某日、夢見る河童の説
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水面にポツリと水滴が落ちた。
葉から滴り、雨が通り過ぎたこの里に水を齎す恩恵。
私は何でもない、どこにでもあるその光景を見つめながら、心から美しいと思っていた。
今日は何でもない一日であり、特にこれといってすることもなかった。強いて言えば、この後昔馴染みの友人がこの里を訪ねてくると言ったところか。
久方ぶりに会うその友人は、幼馴染と言っても過言ではない。相手の方が一回りも年下であったが、私の容姿は幾分も前から変わっていない関係で、彼と並んでいて“幼馴染”と言ったところで、も誰もが怪しむことなどなかった。
そのうち、彼の方が私より年上に見られることを思えば、数年先はそれまた面白い間柄になるだろう。
彼が困ったような顔をして、自分より若い容姿の男を“幼馴染”と告げ、周りがどんな反応をし、彼を困らせるかが楽しみだ。まぁ、彼ならすんなりと交わしてみせるだろう。それもまた、面白い。
あろうことか、そんな訪れることのなかった未来に微笑んでいると背後から声をかけられた。
どうやら、彼の気配に気付けなかったらしい。
「綴」
振り返ると、幾分か成長した彼の姿。
僅か十六で妖の頂点にまで上り詰め、三頭の筆頭という役割を担った男。天才式神師であり、力も強い、この男。
「藍人」
「お前が俺の気配に気付かないなんて珍しいね。何に見惚れてたの?女?」
「フフフ。馬鹿を言わないでください」
相変わらずの飄々とした口調。そして嫌味を含む声。この全てが彼らしい。
「昨夜の雨で木々が潤っていまして。水が滴り落ちるのを感じて、密かに歓喜していたところです」
「相変わらず、お前ら河童の歓喜する場面がよく分からん」
「河童は水の恵みがなければ生きていけませんから」
隣に並び、大きな楠から落ちる雫を見上げながら、ついつい溜息が出てしまう。そんな私に“理解不能”という視線を投げた藍人は、くるりと踵を返したのだった。
「水煙術でもなんでもいいが、早く行こう。そのために来たんだから」
「貴方は世辞でも、昔馴染みの友人に会いに来たとは言えないのですか」
「その馴染みの友人がちんたらしているから、言っているんだよ」
彼は今日、この里には私を訪ねてきたのだが、水無月の里がある京にきた理由は別の部分にあるらしい。それは知っていたのだが、この男はどうして優しさの一つや二つを投げかけられないのか。
歪んだ精神に苦笑が漏れてしまう。
気にも留めずに歩き出した彼の後を、私は追う。
珍しく、今まで女に無頓着だった彼が京に来た理由は、会いたい女性がいるとのことだった。
私より若くして、京の女に手を出すとは。さすがは妖の王に君臨するべき男なのか。
とは言ってみたものの、私もこの容姿のおかげで端から端まで女を抱いてきたことを棚にあげるつもりはない。ましては京であるし、人間の女には困らなかった。
本気で愛さないならば、誰を抱いたところで同じ。人間の女など、誰が誰など変わりない。
そう思っていた。……今日までは。
「ここ……ですか」
てっきり、藍人に連れて行かれるのは祇園の遊郭か、島原の酒宴の席、はたまた江戸まで足を伸ばして吉原……なんて考えていたのだが。
「あぁ。ほら、入ってよ」
「え…、えぇ」
連れて来られたのは、京の中心部……二条城に近い一角にあった料亭。錆びれた看板には“楸”と名が打ってあった。
「いらっしゃいませ」
暖簾を潜り、十にも満たない客席がある店の中からは煮魚の匂いがした。江戸風というべきか。こんがりと照り焼きの匂いが食欲をそそる。
更に驚いたのは、奥から出て来たのが実に美しい女性だったということ。
「あ……、貴方は……」
「こんにちは。菖蒲さん」
――……あぁ、そうゆうことですか。彼の目当ては彼女ということだ。
親しげに名前を呼んだ藍人が彼女が目の前に来る奥の席へと座る。茫然としていた私を横目で見ながら、藍人は無言で顎をしゃくり“座れ”と示してきた。あぁ、ここで彼の機嫌を損ねると後で蹴りの一発二発じゃすみませんね。恐らく紙が人となり、私を殺しにくるでしょう。
仕方がないので言う通りに腰かげ、彼らの様子を窺った。
「本当に来て下さったんですね。ありがとうございます」
「言ったじゃないか。また来る、と」
「はい。楽しみに待っていました」
藍人の心を奪うのだから、どんな女なのかと思えば。祇園の遊女でも、島原の芸子でも、ましては吉原の太夫でもなく、ただの町娘。ましてや人間の。
きっちり顔を見やれば、彼女はまだ幼かった。先程、女性と例えたことをすぐさま“少女”へと変換し直す。
「この間と同じものを二つ、お願いできるかな」
「はい、かしこまりました」
屈託のない笑顔を向けて、彼女は一つ頷いた。
