ぬことはないが、肉体は変える必要はある”という“転生の術”を施した。
その術は完璧だった。
そう、「嬴趙政」の精神は死ぬことはない。
だから、彼は私が彼を毒から庇って死んだことについての永遠の謎を抱えながら、何千年もの歳月を生き抜いてきた。
「あなたは……政様が“始皇帝”になれぬことを恐れて、政様を庇ったのですね」
春水は「嬴趙政」が未だに解けていない謎をあっけなく解いてしまった。
アルテミスは、そっと頷いて
「私は、あの方を想うが故に転生の術をあの方に施した。でも、私は秦王政を想うが故に“嬴趙政”を裏切った。それは二千年を経てもなお、呪いとなってあの方を苦しめてしまっている」
春水の頭をなでる。
「私は、あの方の……秦王政の“夢”に恋をしていた。子孫の馬に黄河の水を飲ませたいという、一族の大願に……恋をしていた。そしてそれを、秦王政に成し遂げてもらいたかった。私が施したのは、あくまでも精神的な不死……決して、“嬴趙政”が焦がれた“不老不死”ではないから」
「もしそこで秦王政が死んでしまったら、嬴趙政は“始皇帝”として歴史に名を残さなかった……」
「――人間は、肉体と魂が共にあってこそ……初めて“人間”となる。あの方も、ようやく無意識にそれを感じて……あなたの都の聖杯を求めに来たのでしょう。彼の理想とする不老不死を、叶えるために」
「…………」
「――だが、その望みは……あなただけでなく京の都をも滅ぼしかねない。……決して、許してはならぬもの。臣が御諫めするべきこと、臣が陛下に……お答えを奏上する時が来たということでしょう。さぁ……おいでなさい、私と共に来なければ……あなたは、二度と戻れなくなりますよ」
アルテミスは春水の手を握って、精神宮殿の扉を開けた……。
「――朕に何か落ち度があったか?」
余裕の構えを崩さない始皇帝に、神々は慄く。
「ホームズ、始皇帝は……なんだかんだいってヤバいことを成し遂げているのでは……?」
「当たり前だろう。精神的な不死とはいえ、それは本来……有り得ないことだ」
――だが、彼はなぜそうまでして生きている必要があったのだろう。
始皇帝が不老不死を望んでいたのは、歴史的に有名だ。
だが、帝位を望むならば貴人に執着するはず。
転生した始皇帝は、様々な職業に就いていた。
医者、資産家、軍人、職人、画家……。
まるで、この世のあらゆることを知ろうとするように。
「――彼は……」
その時、
「アルテミス=アスクレーピオ、ただいま参上いたしました」
法廷の扉を開けて、春水を連れてきたアルテミスという女性が入ってきた。
――あ……。
ホームズは、彼女がすぐに精神宮殿の“誰か”だと分かった。
「――アルテミス!!」
始皇帝は、アルテミスを見て初めて動揺する様子を呈した。
「――こうしてお会いするのは二千年ぶりとなります、陛下。此度は、あなた様にお出しした謎のお答えを奏上しに参りました」
始皇帝は、そう聞いてハッと我に返って居住まいを正す。
「私は秦王政であるあなた様に西方の大帝国に匹敵する国を作っていただきたかった。秦の国を統べるあなた様でなければ成せぬことを、やっていただきたかった。故に、私は秦王政様を殺す者を許せず、陛下を庇い申し上げた次第でございます」
「……そちは肉体を超えることを研究しておったのに、肉体に留まれと……朕に申すか」
「――私は、秦王政様のことをお慕いしております。趙政であるあなた様は、嬴趙政様であれど秦王政様に非ず。現に、私はこの春水よりも遥かに……今のあなた様を知りませぬ」
アルテミスは始皇帝の前に春水を連れてきた。
「彼女は臣でも敵でもありませぬ。……あなた様を、あなた様として見てくださる生者の方……私には最早できぬ御役目を……することができる者」
「――アルテミス……春水……」
「政様、私……まだあなたに言いたいこと、たくさんあります」
春水は、政の手を握った。
「…………!!」
「――どうか、政様と共に時を過ごすことをお許し願えますか」
政は、春水の頬に手をやる。
春水は、目を逸らすことなくしっかりと政を見ていた。
「……よかろう。其方の誠意に免じて、朕の供を許す。朕が死ぬまで、共にいよ。始皇帝を捨て、趙政として死のうではないか。それに朕は、そこの名探偵に負けたのだ……よくよく考えれば、聖杯を使う資格など、今の朕にはなかろうて」
政は春水を抱き締めた。
「其方は、朕のみを見ていてくれたのだな」
「――月読様、どうかお許し願えますか」
「……仕方ない、君に免じて許してあげるよ……アルテミス」
「――ありがとうございます」
主審の月読が折れて、その場は結審した。