original
ごくごく。
「お父さん!? なんで僕を置いていっちゃうの?」
父親の服を掴み、涙目で訴える幼い少年。
「ごめんな。瑠偉栖(ルイス)」
父親は最愛の息子を抱きしめ涙をこぼした。
赤と黒のオッドアイをギュッと閉じ、少年は記憶を閉じ込めた。
*
真っ白い部屋。茶髪の少年が床に寝そべりながらクレヨンで絵を描いている。その時、部屋のドアが開いた。
「彩鈴(アリス)!」
少年は勢いよく立ちあがり、嬉しそうにふんわりとした雰囲気の金髪少女に駆け寄った。
「彩鈴、良かった……」
少年、瑠偉栖は少女、彩鈴をぎゅっと抱きしめた。一ヶ月振りの再会が嬉しかった。ずっと一緒にいた二人。けれど一ヶ月間彩鈴は検査でここを離れていた。
「るいすくん。泣いてるの?」
「彩鈴がいなくなってたらどうしようってずっと不安だったんだ」
「わたしはいなくならないよ」
瑠偉栖を見上げ彩鈴は笑う。
彩鈴は機械だ。対ゴクゴク用に造られた心を持つ高性能アンドロイド。人間から成るのでほぼ人間と変わらない。ちゃんと人間の匂いだってする。
ゴクゴクとはいわゆる吸血鬼である。人間の血を吸うことで生きているが、吸うだけなく血を入れてその人間をゴクゴクにすることもある。そのためこのところゴクゴクの繁殖が進んでおり、それを減らす対策としてアンドロイドが生産されていた。もちろん機械だからアンドロイドに血液はない。噛み付かれた時にゴクゴクだけに反応して電気が流れるようになっている。その電流はゴクゴクを殺す。
ゴクゴクに噛み付かれたアンドロイドはその時点で記憶を消される。ゴクゴクに噛み付かれた感覚を覚えてしまい、噛み付かれることに拒否を起こすようになるからだ。
それを彩鈴は知らない。だから彩鈴は「いなくならない」と笑うけれど、彩鈴が好きでたまらない瑠偉栖は彩鈴を失うのが怖いのだ。自分を知っている彩鈴を失うのが。怖いだけじゃない。そもそも瑠偉栖は愛した彩鈴のいない世界に興味がない。死ぬのは怖くないから簡単に自分を傷付けられる。でも彩鈴をおいて一人だけ死ぬのは嫌だった。
「彩鈴は僕と会えなかった間寂しかった?」
「うん、寂しかったよ」
「そっか、良かった。僕とおんなじだ。これからはずっと一緒だよ」
瑠偉栖は安堵した。
*
幼い頃、一人寂しくしていた瑠偉栖に研究者である父親が与えた唯一のプレゼント。それが彩鈴だった。
無機質で真っ白な部屋。床に散らばったカラフルなクレヨンが異様に目立っている。瑠偉栖はそんな部屋で一人紙に絵を描いていた。
そこに一人の少女が入ってきた。
「はじめまして。彩鈴です」
「えっと、瑠偉栖です……」
「今日からよろしくね! るいすくん」
もじもじと下を向いている瑠偉栖に彩鈴は笑顔で手を差し出した。
唐突な二人の出会いは瑠偉栖を変えた。閉じこもっていた瑠偉栖とは正反対で明るい彩鈴。最初は戸惑っていた瑠偉栖だが、いつしか彩鈴に心を開くようになっていた。と、同時に強く依存するようにもなっていた。
ロック系の激しい曲が苦手だった瑠偉栖。曲が少しでもかかると体が反応する。だからいつも避けていた。
ある日の二人で出掛けていたときのことだった。
「うわっ嫌な音だ……彩鈴、違う道通ろう……?」
「――……」
瑠偉栖が振り返ると、この音が好きだったはずの彩鈴が両耳を塞いでしゃがみこんでいた。
「どうしたの? この音嫌なの?」
瑠偉栖は今すぐ逃げ出したいのに何だか嬉しかった。今、間違いなく同じ気持ち。この音に拒否反応してる。
「大丈夫だよ」
瑠偉栖が彩鈴の手を掴む。彩鈴の耳から手がずれ、大きな音が流れ込んだ。
「うぁあああああ」
彩鈴の叫び声が辺りに響く。苦しそうな彩鈴。そんな彩鈴を引っ張り走って音から遠ざかった。
「ごめんね、つらかったよね? わかるよ。僕も嫌いだから」
