kwmr
名前設定
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「か、…拓哉!」
高校の同級生の結婚式。御手洗から会場に戻る際に聞き覚えのある声に名前を呼ばれて反射で振り向いたことを後悔した。あの人が助けを求める瞳でこちらに駆け寄って僕の右手を取る。勘弁して欲しい。あの人の向こうから睨んでくる見知らぬ男性の視線が怖いし痛い。
「戻ってくるの遅いから心配したよ」
「..ごめん、戻ろうか」
そこそこ美人な昔馴染の苗字さんは昔から何かあると直ぐ僕に助けを求める。頼れる人も助けてくれる人も他にいくらでもいるだろうに。昔こそ周りに羨ましがられて気分が良かったが、この歳にもなると何故お前なんだという棘のある視線ばかり向けられる。そんなこと僕が教えて欲しいくらいだ。
恋愛偏差値の低い僕が彼女に心を奪われて何年経つと思う?もう十年は優に超えた。その間、誰とも関係を持たなかったのかと問われるとそうではないが、口には出さずとも彼女と比べてしまい、結局上手く行かないのが常だった。
そんな僕が独身の原因が今、僕の名前を呼んで僕の腕にしがみついている。ドキドキしないわけがない。ファーストネームで呼ばれたのも、こんなに近い距離で横に並んだのもそう言えば初めてだ。
怖い思いでもしたのか、強くしがみついて離さない手を優しく解かせると右手を取られて指が絡まってくる。頼むからこれ以上僕に変な期待させてくれるな。
「もう大丈夫でしょ」
「ダメ。あの人、同じ会場だったから」
「いつもの虫除けは?」
「寝坊して忘れた」
虫除け。彼女が自腹で買ったそこそこのブランドのそこそこのリング。プライベートで外に出る際はいつも彼女の左の薬指で堂々と輝きを放つそれに最初は、さようなら僕の初恋なんてイタイことを思ったりもした。婚約したのかという質問に否が返ってきてこっそりと安堵した日が懐かしい。
「二次会は?」
「欠席で出してる。拓哉は?」
「僕も欠席。良ければ駅まで送ります」
「ほんと?ありがとうございます」
あ゙ー。本当に心臓に悪い。人間の集団に戻っても離されない絡まったままの右手。呼ばれ慣れない僕の名前が柔らかく鼓膜を揺らし、いつもより近い距離のせいで彼女の愛用している香水の香りが鼻をくすぐってくる。こんな状況を何度夢見ただろうか。
会場にいる独り身の男性達から贈られる視線なんか気にする余裕もないほどに、僕は今彼女の旋毛を見つめるだけでいっぱいいっぱいだ。
「ちょっと行ってくる」
「うん」
高さのある靴で慣れたように小走りで友人達の元へ向かう後ろ姿。離れた彼女の左手の温度が、まだ右手に残っている。よかった、緊張に反して手汗はかいてない。
「おい河村、いつの間に苗字さんとそんな関係になったんだよ」
「さぁ」
「は?何だそれ」
旧友がヒソヒソと肘で小突いてくるのを、肩を竦めていなす。そんな関係だったらどんなに良かったか。
友人らと談笑する彼女の笑顔は当時の記憶のものと変わりない。あの無邪気な笑顔が自分だけに向けられないものかと今でも望んでいる僕は愚かだろうか。
「また連絡するね!」
「え!苗字さん帰っちゃうの?」
「うん、またね〜」
肩を落とす旧友にも小さく手を振りながらナチュラルに手を繋ぐ様は、手馴れているという言葉がピタリと嵌る。
悪いな旧友。僕達は君が思う様な関係じゃあないんだが、一先ず帰るまでは翻弄されててくれ。少しの間だけ僕に夢を見させてくれ。
「駅ってどっち?」
「..自分がどっちから来たのか覚えてない?」
「ない!」
「誇るんじゃないよ」
