original
擬似恋愛
また鈴の音が聞こえた。
ボクはこの音に恋をしている。
*
毎朝七時五〇分。仲良しの女の子と待ち合わせの時間。
その時間、その場所で、ときどき鈴の音が聞こえる。
「おはよう」
ピンクの見慣れたランドセルが見えて、ボクは声をかけた。
「おはよう」
「あっ鈴の音!」
また鈴の音が聞こえた。
ボクは時々鳴るこの音に恋をしている。
なんだかドキドキするんだ。
それはたしかに鈴の音だけど、よくあるそれとは違う気がする。何がどう違う? て言われてもわかんないけど。
誰が鳴らしてるとか、なぜ鳴らしてるとか、何にもわからないけど、その音を聞くと胸が高鳴る。これが恋なのかな? て思うんだ。
「好きだね、この音」
「うん! なんかドキドキするんだ」
「ドキドキ?」
「うん」
「そっか」
なんだか浮かない顔。今何かいけないこと言った?
「どうかしたの?」
「ううん。なんでもない」
「じゃあ、学校行こう」
ボクはいつものように手を出した。
「うん!」
さっきと違ってパッと笑顔になった。
そしてボクらは手をつないで歩きだす。
その鈴の音が聞こえる時間はいつも決まっている。
けれど、毎日聞こえるわけじゃないし、何か決まった曜日ってわけでもない。
いつかわからないから、聞こえた時のドキドキが大きくなる。
この音聞こえちゃうんじゃないかなってくらい。あれ? 誰に?
誰かがボクのために鳴らしてくれてるのかなーとか、その時間に何かあるのかなーとか、考えるのが楽しい。
この近くの家から聞こえるんだけど、どこで鳴ってるんだろう?
学校のない土日も聞こえるか気になって、行って調べてみた結果、土曜だけは聞こえることがわかった。いつものとこらへんでそわそわしてたら聞こえて「おまたせ」って言われた気がして嬉しかった。
*
いつからだろう、音を聞きたいと思うと聞こえなくなったのは。
「今日も鳴らないか」
「最近全然だね。もうやめちゃったんじゃない?」
「そうかなー」
「悲しいの?」
「えっ?」
「鈴聞こえないから悲しいの?」
「ボク、悲しそうに見える?」
「うん……」
なんで君までそんな顔するの? えっと……。
「……ごめんね。そうだよね。いそがしくてやめちゃったのかもしれない」
なんて彼女を悲しませないように明るく言ってみるけど、本当はやめちゃったなんて思ってない。
嘘ついてごめんね。
ボクはあの音が好きだから、聞こえないと悲しいんだ。ほら、好きな人に会えないとつらいでしょ? それと一緒。
最近回数は減っていたけど、こんなに鳴らなかったことはない。どうしたんだろう。
ボクが聞きたいって願いすぎたのがいけなかったのかな?
重すぎて振られたのかな。ずっと想ってたら、想いすぎたら重いって前に見たドラマで言ってた。
ああ、ボクの恋は重すぎたんだ。
聞こえないと聞きたいと思ってしまうから何だか悪循環。恋愛なんてしたことないけど。
ある帰り道にふと、あの場所で立ち止った。
そしたらどんどん涙があふれてきた。
失恋が悲しいの? また嫌われちゃうよ……。
そう思っても涙は止まらなくて、ボクは声をあげて泣いた。
そしたら、聞こえたんだ。 大好きなあの音が。
涙はピタッと止まった。
あんなに悲しかったのに、今は全然悲しくないよ。すごくドキドキしてる。
ボクは好きのままでいいんだ。
泣く必要なんてないんだ。
スッキリした気持ちでそう思えた。
*
「おはよう」
「おはよう。なんか嬉しそうだね」
「そうかな?」
今日は聞こえるかもしれないって思ったワクワクした。
「何かあったの?」
「別に何にもないよ」
「ふーん、変なの」
「あっ、今鳴った!」
鈴の音を聞くと一日が何倍も楽しくなる気がする。聞こえなくてもつらくはなくなったけど、ただあまり気分は上がらない。
こうしてボクは気まぐれな鈴の音に振り回される。
***
鈴を鳴らす。
私はここにいるよって意味を込めて。
*
病気だから一日中部屋の中での生活。
退屈。
外にだって出たいし、学校で勉強だってしたい。
先生は「もう少しの辛抱だ」って言うけど、ずっとそうだから信じられない。一体いつになるんだろう。