音から大分離れたところで立ち止まる。そして恐怖に怯える彩鈴を優しく抱きしめる。
「るいす、くん」
彩鈴がそう呟いてぎゅっと瑠偉栖の服を掴んだ。
ずっと一緒にいると似てくるっていうの、あれ嘘じゃない。共鳴している。そう瑠偉栖は実感した。
だから何年も一緒にいた彩鈴が検査で瑠偉栖の元を離れた一ヶ月、瑠偉栖は感情を失ったかの様に笑わなくなったし外にも出なくなった。本当に瑠偉栖にとって彩鈴はなくてはならない存在だった。
*
部屋、床に散らばったクレヨン。それと何色ものペンキの缶が置かれている。瑠偉栖は刷毛でおもいっきり壁に色を付ける。白い壁がカラフルになっていく。別に何か目的があって刷毛を動かしているわけではない。ただ、小さな紙に描いているのが飽きただけ。
彩鈴はそんな瑠偉栖を何も言わず見つめていた。
「楽しい?」
「うん、楽しいよ。彩鈴も描く?」
「見てるだけでいい。楽しそうなるいすくん見てるだけで十分だから」
「そっか」
瑠偉栖は何色も色を重ねてみたり、せっかく描いたものを塗りつぶしたり、夢中で刷毛を動かしていた。
*
瑠偉栖と彩鈴が仲良く出掛けていたある日。二人は“Goku Goku”という店を目にする。
「るいすくん。入ってみようよ」
「うん、いいよ」
そうして入ったその店は、カラフルな石のお守りを売る店だった。
「いらっしゃいませ。わたくし、この店の店主をしております。こちらのお守りは目に見えるお守りでして、何かから身を守ったとき石が割れるんですよ」
店主と名乗る男が一通り説明してにっこり微笑む。
「色の違いって何かあるんですか?」
店内を少し歩き、カラフルな石を見て尋ねた。
「色によって上がる運気が違います。まぁオプションですね。形の違いは関係ありません。あと、割れたから運気が下がるということはありません。割れるのは守られた証ですから」
「彩鈴、何色がいい?」
「んー」
店内に貼られた一覧表を見ながら彩鈴は考える。
「ピンクがいいかなー。あの星の形のネックレスがいい」
一覧表のそばに飾られたネックレスを指差す。ピンクは恋愛運。
「じゃあ、店主さんそれください」
「どうもありがとう」
「値段がどこにも書かれてないですけど、いくらですか?」
ネックレスを取りに行く店主に問う。
「代金は石が割れたときにもらうことになってるんですよ」
「えっ」
「代引きだと買ってくれない人が多くて、最近変えてみたんですよね。せっかく素晴らしい物なのに売れないなんてもったいない」
「そうなんですか」
確かに高そうだから見るだけで帰ってしまう人も多そうだけれどそれで儲かるのだろうか。石が何かから守って割れるなんて到底信じられない。
「あ、そうそう。代金は何から守られたかによって変わるから。ちょっとしたことで割れちゃったのと、命を守って割れたのが同じ値段だと不公平じゃないかい?」
「そうかも」
「包装どうする?」
訊かれて彩鈴を見る。
「私今つけたい」
目をキラキラさせている彩鈴。
「包装しなくて大丈夫です」
「はい」
瑠偉栖にネックレスが手渡される。それを「ありがとう」と受け取ってさっそく彩鈴につけてあげた。
「かわいいね」
彩鈴が笑うから瑠偉栖も笑った。
「るいすくんはいいの?」
「彩鈴へのプレゼントを買いに出掛けただけで僕は欲しい物ないから」
興味があるのは彩鈴と絵を描くことの二つ。その二つが瑠偉栖を保っていた。逆を言えば、それさえあれば他はなにもいらなかった。
「そっか」
「帰ろ」
瑠偉栖はしょんぼり気味の彩鈴の手を握って外へ出た。
「ありがとうございました」
店主の赤い目に映る幸せそうな二人。見送るその姿は何故か少し不気味だった。
*
ある時、フラフラと部屋に戻って来た瑠偉栖が握っていたのは長めの鉄パイプ。
「あああああ!」
叫んでそのパイプを振り回す。ペンキの缶が倒れて中身が床に流れ出した。色が混ざり合って新しい色を生み出す。