楽しそうなキリッと顔に思わず笑う。彼女に合わせる歩幅は僕より少し狭い。カツコツと控えめに音を立てる靴を履いてるにしては、速く感じるがそんなもんなんだろうか。このペースだと駅に早く着いてしまいそうだ。
「お題。今だから言えること」
急に振られる話題。気まぐれな所も相変わらず。今だから言えること、か。今でも言えないことならあるけれど。
「そんなのあるかなー」
「私はあるよ。さっき帰り際に手を振った人。顔は何とな〜く見覚えがあるけど名前が分かんない」
「よーし、本人にチクってやろう」
御勘弁を〜と笑いながら、内緒と唇に人差し指を立てる仕草のなんとあざといことか。これが無自覚の天然モノだとしたら僕は彼女に拍手を送るだろう。
「それは今だから言えることってより、ここだけの話じゃない?」
「そうとも言う」
僕より大きく一歩踏み込んで振り返って悪戯に笑ってみせる姿だって可愛らしい。そうだ。僕は苗字名前の何気ない一挙手一投足にすら心を奪われている。しょうがないだろ。これはきっとそういう呪いに近いのだから。
「河村くんは?」
そうか、もうそんな関係のフリをする必要がない。それならば僕の心臓のためにあと少し物理的距離を作りたいが、繋がる手がそうはさせてくれない。
何だっけ。嗚呼そうだ、今だから言えることだ。ええい、どうにでもなれ。
「今だから言えることだよね?」
「うん」
「ずっと君が好きだった」
だった。僕が今唯一使える魔法の言葉。
「だったなんだ」
「..」
噤むことしか出来ないカラカラの口も、一気に回る熱も響く鼓動も全て。やたらと汗が噴き出す感覚だって、だったの魔法のせいにして変わらず一歩先を歩く彼女と同じように歩けばいい。
「私は今でも好きだよ」
これはきっと幻覚だ。僕の願望が観せる都合の良い幻覚。もしくは夢。
「河村くんが好き」
「..罰ゲームさせれてるんならチョイスミスだと思う」
「残念ながら私は河村くんと違って素直で良い子だから、だったなんて言わないし、罰ゲームにもしてあげないんだな〜」
これはあれか?新手の詐欺的な何かか?何で彼女はこんなにも爽やかにこんなことを言えるんだ。僕は会場で君を見付けた時から変な緊張で落ち着かないと言うのに。何なら君のせいで感情も脳内もぐちゃぐちゃな自分を落ち着かせる為に奇声を発したいし、今すぐここから走って逃げ出して全て夢だったと思いたい。楽になってしまいたい。
「大丈夫。きみは僕が好きだよ」
「それよりもっと良い台詞あるでしょ」
「んふふ、そうかもね〜」
数年前にフィクション好きの彼女から急に連絡が来たと思えば、イヤイヤ引き摺られて観に行った映画を思い出す。いつだってそうだ。僕の気持ちなど露程も知らずに涼しい顔をして僕の心を乱して振り回す。何故こうも彼女は、
そこまで思って、はたと気付く。先程から少しずつ早歩きになる彼女は僕の左手を強く握り締めている。それはまるで親に縋る子供の様。
「名前、さん」
初めて彼女の名前を呼んだと思う。やっと立ち止まった彼女の顔は涼しい顔などしていなかった。寧ろ体調が悪いのではないかと心配になるほど真っ赤になっている。僕の心を落ち着かせるには充分過ぎる程に。
「もしかして、きみってアホだったりする?」
「きみに言われたくないですぅ」
うん、怖くない。今日向けられた赤の他人の視線より怖くない。
僕から離れて行こうとする手を離さずに歩幅を合わせる。ヒールで行う競歩なら彼女は世界を狙えると思う。まあまあ少し落ち着きたまえ。顔が熱いのも心臓が煩いのも、それは僕も同じなのだから。
「名前さん」
「なんでしょうか」
「ゆっくり歩きませんか」
悪いな旧友。予定になかったそんな関係になれそうだ。
だがしかし。さぁてどうしたものか。僕はこの先の進め方を知らないぞ〜う!