朝起きてなんとなく外を見ていた。
あ、あの子かっこいい。あの制服は中学生かな。
あー見えなくなっちゃった。
多分ヒトメボレ。それから毎日外を見た。そしてわかった。彼がここを通るのは七時五〇分。
想いが募って、見ているだけじゃじれったくなって、「おはよう」の意味を込めて鈴を鳴らしてみた。
やっぱり気付かないか。
彼は気付かなかったけど、勝手に「おはよう」と「いってらっしゃい」の意味を込めて鳴らし続けた。
そしたらある日、気付いてくれた。
嬉しくて笑ったら彼も笑ってくれた。
それから毎日、私が鈴を鳴らして、彼が「おはよう」って口パクする。それから、「いってらっしゃい」「いってきます」って手を振り会うの。
窓越し。ほんの数分だけ。
ジェスチャーで会話して恋人みたいな気分で嬉しかった。
恋愛なんてしたことない私にドキドキをくれた。
毎日七時五〇分が待ち遠しかったし、休みの日は退屈だった。土曜日も学校に行っているからたった一日会えないだけなのにつらかった。だから長期休みはつらすぎた。
せっかく退屈な日々とお別れしたのに、こんにちはなんて。早く休み終わらないかなーって普通の学生とは逆のことを思っていた。
こんなに楽しいならもっと早く気付けばよかった。
アラームが鳴る。
起きなきゃ。なのに、体が重くて起きられない。最近しんどかったけど朝はちゃんと起きられたのに。
次の日は起きられた。
鈴を鳴らして「ごめんね」って謝った。
そしたら彼はカバンからノートを出して、そこに大きく「無理しないで」って書いて私に見せた。
嬉しくて自然と涙があふれた。
彼は慌てて次のページに「泣かないで」って書いて頭をポンポンするしぐさをした。
それが愛おしくて笑った。
彼も安心したように笑った。
そしていつものように手を振った。
その後どんどん病気がひどくなって、起きられなくなる回数が増えた。
意識はあるのに体が起き上がらない。
だからせめて、私はここにいるよって伝えたくて鈴を鳴らすの。
私が起きられて、彼に会えたら、彼はすごく嬉しそうな顔をする。
それが嬉しくて仕方ないのに、どうして体は言うことを聞かないの?
いつの間にか、目は覚めるけど体が起き上がらないのが当たり前になった。
せっかく幸せになれたのに神様は意地悪だ。
彼は今、どう思っているだろうか。会うことができなくて悲しんでいるだろうか。
忘れられてしまうのが怖い。私だけが想っているような気がする。
ねえ、私は起きたいの。どうしてさせてくれないの?
寝たきり、思いもむなしく弱っていく体。
そして、しだいに朝目覚める回数も減っていた。
鳴らさなくなってずいぶん経った気がする夕方。
泣いている声が聞こえた。多分男の子。なぜかわからないけど、鈴鳴らさなきゃ、って思った。
鳴らしたら泣きやんだ。
すごいね。
久々に鳴らしたら懐かしい気持ちになった。忘れていた。色んな気持ち。誰かわからないけど、ありがとう。
相変わらず体は起こせないがまた鈴を鳴らせるようになった。
*
やっと体が動かせるようになった。
ずっと望んでいた彼に会うことが叶う。
そんな期待の中、久しぶりに起きて私が見た光景は、現実は思っていたものとは全然違った。
「あああああ」
部屋中に自分の悲鳴が響き渡る。自分でもここまでなるとは思っていなくてびっくりした。
大好きだった彼はいなくて、代わりではないけれど、小学生の小さなカップルがいた。
嘘だ……。ねえ、嘘だと言って。
でも嘘じゃなかった。
毎日通るのは彼じゃない。
鈴を鳴らすと男の子の顔がパッと笑顔になった。
嬉しいの? あなたのためじゃないのに?
あの人もこんな風に笑っていたな。
彼を思い出して涙が出た。色々な幸せな日々がフラッシュバックされる。
涙が枯れるんじゃないかってくらい泣いたら落ち着いて冷静になれた。
ああ、そうか。
中学生だった彼は高校生になったから、この道通らなくなったんだ。
もう会えないの?
やっと学校行けるようになったんだよ? ずっと行ってなかったから、普通のところじゃなくて特別なところだけど。
だけど、やっと直接話せるんだよ?