「ははっ」
色で汚れた部屋を見渡し、瑠偉栖は満足そうに笑った。
「るいすくん!?」
部屋に入ってきた彩鈴が瑠偉栖を見て驚く。
「壁とはまた違って綺麗でしょ?」
「どうしたの?」
「んー壊してみたくなった。それだけだよ」
小さい物に描くことに飽きて、壁に描いていたけどそれもつまらなくなったのだ。
「……綺麗だけど白の方がいい。落ち着かない」
「そっか。じゃあ白に戻そう。上からペンキ塗る」
「いいの?」
「いいよ。彩鈴が好きなのが僕も好き」
白いペンキを持ってきて二人で部屋を戻した。壁も床も真っ白。
*
部屋を白に戻したらまた紙に描くのが楽しくなった。絵を描いてると自分だけの世界にいる気がして好きだった。今は一つ世界を壊して新しい世界にいる気分。
「るいすくんそれは何描いてるの?」
「夕焼け空描いてるの」
「夕焼けってきれいだね」
「うん」
クレヨンで絵を描く瑠偉栖とそれを眺める彩鈴。
コンコン。ドアを叩く音がした。そして返事をする前にドアが開いた。
「こんにちはー」
見知らぬ男が部屋に入ってきた。
「誰?」
家にはちゃんと鍵をかけたし、この部屋に人がいるなんてわからないはずなのに。瑠偉栖は戸惑う。
「何でここに入れてるの?」
「俺様は特別だからね」
誰という質問には答えてくれない。
「何しにきたの」
「可愛い女の子の血を吸いにきた」
笑って彩鈴に触れる。ゴクゴクだ。ゴクゴクは大体普通の人間の格好をしている。人間の匂いに敏感だからこの部屋がわかったんだろう。ゴクゴクは血を吸うためならなんでもする。この男も手段は選ばないので無理やり鍵を破壊してこの家に侵入したのだろう。
「やめろ! 彩鈴に触るな!」
「君は黙っててくれるかな」
男は近付いてきた瑠偉栖を蹴り飛ばした。それによりクレヨンが床に散らばる。
「嫌だ。離してっ!!」
彩鈴は手を振りほどこうとするも男の力の方が強く逃げられない。
「ちょっとおとなしくしてればいいんだよ。君に訪れるのは恐怖じゃない快楽だ」
「かいらく?」
「そうだ。女どもは気持ちよくて俺様たちに堕ちるんだ」
男がいやらしい手つきで彩鈴の顔から首へと手を滑らす。そして顔を彩鈴の首筋に近付ける。
「やめろおおお」
瑠偉栖が向かって行ったその時。
パリーン。
彩鈴のネックレスの石が割れた。
「う、なんだ……目、目が」
石の破片が男を襲う。赤い目から流れる血。男は目を押さえて後ろに下がったとき、床に転がっていたクレヨンで足を滑らせ転んだ。
「石が守ってくれた?」
店主の言ったことは本当だった。お守りが彩鈴を守った。
「るいす……くん……」
びっくりして足がすくんでいる彩鈴。
「大丈夫。錠をかけてお父さんに連絡しよう」
倒れた時に男は頭を強く打ったようで全く動く様子がない。気を失っていることを確認し、彩鈴を安心させるように手をぎゅっと握った。
「こんにちは」
男が開けっ放しにしたドアから聞き覚えのある声がした。
「今度はだ……店主さん?」
聞く前に気付いた。そこにいたのはあのお守り屋の店主。
「代金をいただきにあがりましたよ」
「何故ここが?」
「まぁいいじゃないか」
店主は笑う。
「……いくらですか」
笑って誤魔化されたのが気に入らなかったが、教えてもらえそうになかったので話を進めた。
「あなたの血をもらいたいなぁって」
「もしかしてゴクゴク……」
血を欲しがるなんて吸血鬼(ゴクゴク)しかいない。
「そうですよ。目障りだったアイツを潰してくれたお礼に、血の量は死なない程度にしておきますよ」
さっきのゴクゴクは店主が呼んだものだった。この家においしい血の女の子がいると言って侵入させた。石が守ることを見越して。そう最初からこうなることを狙っていたのだ。
「やめて」
彩鈴が止めるため瑠偉栖の前にでる。
