52. 始まりの朝が終わる頃
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慶応二年 師走。
年の瀬にさしかかろうとした頃、西本願寺では大きな戦いが勃発し、そして終戦を迎えた。
勝利を収めた妖・茜凪や烏丸たちは、長年戦い続けた理由と目的を果たした瞬間だった。
陽が昇り、藍人が消えてから本当に少し後のこと。
契りから解放された烏丸、狛神、そして大怪我を負った茜凪は事切れたというように膝から崩れ落ちた。
「楸!」
「凛!おい、凛!?」
「狛神さん……っ」
限界、というようだった。
右肩に風穴を開けた茜凪、目に大怪我を負った烏丸、全身ボロボロの狛神。
水無月は気を失いはしなかったものの、呪縛から解放された気だるさと、消耗した体力から動けずにいた。
新選組が倒れた妖を屯所に運び入れ、手当てを始める―――。
しかし、結論から述べると茜凪たちの戦いはまだ続いていたのだった。
生死を彷徨うという戦いが……。
第五十二幕
始まりの朝が終わる頃
―――年明けて、慶応三年。
除夜の鐘、雑煮やら祝い料理を食べるという時期はとうに過ぎていた。
年が明けてから約半月が経つ。
茜凪たちが西本願寺で七緒や影法師と決着をつけてから、一月という月日が経過した。
「茜凪さん……」
しかし、あの日以来茜凪は目を覚まさない。
死んだように眠り続けるだけであり、微動だしない彼女の面倒を見続けていたのは千鶴であった。
肩の傷の止血は数日にかけて完了させたが、完治には程遠かった。
屯所に訪れた松本先生に妖である彼女の肩口も見て貰ったが、結果は悪いといって間違いない。
妖なので人の道理が通じるかは別だが、仮に人間と同じ道理での回復力なのであれば―――生活に不便のない程度に回復したとしても、もう二度と以前と同じように刀を振るうことはできないだろう、と松本先生は述べた。
彼女の気持ちを聞いていないので何とも言えないが、茜凪の戦いは慶応二年で終わったはずだ。
藍人の死の理由を解き明かし、彼の魂を解放させ、式神や妖から新選組を守り抜いた。
免許皆伝まであげた技術を手放すことはとても大きな損失だが、彼女がこれからも戦い続ける理由が見当たらない。
生活に支障がない程度まで回復するならば不幸中の幸いだと思ってしまう千鶴だった。
―――だが、それ以前の問題が彼女が一向に目を覚まさないことだった。
「千鶴ちゃん」
「沖田さん……」
障子が開いた音がしたので千鶴が振り返る。
同時にやってきた頭上からの声に名前を呼んで答えれば、廊下に立っていたのは沖田と斎藤だった。
稽古の帰りのようで、汗は拭ったのだろうがほんのりと体が赤い気がした。
「あんまり根気詰めてると茜凪ちゃんが目を覚ました時、千鶴ちゃんが倒れちゃうんじゃない?」
「だ、大丈夫ですっ!ちゃんと休んでますし」
「どうかな。君って案外、自分のことには無頓着そうだし。平助あたりが心配してるよ」
「う……」
気をつけます。と告げれば、沖田は満足とまでは言わないが笑顔を見せてくれた。
対して、廊下から部屋に足を踏み入れてから一言も喋っていない斎藤に視線を向ける。
彼は元から口数が少ないが、表情がとても複雑そうだ。
黙って、じっと眠ったままの妖怪を見つめていた。
「斎藤さん……?」
千鶴に名を呼ばれ、ようやくハッとしたように顔をあげた彼。
あまり表情が変わらない彼だ。
もちろん今も明らからに見てとれるほど“悲しそう”や“切なそう”とは思えなかったが空気が彼の苦しみを伝えてくる。
「茜凪さん、早く起きてほしいですね……」
「あ、あぁ……」
歯切れの悪い返事。
彼に対して何か含みのある言葉ではなかったはずだが、どことなく気まずそうに顔を逸らされた。
千鶴が目をぱちくりさせつつ首を傾げたが、沖田が深追いさせたら面白そうだな、と口角をあげる。
しかし続く言葉で弄らなかったのは、彼もまた斎藤の苦悩に気付いているからだった。
「そうだ、千鶴ちゃん。僕たちがここに来た理由だけど」
「理由?」
理由があるというのか。
てっきり、その理由はここで横たわり、青白い顔で眠っている茜凪の様子を見に来ただけだと思っていたが…。
「烏丸くんと狛神くん。目が覚めたってさ」
「え…――」
“ここは僕たちが看てるから、会ってきたら?”