こんなに重たくなるくらい私は彼が好きだったんだ。
あれから現実が受け入れられなくて毎日鳴らし続けた。ためしに一度鳴らさなかったら、男の子が悲しんでいるように見えた。毎日鳴らしているのに男の子は私に気付かない。
それでいいのかもしれない。
あの女の子に嫉妬されちゃう。
いや、もう嫉妬されているかな。
*
学校へ行くとき、小さなカップルに「おはよう」と挨拶して、鈴を鳴らす。七時五〇分。
いつかまた彼に会えるような気がして。
ああ、私まだ恋をしている。
想い、思い、重い――擬似恋愛。
(13/06/20)
また鈴の音が聞こえた。
ボクはこの音に恋をしている。
*
毎朝七時五〇分。仲良しの女の子と待ち合わせの時間。
その時間、その場所で、ときどき鈴の音が聞こえる。
「おはよう」
ピンクの見慣れたランドセルが見えて、ボクは声をかけた。
「おはよう」
「あっ鈴の音!」
また鈴の音が聞こえた。
ボクは時々鳴るこの音に恋をしている。
なんだかドキドキするんだ。
それはたしかに鈴の音だけど、よくあるそれとは違う気がする。何がどう違う? て言われてもわかんないけど。
誰が鳴らしてるとか、なぜ鳴らしてるとか、何にもわからないけど、その音を聞くと胸が高鳴る。これが恋なのかな? て思うんだ。
「好きだね、この音」
「うん! なんかドキドキするんだ」
「ドキドキ?」
「うん」
「そっか」
なんだか浮かない顔。今何かいけないこと言った?
「どうかしたの?」
「ううん。なんでもない」
「じゃあ、学校行こう」
ボクはいつものように手を出した。
「うん!」
さっきと違ってパッと笑顔になった。
そしてボクらは手をつないで歩きだす。
その鈴の音が聞こえる時間はいつも決まっている。
けれど、毎日聞こえるわけじゃないし、何か決まった曜日ってわけでもない。
いつかわからないから、聞こえた時のドキドキが大きくなる。
この音聞こえちゃうんじゃないかなってくらい。あれ? 誰に?
誰かがボクのために鳴らしてくれてるのかなーとか、その時間に何かあるのかなーとか、考えるのが楽しい。
この近くの家から聞こえるんだけど、どこで鳴ってるんだろう?
学校のない土日も聞こえるか気になって、行って調べてみた結果、土曜だけは聞こえることがわかった。いつものとこらへんでそわそわしてたら聞こえて「おまたせ」って言われた気がして嬉しかった。
*
いつからだろう、音を聞きたいと思うと聞こえなくなったのは。
「今日も鳴らないか」
「最近全然だね。もうやめちゃったんじゃない?」
「そうかなー」
「悲しいの?」
「えっ?」
「鈴聞こえないから悲しいの?」
「ボク、悲しそうに見える?」
「うん……」
なんで君までそんな顔するの? えっと……。
「……ごめんね。そうだよね。いそがしくてやめちゃったのかもしれない」
なんて彼女を悲しませないように明るく言ってみるけど、本当はやめちゃったなんて思ってない。
嘘ついてごめんね。
ボクはあの音が好きだから、聞こえないと悲しいんだ。ほら、好きな人に会えないとつらいでしょ? それと一緒。
最近回数は減っていたけど、こんなに鳴らなかったことはない。どうしたんだろう。
ボクが聞きたいって願いすぎたのがいけなかったのかな?
重すぎて振られたのかな。ずっと想ってたら、想いすぎたら重いって前に見たドラマで言ってた。
ああ、ボクの恋は重すぎたんだ。
聞こえないと聞きたいと思ってしまうから何だか悪循環。恋愛なんてしたことないけど。
ある帰り道にふと、あの場所で立ち止った。
そしたらどんどん涙があふれてきた。
失恋が悲しいの? また嫌われちゃうよ……。
そう思っても涙は止まらなくて、ボクは声をあげて泣いた。
そしたら、聞こえたんだ。 大好きなあの音が。
涙はピタッと止まった。
あんなに悲しかったのに、今は全然悲しくないよ。すごくドキドキしてる。
ボクは好きのままでいいんだ。
泣く必要なんてないんだ。
スッキリした気持ちでそう思えた。
*
「おはよう」
「おはよう。なんか嬉しそうだね」
「そうかな?」
今日は聞こえるかもしれないって思ったワクワクした。
「何かあったの?」
「別に何にもないよ」
「ふーん、変なの」
「あっ、今鳴った!」
鈴の音を聞くと一日が何倍も楽しくなる気がする。聞こえなくてもつらくはなくなったけど、ただあまり気分は上がらない。
こうしてボクは気まぐれな鈴の音に振り回される。
***
鈴を鳴らす。
私はここにいるよって意味を込めて。
*
病気だから一日中部屋の中での生活。
退屈。
外にだって出たいし、学校で勉強だってしたい。
先生は「もう少しの辛抱だ」って言うけど、ずっとそうだから信じられない。一体いつになるんだろう。
