kwmr
名前設定
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風車、わたがし、たこ焼き、かき氷。焼きそば、りんご飴、ビール、水風船。立ち並ぶ色んな屋台達に目を輝かせる名前ちゃんが振り向く。
「河村!早く!」
水色にはなびらの浴衣がこの世で一番似合うのはたぶん君だと思う。
「はいはい」
よく誘えた。泣きそうだ。
「夏祭り行きたい」
溜まり場と化しているオフィスでダラダラと過ごす夏季休暇。名前ちゃんが雑誌の夏祭り特集を見ながらぽつりと零した。
「行く?」
「人混み嫌いなんじゃないの」
確かに人混みは得意じゃない。けど、名前ちゃんと夏祭りに行きたい。名前ちゃんの浴衣姿が見たい。そんなことがこの場で言えてしまう性格なら、どんなに楽だったことか。
「年に一回くらい、そういうイベントに参加しとくのもいいかなって。それに福良誘っとけば、はぐれた時の目印くらいにはなるでしょ」
「確かに」
「そういうわけだから、お前は誘われた体な」
『最初から二人で行こうって言いなよ』
野菜無しサイゼで手を打ってくれる辺り、コイツもチョロい。感謝した矢先に、僕の性格など無視して、手を繋ぐくらいしてこいと言ったことには目を瞑ってやろう。
「河村〜」
待ち合わせ場所に訪れた名前ちゃんに生唾を飲み込んだ。
水色の中でも少し淡い白藍の上で、白や桃色の牡丹のはなびらが游ぐ浴衣。一斤染色の作り帯。カランコロンと音を遊ばせる下駄の鼻緒も帯に合わせた一斤染色。
綺麗とか色っぽいとか似合ってるとか。浮かんだ全ての言葉達が、当てはまりそうで上手いことはまってはくれない。いや、確かに綺麗で色っぽくて似合っているのだけれど。僕だけに楽しそうに手を振りながら小走りで駆け寄る姿を目の前にすると、どれも安っぽい低俗な言葉に思えてしまう。
「あれ?福良は?」
「彼女と遊園地」
「な〜る」
やっぱり福良にも来てもらうべきだったか?いや、例えアイツでもこの姿を見せるのはちょっと。
バス停での待ち時間もバスに乗っている間も。何気無い話を交わすのだけど、どうにもわきわきとして落ち着かない。浴衣の効果がこんなにも絶大だったとは。浴衣を着てくると聞いていれば、少しは心の準備が出来ただろうか。自分も浴衣を着ていれば多少は紛れただろうか。そのどちらにもバツの判定が下った。
「 教えてください神様 あの人は何を見てる?
何を考え 誰を愛し 誰のために傷付くの? 」
三日間行われる内、唯一花火が上がる最終日。
200円と交換した、割り箸を軸にふわりと大きなわたを指で摘んでちぎって、いつもよりぷるりとしている唇より奥へ運ぶ。
わたがしを口で溶かす君が、わたがしになりたい僕に言う。
「楽しいね」
「うん」
僕は頷くだけで気の利いた言葉も出て来やしない。君の隣を歩く事に慣れてない自分が恥ずかしくて。右隣を歩く君がやたらと輝いて見える。夜の灯りに群がる虫ケラ共の気持ちが今なら分かる気がする。
ふと、空いた左手が目に入った。手を繋ぐくらいしてこい。福良の言葉が脳裏を過ぎる。
僕には分からない。想いがあふれたらどうやって、どんなきっかけ、どんなタイミングで。手を繋いだらいいんだろう。どう見ても柔らかい君の手を、どんな強さでつかんで、どんな顔で見つめればいいのか。臆病な僕には分からない。
ボチャリ。水槽の水を飛ばして、水風船がまた水槽の中を悠々と浮かび流れていく。
「あ〜!落ちちゃった」
君に決めたと狙いを定めた水風船に逃げられても名前ちゃんは楽しそうで、代わりにわたがしを持つ僕に満面の笑みを向けてくれる。こうしてはしゃぐ姿は初めて見たし、想像したこともなかった。
そんな君がさっき口ずさんだ歌にも、たまに目が合う事も。深い意味なんてないのだろう。悲しいけど。楽しい気持ちを、たまたま脳内に居座っていた曲に乗せただけだろう。楽しい気持ちを、口ほどにものを言う目で、直ぐ近くに居る知り合いと共有したかっただけだろう。悲しいけど。
悲しいけれど。君が笑ってくれる。ただそれだけの事で僕はついに、心の場所を見付けてしまった。うるさくて、痛くて、もどかしくて。ここに在ると主張してくる。
「少し休んでいい?」
少し外れのベンチに座る名前ちゃんを置いて、少しガラは悪いが爽やかなおじさんから、缶ジュースと缶ビールを購入した。人混みをかき分けながら戻ると、わたがしを片手に、下駄をコロンと脱ぎ捨てた裸足をぷらぷらと遊ばせている姿が目に入る。まるで幼い子を見ているよう。
「三ツ矢でよかった?」
「うん、ありがとう」
名前ちゃんが僕だけに笑いかけてくれる。また、心がここに在ると強く主張し出した。
「もうすぐ花火が上がるね」
君の横顔を今焼き付けるように、じっと見つめる。
「この神社が穴場だって、わたがしのおじさんが言ってた」
手水で穢れを落としていく。名前ちゃんに禊など必要ないのでは?なんて言ったら、君はまた笑ってくれるだろうか。
この胸の痛みはどうやって君に移したらいいんだろう。横に居るだけじゃ駄目なんだ、と思ってしまうのは一体何のせいなのか。
残り僅かのわたがしを口へ抛る君の気を引ける話題なんて、とっくに底をついていて。残されてる言葉はもう分かっているけど。臆病な僕に言えるわけなどない。
グッと絞まる喉も、苦しい左胸も、背中を伝う汗も。いつもは鳴りを潜めているくせに、止めどなく溢れる想いだってそうだ。言ってしまいそうな気持ちも、その柔肌に触れたいと思うのも、一瞬足りとも見逃したくない横顔も。全部。ゼンブ。ぜんぶ。
夏祭りの雰囲気と浴衣と夏の暑さのせいだ。
夏祭りの最後の日。わたがしを口で溶かす君に、わたがしになりたい僕は言う。
「楽しいね」
「うん」
一発目に景気良く打ち上げられた冠を、僕はちっとも見ちゃいなかった。
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