51. 久遠の声、空響く

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綺麗な空が姿を現す。


終わった。


今、全てが終わったのだ。


姿を消した七緒と、影法師。


解放された藍人。


式神や傀儡、影から何もかも全て……守り切った瞬間だった。


静まりかえった西本願寺の境内に藍人は空を見上げて立ち尽くしていた。


優しくて、なのに切ない絵になるような時間。


それをただ……茜凪や烏丸、狛神は見つめていた。



「藍人、くん……」



動くことを許され、解放された土方たちが立ち上がり、体を動かす中。
ぺたりと座り込んだ菖蒲が、藍人の姿を見つめて、名前を呼んだ。



「藍人くん……」



溢れた涙が、止まらない。
戦いが終わった中、ずっと会いたいを願っていた人物が先に立っていて……。



「行かないのですか?」


「え……」



まるで、何もなかったかのように、いつものように話しだした茜凪に菖蒲は呆気にとられた。


至って普通。
痛みを堪える素振りも全く見せず、茜凪が菖蒲に問いかける。


血が溢れたままであるので、絶対痛みはあると思うのだが彼女は毛ほどにも顔に出していなかった。



「あの、茜凪……」


「さっさと行ったらどうですか」



常に敬語で話す彼女が、どこか鋭く言い放つ。
ようやく立ち上がった菖蒲が茜凪を見下ろしながら、まだポカンとしている。


気まずそうにしつつ、菖蒲がずっと聞きたかったことを茜凪に尋ねた。



茜凪、あんた藍人くんのこと好きなんじゃないの……?」


「好き?」


「彼の恋人になりたかったんじゃないの?」



出て来た言葉は、この感動の場面に似つかないものだった。
何で今?と思いながら、菖蒲が色々と誤解していることを悟る。


前から誤解されているのは知っていたけれど、弁解する立場でも、そんなことをする暇も説明することも面倒だった。


全て終わった今、茜凪は目をぱちくりさせた後、くすりと笑んだ。



「無いです。そんなの」


「え…」


「誤解ですよ。誰が藍人みたいな性悪を好きになりますか」


「性悪!?」


「ぷっ」



茜凪の言葉を聞いて、隣にいた烏丸と狛神が吹きだす。
菖蒲は表情をくるくる変えながら反論を唱えた。



「だっ、誰が性悪よ!? 藍人くんはね、とっても優しくて格好いいんだから!」


「貴女だけですよ、そう見えているのは」


「ちょっとどうゆう意味!?」


「私が藍人を男として好きではないということです」



まるでじれったい、とでも言うように茜凪が菖蒲の後ろ側に回り込み、ぽん!と背中を押した。


押された菖蒲はおずおずと前に出つつ、彼女の顔を穴が空くほど見つめた。


不安そうに。



「私と話している暇があるのなら、藍人と話してきたらどうですか?」


「でも……」


「貴女にとって、優しくて、格好いい恋人なのでしょう?」



ならば、行け。
そう急かされて、菖蒲は再び一歩前に出る。


だが、藍人のもとへと行けないのには、まだ心に引っかかるものがあったからだ。


茜凪がここまで体をボロボロにして、髪を失って、大事にしていた簪も壊されて、右肩なんて大惨事とも言えるような怪我を負って。
そこまでして、自分だけ守られていて……それが―――それがどうしても気に入らなかったのだ。



「わたし、あんたのこと……」


「嫌いなんでしょう?」


「……っ」



知っていますよ。


そう告げる茜凪
それなのに、どうしてこんな優しい顔して送り出すんだと菖蒲は唇を噛み締める。
涙が込み上げて、素直になりたいのに……茜凪があまりにも綺麗に笑うから、菖蒲は素直に言えなかった。



「そうよ……わたしは、あんたのことなんか大っ嫌いよ……?」


「はい」


「わたしのこと……っ、藍人の恋人としか見てなくて」


「えぇ」


「あんたが藍人を奪ったようなもんでわたしが怒ってるんだと、勝手に思い込んでて……っ、わたしが独りになったのは、自分のせいだって決めつけて……それでも傍にいて、守ってくれて……」


「……はい」


「わたしは……そんなあんたが……なんの相談もなく、全部決めて前に進んで行った……あんたなんて、大嫌いよ……ッ」


「―――…はい。知っています」


「わたしは……あんたが…ッ、藍人のことを好きで、だから頑張ってたと思ってたのに……好きじゃないとか…ッ」


「…」


「ずっと……ずっとわたしは、あんたのことが大切で……友達だと思ってて……だから傍にいてくれたのだと思ってたのに……罪とか、自責とか関係なかったのに…! だから……!!」



茜凪が前を向かせていたのに、振り返った菖蒲が大粒の涙を零していた。
いつもの気が強い勢いが戻り、茜凪に掴みかかろうとする勢いで言い放つ。



「なのに……!! あんたが、あんたが色々と戦って向き合って、わたしのことは“藍人の恋人”としてしか考えてないのかと思って……だから嫌いって言ったのに……! あんたは……あんた最初から……ッ」



混乱するような勢いで言い放ち、もはや狛神たちは何を言いたいのかわかっていなかったけれど。


放たれる一言ひとことが、茜凪には温かさを感じさせた。



「最初から……、わたしを……ッ」


「ふふ……あはは」


「笑ってんじゃないわよッ!」


「いでっ」



最初から、菖蒲は菖蒲だから。
だから思って守ってきたんだ。


最初から、菖蒲が大事だから。
もう一度藍人に会わせてあげたいと何度も願ったんだ。


本当にそれが出来る日が来るなんて思わなかったけれど。


叩かれた額をさすりながら、茜凪はとびっきりの笑顔で菖蒲を見つめて笑う。


その笑顔に後押しされたら、行けないなんて弱音を吐くことが出来なかった。


幸せになりたいけれど、それを茜凪が許してくれる?


