美し国から来たる司書
――盛夏。
「ここのハーブたちも、随分大きくなったみたいね」
司書・五条エリゼは、図書館の中庭に植えてあるアニスやオレガノの様子を見ながら嬉しそうに頷いた。
「司書さん、ホーソンもこんなにとれたよ」
島崎藤村は自身の名前と似たイントネーションのハーブの樹から収穫した果実を司書に見せる。
――君にこの手のセンスがあったなんて驚きだよ。
まだいくつかのハーブが苗木の頃にあったネームプレートに目を付けてもらえるように「トーソン」と付けていたのを、藤村は未だに覚えている。
「本当だ、今年は暑かったから早めに実がついていたのね」
「ネームプレートネタなら、『TAKEO』は悪ふざけが過ぎると思うけどね」
肥料をあげていた有島武郎の言葉を聞いて、
「あれは……やっぱり怒ってます?」
と、エリゼは困った顔をする。
その顔を見て、
「――大丈夫、怒ってないよ。あなたの心遣いには、感謝しているくらいだからね」
有島は優しい笑顔でそれに応えた。
「よかった……こうして作業も手伝ってくださって、ありがとうございます」
「そろそろ中に戻ろうか。夕方とはいえ、まだまだ暑い……」
「そうですね、水分補給は大事ですし。今日は確かブルーベリーとストロベリーのデトックスウォーターをウォーターサーバーに作っておいたはず……」
「ベリー系は結構しっかり味が付くよね」
「――ええ、口当たりもいいし、そしてアンチエイジング系の効果も……」
食堂に戻る途中、3人はデトックスウォーターについて議論する。
文豪たちは意外とフルーツ好きで、それを逆手に取り夏の水分補給を促す意味も込めてエリゼ特製ブレンドのデトックスウォーターを食堂のウォーターサーバーに入れるようになってから、文豪たちはこまめに水分補給をするようになった。
それを始めたのも、館長が激務のあまり水分補給を忘れてあわや熱中症という状況まで追い込まれていたことに対して生まれた危機感である。
――文豪の人たちがなるかは知らないけど。
「――お待たせしました!」
厨房にいる料理長に野菜やいくつかのハーブを渡した後、3人は食堂に入る。
ウォーターサーバーの隣に置いてあるグラスに飲みたい分だけ注いで喉を潤すと、談話室に行く。
「おーう、今日もお疲れさん。あんたも枯山水するか?」
エリゼの気配に気付くと、菊池寛は真っ先にボードゲームの盤上から顔を上げて声をかけてくれる。
「今日は枯山水やってるんですね……」
「寛、徳が足りてないね」
「へいへい、徳が低くてすいませんね。また、この回が終わったら声かけてやるよ」
進行を促す芥川龍之介の言葉を受けて、菊池は手を振った。
その時、
「――エリゼ!!」
師でもあり友でもある坪内逍遥と共に談話室に入って来た二葉亭四迷がエリゼに気付くと、迷うことなく抱き締めに来る。
「……四迷先生……」
「今日も疲れただろう」
「え、ええ……」
どうしたのか、と聞こうとすると、
「――ウッ!!!」
両隣から負傷したような声を聞いて、エリゼはハッと我に返る。
「おいおい!なんで藤村と有島さんが耗弱になってんだ!?」
「え……?」
異変に気付いた国木田独歩の叫びを聞いて、エリゼは両隣の状態を把握する。
「とにかく連れて行かなければ」
逍遥の一声で、文豪たちはエリゼと四迷をよそに2人を担ぎ上げる。
「ほんと……四迷さんのそういうの……ムリ……」
「頼むから、マジで……やめてくれないか……」
消え入るような2人の声を聞いて、文豪たちは原因を理解する。
そして、逍遥が医務室にいる森鴎外と永井荷風に今回の原因を説明した。
「なるほど、よく分かった」
「――これはディベートが必要だと思うがね」
「やるしかないでしょう、もうそろそろ皆の限界かと思います」
「永井君、至急放送室に行きたまえ」
「――了解です」
「私も行くよ」
手早くやり取りがなされた後、永井と逍遥は医務室を出る。
放送室に行くと、今日の館内放送当番である尾崎紅葉と幸田露伴がいた。
「そんなに慌ててどうしたんだ?」
「おやおや、また司書が誤発注でもしたか?」
いいや、と逍遥は首を横に振って、
「――円卓会議の、時間だよ」
と告げた。
――かくして。
日本の近代文学を切り開いた文豪の一人である坪内逍遥の一声によって、食堂に現在この世に転生している全ての文豪が集められることとなった。
それすなわち如何なる罵詈雑言が飛び交うか分からないため、鴎外と永井は念のためエリゼを彼女の伯父であり「日本最高の錬金術師」と言われている錬金術庁の長官・吉祥院恭賀の元へと行かせることにする。
その前に鴎外が斯くいう理由でエリゼをもてなしてやってくださらぬかという頼みを電話口ですると、吉祥院は「いいだろう、こちらに寄越すといい」とだけ言って電話を切った。
――相変わらず、素直なお方ではないな。