朝起きてなんとなく外を見ていた。
あ、あの子かっこいい。あの制服は中学生かな。
あー見えなくなっちゃった。
多分ヒトメボレ。それから毎日外を見た。そしてわかった。彼がここを通るのは七時五〇分。
想いが募って、見ているだけじゃじれったくなって、「おはよう」の意味を込めて鈴を鳴らしてみた。
やっぱり気付かないか。
彼は気付かなかったけど、勝手に「おはよう」と「いってらっしゃい」の意味を込めて鳴らし続けた。
そしたらある日、気付いてくれた。
嬉しくて笑ったら彼も笑ってくれた。
それから毎日、私が鈴を鳴らして、彼が「おはよう」って口パクする。それから、「いってらっしゃい」「いってきます」って手を振り会うの。
窓越し。ほんの数分だけ。
ジェスチャーで会話して恋人みたいな気分で嬉しかった。
恋愛なんてしたことない私にドキドキをくれた。
毎日七時五〇分が待ち遠しかったし、休みの日は退屈だった。土曜日も学校に行っているからたった一日会えないだけなのにつらかった。だから長期休みはつらすぎた。
せっかく退屈な日々とお別れしたのに、こんにちはなんて。早く休み終わらないかなーって普通の学生とは逆のことを思っていた。
こんなに楽しいならもっと早く気付けばよかった。
アラームが鳴る。
起きなきゃ。なのに、体が重くて起きられない。最近しんどかったけど朝はちゃんと起きられたのに。
次の日は起きられた。
鈴を鳴らして「ごめんね」って謝った。
そしたら彼はカバンからノートを出して、そこに大きく「無理しないで」って書いて私に見せた。
嬉しくて自然と涙があふれた。
彼は慌てて次のページに「泣かないで」って書いて頭をポンポンするしぐさをした。
それが愛おしくて笑った。
彼も安心したように笑った。
そしていつものように手を振った。
その後どんどん病気がひどくなって、起きられなくなる回数が増えた。
意識はあるのに体が起き上がらない。
だからせめて、私はここにいるよって伝えたくて鈴を鳴らすの。
私が起きられて、彼に会えたら、彼はすごく嬉しそうな顔をする。
それが嬉しくて仕方ないのに、どうして体は言うことを聞かないの?
いつの間にか、目は覚めるけど体が起き上がらないのが当たり前になった。
せっかく幸せになれたのに神様は意地悪だ。
彼は今、どう思っているだろうか。会うことができなくて悲しんでいるだろうか。
忘れられてしまうのが怖い。私だけが想っているような気がする。
ねえ、私は起きたいの。どうしてさせてくれないの?
寝たきり、思いもむなしく弱っていく体。
そして、しだいに朝目覚める回数も減っていた。
鳴らさなくなってずいぶん経った気がする夕方。
泣いている声が聞こえた。多分男の子。なぜかわからないけど、鈴鳴らさなきゃ、って思った。
鳴らしたら泣きやんだ。
すごいね。
久々に鳴らしたら懐かしい気持ちになった。忘れていた。色んな気持ち。誰かわからないけど、ありがとう。
相変わらず体は起こせないがまた鈴を鳴らせるようになった。
*
やっと体が動かせるようになった。
ずっと望んでいた彼に会うことが叶う。
そんな期待の中、久しぶりに起きて私が見た光景は、現実は思っていたものとは全然違った。
「あああああ」
部屋中に自分の悲鳴が響き渡る。自分でもここまでなるとは思っていなくてびっくりした。
大好きだった彼はいなくて、代わりではないけれど、小学生の小さなカップルがいた。
嘘だ……。ねえ、嘘だと言って。
でも嘘じゃなかった。
毎日通るのは彼じゃない。
鈴を鳴らすと男の子の顔がパッと笑顔になった。
嬉しいの? あなたのためじゃないのに?
あの人もこんな風に笑っていたな。
彼を思い出して涙が出た。色々な幸せな日々がフラッシュバックされる。
涙が枯れるんじゃないかってくらい泣いたら落ち着いて冷静になれた。
ああ、そうか。
中学生だった彼は高校生になったから、この道通らなくなったんだ。
もう会えないの?
やっと学校行けるようになったんだよ? ずっと行ってなかったから、普通のところじゃなくて特別なところだけど。
だけど、やっと直接話せるんだよ?
こんなに重たくなるくらい私は彼が好きだったんだ。
あれから現実が受け入れられなくて毎日鳴らし続けた。ためしに一度鳴らさなかったら、男の子が悲しんでいるように見えた。毎日鳴らしているのに男の子は私に気付かない。
それでいいのかもしれない。
あの女の子に嫉妬されちゃう。
いや、もう嫉妬されているかな。
*
学校へ行くとき、小さなカップルに「おはよう」と挨拶して、鈴を鳴らす。七時五〇分。
いつかまた彼に会えるような気がして。
ああ、私まだ恋をしている。
想い、思い、重い――擬似恋愛。
(13/06/20)