56. 無名戦火録【最終話】
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篝火が消えた。
もう、時間である。
折り目正しく正座をし、消えた燈を見つめていた切れ長の瞳が闇に隠れる。
精神を統一し、もう一度あげた瞳には何の感情も灯っていなかった。
ここにはあまりにも思い出がありすぎて離れることを切なく思ってしまう。
―――いずれ、必ず戻ってくる。
己にそう言い聞かせ、男は―――斎藤 一は部屋を出た。
「副長」
この屯所を、表向きには御陵衛士になるために離れる斎藤は、最後の挨拶として…土方の部屋の障子の前に膝をつけた。
「あぁ」
障子は、開けられなかった。
顔を見ることは、叶わなかった。
どちらともなく、声だけでいいという思いがあったからだろう。
「行って参ります」
部屋の中から短く返された答えは、迷いなんてない鬼副長のものだったけれど、どこか細く小さく伸ばされていた気がした。
だからこそ、最後。
膝をあげた時に声をかけられたんだ。
「斎藤」
呼ばれた名前は、いつも通り。
隊務を言い渡す時と同様の鋭い声。
返事を返せば、土方は間を置いてから告げた。
「必ず戻って来い」
「……はい」
―――今、俺に成すべきことがあるならば。
果たすまで、この命を易々と投げるわけにはいかない。
「心得ております」
感情の灯らない声に、部屋の中で書き物をしていた土方の腕が完全に止まる。
彼を行かせれば、間違いなどないだろう。
だが、彼だからこそ心配になる点があった。
斎藤の心が、長く孤独な戦いに耐える彼の心がありのままでいられるかどうかということ。
「例えこの身が離れても」
彼が持つ強さ故の……弱さのようなものを。
「俺の心は、新選組と共に在ります」
第五十六幕
無名戦火録
あの戦いの発端は、今より何年も前だった。
そしてその戦いは、時が流れ、終わりを迎えた。
名もなき、妖たちの戦い。
己が信念と約束、譲れないものを懸けてぶつかり合った戦い。
動乱の人の世に対し、平和を取り戻した妖界。
そして、彼女たちは自分のために歩き出す。
変わらなかった、憧れのもとに。
「いってきます」
「茜凪、遅くなる前に帰ってきなさいよ」
「分かってますよ、それくらい」
慶応三年 三月。
京の桜は、心から美しいと思うことを許された今の茜凪にとって、本当に絶景だった。
ひらひらと風に舞うのが淡い雪から、桜の花弁に変わる。
季節を感じさせられれば、もちろん体の傷も大分癒えていた。
「あ、おい茜凪!」
祇園の一角にある小料理屋。
世辞にも大きな料亭とは言えないけれど、今、妖である茜凪はここを住処としている。
店の女将として料理を提供しているのは、かつて蹴転であった菖蒲。
隣に在るのが、彼女を愛している水無月。
そこに集うようにして寝食をともにしている烏丸、狛神。
怪我が癒えた、名の無い戦いに参戦した戦友が京に戻ってきたのは一月ほど前のことだった。
水無月が借りていると聞いた家屋は、実は自腹で買い取ったこの一家だったらしく茜凪たちは新しい生き方を歩んでいた。
妖と人間。
決して交わることを良しとはしない関係のまま、自分達の意志を曲げることなく……。
「なんですか、烏丸」
「俺も一緒行こうか?お前まだ足、痛むだろ」
「いいです。あなたが来ると騒がしくなるので」
「なんだよその言い草!俺だって久々に新選組の奴らにだな……!」
早いもので、藍人が天に還ってから約四月が経過していた。
ようやく普通に生活できるほどの体を取り戻し、首や腹部の痛みに顔をしかめることは無くなった。
未だに季節の変わり目や、天気によって肩の傷は痛み、剣をとった際に以前と同じ実力を出すのは到底不可能という状態。
利き手が右であるが故に、時には重たい荷物を持つだけで痛みに襲われることもあった。