血筋上逃れることのできない「日本最高の錬金術師」の肩書が邪魔をして、ただエリゼの伯父であることに対して普通の人以上に苦労している吉祥院の心情を慮って、鴎外は眉間の皺を更に寄せる。
「あの……」
「吉祥院殿は構わないと仰せだった。夕食もいただいてくるといい」
「……そうしますね!」
エリゼは、嬉しそうな表情をした。
普段は上司と部下の関係ではあるものの、最早唯一の肉親である吉祥院は大切な人の一人であった。
「気を付けて行ってくるんだよ」
「はい、皆さん……ほどほどになさってくださいね」
エリゼは、心配そうな様子を見せながらも迎えに来た吉祥院家の車に乗っていった……。
******
「――さて」
歴史上で「紅露逍鴎時代」とも呼ばれる近代文学の開拓者4人が席を取りまとめて、文豪円卓会議が始まった。
「最初に聞いておこう、長谷川君。何か言い残したことはあるか」
「待て、俺が何をしたっていうんだ」
露伴の威圧的な態度に、四迷は真っ向から反論する。
「ということらしい、それでは円卓会議開始だ」
「この会議の場で改めて聞くけども、四迷くん。君はどうやってエリゼ君と懇ろになったのかな?私はついこの間来たばかりだから」
「――説明するまでもありません。俺はエリゼと会った瞬間に恋に落ちた、それだけです」
ははあ、一目惚れ……というやつだね……と、逍遥は苦笑する。
「眠っていた俺を探し当てて呼んでくれた、『文学を護って欲しい』と。俺はそれに応えたい。応えるだけならば彼女と共に戦えばいいだろう、だが……俺は……彼女の寂しさを知る存在でありたい」
――吉祥院長官は、そのような者たちから私だけで文学を護れというのでしょうか。
政府からは任務の遂行に支障が出るとされているため厳重に秘匿されているが、おそらく文豪の中では四迷だけが知る侵食者たちの“正体”をエリゼに教えた瞬間、エリゼはそっと涙を流した。
それは一人の特務司書、一人の錬金術師に任せるにはあまりにも重い真実で。
エリゼは、その真実を忘れることを望んだ。
そして、忘却の霊薬を自ら口にした。
……それは、最早四迷だけが知る“彼女”。
「……だから、俺は彼女が俺を求めてくれる限り別れるつもりはない」
その確固たる思いに、文豪たちは戸惑う。
「でも、長谷川君……僕たちはエリゼ殿に呼ばれた『だけ』の存在であって、いうなれば資本家と労働者の関係のようなものだよ?」
「――その通りだ、我らはいつ消えるか分からぬ泡沫のような存在。……泡沫に慰められてなんになろう」
「それに、君はエリゼの一生を見守れると言い切れるのか。彼女は人間なんだぞ」
漱石、紅葉、鴎外から追い打ちのように言葉がかけられる。
「寂しい思いをさせちまうのが、四迷君も一番辛いんじゃないのか?」
正岡子規の言葉に対して、
――きっと、吉祥院長官が彼女に忘却の霊薬でも飲ませるさ。
と、四迷は言わない。
――負けたな。これはどこで折衝を付けるかに目標を変えた方がいい。
「……そう、だな」
四迷は、歯切れの悪い返事をする。
「四迷君、すぐに別れろ……とは言わないから、ロシアの人みたいな情熱的なスキンシップは控えてくれないか……目に余ってしまうよ」
「ほんと……ほんとトラウマが蘇るからやめてくれよ……」
藤村は、復帰したばかりの身体で切々と訴えた。
「う……なんか他人事じゃなさそう……」
太宰は、気まずそうな表情をする。
「我々は生前で愛人絡みとかの話が多すぎますもんねぇ」
「アンタがそれをいうかよ……」
谷崎の言動に、佐藤春夫は頭を抱えた。
「……純粋に、何歳差だと思っているんだ。新感覚が過ぎる」
普段、滅多に会議の場では言葉を発さない横光利一がボソッと川端康成に漏らす。
「あぁ……すみません利一、今日の夕飯のことを考えてました」
「ひどいな川端」
「四迷さん!とりあえず俺らの前で過剰なスキンシップはやめましょう?」
新感覚派の言葉を遮って田山花袋は四迷に提案する。
「……分かったよ、なるべく控える。……久しぶりの日本だし、ベースになってるらしい“著作”の影響で、ロシア人っぽくなってるのかもな」
――えぇ……。
タブレットで「ロシア人 恋愛」と調べた永井は、それで出てきた「スキンシップをしたがる」といったような結果を見て閉口した。
「あ、そういえば今日『来月の助手の順番を決めるくじ引きをしておいてください』と言われていました」
今日の助手である夢野久作が、司書室にあるネームプレートを頭に掲げて皆に知らせた。
「まぁ……四迷君の納得がいったみたいだし、今回はここら辺にしようか……」
会議がぐだぐだになりつつあるのを察した逍遥は、四迷の肩を叩いた。
「――頼んだよ、四迷君」
「ダー……分かりました」
四迷は、逍遥に礼をする。
こうして、文豪円卓会議は決着したのだった……。