「お嬢さん、死なないから大丈夫ですよ。」
店主は優しく微笑んで彩鈴を払いのけた。
「さ、めんどくさそうなんで、さっさといただきますね」
かぷっ。
一気に近付くと、勢いよく瑠偉栖の肩に噛み付いた。しかし、
「うっ……げほげほっ……ゔ」
店主はすぐさま口を離して吐いた。吸った血だけではない大量の血が白い床を赤く染める。
「――そうだ。僕ゴクゴクだった。忘れてた」
苦しそうな店主を見つめ、瑠偉栖は感情なく呟いた。
ゴクゴクは同じゴクゴクの血を摂取することを嫌う。ゴクゴクの血は苦く体を苦しめる。場合によっては死に至る。
「おま……え……――」
最後の力を振り絞って店主は何かを言おうとしたが言えぬまま尽き果てた。
「死んじゃった」
その言葉に感情はない。
「僕、ゴクゴクだってすっかり忘れてた。ゴクゴクに血を入れられてゴクゴクになったからお父さんが彩鈴を連れて来たんだった」
あの店主のように大体のゴクゴクは血を欲する。血にしか欲がない。しかし瑠偉栖は違った。血より興味のあるものがあって、その欲が消されていた。それに、瑠偉栖は人間に化けるタイプではなく元々人間のタイプ。別に血を吸わなくても生きていける。けれど、人間でないことはたしか、いつどうなるかわからない。愛する息子が死なないように、何があっても大丈夫なように造られた彩鈴は特殊なアンドロイド。
「るいすくん?」
座り込んだ瑠偉栖を見て心配そうに彩鈴が声をかける。
「何か突然色々あってどうしていいかわかんない。僕は必要なのかな」
瑠偉栖はどうして彩鈴が造られたのかを知らない。
「必要だよ?」
「でも僕が一人なのは、閉じ込められてたのは僕がゴクゴクになったからなんだ。みんな僕が怖いんだ」
「一人じゃないよ。私がいる。怖くないよ」
必死な彩鈴。
「彩鈴はアンドロイドだから」
「そんなんじゃない。私はるいすくんのために造られたの。るいすくんは愛されてるよ。ただ無知なだけ」
「僕のため……? 無知?」
「うん。ゴクゴクのことがよくわからないのが怖いの。愛されてるから私がいる」
ゴクゴクの目は赤い。ゴクゴクにされた瑠偉栖も片目だけ赤い。人間じゃないから一緒にいていいかわからない、けれど大事な息子と離れたくない。寂しい思いをさせたくない。その思いで父親は彩鈴をつくった。父親は離れていたがゴクゴクを研究してずっと一緒にいれる世界をつくろうとしていた。
「僕の彩鈴――?」
「うん。私はるいすくんのだよ」
「僕は彩鈴を失うのが怖い」
「私だって」
「だから、僕が彩鈴に噛みつけば僕は死んじゃう。でも彩鈴は失わない。彩鈴だって記憶が消去されるから僕を失わないよ」
「るいすくん何言ってるの」
予想もしない発言に彩鈴は上手く頭で処理しきれない。彩鈴はゴクゴクに噛み付かれたら記憶を失うことをはじめて知った。
「大好きなうちに大好きを閉じ込めたい。僕は本気だよ」
瑠偉栖はずっと一緒にいたいと思っていたけどそれも怖くなった。これから先彩鈴を守りきれる保障はない。だからハッピーエンドを迎えるにはこうするしかない。
「お父さん悲しむよ?」
「死んだって僕は腐敗しないからずっとお父さんのそばにいれる。お父さんが僕を怖がることもない」
ゴクゴクは何故だか腐敗しない。ずっと綺麗なまま。
「嫌だ。るいすくんがいなくなったら存在理由なくなっちゃう」
ボロボロと泣きだす彩鈴。泣く彩鈴を瑠偉栖はぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫。彩鈴は対ゴクゴク用のアンドロイドだろ? 僕がいなくたって役には立つよ」
「だとしても私は嫌だよ。ずっと一緒にいるんじゃないの」
彩鈴は瑠偉栖と違って死ぬことが、瑠偉栖を忘れてしまうことが怖い。
「愛しい僕の彩鈴――」
そう言って口付けした。
「ごめん……――」