妖の女は、美しい。それは溢れだす妖力が女性を引き立たせるとも聞いたことがあるし、血筋的に見て人間などと比べ物にならないと言われている。いい例が、この数年後に出会うことになる狐の妖だった。
しかし、今この目の前に立っている人間の娘は、妖にも引け取らぬ美しさであり、人間の中では極上に等しい。藍人が夢中になるのも分かる気がした。見れば見る程、引きこまれるようだった。
「お連れ様も、今日はありがとうございます」
「いえ。お構いなく……」
咄嗟にそんな言葉しか出て来なかった。
隣にいる妖の頂点は、とにかく“お前、手出すなよ”という視線を送ってくる。怖いわけではないし、私も彼の力に劣りはするが、応戦できなくもない。
が。彼を怒らせると面倒くさいので宥め、つまらなさそうにして視線を投げた。
投げた先で、菖蒲と呼ばれた少女と目が合う。バチリ、と太く視線が絡んだところで微笑みを向けられれば、心の奥底に何か温かいものが生まれた。
あぁ、やばい。蹴られるな、これは。
「痛ッ」
ガン、と音を最小限に抑え込みつつ、藍人が私の足を踏みつける。思わず声が出てしまったが少女は奥に野菜を取りに行ったようで気が付かなかったようだ。……危ういところでした。
「なにするんですか……」
「なにするんですか、じゃない。デレデレするな」
「貴方は余裕という言葉を知らないんですか?いちいち私の反応を見て百面相するなんて、それでも妖の筆頭です…痛ッ?!」
あぁ、口応えなんてしなければよかった。更にもう一発、足を踏みつけられれば私は何も言うまいと口を閉じる。それはもう、硬く硬く閉ざしてやった。
ですが、彼の反応が私の口を、再び容易く開くことになりました。
「煩いな……し、仕方ないだろ」
「はい?」
「こんなの……初めてなんだから……っ」
「…………。」
思わず私がキュンとしてしまったのは黙っておきましょう。いつもは皮肉に笑顔を浮かべ、人の精神を逆撫でするこの男が、“打つ手なし”といった表情で赤面しているのです。
その顔で、十分分かります。
本当に、好きなんですね。彼女のことが。
それから運ばれてきた料理を口にして、談笑しながら時間を過ごす。
菖蒲さんが作った料理はどれも江戸風に近かったが、自然と慣れ親しんでしまう味だった。今日、用意してくれた鰤大根もとても美味で、酒が進んでしまう。
藍人は酒より彼女に夢中で、隙あれば想いを告げるんじゃないかというくらいの勢いだった。
誤解されやすいが、彼は真面目で一本気な男であり、とても努力家だ。だからこそ三頭の筆頭になる道を勝ち取り、この妖の世を平和へと導いていく存在となった。
そんな身分の男が、妖の中では下等とされている人間に心奪われていいのかという不安な点もあったけれど……。
「もう、北見さんたら」
「本当のことだよ」
「褒めても何も出ませんよ?」
笑顔の藍人と、笑顔の彼女。見ていてとても和む光景で、私の心はどこかで安堵していた。
しかし、同時に何故か心にチクリと刺さるものがあったのも覚える。一体どうしたというのか。
この日、生まれた感情を持て余しながら……私はこの後の長い戦いに挑むことになった。
とても長く、苦しい戦いに。
時が経ち、その戦いが訪れるまでは色々な出来事があったのも覚えている。
まず、春霞の妖が滅ぼされ、茜凪が藍人に拾われた。四国の妖の烏丸家が珍しく京にやってきて、北見と積極的に協力関係を結ぼうとしていることも。藍人が訪れた狛神の里で暴走していた少年を助け、懐かれ、今は弟子として面倒を見ているということ。
藍人と菖蒲が結ばれたこと。
そして、その幸せの絶頂の中、藍人が沖田 総司に殺されたこと。
謎が多く残る中、藍人の死を解き明かし、彼を助けるために茜凪が動きだしたこと。
彼がいなくなる前も、いなくなってからも……多くの事が起きて来た。
「藍人……」
彼が死んだ小路に私がよく来ることを、誰も知らないだろう。私は藍人が死んでから、よくここに訪れていた。
彼がどのような死に方をしたのか、何で死んだのか……ここに来れば、少しでも分かる気がしていた。結論から述べれば、微塵も想いを汲み取ることなど出来なかったけれど。
「……」
藍人が、北見の家から抜ける晩。私のもとへと訪れたことを思い出す。
【綴。お前、菖蒲に惚れているね?】
ドキリ、と心臓が跳ねた。
あの言葉を発した藍人は、初めて菖蒲の料亭に行った時よりも余裕ある男になっていて蹴られることはなかったけれど。目が本気で笑っていることが、どうしようもなく怖かった。
ですが、続いて藍人が差し出した言葉は、意外なもの……というよりも、先を見据えて発したものだったのでしょう。
【菖蒲を、頼むよ】
切ない笑顔は、歪んだ孤を描かなかった。私にだからこそ、託すんだ。というように笑った彼の顔が、戦いが終わった今日も忘れられない。
最期、西本願寺の境内で黎明と共に消える光となった彼が、差し向けた言葉はその通りで。
今もまだ、私の胸に残っている……。
――……