沖田の提案に、千鶴は迷ってから頭を下げて、彼らに会いに行くことにした。
同じ屯所の中にいるからそれほど距離もないけれど、一礼して部屋を出て、ぱたぱたと廊下を駆け出す。
音から聞こえなくなり、十分に時間を明けてから沖田は真っ直ぐ茜凪を見つめたまま、斎藤に語りかけた。
「茜凪ちゃん。僕から一本とれるくらいの腕前だったんだよね」
「……」
「最初はちょっと悔しくてさ。どこをどう見ても女の子だし、妖だなんて思わないじゃない。そんな相手に一本とられたってどんな顔して接すればいいかわからなくて。でも、今は素直に認めてるよ」
「あぁ……」
「唯心一刀流の免許皆伝。その腕を、失うことになるんだね」
それは、わざとだったんだろう。
沖田が試すように、でも真剣に斎藤に告げる言葉たち。
斎藤の表情は変わらなかったが、反応するように膝に置かれた指先がピクリと動く。
見逃さなかった沖田が、視線を斎藤に向けて言い放った。
「気にしてるの?」
「…」
「別に一君のせいじゃないでしょ。彼女の肩が負傷したのって」
後味が悪い顔をしている理由は、そこだった。
幻覚と言えど、茜凪を傷つけたのは“斎藤”だった。
目の前で肩を抉り、残忍極まりない形で傷つけた男は、自分と同じ顔をしていた。
それを間近でやられた茜凪が、斎藤に対して何を思うか……―――。
「彼女も覚悟の上でだったと思うけどなぁ」
「…」
「女の子だけど、剣の道を志したんだし。分かってると思うけどね」
「俺とて理解はしている」
「理解と納得は別物だって言いたいの?」
「俺は……」
もやもやした気持ちの向こう側を、斎藤はずっと探していた。
でもどんな扉を開けたとしても、どんな戸を開いたとしても、先には何もなかった。
ただ続く白い靄の中に置き去りにされ、言い表せない気持ちになる。
続く言葉が出てこない彼に、沖田は鼻で溜息をつきながら天井を見上げた。
「妖……ねぇ。これからこの子たち、どうするのかな」
「…」
戦えなくなった彼女は、何を目指すのだろう。
その先に“剣”を取る理由があったら、どうするのだろう。
何より、目を覚まさないほど酷使された体が不安だった。
見なければよかったと何度も後悔する。
茜凪の肩を抉った時、自分じゃないような……好戦的に口角をあげた“斎藤自身”の表情が拭えなかった。
沈黙の部屋で眠った少女と二人の男は、そのまま千鶴が戻ってくるまで言葉を交わすことはなかった。
◇◆◇◆◇
「痛ってぇ……」
「チッ」
対して、長い眠りから目を覚ました烏丸と狛神は、千鶴に怪我の手当てを施した布を換えてもらっていた。
烏丸の目の傷や、腹部の傷、青痣は酷いものだったが、それ以上に狛神の体がボロボロだった。
刀傷や斬り傷、擦り傷、打身が多く、土方から石田散薬を強制的に飲まされるほどだ。
薬が効くかどうかは別として。
比較的大きい部屋に二人並んで寝かせられていた彼らは、顔をしかめつつ尋ねる。
「千鶴、茜凪は……?」
「茜凪さんは……」
烏丸の包帯を巻きながら、答えに惑ってしまった。
部屋の奥にいた土方が、代わりに答えてやれば烏丸と狛神は目を見開いた。
「茜凪はまだ起きてねぇ」
「え」
「まだ?」
自分達が目を覚ますのに、これだけ時間がかかったのも珍しいが、茜凪がまだ昏睡状態であることに眉間に皺が寄る。
だが、烏丸は俯き加減でどことなく納得していた。
「茜凪は狐の姿に自分の意志で戻れないからな……」
「それでいてアイツが今回、一番の負傷者だろ。北見の大老のとこに連れてった方がいいんじゃねぇのか?」
“茜凪は自分の意志で狐の姿に戻れないから”
そう告げたのは、影法師がつけた力を弱める妖術のことだろう。
思えば、彼女は体にいくつもの拒絶反応や呪いを抱えながら戦っていたこととなる。
「力が増して、本来の純血としての力が高まってる分、戻ろうとすれば戻れるのかもしれないけど……どうだろーな」
「妖の姿に戻れば、目を覚ますんですか?」