(13/03/14)
「お父さん!? なんで僕を置いていっちゃうの?」
父親の服を掴み、涙目で訴える幼い少年。
「ごめんな。瑠偉栖(ルイス)」
父親は最愛の息子を抱きしめ涙をこぼした。
赤と黒のオッドアイをギュッと閉じ、少年は記憶を閉じ込めた。
*
真っ白い部屋。茶髪の少年が床に寝そべりながらクレヨンで絵を描いている。その時、部屋のドアが開いた。
「彩鈴(アリス)!」
少年は勢いよく立ちあがり、嬉しそうにふんわりとした雰囲気の金髪少女に駆け寄った。
「彩鈴、良かった……」
少年、瑠偉栖は少女、彩鈴をぎゅっと抱きしめた。一ヶ月振りの再会が嬉しかった。ずっと一緒にいた二人。けれど一ヶ月間彩鈴は検査でここを離れていた。
「るいすくん。泣いてるの?」
「彩鈴がいなくなってたらどうしようってずっと不安だったんだ」
「わたしはいなくならないよ」
瑠偉栖を見上げ彩鈴は笑う。
彩鈴は機械だ。対ゴクゴク用に造られた心を持つ高性能アンドロイド。人間から成るのでほぼ人間と変わらない。ちゃんと人間の匂いだってする。
ゴクゴクとはいわゆる吸血鬼である。人間の血を吸うことで生きているが、吸うだけなく血を入れてその人間をゴクゴクにすることもある。そのためこのところゴクゴクの繁殖が進んでおり、それを減らす対策としてアンドロイドが生産されていた。もちろん機械だからアンドロイドに血液はない。噛み付かれた時にゴクゴクだけに反応して電気が流れるようになっている。その電流はゴクゴクを殺す。
ゴクゴクに噛み付かれたアンドロイドはその時点で記憶を消される。ゴクゴクに噛み付かれた感覚を覚えてしまい、噛み付かれることに拒否を起こすようになるからだ。
それを彩鈴は知らない。だから彩鈴は「いなくならない」と笑うけれど、彩鈴が好きでたまらない瑠偉栖は彩鈴を失うのが怖いのだ。自分を知っている彩鈴を失うのが。怖いだけじゃない。そもそも瑠偉栖は愛した彩鈴のいない世界に興味がない。死ぬのは怖くないから簡単に自分を傷付けられる。でも彩鈴をおいて一人だけ死ぬのは嫌だった。
「彩鈴は僕と会えなかった間寂しかった?」
「うん、寂しかったよ」
「そっか、良かった。僕とおんなじだ。これからはずっと一緒だよ」
瑠偉栖は安堵した。
*
幼い頃、一人寂しくしていた瑠偉栖に研究者である父親が与えた唯一のプレゼント。それが彩鈴だった。
無機質で真っ白な部屋。床に散らばったカラフルなクレヨンが異様に目立っている。瑠偉栖はそんな部屋で一人紙に絵を描いていた。
そこに一人の少女が入ってきた。
「はじめまして。彩鈴です」
「えっと、瑠偉栖です……」
「今日からよろしくね! るいすくん」
もじもじと下を向いている瑠偉栖に彩鈴は笑顔で手を差し出した。
唐突な二人の出会いは瑠偉栖を変えた。閉じこもっていた瑠偉栖とは正反対で明るい彩鈴。最初は戸惑っていた瑠偉栖だが、いつしか彩鈴に心を開くようになっていた。と、同時に強く依存するようにもなっていた。
ロック系の激しい曲が苦手だった瑠偉栖。曲が少しでもかかると体が反応する。だからいつも避けていた。
ある日の二人で出掛けていたときのことだった。
「うわっ嫌な音だ……彩鈴、違う道通ろう……?」
「――……」
瑠偉栖が振り返ると、この音が好きだったはずの彩鈴が両耳を塞いでしゃがみこんでいた。
「どうしたの? この音嫌なの?」
瑠偉栖は今すぐ逃げ出したいのに何だか嬉しかった。今、間違いなく同じ気持ち。この音に拒否反応してる。
「大丈夫だよ」
瑠偉栖が彩鈴の手を掴む。彩鈴の耳から手がずれ、大きな音が流れ込んだ。
「うぁあああああ」
彩鈴の叫び声が辺りに響く。苦しそうな彩鈴。そんな彩鈴を引っ張り走って音から遠ざかった。
「ごめんね、つらかったよね? わかるよ。僕も嫌いだから」
音から大分離れたところで立ち止まる。そして恐怖に怯える彩鈴を優しく抱きしめる。
