53. 届きし憧れ
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朧に霞む月が姿を現した時刻。
斎藤は土方の命令で、茜凪について看病をしていた。
先刻、土方に呼び出されたことを思い出しながら、斎藤は眠り続ける茜凪を見つめていた……―――。
「……」
第五十三幕
届きし憧れ
「俺が……楸の面倒を……?」
「あぁ」
副長である土方の部屋に呼ばれた斎藤は、その言葉に僅かばかり顔をしかめてしまった。
こんな態度をとるものではないと思いつつ、今は気が進まない気がしていたからだ。
「最近、千鶴が根気詰めしてるからな。代わってやってくれ」
そういえば、今朝茜凪の看病をしていた千鶴が随分と疲れた顔をしていたのを思い出す。
目を覚まさない茜凪を目の前にし、不安で一杯にされているといった感じ。
確かに代わるべきかと思いながらも、不安を自身が感じずにいられるはずもなく、惑いながらも頷いた。
「分かりました」
「なぁ、斎藤」
「はい」
返事をしてから、間髪置かずに土方は声をあげる。
面をあげて、真っ直ぐに視線を絡めれば……それは隊務のためというより、斎藤のために吐かれた声。
「悔いが残らないように行動してみろ」
「……」
「それだけだ。分かったら下がれ」
何に対して?
そう答えを求めそうになりつつ、妙にキッパリと言い切られてしまったので出て行かざるを得なかった。
御陵衛士として、ゆくゆくはここを離れることになるからか。
伊東の動きが今後活発になることは、火を見るより明らかだった。
が、敢えて今言う事だろうか。
または、土方の目に斎藤は悔いが残るような行動をしているように見えたからだろうか。
分からない。
―――そんなやりとりを経て今、斎藤は茜凪の部屋にいる。
千鶴は部屋に戻ったようで、廊下や中庭、境内を含め……とても静かな夜だった。
日によっては酒宴が設けられ、原田や永倉、平助がどんちゃん騒ぎを起こすこともあるが今日は島原へ出かけたのだろう。
門限も過ぎたことだし、今頃部屋で深い眠りの中といったところか。
斎藤もある程度、目処をつけたら部屋に戻ろうと思っていた。
さすがに女が寝ている部屋で、一緒に寝るわけにもいかない。
菖蒲と藍人のような仲睦まじい恋人であるならまだしも、斎藤と茜凪は深い関係を築き上げたつもりはない。
正直、茜凪が斎藤を憧れとして見ていたということも信じられなかった。
いつか話していた男が、まさか自分であったなんて。
「楸……」
呼びかけても、返事はない。
どこか切ない隙間風が通り抜ける。
今日はよく冷えるな、と火鉢を用意するべきか悩み始めた時だった。
「ん……ッ」
「っ、」
「ッ………」
火鉢を持ってこようと、立ち上がり、障子に手をかけようとした刹那。
まるで痛みや苦しみに堪えるようにして、唸り声が小さく響く。
今までも何度か突発的に、発作のように苦しめられている姿は見てきたが、心配だ。
即座に振り返り、確認すれば辛そうに表情を歪めた茜凪がいた。
「楸……」
「………ぅうッ……ッ」
「楸ッ」
声には答えず、ギュウっと布団を握りしめ、首を振る茜凪。
まるで悪い夢を見て魘されているようだったが……。
うっすらと苦しみに耐えて目を開き、数十日ぶりに―――彼女は意識を取り戻したのだった。
「………っ、…さいと…さ……?」
「楸」
気をしっかり持て、と声をかけたが、茜凪の痛みも、苦しさも唸り声もよくなることは無かった。
爪が白くなり、見ているだけでこちらが痛みを覚えそうなほど、布団を握りしめる彼女。
約一月ぶりに目を覚まし、聞いた声は懐かしく感じられてしまっていた。
「どこが痛むのだ。すぐに薬を……」
「ぅ……いりま……せん……ッ」
「だが、」
「……って…ッ」
「…ッ?」
痛み止めを投与すれば、彼女は楽になるのだろうか。
とりあえず、どこが痛むのかを確認しようと声をかけたが、割としっかりした声で否定をされる。
次いで出て来た言葉は、更に斎藤を驚かせた。
