kwmr
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「失礼しますよーっと」
撮影後そのままソファの隅で、十分だけと目を閉じた時だった。太腿にかかる頭の重さは想定外の出来事。
ウェブ記事の作成や校閲が手一杯になり始めた頃に、見兼ねた山森さんが連れてきた人。苗字名前さん。最初こそ借りてきた猫の様に大人しく山森さんにベッタリだったが、共に激務をこなす内に気付けば特別懐かれるようになった。この人との何気ない遣り取りは心地好く、数少ない気兼ねなく話せる人間の一人なので、傍から見たら自分も彼女に特別懐いてるのかもしれない。
気を許した相手には性別の壁など関係ない距離の近さに未だ驚くこともあるが、この人なりの親愛の証であることを知っているし嫌というわけでもないので、いつもされるがまま。ではあるが、どうにも気になって身体どころか心も休めそうにない。
「苗字さん」
「何ですか、かーむらさん」
「重いんですよ、君の頭」
クッションと引き換えに太腿にかかる重さの解放を求めるも、贄は彼女の両腕の中へと吸い込まれて行った。違う、そうじゃない。僕の心の内など露程も知らずに、彼女はその手のサイズに合ってない6.7インチを両手で操作する。
「かーむらさん」
「何だい、苗字さん」
「何で外したんですか」
その言葉と一緒に向けられる視線が何を意図しているのか。僕には分からない。不意に伸びてくる手に逆らうことも逃げることもせず好きにさせる。ずる、ずるずる。彼女の手によって眼鏡が雑に離れて、僕の瞳が映す本来の視界に戻される。また伸びてきた手が眼鏡を差し込む。少しだけ明瞭になる視界とテンプルが顬を締め付ける感覚で、最近新調したらしいポケットな怪物とコラボの眼鏡だと確認せずとも分かる。
「似合ってませんねぇ」
「かーむらさんもね」
黒のアンダーリムは彼女の顔幅と合ってないせいで、顔そのものが小さく見える。が、どこか不格好だ。顔や体格が違うだけでだけで、こうも差が出るものか。
「ほら、返しなさい」
「言い方がダメ。もっと取引先に言うみたいに言って」
ああ、これは完全にふざけモードに入ったな。趣味嗜好が少しだけ似ているばかりに、こうして分かる人には分かる言葉をちょくちょく投げられる。
「すみませんが、眼鏡をトレードしてください」
「壊さないでよ」
「ありがとうございますぅ〜」
んふふっ、なんて楽しそうに笑う所有者に眼鏡を差し出す。片手で受け取られて彼女のお腹へと鎮座するソレに、ぼんやりと目を向けていると、柔らかい声でゆるやかに名前を呼ばれる。こちらを向く二つの先セルが、早く来いと僕を急かしている様だ。顔を近付ければ雑に僕の元へと帰ってくる所有物をそのままに、位置を直そうと微調整に勤しむ彼女の顔を見る。合いそうで合わない視線にもどかしく思うが心地好くもある。..睫毛長いな。
ふと、ある事を思い出した。
彼女が微調整を諦めたところで、僕のスマホが休憩時間の終わりを知らせる。緩慢な動きで僕の太腿から離れていく彼女の頭からふわりと優しい匂いが鼻を掠めた。そういえば最近シャンプーを変えて髪の調子が良いとか言ってたな。
ブリッジを軽く押し上げて眼鏡を正しい位置に戻してから、スマホを持って立ち上がる。結局寝れなかったなんて文句を言うのはよしておくことにする。
「苗字さん」
「なんですかかーむらさん」
恐らく眠いのだろう。ゆっくりと瞬きをする目は、いつもより少しだけ開いてない。ふむ、やっぱり睫毛長いな。
「軽率には外してません。僕は向こうのご意向に沿っただけなんで」
今度は素早くぱちぱちと二度瞬きを繰り返す。眠気で回りの悪い頭でしっかり考えたのだろう。三十秒程経ってからふにゃりと笑って見せる彼女に、遅めのレスポンスが伝わったのだと安堵する。
「軽率じゃないならいいです」
「もしかして軽率に外したい時は君の許可が必要だったりする?」
「うん、する」
ふにゃふにゃの笑みと敬語が抜けた言葉。彼女の気が緩んでいる証拠だ。あまりのゆるさにこっちまで気が抜けて笑ってしまいそうになる。
「えー。面倒だなぁ」
「じゃあ軽率に外してもいいです」
意外にもあっさりと許可制は撤廃された。
「そのかわり、もうちょっと枕になってください。今ならなんと手もつないであげちゃうんで」
はい、と向けられるその右手に誘われて恐る恐る自分の左手を差し出すと、彼女はまたふにゃりと笑って手を重ねてゆるりと力を入れた。僕も同じように力を入れると今度は僕の左肩を枕にしてどこか嬉しそうに瞼を閉じた。きっとここに伊沢やこうちゃん辺りが入ってきたら後々面倒だろうけど、今はそんなことは考えずじわじわと侵食してくる眠気に抗うことなく眠ってしまおう。起きたら目の前に眼鏡を外した僕の顔があったら、苗字さんはいつかのように逃げ出してしまうだろうか。その時は手を離してやらなきゃいいだけか。
お互いが向け合う同じソレに気付いていながら、未だに踏み込めずに足踏みを繰り返す僕達は、いつになったらソレを言葉にするのか。それともこのまま微温湯に浸り続けて終わるのか。そんな野暮な考えを遠くに投げやり、彼女の頭に自身の頭の重さを預けて自分もゆっくりと瞼を閉じてレム睡眠のもとへと旅立った。