「るいす、くん」
彩鈴がそう呟いてぎゅっと瑠偉栖の服を掴んだ。
ずっと一緒にいると似てくるっていうの、あれ嘘じゃない。共鳴している。そう瑠偉栖は実感した。
だから何年も一緒にいた彩鈴が検査で瑠偉栖の元を離れた一ヶ月、瑠偉栖は感情を失ったかの様に笑わなくなったし外にも出なくなった。本当に瑠偉栖にとって彩鈴はなくてはならない存在だった。
*
部屋、床に散らばったクレヨン。それと何色ものペンキの缶が置かれている。瑠偉栖は刷毛でおもいっきり壁に色を付ける。白い壁がカラフルになっていく。別に何か目的があって刷毛を動かしているわけではない。ただ、小さな紙に描いているのが飽きただけ。
彩鈴はそんな瑠偉栖を何も言わず見つめていた。
「楽しい?」
「うん、楽しいよ。彩鈴も描く?」
「見てるだけでいい。楽しそうなるいすくん見てるだけで十分だから」
「そっか」
瑠偉栖は何色も色を重ねてみたり、せっかく描いたものを塗りつぶしたり、夢中で刷毛を動かしていた。
*
瑠偉栖と彩鈴が仲良く出掛けていたある日。二人は“Goku Goku”という店を目にする。
「るいすくん。入ってみようよ」
「うん、いいよ」
そうして入ったその店は、カラフルな石のお守りを売る店だった。
「いらっしゃいませ。わたくし、この店の店主をしております。こちらのお守りは目に見えるお守りでして、何かから身を守ったとき石が割れるんですよ」
店主と名乗る男が一通り説明してにっこり微笑む。
「色の違いって何かあるんですか?」
店内を少し歩き、カラフルな石を見て尋ねた。
「色によって上がる運気が違います。まぁオプションですね。形の違いは関係ありません。あと、割れたから運気が下がるということはありません。割れるのは守られた証ですから」
「彩鈴、何色がいい?」
「んー」
店内に貼られた一覧表を見ながら彩鈴は考える。
「ピンクがいいかなー。あの星の形のネックレスがいい」
一覧表のそばに飾られたネックレスを指差す。ピンクは恋愛運。
「じゃあ、店主さんそれください」
「どうもありがとう」
「値段がどこにも書かれてないですけど、いくらですか?」
ネックレスを取りに行く店主に問う。
「代金は石が割れたときにもらうことになってるんですよ」
「えっ」
「代引きだと買ってくれない人が多くて、最近変えてみたんですよね。せっかく素晴らしい物なのに売れないなんてもったいない」
「そうなんですか」
確かに高そうだから見るだけで帰ってしまう人も多そうだけれどそれで儲かるのだろうか。石が何かから守って割れるなんて到底信じられない。
「あ、そうそう。代金は何から守られたかによって変わるから。ちょっとしたことで割れちゃったのと、命を守って割れたのが同じ値段だと不公平じゃないかい?」
「そうかも」
「包装どうする?」
訊かれて彩鈴を見る。
「私今つけたい」
目をキラキラさせている彩鈴。
「包装しなくて大丈夫です」
「はい」
瑠偉栖にネックレスが手渡される。それを「ありがとう」と受け取ってさっそく彩鈴につけてあげた。
「かわいいね」
彩鈴が笑うから瑠偉栖も笑った。
「るいすくんはいいの?」
「彩鈴へのプレゼントを買いに出掛けただけで僕は欲しい物ないから」
興味があるのは彩鈴と絵を描くことの二つ。その二つが瑠偉栖を保っていた。逆を言えば、それさえあれば他はなにもいらなかった。
「そっか」
「帰ろ」
瑠偉栖はしょんぼり気味の彩鈴の手を握って外へ出た。
「ありがとうございました」
店主の赤い目に映る幸せそうな二人。見送るその姿は何故か少し不気味だった。
*
ある時、フラフラと部屋に戻って来た瑠偉栖が握っていたのは長めの鉄パイプ。
「あああああ!」
叫んでそのパイプを振り回す。ペンキの缶が倒れて中身が床に流れ出した。色が混ざり合って新しい色を生み出す。
