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素敵な人だった。
当時の私には魅力的で憧れで。盲目になるほど執着した恋だった。蓋を開ければ口だけのとんだクズだった。
「ってわけで、別れた」
「そっか〜」
じゅう、じう。白い煙を上げながら一枚また一枚と色を変えてく牛だったもの達をトングで返す。いい思い出も悪い思い出も色んなもの全部トングを掴む手に込めて、赤い生肉と共に焼いていく。
福良拳という男は楽だ。否定も肯定もせず、酒を片手にどんな話も聞いてくれる。夢の様に素晴らしい恋も、一瞬にして現実に引き戻された最悪な恋も。起も結もまともに機能しちゃいない私の話を、飽きもせずに最後まで聞いてくれるのは福良くらいだ。
「流石に百年の恋も冷めたわ」
「眠り姫のお目覚めかな?」
眠り姫には王子様のキスが要るでしょうに。生憎私は王子様もキスも必要なく、一人で目を覚ましたもので。
じゃあ、名前ちゃんは自分で呪いを解いたんだね。
チクチク言葉にも顔を顰めることなくサラリと流してくれる福良のおかげで、静かに荒れていた心が徐々に落ち着きを取り戻して行く。こういう人間には、穏やかで柔らかな時間を過ごせる様な人がパートナーとしてお似合いだと思う。
「玉葱あげる」
「はいはい、ありがとう。カボチャあげる」
「カボチャなら、まぁ」
これが肉だったらもっと嬉しそうな顔をしていたし、棒読みでわーいとでも言っていただろう。可愛げがあるんだかないんだか。よく分からない奴だが何周も回ってそこが可愛く思い始めてる辺り、福良のこういう所は嫌いじゃないと改めて思う。
「あ、すみません。ハイボール一つお願いします」
「そのハイボールキャンセルで、お冷を二つお願いします」
戸惑う店員さんを他所に目の前のレンズ無し野郎を睨むと、私の視線を無視してお冷二つで大丈夫ですと店員さんを追い払った。
少し冷えた玉葱を口に放って、ハイボールの恨みを込めて咀嚼する。
「まだ飲める」
「もう飲めないよ」
「飲める〜!」
「飲めません」
福良がこうもハッキリと私に否定を突き付けるのは珍しい。いつもなら適当に流して水を飲ませるのに。
じわじわと溢れそうになる涙に二つ気付く。ひとつ、自分の感覚の数倍は酔っていること。ふたつ、少しの憎しみこそあっても涙は出てこないと思っていた終わった恋は、自分が思っていた以上に心に傷を負っていたこと。
お冷を持ってきた店員さんから涙が見えないように額に手をついて下を向く。福良から、もう大丈夫だよと手渡される氷と冷えた浄水がめいっぱい入ったジョッキを受け取って、ほんの少し口をつける。
「またいつでも付き合うから今日は帰ろう」
福良の優しい声に頷くと、いい子いい子と頭を撫でられる。その手つきの優しさにクズ野郎を思い出して、引っ込みかけた涙がカムバックし始める。
落ち着いてから御手洗で目元だけ化粧直しを済ませて戻ろうとすると、福良が自分のと私の鞄を持ってお会計を済ませているのが目に入る。一緒にお店を出て鞄を受け取る。
「レシートちょうだい。私の分払う」
「今日は俺の奢り。コンビニ寄って帰ってもいい?」
差し出される手は、きっと私が酔ってるから。大きくて温かい手に心がじんわりと解されて、また涙が出そうになる。グスンと鼻をすすると、今日は泣き虫だねぇなんて笑いかけてくる。
「優しくされると余計泣く〜!」
「あはは、めっちゃ泣くじゃん」
泣くなとも泣いていいとも言わずに、いつだってただ笑って傍に居てくれる福良の隣は、ゆっくりと柔らかく時間が過ぎていく。それが心地好くて何かあると直ぐに福良に甘えてしまう。嫌がらずに空いてる日にちと時間を教えて、私が満足するまでとことん付き合ってくれる福良も私を甘やかし過ぎだと思う。
「今度はハンバーグ食べに行こうよ」
「また肉?韓国料理がいい」
「えー。韓国料理、辛いでしょ?」
何でもない会話をしながらコンビニに寄って、少し冷える夜の空気に当たりながら少し遠回りで家路を辿る。
「福良はさ」
「ん?」
「福良は私のこと甘やかし過ぎだと思うんだよね」
わざわざ言うことでもなかったかもしれない。何となく放った言葉に、福良がう〜んと考え始める。そんなに真面目に考えなくたっていいのに。それでもどうしてこんなに甘やかしてくれるのかは気になる。ほんの少し待って出てきた言葉は予想もしてないものだった。
「でも名前ちゃんは俺がいないとダメでしょ?」
その言葉が何を意図して向けられたのか、どんな言葉達を含んでいるのか酔っている私には分からない。
その言葉のままだけの意味だというのならば、それは間違いではなかった。確かに私には福良拳という男が必要だ。余計な心配も余計な気遣いも要らず、どんな私でもいつでも暖かく迎えてくれる福良が近くに居ないなんて今更考えられない。
「よく分かってんじゃん」
「あはは、名前ちゃんだからね」
いくら私の方が勉強が出来るとは言え、策士で抜け目のない福良の考えてることなんて、難しいことを考えるのが苦手な私に分かるわけがない。考えたって一緒だ。やめやめ。
変に勘繰って保たれてる均衡が崩れるより、保守的な私は綺麗な平衡を保つことを選ぶ。今までだってずっとそうしてきた。上手くいかない時は深く考えずに福良に泣き付く。良いことがあれば嬉しさの勢いで福良に聞いてもらう。それだけ。
「名前ちゃん」
「んー?」
「考え事してるでしょ」
「うん」
「俺のこと?」
「..んーん」
「嘘だな」
「..うん」
「まだ踏み込まないから大丈夫だよ」
まだって何それ。聞き返すかやめておくか悩む暇もなく、じゃあまたね。と帰っていく福良に、戸惑いながらまたねと小さく手を振ることしか出来なかった。福良を見送ってから借りてるマンションの前だと気付く。今日はゆっくりお風呂に入ったらさっさと寝てしまおう。
メッセージの通知を告げるバイブ音が鳴り、スマホを開く。
『やっぱりハンバーグじゃなくて、こっちのしゃぶしゃぶがいい』
メッセージと一緒に送付されたURLと、私が気に入ってるマスコットのスタンプ。本当によく分からない奴だ。何だか気が抜けるなぁ。
笑みをひとつ零しながら鍵を回す頃には、終わった恋の痛みも福良の"まだ"もすっかり忘れてしまったいた。