それでも、腕を犠牲にしてでも勝ち取ったものを茜凪自身が誇らしく感じていたんだ。
「本当に来るんですか……?」
「いいだろ!屯所に行くのだって久しぶりなんだからよッ」
そして今日。
茜凪が屯所を出る際に約束した通り、怪我が癒えた体で会いに行き、礼をきちんと告げようと西本願寺に彼女は足を伸ばした。
四国の山から戻ってきた烏丸も同行し、懐かしく感じられる場所へと向かう。
市中でだんだらの隊服を着た男たちを見かけて、“今日は二番組が見廻りか”なんて会話が自然と出てしまう。
大通りに並んだ茶屋にある団子を手土産に、茜凪は千鶴に会えることも嬉しく思っていた。
―――思えば、約四月前。
だんだらの隊服を見ては、式神の標的にならないようにと目をつけていたことを思い出す。
更に遡り、一年前。
本物の沖田と接触し、斎藤と再会したことは必然とも言えるような出来事だった。
いろんな選択肢が出てくる中で、迷いながら、自分にとって相手にとって正しい道なのか、わからないまま苦悩して……それでも進んできた道。
それが今―――新たな分岐点へと来ていることを、まだ理解しないまま……。
「ごめんくださーい」
祇園から西へ向かうことそのまま。
壬生の近くまで来てそのまま南へと向かい、京の中心部を抜け、西本願寺へ。
今は稽古の最中であろう、道場から打ち合いをする音と掛け声が聞こえてくる。
が、境内は本当に静かなものであった。
「入っていいのか?」
「どうでしょう。千鶴さんがいらっしゃれば、土方さんや近藤さんに会わせて下さると思うのですが」
「ま、いいか。俺達ここに住んでたようなもんだし」
「それは都合のいい解釈の仕方では……」
ズカズカと入り込んでいく烏丸に、茜凪が呆れつつ結局倣ってしまう。
屯所として使用している太鼓楼の前まで来た時、中庭で千鶴が掃き掃除をしているのが見えた。
「千鶴さん」
「!」
彼女には声をかけておいた方がいいと、茜凪が口を開く。
どうしてだかは分からないが、俯いて……悲しそうな顔をしていた彼女が視線をあげる。
現れた茜凪と烏丸に、一瞬詰まるような表情をしたが……やがて眉を下げて笑顔を見せてくれた。
「茜凪さん、烏丸さん!お怪我はもう大丈夫なんですか……?」
パタパタと箒を持ったまま、駆けてくる千鶴に茜凪も烏丸も笑顔を見せる。
頷いて返してやれば、安心したように目を潤ませていた。
「はい、もう大丈夫です」
「そーそ!俺の目も見えるようになったしな!」
そう言って、烏丸は自分の目を指差していた。
彼の左目は頬から眉にかけて真っ直ぐな傷が入っていたが、瞼も開けるし、視力にも問題は無さそうだ。
さすが妖というべきだ。
痛そうだと思いつつ、千鶴は烏丸の傷を見てから、追及に迫った。
「お二人とも、今日はどうして……?」
「お礼を言いに来たんです。全て終わったので」
「お前らには相当迷惑かけちまったからな」
だから、土方と近藤に会わせてほしい。
そう続けた烏丸の言葉に、千鶴はまだどこか曇った表情で頷いた。
もちろん、茜凪からすればその態度は気になるものだったが深く聞かない方がいいのかと思い、何も触れずにいたのは事実だ。
だが、次に飛び出て来た言葉が千鶴の息を詰まらせる。
「千鶴さん。斎藤さんはいらっしゃいますか?」
「……っ―――」
肩が跳ねたのを、茜凪は見逃さなかった。
その反応に、彼女の顔が暗かった理由がどこか繋がったのを察する。
なんだろう、この反応は……。
「……千鶴さん?」
「えっと……、斎藤さんたちは……」
答えられない。
または、どう伝えればいいか分からない。
そう言っているように聞こえた。
視線を彷徨わせ、今にも泣きそうな顔をしている千鶴に、茜凪はてっきり彼が彼女に何かしたのかと思ってしまった。
聞きだそうか、と一歩足を踏み出した時。
思わぬ邪魔が横から入る。
「ま、一は後で探せばいいだろ?さっさと用終わらせようぜ」