「ははっ」
色で汚れた部屋を見渡し、瑠偉栖は満足そうに笑った。
「るいすくん!?」
部屋に入ってきた彩鈴が瑠偉栖を見て驚く。
「壁とはまた違って綺麗でしょ?」
「どうしたの?」
「んー壊してみたくなった。それだけだよ」
小さい物に描くことに飽きて、壁に描いていたけどそれもつまらなくなったのだ。
「……綺麗だけど白の方がいい。落ち着かない」
「そっか。じゃあ白に戻そう。上からペンキ塗る」
「いいの?」
「いいよ。彩鈴が好きなのが僕も好き」
白いペンキを持ってきて二人で部屋を戻した。壁も床も真っ白。
*
部屋を白に戻したらまた紙に描くのが楽しくなった。絵を描いてると自分だけの世界にいる気がして好きだった。今は一つ世界を壊して新しい世界にいる気分。
「るいすくんそれは何描いてるの?」
「夕焼け空描いてるの」
「夕焼けってきれいだね」
「うん」
クレヨンで絵を描く瑠偉栖とそれを眺める彩鈴。
コンコン。ドアを叩く音がした。そして返事をする前にドアが開いた。
「こんにちはー」
見知らぬ男が部屋に入ってきた。
「誰?」
家にはちゃんと鍵をかけたし、この部屋に人がいるなんてわからないはずなのに。瑠偉栖は戸惑う。
「何でここに入れてるの?」
「俺様は特別だからね」
誰という質問には答えてくれない。
「何しにきたの」
「可愛い女の子の血を吸いにきた」
笑って彩鈴に触れる。ゴクゴクだ。ゴクゴクは大体普通の人間の格好をしている。人間の匂いに敏感だからこの部屋がわかったんだろう。ゴクゴクは血を吸うためならなんでもする。この男も手段は選ばないので無理やり鍵を破壊してこの家に侵入したのだろう。
「やめろ! 彩鈴に触るな!」
「君は黙っててくれるかな」
男は近付いてきた瑠偉栖を蹴り飛ばした。それによりクレヨンが床に散らばる。
「嫌だ。離してっ!!」
彩鈴は手を振りほどこうとするも男の力の方が強く逃げられない。
「ちょっとおとなしくしてればいいんだよ。君に訪れるのは恐怖じゃない快楽だ」
「かいらく?」
「そうだ。女どもは気持ちよくて俺様たちに堕ちるんだ」
男がいやらしい手つきで彩鈴の顔から首へと手を滑らす。そして顔を彩鈴の首筋に近付ける。
「やめろおおお」
瑠偉栖が向かって行ったその時。
パリーン。
彩鈴のネックレスの石が割れた。
「う、なんだ……目、目が」
石の破片が男を襲う。赤い目から流れる血。男は目を押さえて後ろに下がったとき、床に転がっていたクレヨンで足を滑らせ転んだ。
「石が守ってくれた?」
店主の言ったことは本当だった。お守りが彩鈴を守った。
「るいす……くん……」
びっくりして足がすくんでいる彩鈴。
「大丈夫。錠をかけてお父さんに連絡しよう」
倒れた時に男は頭を強く打ったようで全く動く様子がない。気を失っていることを確認し、彩鈴を安心させるように手をぎゅっと握った。
「こんにちは」
男が開けっ放しにしたドアから聞き覚えのある声がした。
「今度はだ……店主さん?」
聞く前に気付いた。そこにいたのはあのお守り屋の店主。
「代金をいただきにあがりましたよ」
「何故ここが?」
「まぁいいじゃないか」
店主は笑う。
「……いくらですか」
笑って誤魔化されたのが気に入らなかったが、教えてもらえそうになかったので話を進めた。
「あなたの血をもらいたいなぁって」
「もしかしてゴクゴク……」
血を欲しがるなんて吸血鬼(ゴクゴク)しかいない。
「そうですよ。目障りだったアイツを潰してくれたお礼に、血の量は死なない程度にしておきますよ」
さっきのゴクゴクは店主が呼んだものだった。この家においしい血の女の子がいると言って侵入させた。石が守ることを見越して。そう最初からこうなることを狙っていたのだ。
「やめて」
彩鈴が止めるため瑠偉栖の前にでる。
「お嬢さん、死なないから大丈夫ですよ。」