――………
―――………
「水無月?ちょっと……大丈夫?」
「……」
愛しい存在に名を呼ばれたと思えば、頬に触れる細い指。撫でるようにして私の様子を窺っている。
「寝てるの?」
「……いえ、いま…起きました」
どうやらうたた寝をしてしまっていたようです。視界一杯に広がった菖蒲の顔に、自然と笑顔が零れ落ちた。
二条城の近くにあった、料亭楸は既に払われてしまっていたが、戦いが終わった今、私と菖蒲は祇園の一角に小さな料亭を開いていた。
店を開いてから、ちらほらと客も入りそれなりに充実した日々を送っていたのですが、依然、私と菖蒲はそのような関係ではない。とはいっても、私が藍人の存在があった手前、彼女に想いを告げるのを臆しているのが原因なのですが。
「びっくりした……。呼んでも起きないから、何してるのかと思えば、寝てるんだもの」
「フフフ……すみません。あまりにも気持ちのいい日差しだったので」
窓から木漏れ日として入ってくる光。木漏れ日というよりは、西日と言った方がいい。もはや夕方になり、これから忙しくなるこの料亭。
私も手伝わなければ、と席を立ちあがった時だった。
「…っ」
「菖蒲?」
不意に視線を逸らされて、彼女が赤面していることに気付き、首を傾げてしまう。名前を呼んで続きを待ったが、彼女は答えることはなかった。
「な…なんでもありません…っ」
そのように顔を赤らめさせることをしたつもりはありませんが……。疑問に思い、逃げようとする彼女の手を引っ張り留めてやれば、肩を驚いたように跳ねさせて振り返る。
「どうしたのです。私、何かしましたか?」
「べ、別に何も……」
「していないなら、どうして目を合わせてくれないのですか?」
思いの他、引っ張った時に近くに手繰り寄せてしまった彼女。
引くに引けないと感じたのだろう。菖蒲がおずおずと素直に理由を口にしてくれた。
「ね…寝言で、わたしのこと……呼んだでしょ?」
「え」
「だから、どうしたのって聞いたのに……水無月が寝てるから…ッ」
真っ赤な顔して、そんなこと言うなんて。貴女はつくづく、妖にとって天敵ですね。困ったものです。
そのうち烏丸や狛神あたりも捕えてしまうのではないか、私は不安でなりませんよ。
「意識、しましたか?」
「は!?」
「私のこと。私が寝言で貴女の名前を呼んで、少しは私を意識しましたか?」
意地悪く尋ねてやれば、彼女はまた顔を赤くして私を突き飛ばした。そのまま勝手場へと逃げ帰る彼女を見つめながら、微笑みが零れてしまう。
今は、藍人の存在が消えたばかり。少しは楽しくて、安らかな時間で、彼女の心の傷を癒してさしあげることも必要でしょう。
時間は山ほどあります。私と過していく日々の中で、私の存在を意識していただけるのであれば……――その先も、やはり望んでもいいでしょうか。
「水無月」
あまりにも素直に出てきてしまった笑顔を浮かべていたところ、店の戸が開いたのを感じた。この時間に平気で入って来るのは少なくとも客ではありませんね。
まして私の名前を呼ぶとなれば、同じ妖か、はたまた近しい――近しくなってしまった――人間でしかありません。
予想通り。
視線を向ければ、新選組に属する男が一人……入口に佇んでいた。
「いらっしゃい。斎藤さん」
「楸は……」
「あぁ、いますよ。今は起きてると思います」
「すまぬ。邪魔をする」
彼の目的は、茜凪であることは一目瞭然だ。
白い襟巻を靡かせて、そのまま別間へと向かうために出て行った彼を見ながら思うのだ。
願わくば。
彼らのその先も、どんな試練があったとしても。
私や藍人、菖蒲のように。
最後の最後で笑っていられる関係であってほしい、と。
「茜凪は藍人に似たのか、とんでもなく一途ですからね……」
願わずにはいられない。
私と同様に……――辛い思いをして、苦悩を乗り越えた先に、幸せがあらんことを。
某日、夢見る河童の説
***
藍人との絡みを描く、某日シリーズ第三弾。年齢不詳の水無月さんでお送りしました。
私の中に、彼の容姿は朧 八千代(十鬼の絆)のイメージが拭えずにいます。容姿だけです。中身はどちらかというと似非紳士ですからね、綴さん。
彼は意外と、妖の中では一番扱い辛いキャラでした。何より、彼は式神を斬れないという立場にしたので見せ場がそれほどなくて…(笑)
菖蒲さんと幸せになりたいと思いつつ、彼女の中にある藍人の存在に勝てないということを彼はちゃんと理解しています。だからこそ焦らずに時間をかけるところが大人の余裕なのです。年齢不詳の大人の余裕なのです、ええ(笑)
そして今日から紫電録の前篇が連載開始されます。
この水無月の話でも斎藤さんがちょこっと出てきましたが、メインになるのは茜凪と斎藤さんです。お楽しみに。
作者としては、ここまで外伝を三人称から一人称で執筆してきてるので、三人称に戻せるかが不安です。頑張ります。
2014.03.01 有輝