こんなボロボロになって戦ってきた彼女が、何もせずにいた菖蒲を許すのか?


その不安が一気に飛んで行った。



「菖蒲」



言葉の裏側に隠された、これも一種の愛情が大きな力を放つ。





「いってらっしゃい」





―――走り出すしかなかった。


誰よりも自分を優先して、藍人に巡り合わせてくれた茜凪を思えば、涙が止まらなかった。


着物を引きずって、それでも待っててくれた大きな腕の中に飛び込んで、笑った。
こちらもボロボロの藍人に縋りつけば、お互い涙を流すしかなかった。


綺麗な朝陽が、残っていた雪を照らしてキラキラ輝く。


光がたくさん反射して、幻想のような世界を作り出した。


それをただ、茜凪と烏丸、狛神、水無月。
新選組の者たちと風間たちが見つめる。


優しくて、でも……どうしても切なくなるような、胸を掴まれたような感覚。



「お前が見たかった景色ってこれ?」



烏丸が静かに呟く。


妖本来の姿から人の姿に戻った彼は、天狗の姿の時と比べれば小さく見える。
ぼろぼろの着物の隙間から、右腰にある絶命の刻印が線と交わる寸のところで止まっているのが見えて茜凪は横目で安心した。


狛神の右腕の印も、線が重なるギリギリのところ。


二人とも……生きている。



「―――はい」



返された、たった一言の中には万感の想いが込められていた。


菖蒲を藍人に会わせてあげたい。


幸せになってほしい。


そして、それを囲む烏丸、狛神、水無月……自分の仲間たち。


ずっと、ずっと恋い焦がれて、見たかった景色だった。



「幸せになってほしかったんです。藍人にも、菖蒲にも」


「……あぁ」


「藍人は、私のありのままを認めてくれた人ですから」


「そう……、だな」



純血として生まれ、鬼の一族と共に滅んだ春霞。
奇妙な強い力を持ったせいで、誰からも手を差し伸べて貰えず、命を絶とうとした日があった。


たくさん愛してもらえたことも。
ここに立っていられることも、全部……藍人がいてくれたから。


彼が自分に出逢ってくれたからだ。



「七緒と私は、きっとよく似ていて」


「…」


「私が彼女の立場なら、きっと誰かを恨んで生きていました」



烏丸も狛神もその言葉を静かに聞いていた。


彼らにも、考えれば理解できる部分があったのだろう。



「私と七緒さんが唯一違ったのは、周りにいてくれた人です」


茜凪……」


「藍人に拾われて、烏丸や狛神、水無月と出会い、優しさを貰ったからです」



彼女は多少、それが歪んでいただけ。
影法師という存在しか傍にいない、外の世界にも出れず、ただじっと藍人を待つ日々。


彼女にとっての全ての希望が、藍人だっただけ。



「だから真っ直ぐいられた」



口には出せなかった。
すぐ傍に、斎藤がいるから言えなかった。



「(斎藤さん……)」



気恥ずかしくて。
でも本当のことで。



「(貴方にあの日、助けてもらえなかったら……私はきっと七緒を殺してた)」



七緒を恨む事で強くなったのだとしたら、きっと七緒を討っていた。
怨みではなく、憧れで強くなった過程が存在したからこそ―――。



「(貴方がいたから、終わらせることができました……)」



翡翠色に戻った瞳で一瞬、憧れた男を見上げた。
視線が絡んだことに、心臓が跳ねる。
すぐに顔を逸らして、誤魔化すように抱き合い口付けを交わす藍人と菖蒲を見つめてた。



「ったく」



優しい空気を壊したと言っても過言ではなかったのは、狛神のこと言葉。
どうしたんだ、と烏丸と茜凪が狛神に視線を向ければ、狛神はつまらなさそうに言う。



「俺はあの人間の娘を幸せにするために、戦ってたんじゃねーんだけど」


「はははッ、結果的に藍人の幸せが菖蒲の幸せに繋がるんだからしょうがねーだろ」


「そーだけど、見ろよアレ。完全に見せびらかしじゃねーか」



菖蒲の顔を指差して、狛神が静かに文句を言う。
純粋だった頃の狛神はきっと跳ねて喜んだだろうけれど、彼はどこか道を曲がって成長して来たらしい。


だが、これも狛神ならではの愛だろう。



「狛神は藍人が大好きですもんね」


茜凪。その表現やめろ」


「正しいだろ?今のごんの発言」


「烏丸、さりげなくごんって呼ばないでください」


「何言ってんだよ!俺のこと“凛”って珍しく呼んだ仕返しだろーが」



本当に何事もなかったかのように言葉を交わす三人。


背後では、力を使い続けて茜凪を延命させる水無月。


大分楽になったようで、安らいだ顔して彼も藍人たちを見つめていた。



「チッ。悔しいから邪魔してくる」


「あ、俺も行く行く!」



烏丸と狛神が先に歩き出し、水無月も笑いながらそれに倣う。


進みだした妖の仲間たちの姿は、茜凪が過去に描いた“望んだ過去”だった。


ずっとそうでありたい、と。


同時にそれは望んだ未来である。


藍人と菖蒲がいて、仲間がいて。


自分は輪の中に入るのではなく、ずっとそれを見ていきたい…と。



「……―――」



ふと、背後の視線に気付き、ゆっくり振り返る。


新選組の幹部より奥の奥。
三人揃ってこちらを見つめていたのは、風間たちだった。




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