店主は優しく微笑んで彩鈴を払いのけた。
「さ、めんどくさそうなんで、さっさといただきますね」
かぷっ。
一気に近付くと、勢いよく瑠偉栖の肩に噛み付いた。しかし、
「うっ……げほげほっ……ゔ」
店主はすぐさま口を離して吐いた。吸った血だけではない大量の血が白い床を赤く染める。
「――そうだ。僕ゴクゴクだった。忘れてた」
苦しそうな店主を見つめ、瑠偉栖は感情なく呟いた。
ゴクゴクは同じゴクゴクの血を摂取することを嫌う。ゴクゴクの血は苦く体を苦しめる。場合によっては死に至る。
「おま……え……――」
最後の力を振り絞って店主は何かを言おうとしたが言えぬまま尽き果てた。
「死んじゃった」
その言葉に感情はない。
「僕、ゴクゴクだってすっかり忘れてた。ゴクゴクに血を入れられてゴクゴクになったからお父さんが彩鈴を連れて来たんだった」
あの店主のように大体のゴクゴクは血を欲する。血にしか欲がない。しかし瑠偉栖は違った。血より興味のあるものがあって、その欲が消されていた。それに、瑠偉栖は人間に化けるタイプではなく元々人間のタイプ。別に血を吸わなくても生きていける。けれど、人間でないことはたしか、いつどうなるかわからない。愛する息子が死なないように、何があっても大丈夫なように造られた彩鈴は特殊なアンドロイド。
「るいすくん?」
座り込んだ瑠偉栖を見て心配そうに彩鈴が声をかける。
「何か突然色々あってどうしていいかわかんない。僕は必要なのかな」
瑠偉栖はどうして彩鈴が造られたのかを知らない。
「必要だよ?」
「でも僕が一人なのは、閉じ込められてたのは僕がゴクゴクになったからなんだ。みんな僕が怖いんだ」
「一人じゃないよ。私がいる。怖くないよ」
必死な彩鈴。
「彩鈴はアンドロイドだから」
「そんなんじゃない。私はるいすくんのために造られたの。るいすくんは愛されてるよ。ただ無知なだけ」
「僕のため……? 無知?」
「うん。ゴクゴクのことがよくわからないのが怖いの。愛されてるから私がいる」
ゴクゴクの目は赤い。ゴクゴクにされた瑠偉栖も片目だけ赤い。人間じゃないから一緒にいていいかわからない、けれど大事な息子と離れたくない。寂しい思いをさせたくない。その思いで父親は彩鈴をつくった。父親は離れていたがゴクゴクを研究してずっと一緒にいれる世界をつくろうとしていた。
「僕の彩鈴――?」
「うん。私はるいすくんのだよ」
「僕は彩鈴を失うのが怖い」
「私だって」
「だから、僕が彩鈴に噛みつけば僕は死んじゃう。でも彩鈴は失わない。彩鈴だって記憶が消去されるから僕を失わないよ」
「るいすくん何言ってるの」
予想もしない発言に彩鈴は上手く頭で処理しきれない。彩鈴はゴクゴクに噛み付かれたら記憶を失うことをはじめて知った。
「大好きなうちに大好きを閉じ込めたい。僕は本気だよ」
瑠偉栖はずっと一緒にいたいと思っていたけどそれも怖くなった。これから先彩鈴を守りきれる保障はない。だからハッピーエンドを迎えるにはこうするしかない。
「お父さん悲しむよ?」
「死んだって僕は腐敗しないからずっとお父さんのそばにいれる。お父さんが僕を怖がることもない」
ゴクゴクは何故だか腐敗しない。ずっと綺麗なまま。
「嫌だ。るいすくんがいなくなったら存在理由なくなっちゃう」
ボロボロと泣きだす彩鈴。泣く彩鈴を瑠偉栖はぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫。彩鈴は対ゴクゴク用のアンドロイドだろ? 僕がいなくたって役には立つよ」
「だとしても私は嫌だよ。ずっと一緒にいるんじゃないの」
彩鈴は瑠偉栖と違って死ぬことが、瑠偉栖を忘れてしまうことが怖い。
「愛しい僕の彩鈴――」
そう言って口付けした。
「ごめん……――」
(13/03/14)