「あ、ちょっと烏丸……っ」
ガッツリ腕を掴まれて、茜凪はそのまま千鶴から引き離される。
烏丸が“土方さん、部屋にいるんだろー?”なんて後ろ背で千鶴に問いかけると、千鶴が“は、はい!”なんて答えるもんだから彼女のもとへ戻ることが出来なかった。
連れて行かれるままに、土方の部屋へと連行された茜凪は、振り返りながら千鶴を見つめていた。
立ち止まり、俯いた千鶴。
ザワリ、と嫌な予感が胸中に広がる…。
―――そしてそれは、当たることになってしまった…。
「土方さーん」
草鞋を脱ぎ――茜凪はきちんと並べたが、烏丸は普通じゃ考えられない方向へと飛んだ草鞋をそのままに――土方の部屋の障子に話しかける。
恐らく中にいた男は聞き覚えがあり、懐かしい声に驚いたように返事をした。
「その声は……」
音を立てて開かれた部屋への入口には、以前より疲れた顔の副長。
目の下に多少の隈が出来ているので、これじゃあいい男も台無しだと二人は思う。
「烏丸……!それに茜凪まで……っ、お前らもう大丈夫なのか」
「おうよ。おかげさまでな」
「以前お話したとおり、今日はお礼を言いに参りました」
「そうか……。散らかっちゃいるが、入ってくれ」
そのまま招き入れられた副長の部屋は、確かに書類やら密書で溢れかえっていた。
部屋の片隅に空いている個所があったので、茜凪と烏丸がそこへ腰かける。
「悪いが近藤さんは今外してんだ」
「土方さんに会えただけで俺達は満足だよ。近藤さんにも世話になったけどさ」
「そうですね。お仕事の邪魔をするわけにもいかないですし」
戦装束ではなく、町娘のような着物で現れた茜凪には多少の違和感を覚えたようだが、土方は微笑んでくれていた。
千鶴にお茶を淹れるように頼み、三人は手土産で持ってきた団子をつつき始める。
「それで、あれからお前らはどうしてるんだ」
「どうって特に何にもないぜ。俺達の目的は果たせたからな。今は自由にのんびりしてるって感じかねぇ」
「そうか……。お前らは、志を成し遂げたんだもんな……」
感慨深く答える土方に、烏丸は表裏の無い笑顔で返す。
茜凪もそのまま大人しく聞いていたが、話が振られたので口を開いた。
「茜凪、お前の怪我ももういいのか?」
「はい。剣を握れる程度に回復しました。実力は目録にも達していませんが」
「お前、飽きもせず剣術の稽古を続けてるのか……」
「休み続けてたので、体を動かさないと鈍りますから」
彼女らしい愚直さが現れた答えだっただろう。
土方が“そりゃ大変だな”なんて言いながらも、責めることはしなかった。
剣を志し、理由があり強くなった彼女に“女だから”なんて罵倒することもない。
いつか斎藤が左利きを認めてもらえた光景が見えた気がする。
「今回の件、本当に新選組には迷惑をかけちまって……すまなかった」
「本来、人間である貴方がたは妖の戦いに関係ない存在だったのに……申し訳ありません」
話が一区切りされたところで、烏丸がここへ来た目的を果たす。
頭を深々と下げ、茜凪も額を畳につけながら詫びを入れた。
「……」
土方は、目の前で頭を下げた二人に一度口を閉じる。
そりゃ、確かに新選組にとっては巻き込まれたも当然の戦いであったし、被害は少なかったといっても費やした不安や心労はそれなりにある。
しかし、目の前の当人たちが必死に戦い掴んだものを目の当たりにすれば責めることなんて出来なかった。
溜息を一度ついてから、土方は立ち上がる。
そのまま頭を下げ続けた二人のもとまで行き、首根っこ掴んで面を上げさせるのだった。
「痛ッ!」
「い、痛いですっ!」
「おら、顔上げやがれ」
ガッシリ掴んで上げさせた顔。
ポカンとした二人の表情に、土方が困ったような顔をする。
鬼副長とは思えない、隊士には見せられないような顔で二人に優しく囁いた。
「よくやったな」
「……っ」
「土方さん……」
「立派な生き様だ」