「出て行って……!」
「…っ」
確かに、斎藤は感情を表に出したり、表情豊かにするのは苦手だ。
しかし、彼とて心がない訳じゃない。
今の言葉にはズキリと痛みを覚えた。
まして、茜凪が苦しみ、剣義を手放そうとしている理由が己にあるかもしれないと不安を多少なりとも覚えた際でもある。
ズキン、と鋭いものが体の芯を貫く。
「だが……、」
例えば、茜凪が痛みもなにも感じていなくて。
単に斎藤の顔を見たくないから拒絶をしたのならば、素直に詫びて部屋を出ただろう。
しかし今の茜凪を置いて部屋を出ても、彼女が助かるわけじゃない。
一度目の拒絶では聞こうとせずに、茜凪の傍らで声を漏らした。
「出て……いってくだ…さ……っ」
「……っ」
それでも、弱々しく斎藤の体を押し返す茜凪。
力が入らないのもあるだろうが、その仕草が言葉とは裏腹に、優しい気がした。
押された肩を押さえつつ、斎藤が表情を難しくしながら苦しむ茜凪を見下ろす。
頭痛や体の痛みに耐えるように、茜凪はまだ唸っていて。
それでも息を荒げて、ちゃんと斎藤の反応を見つめていた。
そこでようやく茜凪は理解する。
彼が、悲しそうな顔をしていたことに。
「…ッ、―――…たく……ないんです…」
「何…?」
だから。
だから、声をポツポツと切りながらも、意味を告げた。
言葉が途切れずに喋れるなら。
ちゃんと、ちゃんと言いたかった。
理由も、何もかも。
「見られたく……ないんです…!」
「…」
「わたし…は……人じゃないから……!」
「…っ」
「白狐に……なるとこなんて……斎藤さんに見られたく……」
ちゃんと喋ろうと、努力する一方強まる痛み。
抗いながら、斎藤が部屋を出て行こうとするのを待っていた。
部屋の中を照らすように、ぽつり、ぽつりと蒼い狐火が小さく現れる。
茜凪はもう限界が近かった。
「白狐になるところだと……?お前は妖狐にはなれないのでは……」
苦しそうに喘ぎつつ、茜凪は自嘲するよう笑った。
「自分の……意志ではなれないけれど…」
「……っ」
「死にかけると…ッ……、狐になるんです……。体を癒して、生き延びるために……っ」
「…」
「いままで数回だけ、なったことがあって……ほんとうに人外だから……っ」
―――だから、貴方の前だけではそうなりたくない。
故に出て行けと告げたんだ、と。
白狐を殺さないために体が限界を越え、死にかけると姿がもとに戻るのだという。
狐になればもちろん人ではないし、彼女が本物の妖であることを見せつけられる。
軽蔑され、理解できない生き物になることが……怖かった。
他の人間にどう思われようと構わないが、彼の前だけ―――斎藤の前では避けたかったんだ。
憧れた斎藤の前だけでは。
「楸……」
願いを聞き入れ、出て行くべきか。
彼女を思えば、そうであろう。
どんな姿になるのかも、彼女が何になるのかも、今の状態では分からない。
苦しみがなくなるのならば、出て行ってやるべきだ。
そして早く解放してやるべきだ。
願いならば出て行こう。
それで本当に苦しみが、癒せるならば。
―――ついた膝を浮かせ、つま先を退こうとした時だ。
「……―――」
たまたま彼女の指先が斎藤の指先に触れた。
死んだように冷たくて、体温が低い彼でも“冷たい”と感じられるほど。
触れた瞬間、冷静になった脳が鮮明に苦しみの声を聞きとる。
このまま……彼女を置いて……?
【私は、斎藤 一のように強くなりたいです】
一人にして……?
【私と手合わせしてください】
短いようで、長い期間だった。
彼女と関わったことが全て甦って来る。
彼女が体験し、脳に注がれた過去が甦り―――。
【悔いのないように行動しろよ】
気が付いたら凍ったような手を、握りしめていた。
「さいと…さ……?」
「構わぬ」
一体、何に対してだ。
思わず自分に問うたが、続きは正当化されるような言葉ばかり並べてしまった。
「俺は副長から、あんたの傍で看病をすることを仰せつかった」
「…っ」
「声をあげて苦しむあんたを置いて、ここを去ることなど出来ぬ」